第一話 子爵令嬢は聴取される。
※第一話の最初は主人公ではなく、とある令嬢視点になります。
あら、こんなわたくしの話を聞いてくださるのですか?
ただのつまらない話ですが、それで良いのでしたら、もちろんお話しいたします。
まずは自己紹介からですね。
わたくしはナディア・ド・クレールフォン。クレールフォン子爵家の長女でございます。家族は父と母、それから兄と弟が一人ずつ。
ああ、お兄様とお話しされたことがあるのですね。それでしたら、あののんびりとした性格もご存知でしょう。次期当主としては少々心配ではありますが、とても優しい方なのですよ。先日も木に登って降りられなくなった猫を助けようと……ふふ、いけませんね。兄の話を始めると長くなってしまいます。
わたくしは今年、王立グランヴェール学園へ入学いたしました。そして周囲の勧めもあり、生徒会へ所属することになったのです。
最初はとても緊張いたしました。
生徒会といえば、学園を支える優秀な方々の集まりですもの。王太子殿下をはじめ、公爵家や侯爵家のご令息ご令嬢も所属しておられます。そんな方々と同じ場に立つことになるのですから、不安にならないはずがありません。
ですが、それ以上に驚いたことがございました。
それは、仕事量です。学業や社交と並行して進めるには随分多いように感じられました。けれど、生徒会の皆様は当然のように職務をこなしておられます。ですから、わたくしは思ったのです。
生徒会役員とは、これほど忙しいものなのだろう、と。
わたくしは総務部へ配属されました。
総務部は学園全体の雑務を担当する部署です。備品管理、書類整理、行事の準備、各委員会との連絡調整。挙げ始めればきりがありません。毎日のように新しい仕事が届き、そのたびに机の上の書類が少しずつ増えていきました。
最初の頃は、それが少し嬉しかったのです。
頼りにされているような気がして。生徒会の一員として認めていただけているような気がして。
ですから、いただいた仕事はなるべく早く終わらせようと努力しておりました。
……ええ、そうです。他の部員にもそれぞれ事情がございました。
同じ総務部の方は、お一人はご実家の都合で学園を空けることが多く、またもうお一人は平民特待生として勉学に励まれておりました。
そのため、自然とわたくしが担当する仕事は増えていったように思います。
もっとも、わたくしは子爵家の娘です。上にはわたくしより高い身分の方々がおられますし、任された仕事を果たすのは当然の務めです。ですから、一度も不満を抱いたことはございませんでした。生徒会の皆様も学園のために働いておられます。わたくしもそのお役に立てるのであれば、それで十分でした。
ただ、今にして思えば、少々無理をしていたのでしょう。
仕事を優先するあまり、食事の時間を逃してしまったり、気付けば夜遅くまで書類に向かっていたりすることが増えておりました。
それでも、わたくし自身は大丈夫だと思っていたのです。実際、その頃は疲れている自覚もあまりありませんでしたから。
そんなある日、王太子殿下からお声をかけていただいたことがございました。
『其方、最近無理をしていないか?』
そのようなお言葉だったと記憶しております。
わたくしは驚きました。殿下は生徒会長として大勢の役員を見ておられるお立場です。それなのに、わたくしのような一役員のことまで気にかけてくださったのですから。
もちろん、わたくしは大丈夫だと答えました。
実際、その時のわたくしは本当にそう思っておりました。少し忙しいだけで、そのうち落ち着くだろうと。だから、殿下もそれ以上は何もおっしゃいませんでした。
……そう言えば、ただ一つだけ、不思議だったことがございます。あの時の殿下は、わたくしが大丈夫だと申し上げても、何か言いたげなお顔をなさっていたような気がするのです。……もっとも、わたくしの思い違いかもしれませんけれど。
それからしばらくして、わたくしは倒れました。
気が付けば保健室のベッドの上でした。
その時真っ先に思ったのは、「提出期限の近い書類はどうなったのかしら」ということだったと記憶しております。
後から考えれば、随分と間の抜けた心配ですね。
けれど、その時のわたくしは本気でした。それほどまでに、周囲の方々へご迷惑をおかけしてしまったことが申し訳なかったのです。
この一件は、わたくしの力不足だったのでしょう。
もう少し要領が良ければ、もう少し体力があれば、きっと最後まで務めを果たせたはずですから。
ですので、生徒会の皆様に非はございません。わたくしが未熟だっただけなのです。
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「以上が、実際に体調を崩した役員の証言です」
丁寧に報告書を持ち、今までナディアの話を語っていた一般役員が、報告を終えた。室内に沈黙が落ちている。まだ、誰も口を開かない。ただ一人、王太子だけが、先ほどまで読み上げられていた言葉を反芻するように、じっと目を伏せていた。
ここは生徒会本部。普段は誰も居なくて静まり返っているはずの部屋だ。その部屋で、今日に限っては生徒会の幹部がほぼ全員揃っていた。
彼らの反応は様々だ。この一件の重大さに顔色を悪くする者、自分には関係ないとばかりに興味を示さない者、そして、そもそも何が問題なのか理解していない者。
最初に沈黙を破ったのはフローランだった。腕を組み、納得がいかないといった表情を隠そうともしない。
「一体何故、そのようなことを伝えるんだ? 確かに、気の毒な話ではある。だが、それは彼女自身の問題ではないのか? 任された職務を果たそうとして倒れた。それ以上でも以下でもないだろう」
フローランは総務部の部長。彼はナディアが倒れた原因の一端を背負っているが、未だに何故正当な業務の割り振りが問題視されているのか分からない。自分はただ部長としての職務を全うしたに過ぎないのだから。
「そんなことを聞かせる為に、わざわざ俺達を集めたのか?」
「フローラン様、この会議は王太子殿下のお召しなのですよ」
眉をひそめて不満を隠さないフローランに、隣にいた総務部副部長が慌てて小声で注意する。彼も何が問題なのか分かっていないが、王太子自らこの会議を主催しているのだ。その御前で不平を口にするなど、不敬の謗りは免れない。
「フローラン様は分からないのですか?」
不思議そうに首を傾げるのは、文化交流委員会の委員長オリアーヌだ。
「これはわたくし達への注意ですわ。つまり、下位の者をもう少し大切に扱えということでしょう? 半年で潰してしまっては効率が悪いですもの」
まるで舞踏会の最中であるかのように、オリアーヌは優雅に微笑んだ。
「流石は『社交界の花』と呼ばれるオリアーヌ嬢だ。でも、殿下が伝えたいことはそこではないと私は思うよ」
普段通りの笑みを浮かべ、少し含みのある台詞で、校外交流委員会委員長ラファエルは異を唱える。
「どういうことですの?」
「もっと根本的な問題だということだ」
「……一体何を仰っていらっしゃるの?」
オリアーヌはラファエルの言葉を理解できず、また首を傾げた。
「ラファエル、オリアーヌ嬢に反対だなんて、貴方は正気なのか?」
「おや、私はいつも正気だけど。それならアスタロはどうなんだい?」
ラファエルは笑顔のまま目を細め、向かい側にいる生徒会書記アスタロへ問いかける。
アスタロは大袈裟にオリアーヌを指し示し、自信たっぷりに答えた。
「それはもちろん、オリアーヌ嬢の考えに賛成だ! このような可憐な美少女が知性あふれる回答をするなんて信じられない!」
「あら、褒めてくださり感謝しますわ」
オリアーヌは花が咲き誇る笑みをアスタロへ向けた。
「ああ、そのような美しい笑みをボクに向けてくださるとは! このアスタロ、歓喜に堪えません!」
アスタロは胸へ手を当て、もはや演劇の一場面かのように天を仰いだ。
「あらあら、褒めるのがお上手なこと」
アスタロとオリアーヌが二人で微笑み合うと、流石に苦言を呈す者も現れる。
「二人とも、王太子殿下の御前だと理解していないのか? そういったことはここでするべきことではない。もっと有意義な議論にするべきだろう」
「なんてことだ、これ以上に有意義なものはないだろう。ギヨーム様はこの素晴らしさが理解出来ないに違いない!」
ヨヨヨと泣き真似をするアスタロに、監査部部長ギヨームのこめかみがピクリと痙攣する。
「理解出来なくて結構。今からは適切な言動に切り替えてくれ」
「なら、ギヨーム様はどう考えていらっしゃるの?」
「……アスタロと同じ結論に至ったのは不本意だが、私も君の考えに賛成だ。しかし、ラファエルはそうではないのだろう。ならば、何故違う考えなのかを聞くことが良いのではないか?」
そこでようやく、皆の視線がラファエルへ再び集まった。ラファエルは笑みを深め、口を開く。
「ナディア嬢の証言を聞けば分かるはずだけど……結局のところ、シルヴェストル王太子殿下はどういうお考えであらせますか」
ラファエルは言葉を濁し、この会議を始めた張本人へと答えを投げた。ザッと音がなるほどの視線が、今度は王太子シルヴェストルへと向けられる。
一瞬だけ、シルヴェストルは目を閉じた。
『提出期限の近い書類はどうなったのかしら』
倒れた直後だというのに、ナディアが真っ先に案じたのは、自分の身体ではなかった。その言葉が、先ほどから脳裏にこびりついて離れない。
雑念を振り払うように小さく息を吐き、シルヴェストルはゆっくりと、重々しく口を開いた。
「私は、其方らに伝えたいことは一つだけだった。しかし、其方らの考えを聞いた今、言いたいことは山ほどある」
シルヴェストルの目が開かれた。その瞳は、〝紅玉に紫を溶かしたような色へと染まっている〟。シルヴェストルがその目で役員達を一人残らず射すくめると、彼らはその赤系統の瞳に『お怒りでいらっしゃる』と察し、またたく間に背筋を正して冷や汗を滲ませた。
王族の瞳は感情を映し出す。激しい苛立ちや怒りを抱けば赤く染まり、その感情が強いほど色は濃くなる。しかも、シルヴェストルは母方の宝石眼を受け継いでいるのだ。その人間離れした輝きに射抜かれた者たちは、その殆どが恐怖を越えた畏敬の念にただ圧倒されるしかなかった。
シルヴェストルはその気配を察し、一度瞼を閉じる。続いて、はぁ、と溜息を吐いた。それに、不興を買ってしまったと全員が顔を強張らせる。
「「「申し訳ございません!」」」
「いや、詫びるでない。私は其方らの中身の無い謝罪を求めているわけではないのだ」
頭痛がするかのように頭を押さえながら、シルヴェストルは話を続ける。
「先ず、其方らの言う下位の者に限らず人を使い潰してはならん。人には許容範囲というものがあるのだ。それを明らかに超えた仕事を振り分けるのは管理職の怠慢だ」
其方のことを言っておるのだぞ、と言わんばかりに再度見開かれた王太子の視線が、フローランを真っ直ぐに射抜いた。彼の背中に、更なる冷や汗が滲む。
「お、お言葉ですが殿下……彼女は子爵家の令嬢でしょう? 我々とは身分が違う、下位の貴族です。それに、令嬢の自己管理不足をきちんと仕事を全うした俺に転嫁されては、さすがに当惑を禁じ得ません」
シルヴェストルに叱られてもなお、フローランは話を理解出来ていない。格下の子爵令嬢ではなく、何故侯爵家の嫡男である自分が悪いことになっているのか甚だ疑問だ。
シルヴェストルはまた呆れたように溜息をついた後、フローランを無視して他の幹部へ問いかける。
「其方らの中で、未だに何故私が怒っているのか分からない者は誰だ。今ならば特別に責めたりはしない。しっかりと手を挙げよ」
該当する幹部達は、周囲を確認しながら徐々に挙手していく。およそ半数が手を挙げたところで、シルヴェストルは内心頭を抱えながら、皆の手を下ろさせた。
「理解した。このまま私が怒っても、何も変わらないということをな。皆の貴重な時間を取ってしまってすまないな。もう深夜だから、早く自身の部屋へ戻れ」
「「「はい!」」」
数名はシルヴェストルの様子を伺いながらも、そのまま幹部たちは生徒会本部から退出していく。
その者たちが出たことを確認して、報告を終えて側に控えていた一般役員も部屋から出ようとする。しかし、
「あ、すまない。其方はもう少しいてくれないか?」
と、シルヴェストルから声をかけられた。
「其方、時間は大丈夫か?」
「はい、いつまでも大丈夫です」
シルヴェストルから声をかけられたのだから、自分から断ることなど到底できない。自分は何かしただろうかと強張った表情のまま、シルヴェストルの前へ進み出た。
「いつまでもはないだろう。無理なら時間を改めるぞ」
「いえ、本当に大丈夫です」
これは本当だ。この後に特に予定は無い。それよりも、さっさと要件を伝えてほしいという思いが強かった。
「其方はマエル・ド・モンテリエ男爵令息で合っているな?」
「はい」
一般役員……マエルは密かに驚く。まさか貧乏男爵家出身である自分のことを、王太子が知っているとは思わなかったからだ。
「マエル、私の依頼をこなしてくれて感謝する。ナディア嬢の証言を聞き、正確に記録してくれたこと、喜ばしいことこの上ない。そしてすまない。あやつらに事の重大さを知らしめようとしたが、あまり効果が無かったようだ」
「い、いえ、とんでもございません!」
マエルは思わず大声を上げてしまう。まさか王太子が自分に向かって感謝し、謝るとは信じられない。
もちろん、シルヴェストルも自分が謝るべき身分ではないことは心得ている。だからこそ、頭は下げずに言葉だけに留めた。
「もう夜中だ、単刀直入に問おう」
シルヴェストルはそこで、一瞬だけ言葉を切った。
「……いや、その前に一つだけ。ナディア嬢はその後どうしている?」
「はい?」
マエルは思わず聞き返した。シルヴェストルは僅かに目を伏せる。
「すまない、今はその話ではないな。ナディア嬢の話を直に聞いて、何か感じたことはないか?」
もういつも通りの灰色に変わっている瞳を向けられたマエルは、顔を強張らせながら答えた。
「ナディア様の件は、主に総務部の怠慢によるものです。ですが、それでトップをすり替えても問題は解決しないと存じます」
「ふむ、続けよ」
シルヴェストルは椅子に深く座り直した。その瞳は、今度は興味を表す山吹色を帯びている。
マエルは一瞬だけ迷った。このまま率直な意見を言ってもいいのか、と。自分はただの男爵子息で、今から非難する相手は誰もが高位貴族だ。下手したら自分の首が飛ぶ。
だが、今さら口を閉ざしたところでもう遅い。
「失礼を承知で申し上げますが、フローラン様を罷免したところで、第二、第三のフローラン様が現れるだけかと」
「理由は?」
シルヴェストルは否定しなかった。この問題を正しく把握していれば、当然行き着く結論だからだ。彼は、目の前の相手がどこまで本質を理解しているのかを見極めようとしていた。
「皆様、本気で悪いことをしたと思っていらっしゃらないからです。いえ、そもそもこの状態が、貴族社会にとって当然だという常識だからですね」
「ああ、そうだな。それは私もよく分かっている。それで?」
「ナディア様は子爵家のご令嬢です。対して、フローラン様は侯爵家の嫡男。身分差は歴然です」
マエルは背筋に冷や汗が伝わるのを感じながらも、表面上は泰然と語る。
「殿下は、ナディア様に『無理をしていないか』とお聞きになったそうですね」
「ああ」
「では、ナディア様は何と答えましたか?」
「大丈夫だと答えたな」
これはナディアの証言でも言っていたことだ。シルヴェストルは、何度も聞いても同じ回答をしていた彼女の記憶を思い出す。
「我々にとっては当然です」
言葉足らずの台詞に、シルヴェストルの眉が僅かに動く。
「当然?」
「はい。ナディア様に限らず、自分を含め下位貴族はそう答えます」
マエルはそこで少し言葉を選んだ。
「……我々は、上位貴族の方々に『困っています』『できません』『助けてください』などと言うようには育てられておりませんので」
シルヴェストルは相槌を打つことなく黙り込む。
マエルは続ける。
「特にナディア様は真面目なお方です。頼まれた仕事は断らない。迷惑をかけることを何より嫌う。そのような方に『無理をしていないか』と尋ねても、『大丈夫です』としか返ってきません。もっと他の方法を取るべきでした」
「では、どうすれば良かったのだ?」
シルヴェストルは目をパチクリと瞬く。それは問い詰める口調ではなく、純粋な疑問だった。シルヴェストルは、自分にできることは全て行ったつもりだった。この問答も、ナディアと直接話したマエルだけでも、自分が何を問題視しているのか理解してくれれば十分だと考えていた。まさか、別の解決策を提示されるとは思っていなかった。
マエルも、思わず目を瞬いた。遥かに遠すぎる王太子が、自分のような男爵家三男に答えを求めていることに。
「……彼女に、命じるべきだったかと」
「命じる?」
「はい、『休め』と」
シルヴェストルは眉をひそめた。
「私はなるべく人に命令したくはない。あくまで本人の意思を尊重したいのだ」
「それとこれとは違うでしょう。無闇矢鱈と権力を乱用することと、自身の状態に気付いていない者を助けることは同じではありません。」
何を当たり前のことを、とマエルは呆れた。
「失礼ながら、殿下はこの世に生を受けてから今まで命令される側になったことがないから、そのようにお考えになるのです」
「……どういう意味だ?」
「我々は上の方から『頼む』と言われた時点で、それを断るという選択肢を失います」
マエルは淡々と続ける。
「まして、ナディア様は真面目なお方です。フローラン様という侯爵家の嫡男から仕事を頼まれて、『できません』と言うことなどあり得ません」
「だが私は、フローランとは違い何かを押しつけたりはしなかったぞ。体調が優れなさそうで心配しただけだ」
「ですから、それが押し付けなのですよ。ナディア様は殿下のお気持ちに応えようとしたのです」
シルヴェストルは黙った。取り繕いの無い意見が欲しいとは思っていたが、そこまで辛辣に言われるとはだいぶ心にくるものがある。
「もう一度言いますが、無理をしていないかと問われたら、我々には大丈夫だと答えるしかありません。ナディア嬢は自覚が無かったようでしたが、もしあっても、そこで辛いと、休みたいと言えば、殿下に心配をかけてしまうことくらい分かります」
「……」
「ナディア様は、ご自分が倒れることよりも、周囲に迷惑をかけることを恐れるお方です。目が覚めた途端、提出期限の方を心配する人ですよ」
その言葉に、シルヴェストルは目を伏せた。自分の身体のことではなく、周囲に迷惑をかけたことを彼女は真っ先に謝った。それを、彼は報告書を通して知っている。
「……そうだな」
シルヴェストルの呟きは、どこか悔しげだった。
そこでマエルは、ふと違和感を覚えた。
どうしてこの方は、ここまでナディアのことを気にされているのだろう。
生徒会長なのだから、役員の一人が倒れれば気にかけるのは当然なのかもしれない。まして、王太子ともなれば尚更だろう。だが、責任感が強いにしては妙だった。
シルヴェストルは、ナディアが何を考えていたのかを知ろうとしている。どうすれば彼女を助けられたのかを知ろうとしている。そして何より、まるで、自分が助けられなかったことを悔いているように見える。
マエルはこれまで、生徒会で多くの上位貴族を見てきた。彼らは下の者が失敗すれば、能力が足りなかった、自己管理が甘かったなどと切り捨てる。それが貴族社会では当たり前だ。
だが、この王太子は違う。ナディアが倒れた原因を、自分の責任として考えている。
いや、それだけではない。あの会議も、あれほど怒っていた理由も、今こうして、自分のような男爵家三男の話に耳を傾けていることも。
全てを繋げて考えると、一つの可能性が浮かび上がってしまう。まさか、いやそんなはずはないと直後に否定しても、一度浮かんでしまった疑念は、もう消えてはくれなかった。
「もしかして殿下は、今回の件そのものよりも、ナディア様の動向を気にしておられるのでは……?」
口にした瞬間、マエルはしまった、と内心で青ざめた。思わず王太子殿下に対して、あまりにも失礼なことを問いかけてしまったのではないか。
案の定、シルヴェストルは目を見開いた。その顔が、見る見るうちに赤く染まっていく。
「ちっ、違うぞ!? 私はただ真面目に仕事に取り組むナディア嬢に好感を持っているだけで別にそんなそういう感じの気持ちは……」
段々と語尾が消え入るようになり、シルヴェストルは完全に口ごもった。
「……ナディア嬢やその家族は権力に興味がないし、貴族社会では灰衣派と呼ばれる中立勢力に属している。それにクレールフォン子爵家は二百年以上の歴史を持つ由緒ある家門で、本人たちに出世欲がなかっただけで、本来なら伯爵位でもおかしくはない」
シルヴェストルは、まるで自分自身に言い聞かせるかのように、早口で続けた。
「つまりだな。周囲から反対はされるだろうが、決して不釣り合いな身分差というわけではない。人格も申し分なく、政治的にも問題は少ない。総合的に判断すれば、将来の伴侶としては十分に好条件なのだ」
だから気になっているだけだ、とシルヴェストルは最後に、どこか歯切れ悪く付け加えた。
マエルは、返答に困った。いや、正確に言えば、何と返せばよいのか分からなくなったのである。
どう聞いても、それは恋心を理屈で説明しようとしている人間の言い分にしか聞こえなかった。しかも本人は、それを恥じているのか、それとも本当に自覚がないのか判然としないまま、政治的合理性や家格、派閥の均衡、さらには将来性に至るまでを持ち出して、自分自身を納得させようとしているようにしか見えない。
マエルは思わず素の表情を出してしまう。いや、とうとう取り繕うことを諦めた。
呆れと困惑が混ざった視線を、そのまま隠すことなくシルヴェストルへ向ける。目の前の王太子は、自分が何を口走っているのか理解していないのだろうか。いや、理解しているからこそ、必死になって理屈を積み上げているのだ。
「……殿下」
「な、何だ」
「それを世間では、好意と呼ぶのではないでしょうか」
シルヴェストルは微妙な顔で固まった。それは一瞬の沈黙だったが、それだけで十分だった。
本人にとっては無意識だったのだろう。だが、人間というものは、自分でも認めたくない本心を他者から突きつけられた時、決まってこういう顔をする。
やがてシルヴェストルは、ぎこちない動作で視線を逸らした。
「……そうなのか?」
マエルは、思わず目を瞬いた。その返答は、流石に予想していなかった。てっきり先ほどのように必死で否定するか、あるいは王太子としての威厳を取り繕いながら話題を変えるものだとばかり思っていたからである。
「ええと……はい。恐らくは」
もっとも、マエル自身に確信があるわけではない。そもそも、恋愛感情などというものは、自分とは無縁の世界の話だった。生まれてこの方、誰かにそうした感情を抱いたことなど一度もないし、抱こうと思ったことすらなかった。そんな人間に恋心の解説を求めるな、と自分から話題を投げかけたことを棚に上げ、心の中で非難する。
「だが私は、ナディア嬢とまともに会話したこともほとんどないぞ」
「それでも、そういうことはあります」
多分、と付け加えたくなったが、流石にそこまで言う勇気はなかった。口の中で噛み砕く。
「……そういうものなのか」
シルヴェストルは、本気で悩み始めた。
その姿を見て、マエルは初めて、彼に対して興味を抱いた。ただ王族だから敬う、ただ一番偉いから気を遣う、という以上の感情を。
王太子という、この国で最も高貴な人物の一人が、まるで初めて恋愛小説を読んだ少年のような顔で、本気で思い悩んでいる。その光景は、どこか滑稽で、しかし同時に奇妙なほど人間らしかった。今まで王族を、自分と同じ人間だと思ったことが無かったのに。
マエルは、何だか急に可笑しくなった。勿論、笑ってはいけない。相手はこの国の王太子だ。不敬と取られれば、男爵家三男の将来など容易く失われる。こんな平和な時代で実際に首が飛ぶことはなくとも、この国で生きる場所など、簡単になくなってしまうだろう。そんなちっぽけな価値なのだ、自分は。
けれど、シルヴェストルは今までマエルが見てきた上位貴族たちとは、あまりにも違いすぎた。彼らは皆、自分の正しさを疑わない。自分の価値観こそが世界の中心であり、自分より下の者は従うのが当然であり、もし失敗したのであれば、それは能力不足か努力不足でしかないと、本気で信じている。それが、このヴェルサリア王国の常識だった。
だが、この人は違う。自分が間違っていたかもしれないと悩み、助けられなかった人のことを後悔し、男爵家三男の言葉にすら本気で耳を傾けている。そんな貴族を、マエルは生まれて初めて見た。
だからこそ、この人は一体何を言うつもりなのだろうと、ほんの少しだけ知りたくなってしまった。
「……殿下」
「! な、何だ?」
「先ほど、『単刀直入に問う』と仰っておりましたよね。それは、ナディア様のことについてだけですか?」
つい先程までのマエルなら、こんなことは聞かなかっただろう。王太子の用件が終わったのであれば、一刻も早く退出し、この件は自分とは無関係だという態度だったはずだ。
だが今は違う。目の前のこの王太子が、次に何を言うのか、それが少しだけ気になった。
シルヴェストルは「あ……」と小さく声を漏らした。
「そうだ。もう一つあるのだった」
そう言って、一度咳払いをする。
「マエル・ド・モンテリエ」
「はい」
王太子は、真っ直ぐに彼を見た。
「其方、私の側に来る気はないか」




