第10話 羊飼いの娘は堅物騎士に羊を推す
琥珀糖という珍しいお菓子を買い、ベルナールさんはわざわざ家まで渡しに来てくれた。宝石なんて見たことはないが、なんとなくどんなものかだけは知っている。お菓子だとしても、こうして目の前で触れるものとして存在しているのが不思議で、見惚れてしまうほどに綺麗だった。
「……帰る前に一つ尋ねていいだろうか」
「はい、なんですか?」
「ラシェルさんの好きな動物はなんだ?」
「好きな動物、ですか?」
いきなり真顔でこれは、また唐突な……
こういうときのベルナールさんって、ホント何考えてるかわかんないんだよね。
そもそも琥珀糖をいきなり今日渡しに来た理由もよくわかっていないが、好きな動物を今聞かれるのもかなり謎すぎる。どういう思考回路をしているのか一度覗いて見てみたいくらいだ。
「うーん、やっぱり羊かな? うち、実家が羊飼いやってるって話しましたよね。家にいっぱいいるんですけど、みんなかわいいんですよ」
「そうか」
え、それだけ?
反応薄ッ!
けれど羊と言われても、普通の人にとってはあまり馴染みのない動物だ。日向ぼっこしている猫や、お金持ちが連れている犬とは違う。騎士だと恐らく一番馴染み深い動物は馬になるのだろうが、同じ草食動物でも馬と羊はまた全然違う。
もっとわかりやすい動物を答えると期待していたら『羊』と言われて困惑しているのかもしれない。ラシェルは一つ、名案を思いついていた。
「もし良ければ非番の日に、うちに羊、見に来ます? 乗り合い馬車に乗ればギリギリ日帰りで帰って来られますし」
羊の魅力は、やっぱ直接見なきゃ伝わんないよね!
「……良いのか?」
「もちろん。行くなら家に手紙送っておきますよ?」
「では、次の非番の日にぜひ」
実家で羊を見せる約束をしたあと、ベルナールは帰っていった。後日非番の日を聞いたラシェルは、互いの休みが合う日を選び、実家にその日付を書いて送った。
* * *
乗り合い馬車は少しの空席を残し、王都から田舎へと向けて走り出す。約束の日、ラシェルはベルナールと共にラシェルの実家、王都の北側にある田舎町エクルーを目指していた。
都会の街並みはあっという間に過ぎ去り、畑などの農地を抜け、街道以外ほぼ手つかずの草原の景色へと移り変わる。雲によってできた影が大地にまだら模様を描き、北側に連なる山脈が空を切り取る。何度も見てきた風景を横目に、ラシェルは紙袋を開いた。
「ベルナールさん、どうぞ。昼食食べる場所ないんで、軽食にと買ってきておきました」
「あぁ、気が利かなくてすまない。ありがとう」
「この路線は絶対私の方が詳しいんですから、そんなことで謝らないでください」
パン屋で買ってきたハムと卵をそれぞれ挟んだロールパンをベルナールへと渡す。ベルナールの体格を考えると明らかに量が足りないが、持ち運びのことも考えるとそこは許してほしい。
「たまにはこうしてのんびり馬車に揺られるのもいいな」
「私は喧騒を離れて、見慣れた田舎感にホッとします」
ベルナールはゆっくりとたまごロールを食べながら、しみじみと呟く。騎士である彼は、きっと馬車移動よりも乗馬での移動の方が当たり前なのだろう。ラシェルも羊飼いの娘として馬に乗った経験はあるが、楽に見えて長時間移動はかなり疲れる。ぼーっと何も考えずに移動できるのが馬車の良いところだ。
いくつかの街の馬車の停留所を過ぎ、数時間かけて故郷の町エクルーへと着いた。家は北側の草原に面したところにある。少し歩くことにはなるが、ベルナールは騎士なのだから体力面の心配はない。
しばらく歩くと、実家の小さな家と放牧用に作られた大きな庭で過ごす羊たちの姿が見えてくる。羊たちはのんびりお昼寝をしていたり、子羊は体力があり余って庭内を元気良く駆け回っているようだ。父と母は羊たちを庭に放牧している間に、羊小屋の掃除をしているようだった。
「お父さーん、お母さーん、帰ってきたよー!」
大声で呼ぶとこちらに気づいたのか、手を振り返す。そのまま作業の手を止めて二人は急いで駆け寄ってきた。
「おかえり、ラシェル。こちらがお前の言っていたベルナール様か?」
「そうだよ。騎士のベルナールさん」
「はじめまして、ベルナール・コルディエと申します。ラシェルさんには大変お世話になっております。この度は、突然の申し出を受け入れてくださり感謝します」
「いえいえ、そんな! こちらこそ娘がお世話になっております」
堅っ……堅っ苦しすぎる……!
ベルナールが丁寧にお辞儀をすると、父と母もそれに倣って名乗りながら頭を下げた。二人とも少し緊張しているようだったが、それも仕方ない。王都から来た騎士様というだけでも背筋が伸びてしまいそうなのに、ベルナールはニコリともしない通常営業。初対面には圧が強すぎる。
「ベルナール様、王都から遥々大変だったでしょう。何もないところですが、どうぞゆっくりしてってくださいね」
「お気遣いありがとうございます」
「ねぇ、もう羊見せに行ってもいいかな?」
もうこの堅苦しい挨拶は終わらせて本題に入りたい。ベルナールをここへ連れてきたのは、何も実家の両親にペコペコさせるためではないのだ。けれど父は呆れたように嘆息すると肩を竦めた。
「見に行って構わないが、あまりワガママを言ってベルナール様を困らせるんじゃないぞ」
「ワガママなんて言ったかな……? まぁいいや。行こう、ベルナールさん」
「あぁ……すみません、失礼いたします」
ラシェルが歩きかけると、ベルナールは会釈を交わしてから後ろについてきた。早速放牧用の庭の柵の扉を開き、ベルナールを招き入れる。すると、思い思いに過ごしていた羊のうち二匹がこちらへと近づいてきた。
「ただいま~! メメ、フィグ!」
「名前があるのか?」
「全員についてますよ」
「見て、わかるのか?」
「もちろんですよ!」
ベルナールは遠くにいる羊の群れを眺めながら、声に少しの戸惑いを滲ませていた。馴染みのない人から見れば見分けがつかないかもしれないが、生まれたときから羊と暮らしてきたラシェルにとっては、それぞれ顔が違って見える。
「この子は、今年生まれたメメ。目がぱっちりしててかわいい子。こっちがフィグ。フィグは体が丸くて、毛が伸びてくるともこもこに膨れてかわいいんですよ」
メメとフィグの耳の後ろや首の横、肩の上のあたりを順に撫でてやると、気持ち良さそうに目を閉じてうっとりとし始める。メメはフィグの子供だが、人懐っこいところが似たらしい。
「ベルナールさんも、メメを撫でてあげてください」
「あ、あぁ……」
羊の背の高さに合わせて屈んだベルナールが、そろりとメメに手を伸ばす。頬に触れてゆっくりと撫でたあと、頭の上に生えている毛に指を埋めて、もふんもふんと何度も梳いていた。無表情で。
「なんというか……想像してたより、密度と弾力のある手触りだな」
「毛糸みたいなフワッと軽い感じかなって思ってるとちょっと違うなってなりますよね。あと動物的な油感もありますし」
羊を撫でるのに慣れてきたのか、ベルナールの手つきに迷いや遠慮がなくなっていく。ラシェルはフィグから手を離して立ち上がり、おやつ用のにんじんを取りに行くことにした。
「せっかくなんで、餌やり体験もしてってください! にんじん取りに行ってくるんで、待っててくださいね」
「わかった」
ラシェルが庭の柵に向かって歩き出すと、後ろから「おぉ……君もか」というベルナールの声がする。そちらを一瞥すると、メメだけでなくフィグにもすり寄られて、なでなでを要求されていた。
母からにんじんを受け取って戻ると、ベルナールは変わらずに二匹を優しく撫でてあげている……だけでなく、何かを話しかけているようだった。
「大切な羊毛をありがとう。君たちのおかげで、俺の趣味も捗っている」
羊相手にも真面目か……
「ベルナールさん、にんじん持ってきましたよ。あげてみてください。メメにはまだ早いですけど」
「ありがとう。では、フィグ殿」
フィグ、殿?
至極真面目な顔でベルナールはフィグに向けてにんじんを差し出す。フィグは口の先で受け取ると、もぐもぐと手繰り寄せるようにしてにんじんが口の中へ消えていった。
「君が羊が一番好きな理由がわかってきた気がする」
「ですよね~! いきなり羊が好きって言われてもピンとこないですよね。やっぱり実際に見に来てもらって正解でした!」
「そうだな」
なんとなくぼんやりともこもこの羊を想像するのと、実際に見て触れ合って感じるのとでは大きく異なる。猫や犬だけでなく、羊も意外と表情豊かだ。のほほんとのんびりしている印象が強いが、草原を元気にはしゃいで飛び跳ねたりもする。ベルナールにも、その豊かな愛らしさが伝わってくれたようで何よりだ。
にんじんの存在に気づいた羊が、続々とベルナールのもとへと集まりだし、あっという間にもこもこの群れに二人して囲まれてしまった。羊たちの視線はベルナールへと向き、めぇめぇと鳴いてにんじんをおねだりしている。
「そんなに押さないでくれ、順番に頼む。順番、順番にだな……待て、君はもう食べただろう」
ベルナールは縦に細く切られたにんじんを少しずつ折りながら、全員に行き渡るように食べさせていく。一匹ずつ、顔を覚えていくように。羊たちにさえ律儀で丁寧に接する真面目さに、頬が思わず綻む。
「なんか、ベルナールさんってかわいいですね」
「今、なんと言った? 羊ではなく?」
「はい、羊ではなく」
「……さすがにそれは初めて言われたな」
それはそうだろう。ベルナールは身長も高くて、スラっとしているように見えて体格は騎士らしくしっかりしている。顔立ちも精悍で、柔和な方向性ではないのだから。けれどだからこそ、この羊たちと戯れている姿が、『閃雷のベルナール』との落差が大きくて微笑ましく見えるのだ。
にんじんをあげ、羊たちを撫で、時々ベルナールの羊に関する質問に答えた。一際元気のある子はクルリ、角があるのがホルン、のんびり屋で垂れ耳のピコ。そんなふうに紹介していくと、ベルナールはまるで家族の紹介をされているかのように真剣に耳を傾けてくれる。
たったそれだけのことなのに、胸の奥がぽかぽかと熱を帯びていく。ラシェルは穏やかでなんでもないこのひとときに、ギュッと何かを抱きしめたくなるような喜びを感じていた。




