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第二話 男爵令息は断るつもりだった。

 マエルは、一瞬意味を理解できなかった。想定の斜め上などという表現では足りない、そもそも自分の人生の選択肢の中に存在しなかった言葉が、突然目の前に投げ込まれたのだ。


「……側、と申しますと」

「私の側近候補だ」


 あまりにもあっさりと、まるで明日の天気でも話すかのような口調で、シルヴェストルは言った。


「まあ、本当に誘うのかは其方の答えを聞いてからにしようと思っていたのだがな」


 口元をわずかに緩め、シルヴェストルは続ける。


「其方は貴族社会の理屈を理解していて、それを俯瞰して語ることができる。同時に、その問題点から目を逸らさず指摘することもできる」


 そこで、一度言葉を切る。


「そして何より、私に迎合しない」


 期待を映し出す山吹色の瞳が、真っ直ぐにマエルを見据えていた。


「私は、そういう人間が欲しい」


 マエルの喉が、ごくりと鳴った。


 王太子の側近。それは、この国の貴族であれば誰もが望む栄華の機会だ。特に生徒会に入っている者の大半が、虎視眈々と狙っている座である。シルヴェストルの側近候補は未だにいない。それは、慎重に審議されているからだと思っていた。


 そして、その中に自分が入っているなどとは一度も考えていなかった。爵位も継げない男爵家三男が、どうしてリスト入りしていると考えられるのだろうか。実際、先程までは入っていなかったはずだ。


 しかも、これはただの側近ではない。誰もいなかったその場所に一番始めに立ち、恐らくは彼の最も近しい者となる。右腕として、力を振るうことを望まれている。


 これは喜ばしいことのはずだ。だがその瞬間、マエルの頭に浮かんだのは、名誉でも栄光でもなかった。目の前のこのお方が、本気で自分を必要としている。ただそれだけの事実が、何よりも理解できなかった。そしてほんの少しだけ湧き上がった、嬉しさとも違うこの感情が何なのか、自分でも分からなかった。


 だが、駄目なのだ。自分には到底出来ない。


「……殿下は、俺が何者かご存知ではないでしょう?」


 マエルは遠回しに断る。自分が王太子の側近になるなど、身分差を〝考慮しなくても〟無理だろう。


「む? 生徒会監査部に所属していて、中等部三年で男爵家の三男だろう?」

「まあ、それは合っていますが……それだけではありません」


 マエルは、ゆっくりと息を吐いた。シルヴェストルは知っているのだろうか。モンテリエ家の歴史について、その真っ黒さを。いや、知らないのだろう。そうでなければ、自分を側近候補に誘おうとはしない。


「モンテリエ男爵家は現在、その貧乏さによって灰衣派(レ・グリ)……中立派に属しておりますが、三代前までは王冠派(ラ・クーロンヌ)でした」

「何だと?」


 シルヴェストルの表情が、今日一番と言ってもいいほど大きく変わった。先ほどまでナディアへの感情について悩み続けていた人物と同一人物とは思えないほど、その瞳が鋭く細めている。そして、その反応は当然であるのだ。


 王冠派(ラ・クーロンヌ)……別名、王族崇拝派。

 その名の通り、「王家そのもの」への忠誠を何よりも重視し、王族は神に選ばれた存在であり、国家は王家のために存在するという思想を掲げる派閥である。極端な者になれば「民は一人残らず王家に奉仕するために存在する」とさえ考える、最も過激な思想集団でもある。


 そして何より、この派閥に属する家々の多くは高位貴族だ。例外があるとすれば、分家や傍流くらいのものであり、男爵家や子爵家が本家としてこの派閥に所属していた例は、シルヴェストルの知る限り存在しない。


 つまり、モンテリエ家がかつて王冠派(ラ・クーロンヌ)だったということは、その一族がかつては高位貴族であったことを意味している。


 マエルは、内心で小さく息を吐いた。


「当時の当主は、旧ラウレンティア王国と繋がっていました」


 その言葉を口にした瞬間、マエルは室内の空気が一段階冷えた気がした。


「待て、その国は確か我が国を攻めようと企て、その報復として逆に攻め滅ぼされて、百年ほど前に消滅したはず……いや」


 シルヴェストルはそこで言葉を切った。そして、何かに気付いたようにゆっくりと目を見開く。


「三代前……大体、百年前だな?」

「ええ」


 マエルは静かに頷いた。


「当時、ラウレンティア王国はこのヴェルサリア王国を内部分裂させようとしたようで、モンテリエ家へ接触しました」


 〝ようで〟と、あえてそう言ったのは、マエル自身も詳細を知らないからだ。伝わっているのは結果だけ。つまり、先祖が王国を裏切ったという事実だけである。


「モンテリエ家は、その謀反への加担を理由として分家を取り潰され、本家も侯爵位を剥奪されて男爵へと降格しました」


 言い終えてから、マエルはゆっくりと息を吐いた。何度聞いても、救いのない話だと思う。これは百年前の罪であり、既に死んだ人間の過ちである。けれど、貴族社会において、家の罪と個人の罪は完全には切り離されない。

 家名とは、栄光も罪も含めて受け継ぐものだからだ。


「……反逆という罪を犯しながらも爵位が残ったのは、王冠派(ラ・クーロンヌ)だったからか」


 シルヴェストルは考え込むように呟いた。


王冠派(ラ・クーロンヌ)の家々は、総じて優秀な血統魔法を持っている。モンテリエ家もそうだったから、当時の王家は完全には切り捨てず、手綱を握っておくことを選んだのだな」


 王冠派(ラ・クーロンヌ)に高位貴族が多い理由。それは、血統魔法の存在と切り離せない。


 血統魔法とは、通常の魔法とは異なり、父系を通じて受け継がれる一族固有の魔法である。その種類は千差万別だが、中には国家の勢力図すら変えかねないほど強力なものや、使い方を誤れば災厄にもなり得る危険なものも存在する。


 だからこそ、そうした力を持つ家々は、古くから王家の管理下に置かれてきた。そして、そのために作られた派閥こそが、王冠派(ラ・クーロンヌ)なのだ。


「それにしても、手綱を握るために爵位を残したのであれば、何故王太子である私には知らされていなかったのだろうか。あの伯母様方がこんな最近のことをご存知ないはずがない。単に私が聞かされていなかっただけか……?」


 ムムッと眉をひそめるシルヴェストルに対して、マエルは改めてゆっくりと息を吐いた。この話を聞けば、大抵の人間は顔色を変える。だからこそ、これまで誰にも話したことはなかった。わざわざ、自分から弱みを明かす必要などない。

 まして、百年前とはいえ国家反逆に関わった一族の人間を、誰が好んで自分の側に置こうとするだろうか。


 だからこれは、断るための言葉だった。王太子からの誘いを、自分の手で終わらせるための、最後の切り札だった。


「で、話を戻しますが。これでも自分を側近候補にするつもりですか? ナディア様を婚約者にするよりも難しそうですけど」


 肩を竦めるマエルに、シルヴェストルは真面目な顔をして言い放つ。


「本当に悪者ならば、今の話もしないだろう。する訳がない。其方の祖先がどうであれ、誠意をみせた其方自身は信用出来る」

「……つまり、側近候補のお誘いを取りやめるつもりは無いと」

「そうだ」


 その真剣な眼差しに、マエルはフッと柔らかく笑う。


「それでは、信用から信頼へと昇格させるための判断材料として、一つ告白致します」


 そう言った瞬間、マエルは自分でも不思議なくらい落ち着いていた。今までならば、決して口にしなかっただろう。いや、そもそも口にするという選択肢そのものが存在しなかった。

 このことは、モンテリエ家の人間だけが知る秘密だ。正確には、知っていて当然の者は存在しても、他者に自ら明かす者はいない、と言った方が正しい。なぜなら、この力は便利であると同時に不快で恐ろしく、そして何より人に恐れられるものだからだ。


「む、何だか嫌な予感がするのだが」


 シルヴェストルが、僅かに眉をひそめた。その表情を見て、マエルは今度は心の中で小さく笑う。ああ、正しい。その予感は、恐らく正しいのだろう。


「モンテリエ家血統魔法は【魂の残響(エコー・ド・ラーム) 】と申します」


 シルヴェストルの反応をあえて無視し、マエルは告げる。



「他者の、心の声が聞こえるのです」



 部屋に、沈黙が落ちた。シルヴェストルは数秒の間、何も言わなかった。いや、言えなかった。その瞳は、純粋な困惑を映し出すように、白紫色へと変化していた。


「……今、何と?」

「人の心の声が聞こえます」


 マエルは繰り返した。逃げ道など作らない。今さら冗談でした、などと言うつもりもなかった。


「もしや、常時か?」

「はい」

「……つまり」


 そこまで口にしたところで、シルヴェストルの顔色が、すうっと悪い方向へ変わった。先ほどまで瞳に宿っていた紫色も薄れ完全に白くなり、残されたのは、驚愕と理解と、そして何か非常に嫌な予感に対する確信だけだった。


 マエルは、静かに頷く。


「先程の殿下の御心も、いえ、殿下が生徒会に入ってから今までのお声も全て聞こえておりました。もっとも、物理的な距離がありましたので、普段は聞こえにくいのですが」


 一度だけ間を置いて、少し悪戯めいた笑みを浮かべる。


「……ええ。先程のお声は、それはそれはおもしろ……大変興味深いものでした」

「其方今、面白いと言いかけなかったか。というか、今までもとはどういうこ」

「もちろん、意味の分からない言葉も多々ありましたが」

「無視をす……いや待て、意味の分からない言葉とは?」


 シルヴェストルが、既に半ば現実逃避を始めているような顔で言った。マエルはそこで、ふと妙なことを思い出す。そう言えば、この王太子は自分より二つも年下だった。まだたったの12歳。そう思えば、先程までの狼狽ぶりも当然だと納得がいく。いや逆に、この年齢にしては落ち着いている方なのだろうか。……まあ、そんなことは今となってはどうでもいいことだが。


 そして、シルヴェストルの問いかけに対して少し考える。どれが最も分かりやすいだろうか……よし、これにしよう。


「はい。例えば……」


 そして、先程聞こえていた言葉をそのまま口にした。



「『これって完全に、少女漫画とかでヒーローがヒロインに惚れる流れじゃないか!』」



 シルヴェストルは、一度だけ瞬きをした。それから二度、三度と。まるで脳そのものが、その言葉の意味を理解することを拒絶しているかのように。やがて、


「……は?」


という、王太子とは思えないほど間の抜けた声が漏れた。


「『前世でも恋愛経験ゼロなのに、なんで今さらフラグが立つんだ』とも仰っていましたね。あ、勿論心の中でですが」


 そこは安心してください、と言わんばかりに微笑むマエルに対し、シルヴェストルは何も返せなかった。返せないというより、完全に処理が追いついていない。

 その瞬間でも、マエルの耳には普段と同じように大量の〝声〟が一斉に流れ込んできていた。


『は? いや待て、待て待て待て待て待て待て待て待て。何故そんなことまで知っているんだ? というか何故今その話が出てくる。……いや、そもそも私は何故さっきそんなことを考えていたんだ? 違う、そこではない。今はそこを考える場面ではない。心の声が聞こえる? 本当に? 嘘ではなく? いや、待て。仮にそれが本当だとして、つまり今まで私が考えていたことも全部聞こえていたということか?

まさか、生徒会の仕事量を見て『こんなの前世でニュースになっていたブラック企業そのものではないか。ナディア嬢が過労死寸前までいったのも無理はないだろう』と考えていたことも?

『この国には労働基準法どころか、そもそも近代的な意味での労働者という概念すら存在しないのだから、過労死という概念がないのも当然なのかもしれない』などと真面目に分析していたことも?

いや、それどころかさっき『これって完全に、少女漫画とかでヒーローがヒロインに惚れる流れじゃないか』と考えていたことまで?

……いや待て、それは今マエル自身が口にしたな。駄目だ。全然頭が回っていない。

しかも、『前世では恋愛経験皆無だった二十代半ばの会社員が、何故転生したらそんな初心な恋愛感情らしきものを抱いているんだ。いや私はあくまで前世とは別人格なのだから単純比較はできないが、そういう問題ではなくて』などと混乱していたことまで?

というか待て。前世、そう前世だ。前世が日本人だったという話まで聞こえているのか?

いや待て待て待て待て待て! それは駄目だろう! 流石にそれは国家機密とかそういう次元の話ではないし……いやそもそも私の前世は国家機密ではないだろうが! 違う! 今はそこではない!

待って、どうしよう。いや本当にどうしたらいいんだ!?』



 そんな、数秒の沈黙の後、


「まっ、待て待て待て待て待て!!」


と、今までの中でも初めて見るほど狼狽したシルヴェストルを前に、マエルは静かに思った。

 嗚呼、やはりこの方は、とんでもなく面白い人だ、と。


「……殿下」

「ち、違う! いや違わないが! 待て! その話は今するな!」

「承知いたしました」


 マエルは、初めて勝ち誇ったかのような笑みを浮かべた。その中に、無意識に、小さな期待を乗せて。


「それでは、改めまして」


 彼は、恭しく一礼する。


「マエル・ド・モンテリエ。未熟者ではございますが、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。シルヴェストル・ド・ヴェルサリエ・デュ・セレスティア王太子殿下」


 シルヴェストルは、しばらく頭を抱えていたが、やがて全てを諦めたように長い息を吐いた。

 そもそも、自分から誘ったのである。最大の秘密を知られたことは衝撃だったが、それでもこの結果そのものは、間違いなく自分が望んでいたものだった。


「……ああ。こちらこそ、よろしく頼む」


 その返答を聞きながら、マエルは静かに思った。

 この方を、自分の主と本気で呼ぶ日が来るなど、ほんの数時間前の自分には想像すらできなかった。将来目指していた仕事も王家に仕える類のものだが、あくまで金銭的な面で見ていただけだ。


 けれどもし、この国に仕える価値のある人間がまだいるのだとしたら。もし、自分がその人の隣に立つことを許されるのだとしたら。それはきっと、目の前で頭を抱えている、この少し……いやだいぶ変わった王太子なのだろう。



 こうして、神童と持て囃される王太子と、彼の最大の秘密を最初に知った男爵子息の出会いは、あまりにも締まらない形で幕を閉じたのだった。


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