第18話 好きなことが増えること、好きなことが受け入れられること
湯気が立ち昇る紅茶の紅に、青い秋晴れの空。艶々と輝く、フルーツの爽やかな甘さを活かしたケーキ。祭り用に小さめに作られていることもあって、小皿の上からスイスイとケーキが姿を消していく。
用意していた残りの二品も、ベルナールと同時にお披露目した。ラシェルが用意したのは、ドライクランベリーのクッキーと蜂蜜ボンボンの二つだ。
蜂蜜ボンボンは丸い砂糖菓子の殻の中に、蜂蜜が入っている普通のボンボン菓子に見える。この蜂蜜ボンボンが少し特別なのは、中の蜂蜜にそれぞれ単花蜜が使われており、それぞれの花から採取された蜜の味が食べ比べできるようになっているからだ。
ベルナールが用意したのは、旬の栗をたっぷり使ったフィナンシェと、りんごとカスタードのエクレアだった。
「このカスタードの味……もしかして、『恋するキミ』で買ってきました!?」
「食べてわかるんだな。ラシェルさんが好きだと言っていたから、祭り限定のエクレアを買ってみたんだ」
「覚えててくれたんですか?」
「あぁ。食べたことあるとは思ったんだが、いつも俺に合わせてくれてるから。一つくらい、ラシェルさんの好きなものを用意しておきたかった」
ベルナールは時々、不意打ちのようにこういうことをする。ベルナールの願いを叶えて、その代わりにおいしいものを奢ってもらえる。そういう等価交換のような関係なのに、それ以上の気遣いや優しさをくれる。
そうすると胸の奥がギューッとして、なんとも言えずくすぐったくて、そわそわとしてしまう。自分だけが特別なのかもしれないと、淡い期待までしてしまうから。
「……じゃあ、大成功ですね」
「喜んでもらえて何よりだ」
ラシェルは気を紛らわせようとティーカップを手に取り、口へと運ぶ。紅茶の渋みとスッキリとした香りが広がり、ふっと息をついた。髪を梳いてそよぐ風、カチャッと触れるティーカップとソーサーの音、会話と会話の間に下りる静寂が、ふわふわとしたラシェルの心を丸く撫でる。
「……私、空を見るのが好きなんです。何か飲みながら、ぼーっと雲の形が変わるのを見たり、星を眺めたり」
薄い雲が太陽を一瞬隠し、また太陽が顔を出す。雲がちぎれては繋がって、またちぎれていく。そんなものを眺めてぼんやりして、退屈じゃないのかと言われるかもしれない。
「趣味って言って良いのか、わからないんですけどね」
話す機会もなく、積極的に話すこともなかったが、ラシェルにはこれといった趣味がない。空を見るのが好きだと話しても、あまり理解されない。
母には「ぼーっと夜更かししてるなら、寝た方が休まると思うけど」と言われたこともあった。全くその通りなのだが、そもそも空を眺めるのは体を休めるのが目的ではない。
「だから、ベルナールさんはすごいんですよ。趣味を見つけてみたらと言われて、本当に没頭できるものを見つけられたんですから」
「……すごいかはわからないが、幸運なことだとは思ってる」
静かな森の奥を思わせるような声が、そっと秋風に乗ってラシェルのもとへと届く。幸運。確かにそうなのかもしれない。自分に向いているもの、楽しいと思えるもの。触れてみなければわからないし、巡り合うためには運が必要なのは確かにそうだ。
「俺は手芸の、静かな場所で無心になれるところも好きだ。ラシェルさんが空を見るのも、静かな場所で無心になれる時間が好きだからじゃないのか? もしそうなら、やってることは俺と同じだ」
「同じ、ですかね? 私のはベルナールさんみたいに、何かが完成するわけでもないですし」
手芸は最後、作ったものが残る。けれど空を眺めても何も起きないし、何かができるわけでもない。星や気象に特別詳しいわけでもない。以前ベルナールはできたものを孤児院に寄付しているとも言っていた。到底同じだとは思えなかった。
「形にならない趣味なんていくらでもあるだろう。本人が楽しい、大切と思える時間を見つけられたなら、それで十分だと俺は思うが」
きっとベルナールは、空を見る楽しみをわかってはいない。ラシェルが、手芸の楽しみを理解できないように。それでもよくわからないと言い切らず、自分の理解できる感覚から手を伸ばして触れてくれた。
楽しい、大切と思える時間……か。
どんな形でもそれが趣味と呼べるなら、私は……
「なら私、ベルナールさんのおかげで趣味が増えました」
「俺の、おかげで?」
「そうですよ。ベルナールさんとのカフェ巡りも楽しいですし、次はどんなものを食べたいって言うのかなって思いながら、街を散歩するのも楽しくて。楽しいと思えるなら、趣味として十分なんですよね?」
ベルナールとお菓子を食べる時間が少しずつ身近になって、一緒に過ごす時間が大切になっていた。それはきっとベルナールと過ごす時間が楽しくて、その度にこうして胸が温かくなるからだ。
今なら……言えるかな。
今日だって、私が選んだものでも喜んでくれてたし。
「……あの、もし良ければ、これからは私からも誘って良いですか? 私の給金でいける範囲のとこには……なってしまいますけど」
少し、声が震えた。ベルナールはいつも、ラシェルだけでは金額的に気楽に行けないような場所にも連れて行ってくれる。自身の興味の向くところ以外は行きたくないかもしれない。仮にそうだとしても、ベルナールなら優しい言葉で断ってくれる。そんな信頼が、ラシェルの背中を押した。
「迷惑では、なかったんだな」
「え?」
「いつも俺の頼みばかり聞いてもらっていて、負担になっていないか少し心配だったんだ」
負担?
むしろ金銭的負担を全乗せされてるのはベルナールさんでは?
「行きたいところがあるなら、遠慮なく言ってほしい。俺が、ラシェルさんと一緒に行ってもいいなら。君と同じ“趣味”が、俺にもできたから」
ベルナールは無表情で、けれど視線は窓の外へと向けられていた。少しだけ引き結ばれた唇に、微かな緊張の色が滲んでいる。なんでもないようで、少し勇気を出して「俺も同じだ」と言ってくれたことが嬉しかった。
「じゃあ今度からは、どこに一緒に行こうかなって目線で散歩ができそうですね。楽しみになってきました!」
「金額のことは気にしなくていい。これからも俺が出す」
「いえいえ! さすがにそういうわけにはっ!」
「それで行ける場所が減るくらいなら、そちらの方が俺は──」
淡々とした物言いをするベルナールが珍しく少しまくし立てるように語気を強める。そのままの勢いで途中まで言いかけて、ハッと小さく息を呑んで口を閉ざしてしまった。けれど、その先の言葉は言われなくてもなんとなくわかってしまうような気がした。
「それは……負担を引き受けてでも、私と一緒に行きたいって思ってくれてるって、思って良いんですか?」
自惚れかもしれない。ベルナールの言葉の先が、何か「嫌」という感情に繋がっていると考えてしまうのは。
ベルナールは何かを言いかけて、口を少し開いたまま止まる。考えるように軽く閉じ、躊躇いがちに、またゆっくりと開いた。
「そう思ってくれていい。ラシェルさんの傍は……不思議と気持ちが落ち着く。だから……」
以前にも、同じことを言われた。あのときはカフェに行くことすら不安で、隣に「どうしよう」と言える人がいることに安心してくれていた。
「偶然ですね。私もです」
同じ言葉の意味が、今は少し変わったと感じている。そう思うのは、ラシェルもまた同じ感覚を抱いているからだろう。




