第三話 王太子は本格的に側近候補を探し始める。
「あの……大丈夫ですか?」
昨日側近候補に誘った男子生徒から声を掛けられたが、シルヴェストルは机に突っ伏したまま、
「ぅあ……」
と、何かの泣き声しか返せなかった。
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六月も半ばを過ぎた、とある休日。寮の自習室では、休日にもかかわらず何人かの生徒が課題に取り組んでいた。その一角で机に向かっていたマエルは、あと少しで終わる課題へ視線を落としたまま、静かにペンを走らせている。
その時、机の上に置かれていた連絡用の魔術具が淡い光を放った。マエルは手を止め、魔術具へと手を伸ばす。
画面には離れた相手と文字を送り合うための通信欄が開かれ、新着メッセージが表示されていた。
シルヴェストル「生徒会本部の横にある執務室まで来てくれ」
差出人の名前を見て、マエルは僅かに目を瞬かせる。昨日主となったばかりの王太子からの呼び出しだった。
休日にわざわざ本校舎まで向かうのは、正直少し億劫である。しかし、だからといって王太子の呼び出しを無視するほど、マエルは命知らずではなかった。
急いで課題を片付けると、自習室を後にし、静かな校舎へと足を向ける。
休日の学園は平日とは違い、人影も少ない。廊下には靴音だけが静かに響き、窓から差し込む初夏の日差しが床を白く照らしていた。
生徒会本部の横にある執務室へ辿り着き、扉の前で立ち止まる。そして取っ手へ手を掛けようとしたその瞬間、マエルは違和感を覚えた。
どうにも、静かすぎる。
マエルの血統魔法【魂の残響】は、人の思考を〝声〟として拾う魔法である。
ただ、この魔法は万能ではない。聞こえるのは本人が言葉として認識している思考だけであり、漠然とした感情や直感までは拾えない。また、普通の会話と同じように距離や障害物によって聞こえ方も変化する。
それでも、この距離なら執務室の中にいる人物の思考くらいは聞こえるはずだった。なのに、何も聞こえない。
もしや、シルヴェストルはここにいないのかと考えかけて、すぐに頭を軽く振る。
わざわざ自分を呼び出しておいて、本人が不在というのは考えにくい。だとすれば、思考が言葉にならないほど疲弊しているのか。それとも別の理由があるのか。
胸の奥に、小さな嫌な予感が芽生える。とはいえ、扉の前で考え込んでいても答えは出ない。
マエルはごく自然な動作で取っ手を回し、執務室へ足を踏み入れた。
結論から言うと、シルヴェストルは普通にいた。だが、執務室で最も大きな机に、見事なまでに突っ伏していたのである。
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「すまない、見苦しいところを見せたな」
「いえ、それは別に大丈夫なんですけど……一体何があったんですか?」
シルヴェストルは水魔法で顔を軽く洗い、乱れていた呼吸を整える。そうして、王太子らしい凛とした無表情へ戻った。
だが、マエルから向けられた問いに、今度は別の意味で息を詰まらせる。
「いや、その……」
まさか、目の前の本人を側近候補に迎える件でつい先程まで伯母と半日近くバトっていたなどとは、言えるわけが無い。
「それは申し訳ないですね。俺が元反逆者の一族である男爵家の三男なのは間違いないですし」
シルヴェストルは思わず目を見開いた。一言も言っていないはずだが……と考えたところで、マエルは心の声を聞く血統魔法の持ち主だったと思い出す。
「お、伯母様は兎も角、父様にはきちんと許可を貰ったからな!」
シルヴェストルは慌てて言い繕うように胸を張った。
「それは良かったです。まさか非公式の側近候補になるのではないかと不安で不安で……」
「今聞いたのにそんな不安になることは無いだろう」
マエルは口元だけで小さく笑う。その含みのある笑みに、シルヴェストルは少しだけ頬を膨らませた。感情に呼応する宝石眼も、不満を表すように淡い薄紅色へと変わっていく。
……というか、その言い方だと父に認められなくても側近候補にはなってくれるつもりだったのかと、そんな考えが頭を過ぎったが、
「まあ、それは置いといて。何故自分を呼び出したんですか?」
と、話題を逸らされた。とはいえ、これ以上追及するような話でもない。
「ああ、そうだったな」
シルヴェストルは軽く咳払いを一つすると、表情を引き締めた。
「其方を側近候補として認めてもらう時に、父様から『次は侯爵家以上の人物を側近候補にしろ』と言われてな。誰が良いか意見をくれ」
マエルは少しだけ目を丸くする。
「それは……俺の意見だけで決めるのですか? ちょっと責任重大すぎません?」
「あ、いや、そういう訳では無いが……」
どう説明すれば伝わるだろうかと、シルヴェストルは言葉を選ぶように視線を落とす。
「学園へ入学した当初は、両親の勧める者をそのまま側近候補に迎えるつもりだった。だが、実際に接してみると、誰も彼もが典型的な貴族だったのだ」
シルヴェストルは溜息を付く。
「勿論、それが間違っていると言いたい訳ではない。周囲に合わせているだけかもしれないし、貴族としてはむしろ正しい振る舞いなのだろう」
だからこそ、自分がおかしいのかもしれない、とシルヴェストルは一瞬だけ思う。それでも。
「これから先、何十年と共に歩む相手だと考えると……正直、信頼しきれない」
これだけは、譲れない。
マエルは少し考え込むように腕を組む。
「つまり、シルヴェストル王太子殿下の認識範囲外にいて、見込みがありそうな人物を挙げろ……ということですか」
「まあ、別に範囲内でも構わないが……」
シルヴェストルは肩を竦める。
「兎も角、私一人では判断出来んのだ。父様から『侯爵家以上から選べ』とは言われているが、私が知っている者は大抵が〝れっきとした〟貴族ばかりでな」
学園に入学してからもう三ヶ月が経つ。シルヴェストルの周囲へ集まる者の大半は、側近候補になろうとする者か、将来の婚約者候補として近付いてくる者ばかりだった。自らを売り込んでくる者の名前や顔は自然と覚えるが、逆にそうではない生徒については、驚くほどに知らないものだ。
「そうなんですね」
マエルは納得したように頷いた。
「それで、其方なら誰を薦める?」
そう問われると、マエルは腕を組んだまま少しだけ考え込む。
「……一人だけ、気になる方はいらっしゃいます」
「誰だ?」
「ラファエル・ド・ベルジュラック様です」
その名を聞いても、シルヴェストルはすぐには顔を思い浮かべられなかった。本当に認識範囲外の人物だったからだ。
「ベルジュラック……というと、侯爵家だな。確か現当主は外務長官で、本人は校外交流委員会の委員長だったか」
「はい」
マエルは冷静に続ける。
「昨日の会議で、殿下が何を伝えたかったのか一番近いところまで辿り着いて、尚且つあの場で発言したのはラファエル様だけでした」
「ああ、確かに……」
シルヴェストルは昨日の会議を思い返す。
他の幹部たちは皆、身分や効率の話ばかりしていた。しかしラファエルだけは、シルヴェストルが伝えたいことはそこではない、と口にしていた。結局答えまでは言わなかったが、それでも、少なくとも方向性は合っていたのである。
「もっとも、俺もあの方のことは詳しく知っている訳ではありません。ですが……」
「ですが?」
「人を見る目はあります」
マエルはさらりと言い切る。その堂々とした態度に、シルヴェストルは思わずニヤける口元を抑えた。
「それ、自分で言うのか」
「ええ、人を見る目……正確には人を聞く耳と言った方がよろしいかもしれませんが」
「どちらでも良いだろう。それに、私は人を見る目は無かったからな」
シルヴェストルの脳裏に浮かぶのは、ナディアの姿だった。毎日のように顔を合わせていたし、異変にも気付いていた。それなのに、結局倒れるまで何もできなかった。この胸の奥に残る苦さは、まだ消えていない。
すると、マエルは静かに首を横へ振った。
「後悔するだけでは意味がありません。でも殿下は、ちゃんと次へ繋げようとしているでしょう? それに、足りないところは周りの者が補えばいいんです」
その言葉に、シルヴェストルは少しだけ目を丸くした。
そして、
「……よし!」
と、シルヴェストルは勢いよく立ち上がる。
「ラファエルに会いに行くぞ」
「え、今からですか?」
「もう午後とはいえ、今日は休日だから時間はたっぷりとある。別に仕事を頼む訳ではないからな。ただ、彼と話をしてみたい」
「随分と行動が早いですね」
「善は急げ、とよく言うだろう?」
その返事に、マエルは思わず笑みを零した。
「分かりました。では、早速行きましょうか」
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二人は執務室を後にした。歩きながら、シルヴェストルはふと思い出したようにマエルに尋ねた。
「そういえば、ラファエルは今どこにいる?」
その問いに、マエルは少し意外そうな顔をする。
「ご存知では無かったんですか? え〜と……恐らく中央庭園です」
「すまない、意気揚々と執務室から出たが、その居場所のことをすっかり忘れていたのだ。というか、何故其方は分かるのだ?」
「聞こえましたので」
マエルはあまりにも当然のように答える。
「微かですが、ラファエル様の御心が庭園の方から」
「ああ……」
シルヴェストルは一瞬だけ遠い目をした。そんなにも離れている所まで聞こえるのは便利なのか、それとも、それだけの範囲にいる者たちの声が無差別に聞こえてくるのは不便なのか、結構判断に困る血統魔法である。そんなシルヴェストルの反応に、マエルは小さく肩を揺らして笑った。
しかし、その笑みはすぐに消える。
「おや、少し面倒ですね」
「何がだ?」
「ラファエル様、お一人ではありません」
シルヴェストルは首を傾げる。
「誰かと一緒なのか?」
「ええ」
マエルは耳を澄ませるように僅かに目を細めた。
「もう一人いらっしゃいます。何処かで聞いたことのある声ですが……副委員長のアレクシス様でもありませんし……すみません、ちょっと思い出せないです」
「そうなのか」
シルヴェストルは深く考えることもなく頷いた。
「休日に誰かと話しているくらい、珍しいことではないな」
「そうですね」
「ただ、そのもう一人には席を外してもらうことになるかもしれんが」
「その時は、その時ですね」
マエルもあっさり頷いた。そして、庭園に近付くにつれて、段々と笑いをこらえているかのような表情になっていく。
「マエル、どうしたのだ?」
「ああいえ、すみません。その、ラファエル様のお相手の〝声〟が……」
「九割が、殿下への賛辞ですね」
「……ん?」
「ですから、心の準備だけはしておいた方がいいかもしれません」
「いや、え? 賛辞?」
混乱するシルヴェストルから庭園へ視線を向けたマエルは、数秒だけ口元を押さえ、
「……ふふっ」
とうとう耐えきれず、吹き出した。その楽しげな様子に、シルヴェストルの疑問は深まるばかりだった。
この時のシルヴェストルは、まだ知らない。これから出会う二人目と〝三人目〟の側近候補が、想像以上に癖の強い人間だったことを。
連絡用の魔術具はL◯NEのようなチャット機能だけあるスマホみたいなものです。




