第13話 雨に崩れる君の横顔が【ベルナール視点】
暖炉に焚べられた薪がパチンと爆ぜ、ベルナールは浅い眠りから覚め、微睡んでいた。炎の光が、ソファで横になっているベルナールをとろとろと照らしている。その揺らめきを見ていると、ぼんやりと今日のことが思い起こされた。
ラシェルさんの家族は……ラシェルさんに似てるな。
父親の親しみやすい人柄と、いろんなことに気づいて尋ねてくる好奇心。母親のハッキリとした言葉選びと、テキパキとした行動の早いところ。どちらもが、ラシェルに似ている。
遠くに見える山脈と、南に広がる高原の若々しい緑。抜けるような青い空に、雲のような白い羊の群れ。静かで長閑な田舎町。そして彼女の両親。
あぁ、ここで育ったからラシェルは『ラシェル』なのだろうなと思えるだけのものが、この地に詰まっている。まぶたの裏に見えた彼女の飾らない笑みは、山と牧草の素朴な匂いがした。
初めて来る家に、初めて会う他人。慣れない緊張感こそあれど、不思議と居心地の悪さはなかった。それがラシェルたちの持つ雰囲気のおかげなのか、単に自分が叔父夫婦に育てられ、どこか自分の家ではない場所という感覚で育ってきたことによる慣れなのかはわからないが。
もし今も両親が生きていれば、どうなっていただろう。ラシェルとラシェルの両親のような関係を築けていただろうか。
そう考えて、否定した。叔父夫婦も気さくで優しい人たちだった。感情を表情として出すことが苦手で、愛想の欠片もないベルナールにも笑いかけて、家族として接してくれていた。けれど、ラシェルたちのようにはなれなかった。血が繋がっているというだけで、上手くいくわけもない。きっとどこかで、結局離れてしまっただろう。
なんとなく『浮いている』と感じて、勝手に距離を置いてきたのはいつだってベルナールの方だった。どこにも属さず、一定の距離を保って、緩い繋がりの中に身を置く。人々の集合体を一つの泡だとするなら、自分は泡と泡の隙間のようなものだ。
不意に、誰かが階段を下りてくる音が、そろりと響く。ラシェルの家は小さな二階建てになっており、上にはラシェルの両親とラシェルの寝室がある。明らかにこちらに気を使った足音に、ベルナールはそっと声をかけた。
「起きてるので、お気遣いいただかなくて大丈夫です」
「え、まだ起きてたんですか?」
誰かわからず丁寧な言葉遣いをしたが、ラシェルだったようだ。階段を下りたラシェルが、こちらの様子を伺っている。ランタンの明かりに照らされた彼女の蜂蜜色の髪が、艶やかに淡く光を照り返していた。
思えば、髪を下ろしているところを見るのは初めてかもしれない。夜着姿はこれまでベルナールが見てきたラシェルとは雰囲気が違い、しんとした夜の静けさをまとっているようだった。
「起こしちゃいました? それとも眠れないとかですか? あ……えっと、下着は乾きました? 良ければ今からでも部屋使います?」
「深夜にするとは思えない怒涛の質問量だな」
「あ、すみません……気になるとつい……」
そんな静けさも、口を開けば霧散する。ラシェルは苦笑いしながら、「はは……」と気まずそうに髪を指でくるくると遊ばせていた。
「俺のことは大丈夫だ。それより、声をかけて悪かった」
「え?」
「用があるから下に来たんだろう?」
「……あ、あぁーそうでした。水を飲みにきて……ポトフ食べすぎたのかなぁー?」
どこか白々しい声色に、怪し気に逸れる空色の瞳。何かをごまかした、あるいは隠した反応だったが、ベルナールはあえて追及はしなかった。
「おやすみなさい、ベルナールさん」
水を飲み終えたラシェルが、ベルナールに声をかける。ランタンの明かりを宿した瞳が柔らかく細まり、仄かな温もりを帯びた笑みを浮かべていた。
「……ラシェルさんも、おやすみ」
思わず見入りそうになり、慌てて挨拶を返す。くすぐったいような、なんとなく心の置き所のない不思議な感覚が、胸に体温のような熱を残していく。ベルナールは借りているブランケットを引き寄せ、再度横になった。
目を閉じると、不安そうに土砂降りの雨を見上げていたときのラシェルの横顔を思い出す。
元々ラシェルのことは、趣味が知られる前から名前こそ知らないとはいえ治癒術師の一人として認識していた。やはり明らかに動きの良い人というのは目に留まるし、自然と頭に入る。どんな状況でも怯まず的確に動く、凛とした人だと思っていた。
けれど休日に会うラシェルは全く別で、朗らかで、くるくると表情が変わって、少し抜けたところのある愛嬌があふれた人だった。
だからこそ、あの横顔がまぶたの裏に焼きついている。どんな現場でも怯まない彼女が、笑顔を絶やさない彼女が、不安と焦燥を強く宿した眼差しをしていた。
『ですが、ベルナールさんがうちに羊を見に来てたってバレたら……!』
なんとかして、少しでも安心させたい。心がひとりごとのように、そう、ベルナールに囁く。手を伸ばして、引き寄せて、不安に揺れる彼女を抱きしめてあげられたら……一瞬だけ心の片隅を、してはいけない想像がざらりと撫でた。
手芸が趣味と知られれば、そのデカい手で細い針を扱うのかとからかわれるだろう。甘いものが好きと知られれば、顔に似合わないと笑われるだろう。たとえそれが嘲笑ではなくとも、『浮いている』ことを指摘され、結果注目を浴びることになるのが嫌だった。
ラシェルの実家へ行ったことが知られたら、羊を見に行っていたと知られたら、少なくとも隊の仲間たちはいろんな意味で騒がしくなるだろう。
けど、俺はラシェルさんとなら……むしろ……
とはいえ、自分が良くてもラシェルは良くないだろう。ラシェルが巻き添えを食らって、一緒に笑い者にされるわけにはいかない。帰る方角と時間をズラす形で、少しでも発覚しにくい形になるようにしたつもりだ。
騎士団と診療院は管轄が違う。ベルナールとラシェルが突発的に休んだとしても、騎士団側はラシェルの休みを把握せず、逆に診療院側もベルナールの休みを把握することはない。知られる確率は限りなく低いだろう。
ようやく少し笑顔を取り戻してくれたラシェルを見て、正直ホッとしていた。自分の存在がラシェルの負担になり、迷惑をかけなくて済む、と。
もし、妙な噂が立てば……ラシェルさんは俺から距離を置く。
いつも自分本位でカフェに誘って、余計なことに巻き込んだ傍迷惑な男だと。
降りしきる雨の中走るラシェルの肩は、震えていた。引き寄せた体はあまりにも華奢で、血塗れの現場にも怯まず立ち向かう人と同じとは思えないほどに弱く儚く感じられた。
多くの人の命を救い、人目に怯える臆病なベルナールにさえ、躊躇わずに手を差し伸べてくれた。けれど本来の彼女はもっと──守られていたっていい人だったのだ。
* * *
翌朝、昨夜の雨も嘘のように上がり、夏の清々しい空の青が玄関を出たベルナールを迎える。外へ踏み出すと、雨をたくさん吸った草の生えた地面がぐしゅっと音を立てた。
王都から発った乗り合い馬車は、土砂崩れで寸断された地点の前の駅まで運行している。ベルナールはエクルーの町からそこまで乗り、そこから折り返してきた馬車にラシェルが乗って王都へと帰ることになる。
「ベルナールさん、くれぐれも気をつけてくださいね。まだ別の場所が崩れる可能性もありますし」
「また良ければ羊を見に来てくれ。うちはいつでも歓迎するよ」
「ベルナール様、大したもんじゃないけど道中食べてちょうだいね」
ラシェルたちに温かな言葉をかけられ、ラシェルの母親は軽食まで持たせてくれた。朝食を作ったあとも何かをしていたが、このためとは思っていなかった。
「最後まで良くしてくださってありがとうございました。ラシェルさんも帰路は気をつけて」
「ありがとうございます」
ベルナールは感謝を込めて深くお辞儀すると、停留所へと向けて歩き出した。これから崩落現場へと向かうというのに、雨と土の匂いのする風が心地良かった。




