第2話 私、誓って喋ってません!
ベルナールと手芸用品店で会ってから一週間ほどが過ぎた。ラシェルはベルナールと約束した通り、あの日のことを誰にも口外していない。むしろそんなことも日常の忙しさに溶けて消えかけていた頃だった。
「ラシェル・パトリー殿はこちらにいるだろうか」
休憩室で昼食を食べていると、開かれたままの入口からひょこっと誰かがラシェルの名前を呼んで顔を出す。麦わら色の金髪に菫色の瞳、今日は額が見えるあのかっちりとした髪型をしているベルナールだった。
え、姓までいつの間に知られて……!?
「と、尋ねたが……どう見ても君しかいないな」
「狭いでしょう、診療院の休憩室」
「そうだな」
ベルナールは休憩室へ足を踏み入れると、外の様子を伺ってから扉を閉めてしまった。行動が怪しすぎて、警戒心が胸の内側で毛を逆立てている。
まさか、口封じに来たとかじゃないよね!?
大丈夫かな……私の魔術で勝てるかな。
いや、勝てないな……『閃雷のベルナール』だもん……死んだ。
「わわ私、誰にも喋ってません。口封じしなくてもちゃんと封じてます! 命だけはどうか、命だけは……」
ラシェルはギュッと目を固く閉じ、手を組む。何かされるより早く、とりあえず先手で命乞いをキメることにした。
固く閉じられた暗闇に、「ふっ」と小さく息が漏れるような音が落ちる。恐る恐る薄く目を開けると、白い封筒のような紙袋を差し出す無表情のベルナールが見えた。
「口封じではないが、口止め料を払いに来た」
「え?」
「これを」
ラシェルはベルナールから白い紙袋を受け取る。少し厚みがあり、開いて中身を取り出した。中に入っていたのは、純白のハンカチだった。
触った瞬間からわかる……高級なヤツだ……!!
ラシェルは口止め料の高級感に震えながらハンカチを開くと、端の方に控えめに刺繍が施されているのが目に留まる。青いネモフィラの花がいくつも小さくあしらわれ、一輪一輪花のグラデーションまで隙なく美しい。
「この刺繍、もしかしてベルナール様がご自分で?」
「あぁ。あの日俺にトドメを刺した青い刺繍糸を使ってみた」
「ふふ、トドメ……それにしても、色違いの糸を重ねて、すごく丁寧な刺繍ですね。これは『閃雷』というより『繊細のベルナール』ですね」
これだけ丁寧に刺繍を刺し続けるには、相当な集中力と根気がいる。一色では表現しきれない花の微細な色を、色の違う糸を組み合わせることで表現しきっていた。
「その異名を出すのはやめてくれ。常々恥ずかしいと思っている」
「ですけど、本当にめちゃくちゃ緻密ですし……裁縫師としても生きていけそうなくらいじゃないですか?」
「さすがにそれは裁縫師に失礼だ」
「あ、なんかすみません……」
ラシェルとしては本当に本職としてやっていけそうだと思って出た言葉だった。しかし刺繍を趣味にしている詳しい人からすれば、何かが違うのかもしれない。素人目で軽く褒めてしまったことを少し反省していた。
「いや、怒ったわけではなくて。すまない、素直に称賛として受け取るべきだった」
「わ、私が気の利かないこと言ってしまっただけで……! あの、ありがとうございます! 大切にしますね!」
「……あぁ」
改めて見てみると、刺繍糸は歪みもなく整然と一定の長さで刺されている。丁寧に作られたものを贈られたことに、胸の奥がじわりと温かくなった。
口止め料ってことだけど、やっぱり嬉しいな。
こんなかわいいハンカチもらえるなんて。
「誰か来る気配がする」
「えぇっ、片付けないと……!」
刺繍に見惚れている場合じゃない。このままでは現物を見られてベルナールの趣味がバレかねない。そうなれば……今度こそ命はないかもしれない。
「では、俺はこれで失礼する」
ラシェルは慌てて封筒にハンカチを入れ、カバンへと片付ける。その間に、ベルナールはこちらに一礼した。
「あ、はい。えと、任務、お気をつけて!」
その言葉は恐らく聞こえているはずだが、彼は特に反応を示さず颯爽と休憩室を去っていった。
そういえば、ベルナール様って怪我してきたとこ見たことないんだよね。
気をつけて、なんて余計なお世話だったかな。
休憩室にポツンと取り残されたラシェルは急いで昼食を腹に詰め込み、休憩室に来た同僚と交代する形で診療室へと戻った。
* * *
ハンカチをもらってから三週間。一瞬だけ接点が生まれたラシェルとベルナールの関係は、騎士と治癒術師という関係ありそうでなさそうな元の距離感へと戻っていく……はずだった。
「ラシェル、ちょっといいかしら」
「はい!」
一日の診療が終わりかけた頃、ラシェルは院長のヴィルジニーに声をかけられた。何かやらかしてしまっただろうかと怯えながら、ヴィルジニーの元へと近づく。
「第三機動小隊のベルナール様が、あなたに話したいことがあるそうです。本部正門前へ向かうようにとの通達がありました。今日はもう上がりなさい」
「は、はい……」
凛としたヴィルジニーの声はいつも通りなのに、まるで死刑執行を告げる処刑人の声のようだった。命令に逆らえるはずもなく指示に従い、帰り支度を整えて診療院を離れる。
なんで……私何もしてないよね!?
今日こそ終わりかもしれない。暗雲のように垂れ込める暗澹とした気持ちを引きずり、本部の正門へ向かう足取りは地を這うナメクジに負けないくらい鈍足だった。
とうとう本部の正門が見えてくると、門番をしている騎士以外に、直立不動の騎士が一人見えてくる。スッと背筋を伸ばし、相変わらず髪はきちんと整えられて清潔感がある。涼やかな目元と凛とした佇まいは、こちらまでピッと背筋が伸びてしまいそうな、厳格な雰囲気があった。
まだ距離はあるが、ラシェルに気づいたベルナールの目がこちらへと向く。彼は軽く会釈すると、そのまま歩み寄ってきた。
「ラシェル・パトリーです。招集に応じて参りました」
「終業後に呼び出してすまない。少しついてきてほしい」
「はい……」
ベルナールはこちらに背を向けて歩き出し、その背中に仕方なくついていく。彼はどんどんと人のいない方へ、いない方へと向かい、ラシェルは薄暗い物陰へと連れ込まれていた。
終わった……ここが私の死に場所か。
完全に人目につかない場所で、見られてはならないことを……何とは言わないが殺る気なのだろう。黙っていたはずなのに。もしベルナールの趣味がみんなの知るところとなっているなら、断じて自分のせいではない。誰か別の人のせいだ。
「痛くないよう、一思いにお願いします……」
「……何と勘違いしているんだ? 頼みたいことがあるのはこちらなのだが」
「え、頼み、ですか? ベルナール様にできなくて、私なんかにできることなんてあります……?」
「ある」
即答……
ベルナールは至極真面目な表情で、人がいないか警戒しているのか視線を忙しなく周囲へと向ける。いないことを確認したのか、彼はこちらへ前のめり気味に顔を寄せてくる。
威圧感……威圧感……!
背の高い人が、無表情でこちらを見下ろして顔を寄せてくることのなんという圧迫感。ラシェルは静かに冷や汗をかきながら、無意識に背中を控えめに反らせて、距離を取ろうとしていた。そんな反応も知ってか知らずか、ベルナールは限りなく声を潜めながら口を開く。
「街の北西にある、パフェが有名なカフェに行きたい。俺と一緒に来てくれないだろうか」




