第九話 王太子は側近候補と語り合う。
「殿下、おはようございます!」
「ああ、おはよう」
ラファエルとジュードを側近候補に迎えて翌々日、シルヴェストルはクラスに入ると早々にいつもの席に座る。学園に入ってから、正確には王族専用の寮から一歩外に出た瞬間から周囲には人が溢れかえっているが、いつものことなのでスルーしている。一々応えていては、時間が幾つあっても足りないのだ。
しかし、今日はいつもと違う。クラスの席についた途端、隅にいたジュードが近寄ってきたのだ。しかもニコニコ笑顔で。クラスメイト達は、そのいつもと違う明らかに変なジュードを避けるので、ジュードはすんなりとシルヴェストルに近づけた。そして、元気に挨拶をしたのだった。
まあ、そこまではクラスメイト達もそんなに意外ではない。ジュードも自分達と同じく、シルヴェストルへ媚び入ろうと話しかけたのだろう。しかし、入学初日から話しかけていても、この三ヶ月間反応は全く無いのだ。そんなただの挨拶くらいで王太子殿下が構うはずもなかろう……と謎の高みの見物をしていた者達は、シルヴェストルが普通に返したことですぐに出鼻を挫かれた。
「見てください、殿下。昨日ネクタイを新調してみたんです。どう思います?」
「そんなこと私に報告しなくても……待て、其方。いくらなんでもその刺繍は派手すぎるだろう」
「えー、わかっちゃいます? 殿下の側にいても殿下を貶めないようなものにしたんです!」
「褒めてないし、ネクタイの刺繍くらいで見劣りするわけがなかろう。さっさと元に戻すのだ」
「分かりました!」
すぐさま元のネクタイに戻ったジュードに、シルヴェストルはわざと不相応な格好をしたな、と疑いの目を向ける。しかしすぐさま、仕方がない、だってジュードだもんな、と諦めた。そして、そのまま会話を続けようとしたら、
「「「ちょっ、ちょっと待って!!!」」」
と、流石にクラスメイト達が突っ込んだ。
「何故王太子殿下はこの者と会話しているのですか」
「わたくしが先に声をかけたのですよ」
「普通に話せるなら、普段から僕たちの話にも反応してください」
そうワーワー騒ぐ一部のクラスメイトを、シルヴェストルや他のクラスメイト達は冷たい眼差しで見ていた。普段なら、この騒がしさが治まるまで何もしない。下手に反応したら、今の何倍も面倒なことになるからだ。
勿論、初日はきちんと相手をしていた。しかし、そうしたら彼らは朝から晩まで話しかけてくるのだ。しかも内容は大体が自身の自慢か、シルヴェストルへのおべっかくらいしか無い。会話したいというのなら、会話出来る内容を喋ってくれ。ただ相槌を打つしかない話は、正直、授業中でもすることではないだろう。そんなこんなで、シルヴェストルは相手をしないのだ。
しかし、今日からは違う。
「みんな静かに!」
パンッと軽く手を合わせて、ジュードは言い放つ。するとすぐにクラスはシン……と静まり返る。六男とはいえ南方公爵家の令息だ。その影響力は果てしなく大きい。しかも、この学年に公爵家の人間は一人しかいないので、事実、ジュードはここで二番目の地位である。今まではあえて目立っていなかっただけで、やろうと思えばこんな一言だけで場を制することが出来るのだ。
「そんな殿下に詰め寄らないでくれる? 何か殿下へ連絡したいことがあれば、まず俺みたいな臣下に言ってね」
「なっ、貴方何様ですの!?」
ただし、周囲のクラスメイトも『はい、そうですか』と粛々と引き下がれるわけがない。それが出来るなら、こんな三ヶ月経ってもめげずにシルヴェストルへ話しかけることもないだろう。彼らのメンタルは図太いのだ。
「何って、側近候補ですけど?」
ふふん、と勝ち誇った顔でジュードは言う。この台詞には、当事者であるシルヴェストル以外のクラスメイトが驚愕した。
「お前が側近候補だって!? いつの間に殿下は決めたんだ!」
「僕たちでさえ、ずっと声をかけ続けても何も起こらないのに……」
恨めしそうな複数の視線を受けたジュードは、逆に彼らを軽蔑の目で見返してやる。
「そんなに嘆くなら、一体何が悪かったのか考えてみれば? ティボー、カロライナ、ジェレミー」
その煽りに、名前を呼ばれた三人はキッとジュードを睨む。ぽっと出の奴が一瞬で自分達を追い抜くなんて、許せるわけがない。まだまだ十二歳の彼らは、そんな悔しさを押し殺せなかった。
「皆さん、席についてください。もうすぐ朝礼ですよ」
担任がそう声をかけ、皆いつもの席に戻る。ジュードは笑顔で、三人は苦い顔をしながら。
そうして、今日の学園が始まった。
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「もう学園中が大騒ぎだよ」
そう言って、ラファエルは苦笑しながらティーカップを手に取る。
放課後、シルヴェストルは側近候補達と共に、生徒会館にある生徒会本部を陣取っていた。学園内では未だにシルヴェストルを探している者が多くいる。しかし、まさか今まで使われたことのないこの部屋にいるとは誰も思わないだろう。そもそも生徒会本部なのだから、今まで使われていなかったことの方が問題ではあるのだが。
ともあれ、ここなら外から人が押しかけてくる心配もない。放課後だというのに廊下を歩く生徒の声すら遠く、ようやくシルヴェストル達だけで落ち着いて話が出来る場所を確保出来たのである。
「噂を広げるのはジュードの役割とはいえ、たった一日で多くの情報が交差している。こんなにも千差万別に話が広がっているなんて、初めて見たよ」
ラファエルが感心したように言う。
ジュードが意図的に広めた情報は、既に学園中へと伝わっているらしい。だが、面白いのはその広がり方だった。『王太子殿下が側近候補を決め始めたらしい』という噂が大本にあるのは間違いない。しかし、その先は実に様々だ。
誰が選ばれたのかという話から、どのような基準で選ばれたのかという推測。中には、シルヴェストルが突然誰かに求婚したなどという、明らかに事実とは異なる話まで出回っているらしい。しかも、どれが本当でどれが嘘なのかを確かめる術はない。だからこそ、人々は好き勝手に噂を膨らませていく。
「こういう大事なことは、騒ぎになればなるほどいいんだよ。世間の注目が殿下の側近候補に集まれば、躍起になってボロを出す奴もいるだろうね」
ジュードは悪びれる様子もなく言い切った。
「うわ、わざと焦らせて自滅させるなんて性格わる」
マエルが呆れたようにジュードを見る。手に持っているティーカップの紅茶はもう半分も無い。気付けば、菓子にもかなり手を伸ばしている。貧乏男爵家の三男は、こういうところはがめつかった。
「性格が悪くて結構。殿下の側近候補になりたきゃ、噂話に翻弄されないのが最低条件だよ」
ジュードも涼しい顔で一口紅茶を飲む。『うん、普通』という〝声〟が聞こえたマエルは、思わず眉を寄せた。
今、口にしているのは王族御用達の最高級茶葉である。少なくともマエルにとっては、普段なら滅多に口に出来ないほどの代物だ。それを飲んでおきながら、ジュードの感想はたった一言だった。こんなところでも、男爵と公爵の身分差を感じてしまう。
「其方ら、もう打ち解け合っているではないか」
そんな三人の様子を眺めていたシルヴェストルが、ぽつりと言った。
先程までの会話を聞いている限り、ラファエルもマエルもジュードに遠慮している様子はない。まだ出会って数日だというのに、既に互いの性格をある程度理解し始めているように見える。
勿論、それは悪いことではない。側近となるのであれば、互いに信頼し合い、必要な時には遠慮なく意見を言い合える関係の方が良いに決まっている。シルヴェストルとしても、三人が仲良くなることに異論はない。
ただ……その光景を見ていると、何となく自分だけが少し離れた場所にいるような気がした。三人は自然に言葉を交わしている。対して、シルヴェストルとの会話にはどうしても一定の距離がある。それは当然のことで、王太子である自分と、臣下となる彼らでは身分が違う。親しく話すこと自体、普通なら許されることではない。
それでも、少しくらいは、と思ってしまう。
「其方らも私とタメ口で話しても良いのだぞ?」
シルヴェストルとしては、かなり勇気を出した提案だった。しかし、
「「「それはちょっと……」」」
と、三人から即答された。
「…………」
見事なまでに揃った返答に、シルヴェストルは黙り込む。
断られることは予想出来ていた。予想出来ていたはずなのだが、こうも迷いなく断られると、流石に少し傷付く。何より、先程まであれほど楽しそうに話していた三人が、自分に対してだけはきっちりと線を引いていることが、どうにも納得いかなかった。王太子なのだから仕方がないと、頭では分かっている。それでも、もう少しくらい仲良くしてくれても良いではないか。
「それで、今日は何をするんですか?」
微妙な空気を察したのか、ラファエルが話題を変えるように尋ねた。その気遣いに気付いたシルヴェストルは、少々不満げながらも、それ以上拗ねるのは止めることにした。
「ああ、今日は……」
シルヴェストルが口を開く。今日は側近候補達を迎えてから初めての放課後だ。今後の予定や、学園での動きについて話しておくことは幾つもある。
まずは……と考えた、その時だった。
ガチャッ、と生徒会本部の扉が開いた。扉の外に誰がいるのかが分かるマエルとジュードは、まさかその人物がこの扉を開けるとは予想もしていなかった。通り過ぎるものだと考えていたのである。まさか、ここに入ってくるとは思っていなかった。外の様子が分からないシルヴェストルとラファエルを含め、全員が驚きながら扉の方を見る。
「あ、ここにいた」
夕陽に近い黄金色の髪が窓から差し込む光を受けて煌めいている、整った顔立ちの美少年。その姿を見た瞬間、シルヴェストル以外の三人が同時に立ち上がった。
「ルシ兄?」
シルヴェストルから『ルシ兄』と呼ばれた人物は、驚いた様子もなくシルヴェストルへと歩み寄る。
「もう、探したんだよ、シル」
そう言って、その人物は水晶のような紫の瞳をシルヴェストルへと向けた。
前々話で、シルヴェストルには兄弟姉妹がいないことが明かされました。それなのに、今回シルヴェストルが「ルシ兄」と呼んだ人物が登場しました。さて、この人物は一体何者なのでしょうか?




