第六話 王太子は子爵令嬢の問題を指摘される。
「ナディアにも、問題があると思うんです」
今度こそ確実に、部屋の空気が止まった。
シルヴェストルは目を瞬かせる。ラファエルも、マエルも、何も言わない。
それも当然だった。
ここまでの話で、ナディアが無理をせざるを得ない状況を作り出した上位貴族たちに問題があることは、この場にいる全員が十分に理解している。だからこそ、シルヴェストルは彼女を助けようとしたのだ。
それだというのに、まさか、今度はナディア自身に問題があると言われるとは。
「……ナディア嬢に、問題があると?」
「はい」
ジュードは、今度も迷いなく頷いた。
「勿論、ナディアが悪いから上の貴族連中が何をしてもいい、なんて話じゃありませんよ? そこは大前提です。仕事を押し付けて自分たちは遊んでいる連中の方が、どう考えたって悪いです」
「ならば、何が問題なのだ?」
シルヴェストルの問いに、ジュードは少しも迷うことなく答えた。
「まず、何よりも自分の状態を把握できていなかったことです」
シルヴェストルの眉が僅かに動く。
「ナディア嬢は、自分では大丈夫だと思っていたんですよね?」
「そうだな」
「でも、実際には朝起きるのが辛くなって、階段を上るだけでも息が切れて、授業中に眠くなるほど。食事を抜いたり、夜遅くまで仕事をしたりもしていた。それなのに、『少し忙しいだけ』で済ませていました」
シルヴェストルは黙り込む。
言われてみれば、その通りだった。ナディア自身が、自分の状態を正しく把握できていなかったことは、報告書にもはっきりと記されている。
だが、それを問題だと認めることには、僅かな抵抗があった。ナディアは、自分から無理をしたかったわけではない。仕事を押し付けられ、それを断れず、周囲に迷惑をかけたくない一心で働き続けた。その結果として倒れたのだ。
そんな彼女にまで問題があると言われてしまえば、まるで責任の一端をナディア自身に負わせるようではないか。
しかし、ジュードはシルヴェストルのそんな思いを察したのか、すぐに言葉を続けた。
「当然ですが、本人に悪気があったわけじゃありません。真面目で、周囲に迷惑をかけたくなくて、頼られたら応えようとする。それ自体は良いところです」
そこでジュードは、一度言葉を切った。
「でも、それで自分が倒れるところまで行ったら、良いだけで済ませちゃ駄目でしょう?」
「……それは、確かにそうだね」
今度はラファエルも素直に頷いた。
「自分を大切にすることも、責任の一つだと思うよ。少なくとも、倒れるほどまで無理をするのは褒められたことではないね」
「だよね!」
ジュードは嬉しそうに首を縦に振った。その横で、マエルも小さく頷いている。
「……俺も、ジュード様の仰ることには一理あると思います」
「マエルまで……」
シルヴェストルが思わず呟くと、マエルは僅かに恐縮したように背筋を伸ばした。
「申し訳ございません。ただ、ナディア様がご自身の状態を把握できていなかったことについては、俺も問題だったと思います。少なくとも、倒れてしまうほど無理をしていたことに、ご本人が気付いていなかったのは事実ですから」
「……そうか」
シルヴェストルは小さく息を吐いた。
自分一人ならば、ナディアを庇う言葉をいくらでも並べられただろう。だが、マエルまで同じ意見を口にしたことで、そう簡単に切り捨てられる話ではないのだと思い知らされる。
「それに、もう一つあります」
「おや、まだあるのかい?」
ラファエルが少し意外そうに尋ねる。
「それがあるんだよ、ラファエル」
ジュードは当然のように答えた。
「殿下から心配されて、実際に声までかけられているのに、その意味を全然考えていないことです」
シルヴェストルの眉が、ぴくりと動いた。
「……意味?」
「はい。『最近、無理をしていないか?』って、わざわざ王太子殿下が声をかけてくださったんですよ?」
ジュードが不思議そうに首を傾げる。
「だったら、たとえ自分では大丈夫だと思っていたとしても、『あれ? 殿下がわざわざ心配してくださるってことは、もしかして私は、何か心配されるような様子になっているのかな?』くらいは考えてもよかったんじゃないですか?」
「……それは……」
シルヴェストルは口を噤んだ。返す言葉がなかった。
確かにそうだ。あの時のナディアは、自分が心配して声をかけたことに驚いていた。けれど、それ以上は深く考えなかった。自分では本当に、大丈夫だと思っていたからだ。シルヴェストル自身も、彼女がそう答えた以上、それ以上強く問いただすことはしなかった。
まさか、その時点ですでに、自分の目に映っている彼女と、彼女自身が認識している自分との間に、大きな食い違いが生じていたとは思いもしなかったのである。
「周囲から心配されるほど自分の様子がおかしくなっているのなら、自分では自覚していなくても、一度立ち止まって考えるべきだったと思います」
「だが、それは……」
シルヴェストルはそこで、言葉を探した。そして、少しだけ困ったように眉を寄せる。
「……あそこまで追い詰められていたナディア嬢自身に、そこまで求めるのは酷ではないか?」
「そうでしょうか?」
ジュードは首を傾げた。
「俺はそうは思いません。だって、殿下はナディア嬢を助けようとしたんですよ?」
その言葉に、シルヴェストルの顔が僅かに強張った。
「殿下はちゃんと気付きました。ちゃんと心配して、ちゃんと声をかけて。それなのにナディアは『大丈夫です』って答えて、そのまま倒れました」
「……」
「だったら、もう少しだけ、自分が周りからどう見えているのかを考えてほしかったです」
ジュードの声音は、決してナディアを責め立てるものではなかった。むしろ、どうしたものかと言いたげな響きがあった。
「自分のことを低く見積もりすぎるのも、あんまり良くないですよ。『私なんかが迷惑をかけるわけにはいかない』って思っているから、助けを求められない。『これくらいできて当然』って思っているから、限界を超えても気付けない」
ジュードはそこで、改めてシルヴェストルを見た。
「それって、本人の為にもならないでしょう?」
シルヴェストルは答えなかった。
ナディアが倒れた後も、彼女は自分のことを責めていた。もっと要領が良ければ、もっと体力があれば、もっと上手くできていれば、と。まるで、倒れたことそのものが自分の失敗であるかのように。
シルヴェストルは、その時のことを思い出す。
彼女は、自分が無理をさせられたことよりも、周囲に迷惑をかけたことを気にしていた。自分の身体が限界を迎えていたことさえ、自分の未熟さのせいにしていた。
それを思い出すと、シルヴェストルの胸の奥が僅かに痛んだ。
「……まあ、そこまでは分かるよ」
ラファエルが静かに口を開いた。
「ナディア嬢が自分を過小評価していることも、周囲に迷惑をかけることを恐れていることも、彼女の証言を聞けば理解できる。けれど……」
そこで、ラファエルは僅かに目を細めた。
「ジュード。君が本当に言いたいのは、それだけではないんだろう?」
「流石はラファエル、察しが良いね」
ジュードはニッと笑った。シルヴェストルは、その瞬間にまた嫌な予感を覚えた。マエルもまた、何かに気付いたようにジュードへ視線を向ける。
「……ジュード様?」
「いやぁ……」
ジュードはわざとらしく頬を掻いた。
「ここからが一番大事なところなんですけど」
その言葉に、シルヴェストルの警戒心が一気に跳ね上がる。
「……何だ?」
ジュードは答えず、一度シルヴェストルを見た。その目が、妙に〝生温かい〟。まるで、何とも微笑ましいものを見るような目だった。
シルヴェストルは、思わず身構える。
「ジュード?」
ラファエルが促すように名前を呼ぶ。ジュードは相変わらずの笑顔を浮かべたまま、ちらりとシルヴェストルへ視線を向けた。
「ナディアって……」
「殿下の好意を無下にしすぎじゃないですか?」
これから出来る限り毎日投稿にしようと思っているので、一話一話が今までよりも短くなります。
つまり、ジュードのターンはまだまだ続くぜ! ということになります。
進みが遅く感じられるかもしれませんが、気長にお待ちいただければ嬉しいです。




