第十話 王太子は『兄』も側近候補に迎える。
「ルシファー様、一体何の御用でしょうか?」
固まって動けないシルヴェストルに代わり、一番扉の近くにいたマエルが、ルシ兄……ルシファーへ問いかける。
「ああ、君が例の」
ルシファーは問いに答えず、マエルを興味深そうに眺める。その心では『シルが一昨日、母上に反発した原因の』と言っているので、マエルは警戒心を強めた。
「ルシ兄、どうしてここに。この後は茶会の予定では? 皆、ルシ兄と一言でも会話しようと意気込んでおりましたよ」
ソファから立ち上がって、シルヴェストルはルシファーを迎える。その困惑に染まった表情と紫がかった白の瞳に、ルシファーは軽く笑った。
「茶会など、後でいくらでも出来るだろう。僕はシルに聞きたいことがあるんだ」
ルシファーは笑みを消し、困ったような顔でシルヴェストルに言う。
「モンテリエ男爵令息を今すぐに側近候補から外すことって、シルには出来る?」
「ッ出来るわけありません!」
思いもよらないことを言われ、シルヴェストルは思わず大声を出してしまった。その台詞に、マエル達も鋭い視線をルシファーへ向ける。
しかし、そんな視線など気にも留めず、ルシファーはシルヴェストルへ話し続けた。
「いやまあ、僕だってシルは拒否するだろうなとは思ったけど。ただ、一昨日から母上の怒りが全く収まらないんだ」
母上、という言葉を聞いた瞬間、シルヴェストルの身体がビクッと震えた。
「や、やはりお怒りで……?」
「そりゃあもう」
肩を竦めるルシファーに、シルヴェストルの顔色が段々と悪くなる。
その様子を見て、ラファエルが僅かに眉を寄せた。
「待ってください。一体、何の話ですか?」
自分達を置いて話をするな、と言わんばかりに、ルシファーを睨む……寸前で見つめる。
相手の方が身分が上なのだから、睨んだら即座に失礼に当たる。本当に、ギリギリのところで踏み止まったのだ。
「僕がシルと〝従兄弟〟だっていうのは、皆も知っているよね?」
ルシファーの言葉に、全員が頷いた。
そう、ルシファーはシルヴェストルの従兄弟なのである。彼は、シルヴェストルの父である現国王の実の姉の息子だ。中等部三年で、東方公爵家の三男坊でもある。
「そして母上は昔からシルに……いや、国王陛下を含む王家に深く干渉し続けている。まあ、端的に言うとね。母上はシルの側近候補にも口を出しているんだよ」
シルヴェストルは苦い顔をしながら、ルシファーの話を聞いていた。
幼い頃から、それこそまだ赤ん坊だった頃から、自分は伯母に『教育』されてきた。伯母が自分の教育係だったからだ。
ちなみに、伯母がごり押した。父は最初反対したらしい。けれど、やはり姉には逆らえなかったようで。しかも母は伯母の味方だった。それで結局、伯母はシルヴェストルの教育係になったのだった。
その目的は、シルヴェストルへの影響力を強め、次代の王となる彼を通じて、次の世代でも自分が国の中で最も大きな影響力を持つためである。
「だが私は、この件に関して伯母様の手には触れさせないぞ。一昨日の話し合いでも、伯母様は最後まで納得されていなかったが、それでも父様が許可を出したのだ。それを覆す権利は伯母様には無い」
「そうだね。母上自身には、その権利は無いよ。でも、叔父上を脅したらどうだろうか」
「それは……」
シルヴェストルは、そこでようやく察した。伯母は、〝いつもの如く〟父を脅迫して、自分の思い通りにさせるつもりなのだ。
昔から、伯母はそうだった。自分の望みを通すためなら、相手が国王だろうと何だろうと構わない。正面から権利を主張するのではなく、相手の弱みを突き、逃げ道を塞ぎ、最後には否と言えない状況まで追い込む。
そして、それをシルヴェストルは幼い頃から何度も見てきた。
「母上は、マエル君の代わりに僕をねじ込むつもりらしい。でも、シルはそんなの嫌だろう?」
「それは、まあ……」
「だから、事前に伝えに来たんだ」
母上が暴走する前に知らせることが出来て良かったよ、とルシファーは息を吐いた。その言葉に、シルヴェストルは俯きそうになる。
ルシファーは、自分のために来てくれたのだ。マエルを側近候補から外せば、代わりに自分が入れる。そんな話をされているにも拘らず、それを拒んでまで。
けれど、それならば、当然のように一つの問題が生じてしまう。
「ですが、そうなると、ルシ兄はどうなるのでしょうか」
「それは……『お仕置き』は、避けられないとは思うけど」
シルヴェストルは唇を噛む。
やはり、ここで断ったらルシファーが傷付いてしまう。幼い頃から兄同然だった彼が傷付くのは見たくない。
だって、そうなったら確実に伯母は自分をその場に呼ぶだろう。お前のせいで、ルシファーは『お仕置き』されるのだと、そう言ってシルヴェストルに罪悪感を抱かせる。昔からよく使われる、伯母の常套手段だった。
「あの、つまり、リリス公爵夫人を黙らせる方法を考えたら良いってことですか?」
おずおずと聞いたのは、ジュードだった。
「まあ、そんな方法があれば良いんだけど……」
本当にあるのか? と言いたげな疑問の目を、ルシファーはジュードへ向ける。
「それは、まだ思い付きませんけど……少なくとも、今皆で考えるのは無駄じゃないのでは?」
「そうですよ。最初から諦めるなんて」
ラファエルも援護すると、ルシファーは諦めたように頭を横に振った。
「しょうがない。じゃあ、この場の面々で考えてみようか」
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最初に提案したのは、ジュードだった。
「では、国王陛下にもう一度お話ししていただくのは?」
その意見は、実に真っ当なものだった。
リリス公爵夫人が国王である父に何らかの圧力を掛け、その結果として既に下された決定を覆そうとしているのであれば、その前に父自身に踏み止まってもらえばいい。伯母が何を言おうと、父が王として、そしてシルヴェストルの父親として一度下した決定を最後まで貫いてくれるのであれば、少なくともマエルを側近候補から外す必要はなくなる。
何より、これはシルヴェストル達が勝手に何かをするのではなく、国王自身にもう一度事情を話してもらうだけなのだ。穏当で、正攻法に近い。
「それが一番だろうな」
シルヴェストルも、素直に頷いた。
しかし、その隣で話を聞いていたルシファーは、困ったように眉を下げながら首を横に振った。
「それは無理だと思うよ」
「何故?」
ジュードがすぐさま問い返すと、ルシファーは小さく肩を竦める。
「母上、叔父上が一度許可したことを撤回させるために、既に何か準備していると思うから」
その言葉に、シルヴェストルの表情が僅かに強張った。
言われてみれば、確かにその通りだ。伯母は、何の策もなく国王を追い詰めるような人ではない。シルヴェストルがまだ幼かった頃から、伯母は自分の望みを叶えるためならば、相手が国王であろうと構わず言葉と権力を駆使し、最終的には相手が否と言えないところまで追い詰めてきた。
既に父を説得するための準備を始めているのであれば、こちらが先に父へ話を持ち掛けたところで、結局は同じところへ行き着いてしまう可能性が高い。
「それに」
ルシファーは一度言葉を切ってから、少しだけ視線を伏せた。
「もし失敗して、叔父上が一度決めたことを、母上に逆らえないからという理由で覆されるのは嫌なんだ」
「…………」
シルヴェストルは何も言えなかった。
父が伯母に逆らえないことは、昔から知っている。だからこそ、ルシファーはそれを望んでいないのだろう。自分が側近候補になるために国王が折れるくらいならば、最初から自分がその席を望まなければいい。そう考えているようにも聞こえた。
「……では、マエルが自ら辞退するというのは?」
ラファエルが、次なる案を口にした。その瞬間、全員の視線が一斉にマエルへ集まる。
当の本人はまさか自分へ話が振られるとは思っていなかったのか、僅かに目を見開いたものの、ほんの一瞬考えた後にはあっさりと答えを出した。
「え、嫌ですけど」
あまりにも迷いのない返答だった。
「清々しいほどに即答だね」
ジュードが呆れたように言うと、マエルは不服そうに眉を寄せる。
「当たり前だろ、ジュード。俺が殿下の側近候補になったのは、そんな安請け合いじゃないんだから」
その言葉に、シルヴェストルは思わずマエルを見た。
三日前、最初の側近候補としてマエルを選んだ時には、まだ互いに相手のことなどほとんど知らなかった。それが僅か三日しか経っていないというのに、マエルは既に自分が王太子の側近候補であることをしっかりと受け止め、その立場を簡単に手放すつもりはないらしい。
自分が選んだ者が、それほどまでにこの立場を大切に思ってくれている。その事実が、シルヴェストルには少しだけ嬉しかった。
しかし、そんなマエルへ、ルシファーが少しばかり申し訳なさそうな顔を向けた。
「それなら、母上が僕を側近候補にするために、君を潰そうとするかもしれないよ」
「…………」
マエルの表情が、ぴたりと固まった。
さすがに、それは怖いのだろう。何しろ相手は王姉であり、東方公爵家当主夫人であり、シルヴェストルが幼い頃から王家に干渉してきた人物でもある。いくらマエルが側近候補として選ばれたとはいえ、伯母が本気で排除しようとすれば、貧乏男爵家の三男に過ぎない彼がどこまで抵抗出来るかは分からない。……だが、それでも。
「……それでも、嫌です」
「即答だね」
「に、二回も言わないでください!」
先程まで固まっていたとは思えないほどの勢いで言い返され、ルシファーは少しだけ目を丸くした後、素直に頭を下げた。
「ごめん」
どうやらマエルは、何をされるか分からないという恐怖を抱きながらも、それ以上に、自分が望んで得た側近候補という立場を手放したくないらしい。
それならば、これも駄目だ。皆は心の中で一つ、案を潰した。
そして次に口を開いたのは、今度はルシファー自身だった。
「じゃあ、僕が側近候補にならなければいいんじゃないかな」
その提案に、シルヴェストル達は揃って苦い顔をした。
「それは……」
「母上が僕を側近候補にしたいなら、本人である僕が断ればいい。僕が嫌だと言えば、さすがの母上だって……」
「それで公爵夫人が引き下がるなら、こんなに苦労していませんよね」
ジュードが、至極もっともな指摘を挟んだ。ルシファーは一瞬だけ黙り、それから何とも言えない顔で頷いた。
「……うん」
否定出来ないらしい。
「むしろ僕が断ったら、今度はシルに『お前がルシファーを唆した』とか言い出すと思う」
その瞬間、シルヴェストルの顔から血の気が引いた。想像するまでもない。伯母なら、きっとそうする。
ルシファーを守ろうとしてマエルを側近候補から外せば、マエルが傷付く。マエルを守ろうとすれば、今度はルシファーが傷付く。ならばルシファー自身に側近候補になることを断ってもらえばいい……そう思ったところで、それを理由に自分が伯母から責められる。
どの道を選んでも、誰かが傷付く。そして最悪の場合、その全てを自分一人で背負わされる。どこへ逃げても伯母の手が伸びてくるような気がして、シルヴェストルは思わず額を押さえた。全然、逃げ道が無いではないか。
「では、側近候補ではなく、別の形で殿下の側に置くというのは?」
その沈黙を破ったのは、ラファエルだった。
「例えば、王太子付きの役職を別に設けるなどして、ルシファー様がシルヴェストルの近くにいるという、リリス公爵夫人の目的だけを満たすのです。そうすれば、マエルを側近候補から外す必要もありませんし、ルシファー様自身が側近候補になる必要もありません」
なるほどと、今度こそ、シルヴェストルは少しだけ顔を上げた。それならば、確かに双方を傷付けずに済むかもしれない。
しかし、ルシファーはそんなシルヴェストルの期待を打ち砕くように、静かに首を横へ振った。
「それだと、母上は納得しないだろうね」
「何故です?」
「母上は、僕がシルの側にいることじゃなくて、僕がシルの側近になることを望んでいるから」
「…………」
ラファエルが黙り込む。シルヴェストルも、再び頭を抱えたくなった。なるほど、これも駄目らしい。
そもそも伯母が欲しがっているのは、息子が王太子の近くにいるという事実ではない。王太子の側近という肩書きを持つことで、次代の王となるシルヴェストルへ影響力を持つことなのだ。
ならば、側近候補という立場そのものを与えなければ、伯母の目的は達成されない。
「……なら、マエルを別の形で殿下の側に置くというのは?」
苦し紛れに、ラファエルが再び提案する。どうやら彼も、そろそろ他に案が無くなってきたらしい。
しかし、
「それでは意味がない」
と、今度はシルヴェストルが即座に拒否した。
「私はマエルを側近候補として選んだのだ。側近候補でなくなるのであれば、意味がないではないか」
思わず強い口調になった。けれど、これだけは譲れなかった。
マエルを側近候補にしたのは、伯母の思惑を邪魔するためでも、ルシファーを困らせるためでもない。彼と話し、彼の考えを聞き、その上で自分自身が必要だと判断したからこそ、側近候補として選んだのだ。
だから、伯母が嫌がるからという理由だけで、その決定をなかったことにはしたくない。
「「「…………」」」
その場に、重い沈黙が落ちた。誰も、口を開かない。
ラファエルも、ジュードも、マエルも、そしてルシファーも、それぞれに考え込んでいるようだったが、今までに出た案を全て潰された今となっては、そう簡単に新しい手段が浮かぶはずもない。
シルヴェストルもまた、必死に頭を働かせていた。
マエルを残せば、ルシファーが傷付く。ルシファーを側近候補にすれば、マエルを外さなければならない。ルシファー自身が断れば、今度は自分が伯母に責められる。国王である父に頼ることも難しく、側近候補という立場を別の何かで誤魔化すことも出来ない。
では、一体どうすればいい?
どうすれば、誰も傷付けずに済む?
「…………」
シルヴェストルは、とうとう考えることを放棄しかけた。そもそも、何故自分はどちらか一人を選ばなければならないと思っているのだろう。
マエルを外したくない。ルシファーにも傷付いてほしくない。どちらも手放したくないのならば……。
「……もう、二人とも側近候補にすれば良いのでは?」
「…………うん?」
思わず、ルシファーは変な声を出してしまう。
シルヴェストル自身も、自分が口にした言葉を一瞬理解出来なかった。けれど、一度口に出してしまえば、それは妙に理に適っているようにも思えてくる。
「マエルを外したくない。ルシ兄も傷付けたくない。ならば、二人とも側近候補にすれば良い。何故私は今まで気付かなかったのだ?」
ラファエルとジュードだって、同時に側近候補へ加えたのだ。ならば、マエルとルシファーを同時に選んではいけない理由など、どこにもない。
マエルを選んで、ルシファーも選びたい。ならば、二人とも選べばいいではないか。
「殿下」
「何だ、ラファエル」
「それは……かなり無茶苦茶な発想では?」
「…………」
冷静な指摘を受け、シルヴェストルは僅かに黙り込んだ。
確かに、無茶苦茶かもしれない。側近候補を選ぶという重要な人事を、こんな勢いだけで決めていいのかという疑問はある。
しかし、だからといって他に方法があるわけでもない。何より、マエルを外すという選択肢だけは、もう考えたくなかった。
「……シル。それ、母上に言える?」
その一言で、シルヴェストルの思考が完全に停止した。
そうだった。最大の問題がまだ残っている。
マエルを外したくない。ルシファーも側近候補にしたい。その二つを同時に叶えること自体は、別に難しくない。ただし、それを伯母に認めさせなければならないのだ。
「…………」
シルヴェストルはしばらく黙り込んだ。そして、ゆっくりと顔を上げる。
「だが、父様の許可があれば問題ない」
そうだ、父が許可を出してくれればいい。
王太子である自分の側近候補を誰にするかを決めるのは、あくまでも自分自身であり、それを国王である父が認めたのであれば、伯母に口を挟まれる筋合いはない。あくまでもう一人、彼女の息子を側近候補にするだけなのだから。実際、ラファエルとジュードのことを報告したときも、身分が侯爵と公爵だったからか一言も文句は言われなかった。
……いや、実際には絶対に何か言われる。それどころか、父に許可を出させたこと自体を理由に、自分へ何か言ってくる可能性すらある。
けれど、それでもいい。少なくとも、マエルを外す必要はなくなる。
「父様が許可を出してくれれば、伯母様にも文句は言わせない。……いや、文句は言うだろうが、少なくとも私がマエルを外す理由にはならない」
考えれば考えるほど、それしかないように思えてくる。
マエルを側近候補から外さない。ルシファーも側近候補にする。そして、父の許可を得る。
実に単純な話ではないか。
「ならば、父様に許可をもらってくればいい。一昨日と、昨日と同じように。そして、伯母様には気が付かせないように」
そう結論付けたシルヴェストルは、口元を僅かに歪ませた。
今から父のところへ行って、この話をしなければならない。伯母に知られれば大騒ぎになるであろうことは、火を見るより明らかだ。それでも、ここまで来てしまえば、もう後には引けない。
「が、頑張って許可をもらってこよう」
やっと二話から出ていた伯母の詳細を明かせました。
リリス・ド・ベルフォール。東方公爵家に嫁いだ王姉です。シルヴェストルやルシファーなどの子供世代から、現国王世代まで幅広くトラウマを植え付ける『女王様』です。




