第七話 王太子は恋心を知られていた。
「………………は?」
シルヴェストルの思考が、今度こそ完全に停止した。
何を言われたのか理解できないわけではない。むしろ、言葉の意味そのものはあまりにも明瞭だったからこそ、それをどう受け止めればいいのか分からなかったのである。
「ちょっと待て」
ようやくそれだけを絞り出すと、ジュードが不思議そうに首を傾げた。
「?」
「今、何と言った?」
「無下にしている、と」
「いや、その前だ!」
「ナディア嬢が?」
「その後だ!」
「殿下の好意を?」
「…………!」
そこまで言われてしまえば、もう逃げ場などどこにもなかった。シルヴェストルは、自分の顔へ急速に熱が集まっていくのを感じた。
「な、ななな、何故其方がそれを知っている!?」
思わず、声が裏返ってしまった。そんな反応に、ラファエルが目を丸くする。
「……殿下?」
「ち、違う! いや、その、違わないが違う!」
「どっちなんですか?」
「ラファエル、今は其方まで口を挟むでない!」
シルヴェストルは完全に取り乱していた。
これまで、ジュードが昨日の出来事を把握していること自体には、それほど驚いていなかった。学園新聞発行委員会の委員長であり、情報を集めることを得意としていると本人からも聞いている。本人がその場にいなかった昨日の会議で何が起きたのかを知っていたとしても、そこまで不思議な話ではない。
だが、これは話が違う。まさか、自分が昨日マエルに指摘されて初めて自覚したことまで知っているとは思わなかった。
自分がナディアに好意を……恋心を抱いていると知っているということは、つまり……。
「ジュード、今だから確認するけど……君は昨日の会議を、いや〝その後に起こったことまで全て〟知っているのかい?」
ラファエルが困惑を隠せない様子でジュードへ問いかける。その視線を受けたジュードは、いつもの笑顔を崩すことなく、事もなげに頷いた。
「そりゃあ勿論。じゃなかったら、俺は君達の会話についていって、さらに意見を言うことなんて出来ないに決まってるじゃん」
「……まあ、そこまでは私も理解できるよ。でも……」
ラファエルはそこで言葉を切り、ちらりとシルヴェストルを見る。
シルヴェストルは、真っ赤だった。顔も耳も赤くなっている。そして、先程から明らかに挙動がおかしい。これでは、もしラファエルが鈍感だったとしても分かる。分かってしまう。
「……殿下は、ナディア嬢に好意を持っておられるのですか?」
「なっ!?」
シルヴェストルの顔が、これ以上は赤くならないだろうと思えるほど真っ赤に染まった。それどころか、顔から湯気が出ているのではなかろうか。
「ち、違っ……いや、だから、その……!」
何か言葉を紡ごうとしても、吃りすぎて続かない。その様子に、ラファエルは信じられないように目を瞬いた。
ラファエルからしたら、シルヴェストルはいつも『無関心』を表す灰色の瞳を宿し、無表情で、時々周囲に呆れたりする人物だ。昨日の怒りの姿は『まあ、あの状況だったら怒るよね』と納得出来た。しかしまさか、この王太子がたった一人の少女に対する恋愛感情を持て余し、顔を真っ赤にしながら言葉を詰まらせているなどとは、想像したことすらなかった。
シルヴェストルの隣では、マエルが額に手を当てていた。ジュード様それ言っちゃうのか……とでも言いたそうな顔で。
「……マエル?」
ラファエルが不思議そうに声をかけると、マエルはすぐさま手を下ろす。
「いえ、何でもございません」
「何でもないようには見えないけど」
「本当に何でもございません、ラファエル様」
必死に平静を装ってはいるものの、流石に今の反応だけで誤魔化せるほどラファエルも鈍くはない。
けれど、マエルから事情を聞き出すことは難しそうだった。彼が何を知っているのかは分からないが、少なくとも今の様子を見る限り、何か心当たりがあることだけは間違いない。
「殿下?」
そう判断したラファエルは、マエルから聞き出すことを諦め、再びシルヴェストルへ視線を戻した。
「本当に、ナディア嬢のことを……?」
「だから違うと言っているだろう!」
「でも、顔が真っ赤ですが」
「そ、それは……!」
シルヴェストルは口ごもった。反論しようとするものの、何一つ上手い言葉が出てこない。そもそも、自分自身ですら、どう説明すればいいのか分かっていないのだ。
昨日、マエルに指摘されるまで、自分でも気付いていなかった。ナディアが気になる、助けられなかったことが悔しい、今彼女がどうしているのか知りたい、そして、叶うことなら、もう一度話してみたい。そんな、どこから湧いてくるのかも分からない感情が胸の内に次々と生まれてくることに、昨日までの自分は考えないようにしていた。
けれど、それが『好意』なのだと知ってしまった今となっては、以前のように何も知らないふりをすることなどできない。
「……その……」
シルヴェストルは耐えきれず、ふいと視線を逸らした。そして、しばらくの沈黙の後、消え入りそうな声で呟く。
「私は、ナディア嬢に、その……好意を…………」
「好意を?」
「ッそれを繰り返すな!」
「すみません」
ドンッと怒られたので、ラファエルは素直に口を閉じた。ただし、口元が僅かに緩んでいる。流石に笑ってはいけないと思っているのだが、目の前であれほど分かりやすく狼狽されてしまえば、どうしても口元を引き締めきれない。
マエルはそんな二人を見ながら、そっと息を吐いた。昨日、自分もほとんど同じような光景を見た。王太子というこの国でもっとも高貴な少年が、恋心というものを正確に理解できずに、本気で悩んでいた姿を。それを思えば、今の状況にも妙な既視感がある。
「まあ、ラファエルも分かったでしょ? そういうことだって」
ジュードは、何故か満足そうに頷いた。
「どういうことだ!」
シルヴェストルは勢いよくジュードへ叫ぶ。その勢いのまま、そもそもの原因を作った相手を礼儀も無く指差してしまったが、今の彼には自分の行動を気にする余裕などなかった。
「何故、其方はそんなことまで知っている!?」
「だって、殿下の恋路ですよ?」
「れ、恋路!?」
シルヴェストルの顔が再び真っ赤に染まる。どこまで赤くなるんだよとか言ってはいけない。マエルとラファエルは同時にそう思ってしまったが、思っていても突っ込んではは駄目なのだ。例えどんなに突っ込みたくなっても。
「ち、違う! いや、だから、私は……!」
「殿下、落ち着いてください」
「其方のせいだろう!?」
「すみません!」
ジュードが笑いながら頭を下げる。だが、謝りながらもその笑顔は、どこか楽しんでいるようにも見えた。いや、確実に楽しんでいる。
シルヴェストルは羞恥心のあまり目元に涙が滲むのを感じながら、恨めしそうにジュードを睨みつけた。何故そこで笑っているのだ、と。
「でも、俺は殿下の恋路を応援していますよ」
シルヴェストルが固まった。
「そ、ういうことを、いちいち口にするな……!」
「え?」
「だから……その……恥ずかしいだろう……」
最後の方は、ほとんど聞き取れないほど小さかった。それでも、その言葉だけは三人の耳へしっかりと届いた。
身体中が熱い。頬も耳も熱い。ついでに何故か、汗まで出てくる。
マエルは思わず視線を逸らした。一番近くにいるせいか、何だかシルヴェストルの熱がこちらにまで伝わってきたような気がして、妙に気まずい。
ラファエルもまた、何とも言えない顔をして黙り込んでいた。自分自身、幼馴染と昔から婚約関係にはあるものの、相手に対してそのような『恋心』を抱いたことは一度もない。周囲の友人たちも恋に熱を上げるような性格ではないため、正直なところ、こういう時にどのような顔をすればいいのかすら分からなかった。
そしてその中でただ一人、ジュードだけが楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「でも、だからこそ言いたいんです」
その声音が、ほんの少しだけ落ち着いたものになる。先ほどまでのからかうような雰囲気が消えたことを感じ取り、シルヴェストルもようやく顔を上げた。
「殿下がナディアを大切に思っておられることは分かります。俺だって、殿下が選んだお相手なら全力で応援します」
「……ジュード」
「だからこそ、今のナディアでは駄目だと思うんです」
「それは」
「勿論、身分の話ではありません」
シルヴェストルが言葉を続けるより先に、ジュードがさらりと遮った。
「クレールフォン子爵家の家格がどうとか、殿下と釣り合うかとか、そういう話じゃありません。俺は、ナディアの中身の話をしています」
「……続けよ」
恋の話を直接されているわけではないからか、今度のシルヴェストルの声には、先ほどまでの狼狽が幾分か薄れていた。
ジュードは頷き、そして落ち着いた声で続きを話し始めた。
「未来の王妃になるかもしれない人が『自分なんか』って考えて、殿下から心配されても『大丈夫です』で終わらせて、自分が倒れるまで無理をする。それは、流石に駄目でしょう?」
ジュードは真剣な表情になった。今までのような明るい笑顔は消え、真っ直ぐな眼差しがシルヴェストルへ向けられる。
それにつられるように、ラファエルとマエルも口を挟むことなく、その言葉へ耳を傾けた。
「殿下は我が国唯一の王家の御子にして、生まれながらの王太子です」
その言葉は、妙に鋭くシルヴェストルの胸を突いた。
義理を含めても兄弟姉妹のいない自分が王太子なのは、当たり前のことだ。王家の一人息子として生まれた以上、いずれ国王になるのも、誰かが自分の隣に立つことになるのも、幼い頃から決められていた未来である。
だからこそ、当たり前のことを言われただけのはずなのに、まるで何かを釘差しされたような感覚が残った。
「将来には必ず国王になる方です。その隣に立つならば、自分のことをもっと大切にできないと困ります」
シルヴェストルは、黙ってジュードを見つめた。
ナディア本人がどう思うのかは別として、シルヴェストル自身は、いつかナディアと恋仲になれたら良いなと思っている。まだその感情をどう扱えばいいのかすら分からないし、彼女とまともに会話した回数だってそれほど多くはない。それでも、もし自分がこの先も彼女を想い続け、いつかその想いが通じる日が来るのなら……その時、彼女が立つ場所は、自分の隣になる。
そして、王太子である自分と結ばれるということは、いずれ彼女がこの国の王妃、即ち国母となる可能性がある。
「自分が辛い時に辛いと言う。助けてほしい時に助けてほしいと言う。誰かが心配してくれたなら、どうして心配されたのかを考える。自分の判断が間違っていたら、それを認める。そして何より、自分自身にもちゃんと価値があるって思えるようになる」
ジュードはそこで、ほんの少しだけ言葉を切った。
「そういうことが出来る人じゃないと、殿下の隣には立てないと思います」
シルヴェストルは、しばらく何も言わなかった。やがて、ゆっくりと瞼を伏せる。
「……そうだな。それがナディア嬢の美点でもあるが、貴族令嬢としては弱みがありすぎる。未来の王妃になるかは別として、彼女自身も強くならなければ、今後も似たようなことが起こるであろう」
シルヴェストルは漸く、ジュードの意見を受け入れた。
ナディアが悪いわけではない。彼女が倒れるまで追い詰めた者たちの責任が軽くなるわけでもない。それでも、だからといってナディア自身が何も変わらなくていいわけではないのだ。
彼女が今後も誰かに利用され、限界まで無理をしてしまうのなら、今回と同じことが繰り返される。それは、シルヴェストルにとっても望むところではなかった。
「まあ、殿下が全力で押せば大丈夫だとは思いますが……」
「なっ!?」
せっかく落ち着きかけていたシルヴェストルの顔が、また僅かに赤くなる。
「取り敢えず、俺は殿下の恋路を邪魔するつもりなんて一切ありません。むしろ全力で応援します。ただ、もう一度言いますが、このままのナディアでは殿下と釣り合いません」
シルヴェストルの瞳が、僅かに揺れた。けれど、ジュードの意見を知った今、彼の言う『釣り合わない』という言葉に、先ほどまでのような不安はなかった。
「俺だって、ナディアが悪い人だなんて言ってません。ただ、殿下があれだけ気にかけてくださったんだから、もう少しだけ、その気持ちを受け取ってほしかったんですよ」
ジュードは、静かにシルヴェストルへ視線を向ける。
「殿下がどれだけナディアを気にかけているか、俺には分かります」
「……っ」
その一言だけで、シルヴェストルの顔がまた赤くなる。ジュードはそんな反応を見て、今度はからかうことなく、柔らかな笑みを浮かべた。
「だからこそ、殿下の側に立つ人には、殿下から向けられたものをちゃんと受け止められる人であってほしいんです」
ジュードは、シルヴェストルの顔を真っ直ぐに見た。
「それが、俺の四つ目の意見です」
そこまで言って、ジュードはようやく肩の力を抜いた。




