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第四話 王太子は侯爵令息に合格を出す。

「ジュード……?」


 中央庭園へ足を踏み入れたシルヴェストルは、その場にいた二人の姿を目にした瞬間、思わずその名を呟いた。

 ラファエルと向かい合って話していたのは、同じクラスの男子生徒……ジュードだった。彼がラファエルと話していること自体は、不思議なことではない。ラファエルは校外交流委員会の委員長、そしてジュードも学園新聞発行委員会の委員長なのだから、生徒会関係者同士として接点があって当然だ。


 もっとも、その事実をシルヴェストルが知るのは、もう少し後のことである。


 今のシルヴェストルにとって、ジュードは「教室の窓際で静かに本を読んでいる、少し変わったクラスメイト」という程度の認識しかなかった。教室では一人で本を読んでいるか、何かを書き留めているか、あるいはぼんやりと宙を眺めている姿ばかり目にしていた。誰かと積極的に話している様子など、一度も見た覚えがない。だが、シルヴェストルがジュードや、生徒会関係者について詳しく知らないのも無理はなかった。


 これまでの生徒会は、会長であるシルヴェストルでさえ全委員会を把握できるような組織ではなかった。幹部には身分を考慮した人選が行われる。つまり彼らは、生徒会の仕事に意欲を持ってその立場に就いたわけではない。なので、真面目に仕事へ取り組む者の方が少なかった。実際、今まで生徒会本部に出入りする人間などほぼいなかった。そしてシルヴェストルは、生徒会長としての職務以上に優先すべき問題に翻弄され続けていたので、生徒会のことに注力出来なかった。


 また、昨日の会議にも、ジュードはとある用事があって姿を見せていない。だからこそ、シルヴェストルの中でジュードは、ただのクラスメイトという認識のまま止まっていたのである。


 シルヴェストルの小さな呟きが聞こえたのか、それとも偶然だったのか。

 ジュードはくるりと振り返った。その瞬間、彼の瞳がきらりと輝いた……ような気がした。そして次の瞬間には、顔いっぱいに笑みを咲かせる。あまりにも劇的な表情の変化に、シルヴェストルは思わず目を瞬かせた。教室では、あんな表情をする者ではなかったはずなのだが、と戸惑うシルヴェストルをよそに、隣へ並ぶマエルは穏やかな社交用の笑みを浮かべ、一歩前へ出る。


「すみません、ジュード様。王太子殿下がラファエル様に少々お話がございまして、お借りしてもよろしいでしょうか」


 丁寧な口調ではある。しかし、その言葉を意訳するなら、『殿下の用事を優先させるのが当然だろ、はよどっか行けや』となる。貴族社会では、露骨なものほど丁寧な言葉で包み隠されるものだ。柔らかな微笑みの裏で火花を散らすなど、日常茶飯事である。


 もっとも、ジュードはそんな牽制など意に介した様子もなかった。幾重にもオブラートに包まれた言葉の応酬など、この学園、ひいては貴族社会においてはありふれた光景だ。彼は笑顔を崩さないまま、ゆっくりと首を横へ振る。


「ううん。それは困るかな」


 そうさらりと言ってから、自信たっぷりに胸を張る。


「俺は学園新聞発行委員会の委員長として、こんな重要な場面をこの目で見られる機会を逃す訳にはいかないよ。……それにしても、よく男爵令息が断らなかったね」


 ジュードは意味ありげにマエルへ視線を向けた。

 その最後の言葉に、シルヴェストルの眉がぴくりと動く。


「それは、どういうことなのだ?」


 ジュードは、まるでその質問を待っていたかのように笑みを深めた。


「俺、情報収集にはそれなりに自信があるんですよ、シルヴェストル王太子殿下」


 得意げに人差し指を立てる。


「学園内のことなら、今日のことも、昨日のことも、その前からも、全部把握しています」


 ふふっと笑うジュードのその自信満々な言葉に、シルヴェストルは思わず一歩だけ後ずさる。全部とは、一体どこまでを指すのだろうか。昨日生徒会で起きた出来事のことか、それともその後マエルを側近候補へ誘ったことか。いや、ジュードはその前からと言ったな。つまり……

 そこまで考えたところで、シルヴェストルは思考を打ち切った。考えるだけ無駄だ。こういう手合いは、自分から喋るまで待った方が早い。そう結論づけ、小さく息を吐く。


「つまり、其方はもう私が話す内容は分かっているので、逆に同席させた方が良いと言いたいのだな」

「そうです! 流石は殿下です!」


 ジュードは、ぱぁっと表情を輝かせる。


「俺の言いたいことを一瞬で理解していただけるなんて……! やっぱり殿下は違いますね!」


 感慨深そうに何度も大きく頷くその姿に、シルヴェストルは思わず眉をひそめた。褒められている、のだろう。だが、何故だろうか。嬉しいというより、妙に落ち着かない。先程マエルが言っていた『九割が殿下への賛辞ですね』という言葉が脳裏をよぎる。……なるほど、こういうことだったのか。

 ようやく意味を理解したシルヴェストルは、さらに何とも言えない表情になった。


 そんなやり取りを眺めていたラファエルが、小さく苦笑を浮かべる。そして、会話へ自然と加わるように口を開いた。


「王太子殿下がよろしいのでしたら、私は構いませんよ。別に、ジュードに聞かれて困るようなお話をするつもりもありませんので」


 その受け答えには余計な気負いも媚びもない。ただ、目の前の状況を冷静に見極めた上で、自分の考えを穏やかに述べているだけだった。


「まあ、良いんじゃないですか? ジュード様がこちらの不都合になるようなことはしないと思いますし」


 マエルも先程より幾分困ったような、また呆れたような笑みを浮かべながら、ジュードを会話に参加させても良いのではないかと言う。その二人の意見を受け、シルヴェストルは小さく息をつく。ここまで言われては反対する理由もない。仕方ない、とばかりに頷いた。


「分かった。其方も同席を許可しよう」


 その言葉に、ジュードは花が咲いたように表情を輝かせた。


「ありがとうございます、殿下!」


 元気よく頭を下げるその姿に、シルヴェストルはわずかに目を細めた。先程まで意味深で得意げに語っていたかと思えば、今度は年相応の無邪気さを見せる。その切り替えの早さに、どこか調子を狂わされる人物だ。

 しかし、いつまでも雑談をしている訳にもいかない。シルヴェストルは一度表情を引き締めると、静かに口を開いた。


「では、本題に入ろう」


 その一言だけで、場の空気が僅かに引き締まる。ラファエルは穏やかな笑みを消し、ジュードもまた、先程までの無邪気な表情から一転して真剣な顔つきになると、真っ直ぐにシルヴェストルへ視線を向けた。


「昨日、生徒会で起きた一件についてだ」


 シルヴェストルは二人の表情を見据えながら、静かに問い掛けた。


「ラファエル、ジュード。まずは、其方らの考えを聞かせてほしい。昨日の会議を見て、何を思った?」


 ラファエルとジュードは一度だけ視線を交わすと、ジュードが目を伏せ、一歩後ろへ下がった。家格だけなら公爵家であるジュードの方が上だが、シルヴェストルがこの場を訪れた本来の目的はラファエルと話すことにある。そのことを踏まえ、ジュードが形式的に発言の順番を譲ったのだ。

 ラファエルはその動作を見て、一歩前へ出た。


「ナディア嬢の一件については、やはり生徒会、ひいては貴族社会の構造的病理が表面化してしまったのだと私は考えます。上位の者が下位の者を使い潰すのは当たり前。様々な事柄の責任も、全て下に押し付ける。そういった『常識』が、この痛ましい事件を引き起こしたのでしょう」

「ふむ、では改善策は?」


 シルヴェストルは続きを促す。


「そうですね……今回は単純な問題ではありません。『常識』が覆るには、長い年月が流れるか、余程大きな事件でも起こらない限り難しいでしょう。そのようなことを、一介の貴族が成し遂げるのは不可能です。よって」


 ラファエルは、シルヴェストルを真っ直ぐに見据えた。



「王太子殿下ご自身で壮大な事件を起こす、というのはどうでしょうか?」



「……具体的には、どのようにするのだ?」


 シルヴェストルは困惑した。現状ではまだ自分の側近候補でもない一貴族が、王太子である自分に自ら行動を起こせと言う。そんなことを平然と口にするなど、ただの狂人か、さもなくば命知らずくらいのものだろう。


 もちろん、身分を気にせず率直な意見を述べてくれること自体は、シルヴェストルにとって好ましいことだ。だが、まさかここまで一切の躊躇いなく踏み込んだ発言をされるとは思ってもみなかった。マエルでも少しは言い淀んだのに、いくら侯爵家の嫡男とはいえ、ラファエルのこの不敵さは何なのか。


「殿下」


 ラファエルは静かにシルヴェストルを呼んだ。


「人は言葉だけでは変わりません。『下位の者も大切にしなさい』と説いたところで、今までの常識に慣れきった者たちは、そう簡単に考えを改めないでしょう。ましてや、一介の貴族がそのようなことを訴えたところで、聞き入れる者などごく僅かです」


 そこで、ラファエルの視線がシルヴェストルの隣へ向けられた。


「ですが、殿下ならば話は別です」

「私ならば?」

「はい。殿下は既に、その第一歩を踏み出しておられるではありませんか」


 ラファエルの視線を追い、シルヴェストルも隣を見る。そこにいるのは、当然ながらマエルだった。


「男爵家の三男であるマエルを、殿下はご自身の側近候補として迎え入れました。家柄を理由に躊躇うこともなく」


 シルヴェストルは僅かに目を見開く。ジュードは兎も角、ラファエルも知っていたのだろうか。


「お二人の態度を見れば分かりますよ」


 フフッと少しだけ笑って、ラファエルは続けた。


「それは、殿下が彼自身の働きと才覚を評価したから、ですよね?」

「……それが、其方の言う『壮大な事件』なのか?」

「いいえ。先程、第一歩だと言ったでしょう?」


 ラファエルは、迷うことなく首を横に振った。


「それはまだ始まりに過ぎません。マエル一人だけならば、ただの例外で終わってしまうでしょう。ですが、殿下がこれからも身分に関係なく優秀な者を見出し、ご自身の側近候補として迎え入れ続けたなら?」


 ラファエルはそこで一度言葉を切った。


「それは、殿下のただ一時の気まぐれではないことを知らしめることとなる。そう、『殿下自らが側近を選ぶ』ことで、何をもって人を評価するのかを示すことになるのです」


 その声音は穏やかだった。しかし、言葉の一つひとつには明確な意図が込められている。

 シルヴェストルは感嘆し、この場に来て初めて瞳を蜜柑色に変えた。ほぼ初対面であるにもかかわらず、ここまで淀みなく答えを返せる者など、他にどれほどいるのだろうか。


「……何をもって、人を評価するのか。それを明確にすることこそ、暗黙の了解だらけだったこの貴族社会にとって大事件となる。そういうことだな?」

「ええ。家柄でも爵位でもない、本人の才覚や働き、そして意思を」


 ラファエルは真っ直ぐにシルヴェストルを見つめる。


「身分の低い者であっても、優れた才覚と意思があるならば王太子殿下の側に立つことが出来る。殿下がそれを繰り返し示せば、やがてそれは一つの前例となり、前例が積み重なれば、新しい『常識』へと変わっていくでしょう」


 シルヴェストルは黙ってラファエルを見る。


「貴族社会に染みついた『上位の者が下位の者を搾取するのは当然だ』という価値観を、一度や二度の言葉で覆すことなど出来ません。ですが、殿下がその常識とは異なる姿を繰り返し示せばいい。そうすれば、少なくとも『身分が低いから』という理由だけで人を扱うことに、疑問を抱く者は増えていくはずです」

「随分とまあ、気の長い話だな。だが、そうでもしないと、確かな変化は起こらないか」

「ええ。だからこそ、長い時間をかけて続ける必要があります。そして、それを始められるのは、力を持つ殿下だからこそです」


 あまりにも迷いのない返答だった。


「貴族というものは、程度の差こそあれ必ず王家を見ます。未来の国王である王太子殿下が変われば、貴族も変わらざるを得ない。少なくとも、変わるための理由は生まれるでしょう。改革とは、制度を変えることだけではありません。人々に『今までとは違う』と認識させることも重要なのです」

「そうだな。根本から変えるには、制度だけを変えても足りない」


 シルヴェストルの言葉に、ラファエルは静かに頷いた。


「殿下が身分を問わず優秀な者を側近候補として集め、彼らの意見を聞き、相応の役割と権限を与える。それを人々に見せ続けるのです」


 ラファエルは再度、マエルへ視線を向けた。シルヴェストルも、隣に立つマエルへ視線を向ける。

 確かに、マエルは男爵家の三男だ。侯爵家や公爵家の子息たちと比べれば、家格は遥かに低い。だが、シルヴェストルが彼を側近候補に選んだ理由はそんなことではなかった。貴族社会の理屈を理解しながら、それを俯瞰して見ることが出来る。自分の前でも必要とあれば異論を述べ、決して王太子という身分に迎合しない。だからこそ、シルヴェストルは彼を自分の側に置きたいと思ったのだ。

 マエルが男爵家の人間だから、ではない。マエルがマエルだからこそ、側にいてほしいと思った。


 そして、それはラファエルにも当てはまる。


 シルヴェストルは、目の前に立つ侯爵家の嫡男を見つめた。自分が何を求めているのかを正確に理解し、その上で身分を恐れることなく意見を述べ、さらには自分自身にしか成し得ない改革の方法まで提示してみせた。その言葉には、王太子である自分への迎合ではなく、国を変えるために何が必要なのかという明確な意思があった。


 合格だ。声には出さず、シルヴェストルは心の中でそう呟いた。


 人の価値観を一朝一夕に変えることなど出来ない。だが、王太子である自分が繰り返し同じ判断を下せば、それは少なくとも周囲にとって無視できない前例となるだろう。少なくとも、王太子である自分だからこそ始められることなのだというラファエルの理屈には、十分な説得力があった。



 シルヴェストルは、ふと視線を横へ動かした。

 先程から、もう一人の少年はずっと視線を伏せている。学園内のことなら、今日のことも、昨日のことも、その前からもすべて把握していると豪語した公爵令息。


 果たしてジュードは、この話をどう見るのだろうか。

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