第12話 寝台を巡る攻防戦
「あらあらあら! 二人ともびしょ濡れじゃない!」
「お母さんごめぇん……土砂崩れで馬車来ないみたい。今晩ベルナールさんも泊めたいんだけどいいかな?」
「まー、運がなかったわねぇ。さ、ベルナール様も遠慮なく上がって」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いいのいいの、そんなこと気にしないでくださいね」
家に着く頃、ラシェルもベルナールも頭から足の先まで全身ずぶ濡れになっていた。前髪の先からぽたぽたと水滴が落ちてどうしようもないラシェルたちに、母は大きなタオルをそれぞれ手渡してくれた。
「ちょっと、あなたー! ベルナール様に替えの服持ってきてちょうだい!」
「はいはい、服ね、服……大きさ合うか……?」
母に尻を蹴飛ばされるように、父が慌ただしく寝室の棚へ自分の服を取りに行く。その間に濡れた髪を拭き取っていると、父が服を何着か持って戻ってきた。
「できるだけ大きめのを選んだつもりだけど……大丈夫かな? ベルナール様、着替えはこちらの脱衣所を使ってください」
「何から何まで、本当にありがとうございます」
ベルナールが父に案内されて脱衣所へと入るのを見送ってから、ラシェルも自身の部屋で着替えを済ませた。
ラシェルの実家があるエクルーの町は標高の高い高原地帯にある。夏でも王都よりも冷涼な気候で、こうして雨が降ると寒さを感じる程度には冷える。父は暖炉に薪を焚べて火をつけると、明日までに乾くようにとそこにベルナールの衣服を干した。
「騎士様には質素でしょう? ごめんなさいね」
「いえ、とてもおいしいです。むしろ食堂だと、一人にこんなに肉を盛ってもらえることはありません」
「まぁ、そうなの? 騎士様ならよく食べそうなのに、意外ねぇ」
羊飼いの日々の食事は、様々な食に溢れる王都に比べたらかなり質素だ。泊まる予定もなく転がり込めば、そこに出てくるのはなんの飾り気もないいつもの食事。むしろ今日はまだ運が良い方だろう。
牛肉と、にんじんやカブといった根菜を中心に野菜を煮込んだポトフを中心に、マッシュポテトと焼いたバゲットがある。母はベルナールにポトフの肉を積極的に取り分け、父は体が温まるからと新しい葡萄酒の栓を開けて振る舞う。彼は少しだけ肩身が狭そうにしながらも、お礼を口にして受け取っていた。
「お父さん、お酒はほどほどにしてよ? すぐ浮かれて気が大きくなるんだから。ベルナールさんの前でくらい、シャンとしてよね」
「わかってるさ。それでベルナールくん、さっきの話の続きなんだけど──」
もー、ベルナール“くん”になってる時点で終わってるんだって!
父はお酒が入るといつもこうだ。いつもは穏やかで控えめな雰囲気が、ふわふわと陽気で心許ない感じになってしまう。楽しそうだからいつも母と呆れながら放置しているが、慣れていないベルナールはどうしていいかわからず困らせてしまうだろう。
「そうですね。職業柄馬とは縁があるのですが、羊はほとんど見たことがなくて」
ベルナールさんはお酒が入っても何も変わらないんだ?
元々強いのかな?
「それにしても、まさかラシェルが騎士様の友人を作ってくるとはなぁ。手紙が来たときはそれはもうびっくりしたよ。ラシェルは王都でどんな感じか知ってるかい? この子ったら、そういう話はしてくれないんだ。反抗期かな、ははは!」
「ちょっと、ベルナールさんを困らせるからそういうこと聞くのやめて」
困っていたとしても通常営業の無表情の下に綺麗に隠れてしまうのがベルナールだ。案の定、ベルナールは少し考え込むように口を閉じてしまった。いろんな意味で胃の中がそわそわと落ち着かない。
「ベルナールさん、すみません。お父さんが飲む前に止めれば良かった……」
「いや、特別困っていない。君の何を話そうか少し考えていた」
「え」
いや、話さなくて良いんですけど!?
「ラシェルさんは、治癒術師としてかなり優秀です。俺の率いる機動小隊は、どうしても負傷者が出やすくて。治癒術師の方の世話になる機会も多い分、いろんな人も見てきました。人によって得手不得手はあるようで。ラシェルさんは判断が早くて的確なところが強みですね」
何、分析!?
治癒術師のそんなとこまで見てたの!?
「そ、そんな人によって違いとか、あります?」
「ある。一人一人丁寧にあたるタイプ、全体の穴に気づいて自然と埋めるタイプ、効率重視タイプ。君を端的に言い表すなら……生存率重視、だろうか。重傷者の傷口だけ最短効率で塞いで回って、細かな治療や励ましはゆっくり後輩にやらせてることが多い」
め、めちゃくちゃ見られてる。
言われてみれば、確かにそうだ……
ラシェルは治癒術師の中で、いわゆる中堅に位置している。まだ経験の浅い治癒術師は重傷者の傷口や血、死にかけている様子に焦りを見せたり怯んだりすることも多い。
とにかく失血死を防ぐために最低限の治癒術を施し、あとは後輩の治癒術能力を信じて引き継がせるようにしていた。けれどそれは先輩から脈々と受け継がれてきたやり方で、ラシェル独自の考え方というわけでもない。それでも生存率重視とベルナールが言うのなら、自分にはわからない何かの違いがあるのかもしれないが。
「そうなんですか! お前の治癒術には俺の腰痛も救われてきたけど、そうかぁ。騎士様に褒めてもらえるなんて、王都で頑張ってんだなぁ~」
「しみじみしないでよ……」
「聞かせてくれてありがとうな、ベルナールくん」
「いえ。知らないのは惜しいと、俺が思っただけですので」
「なんですかそれ、惜しいって……」
ベルナールが、どんな気持ちで今の話をするに至ったのか全くわからない。普段の姿は家族だからこそよく知っていても、仕事している姿は見たことがないだろうから、ということなのだろうか。そんなものはどこの家庭も同じはずだが、ある意味的確に需要を満たしたつもりなのかもしれない……ベルナール的には。
ゆっくりと夕食を終えると、母が用意してくれた湯で体を洗って温め、寝支度を済ませた。
「ベルナールさん、今晩は私の部屋を使ってください」
「なら、ラシェルさんはどこで寝るんだ?」
「そこのソファですけど」
ラシェルは暖炉の前のソファを指差すと、ベルナールは目を伏せて首を横に振った。
「俺がソファで寝よう。遠征で野営にも慣れてるし、寝台でなくても十分だ」
「そういう問題じゃないです。ベルナールさんはお客さんで、私のせいでこんなとこに足止めされてしまったんです。寝台くらい使ってください」
「じゃあ、ラシェルの部屋はベルナールくんに使ってもらって、お前が父さんの寝台を使って寝なさい。父さんがソファで代わりに寝ようじゃないか」
まだ空にならない葡萄酒のグラスを片手に、父は陽気に笑う。昔から優しくて家族思いな父で、自分よりも母やラシェルを大切にする人だった……が、ここは首を縦に振るわけにはいかない。
「何考えてんの? そんなことしたら明日、腰痛で腰バッキバキで動けなくなるくせに。そうなったらどうするつもり?」
「そりゃあもう、自慢のラシェルの治癒術で治してもらうさ」
「そんなことで魔力は無駄遣いしないよ。お父さんはちゃんと自分の部屋で寝て」
「そうよ、あなた。腰痛なんかで王都から帰ってきてくれるラシェルの身にもなりなさい」
「……はい」
母の言う通りだ。思い切り腰を痛めて動けなくなったと呼ばれたことは一度や二度ではない。父の愚かな蛮勇を阻止したところで、改めてベルナールを見た。
正直、ラシェルは譲る気がなかった。明日崩落の現場へ行くのなら、なおのこときちんと体を休めていってほしい。こんなことになってしまった責任を少しくらい取らないと気が済まないというものだ。そんなふうに勇んでいるラシェルに、ベルナールは僅かに言いにくそうに視線を逸らしながら口を開く。
「暖炉前のソファは、俺に譲ってくれないか?」
「ダメです」
「……明日の朝までに、その…………下着を乾かしておきたいと、言っても、か?」
その後、ラシェルがあっさりとソファを譲ったことは言うまでもない。




