第十六話 王太子は予想外の訪問者に出会う。
Eight years ago.
ガタンッ
少し遠くで、何かがぶつかったような音がした。続いて、馬の嘶きが聞こえる。その音に、幼子の手が止まった。
馬車だろうか。地下深くにあるこの部屋まで、馬の嘶きが届くことは珍しい。そういえば、今日はパーティをするから静かにしていろと言われていた。何のパーティなのかは知らないし、誰が来るのかも知らない。ただ、いつもより大勢の人が来るから、部屋から出てはいけないとだけは聞かされていた。
幼子は握っていたペンを手放す。魔法陣を書くためのそれは、幼子の小さな手には少しばかり大きかった。部屋に散らかった物たちを踏まないように気を付けながら、幼子はベッドに転がる。
部屋にある本はもう読むところがない。何度も読み返したせいで、どの本も開けば次に何が書かれているのか分かるほどだった。魔術具を作ろうにも、道具を動かせばどうしても音がする。静かにしていろと言われている以上、それもできない。ほかに静かにしていても出来ることを、幼子は睡眠以外知らなかった。
生憎、今は眠たくない。連日徹夜して新しい魔術具を完成させた反動で、昨日は一日中眠っていたからだ。あれだけ眠れば、さすがにもう眠気は残っていない。
「……ひまだ」
ただ、それだけ呟く。そのまま幼子は、無理矢理寝るために瞼を閉じた。
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「シル様、おかわり分です」
「ああ、ありがとう」
シルヴェストルは書類に視線を落としながら、感覚でティーカップを受け取る。すると、渡した本人であるマエルが眉を寄せる。
「せめて受け取る瞬間くらいは見てください。大事な書類を汚したら大変ですよ」
「すまない」
シルヴェストルは書類を読みながら、そう投げやりに謝る。その態度に、マエルはやれやれと息を吐いた。二人の間で、この話は何度も行われていた。出会ってからもう二週間が経過しているのだ。
「次から気をつけてくださいね」
「ああ」
そう答え、紅茶を飲むシルヴェストルに、今度はラファエルが声をかける。
「シル様、これらの確認もお願いします」
ラファエルは束になった紙を、机の端に積まれた未処理の書類の上へ乗せた。その量に、副会長としてシルヴェストルをサポートしていたルシファーが首を傾げた。
「今度は何を乗せたの?」
「留学のものだよ。今年は希望が例年よりも行くのも来るのも多くて」
ラファエルは肩を竦める。校外交流委員長として、彼は学外の人々が参加するお茶会や舞踏会の仕切りも行っているが、何より重要なのがこの留学関係の統括だった。
「そちらの方を先に済ませておくか」
手元の書面を置き、シルヴェストルはラファエルが置いた束を自身の方へ引き寄せる。
「その方がありがたいです。留学させる者達はもう決まったんですが、他国から受け入れる生徒を誰にするのか相談したくて。他国からのは早めがよろしいでしょうし」
「そうだな……思っていたよりも多いな。ほぼ全ての国々から申し込まれているのではないか?」
「そうみたいですね。確認ですが、流石に紛争地域からの申し出は断ったほうが良いですよね?」
「当然だ。北方と南西方は除外するとして……東方と西方は毎年受け入れているから、その地方から数人ずつ受け入れるか」
シルヴェストルは顎に手を当てる。
ヴェルサリア王国が中央に位置するこの大陸は、五つの方角へ大きく張り出した、桜の花にも似た形をしている。それゆえ、中央に位置するヴェルサリアから見て、北、東、南東、南西、西へと大きく張り出した五つの地域を、それぞれ北方、東方、南東方、南西方、西方と呼んでいる。
北方には、数百年もの昔から争いを続ける二つの勢力が存在している。ヴェルサリア王国との間には北方山脈が聳えているため、その戦火がこちらまで及ぶことは滅多にない。しかし、国境を隔てた先で長期にわたる争いが続いている以上、ヴェルサリアも無関心ではいられなかった。争っている勢力の一方とは国交を結んでいるものの、その交流は細々としたものに留まっている。そのため、ヴェルサリアでは北方からの留学生を受け入れることは避けていた。
南西方は、それ以上に事情が悪い。
ヴェルサリア王国と国境を接するセルディア共和国のさらに奥には、かつてラウレンティア王国が存在していた。ラウレンティア王国はヴェルサリア王国を裏から操ろうと画策していたが、その企みは王国に露見し、報復として滅ぼされた。
その後、旧ラウレンティアの地には、当時ヴェルサリア王国に忠誠を誓った三つの貴族家がそれぞれ国を築いた。しかし、それから百年。三国はそれぞれ異なる道を歩むようになり、今では方向性の違いから互いに争っている。
一方、東方と西方は比較的安定している。
東方では、ヴェルサリア王国と国境を接するアルザリア公国連邦を筆頭に、軍事、技術、経済が発展した国家が幾つも存在している。西方もまた、ヴェルサリア王国と国境を接するサンクティア教皇国を中心として多くの国家が存在し、古くから交易や文化交流が盛んだった。
だから、東方と西方から学生を受け入れることは、ヴェルサリアにとっても珍しいことではない。今回の留学希望者が多いのも、その長年の交流があってこそだ。
「南東はどうします? 四か国の内、申し出はオウカリア王国のみですが」
そのラファエルの言葉に、シルヴェストルは少し目を見開いた。
南東方には、フォレリア森林王国、エルフェニア大公国、桜華王国、デザルグ王国の四か国が存在している。この四か国はそれぞれ異なる文化と歴史を持っているものの、ヴェルサリアとの交流という点では決して一枚岩ではなかった。
フォレリア森林王国は、ヴェルサリア王国と国境を接し、古くから国交を結んでいる国の一つである。一方、デザルグ王国もまた国境を接しているものの、現在は国内で大規模な内乱が続いている為、ヴェルサリアは安全上の理由から国交を断っていた。
残るエルフェニア大公国と桜華王国――ヴェルサリアでは「オウカリア王国」と呼ばれている国――とは、現在、正式な国交を結んでいない。
よって、南東方からの留学生を受け入れる場合、これまでは実質的にフォレリア森林王国だけを考えればよかった。それなのに今回、申し出があったのは桜華王国だった。
「……南東はフォレリア森林王国しか国交を結んでいなかったはずだが、どうやって申し込んだのだ……仕方がない、上に相談しよう。ラファエル、其方の父への面会依頼を頼めるか? 外務長官へは父様経由だと阿呆ほど時間がかかる」
「承知いたしました。早速、今夜にでも掛け合ってみます」
「よろしく頼む。私が書くのはこれで良いか?」
「ありがとうございます。私も、もう一度委員達とも話し合ってみますね」
ラファエルは頷き、渡された書類を持って生徒会本部を出ようと扉を開けた。
「あれ、アドリアン?」
ラファエルは思わず声を上げた。扉の前に、一人の少年が立っていたからだ。
彼はアドリアン・ド・サン=ドラージュ。伯爵家三男、中等部二年にして魔法研究委員会の委員長である。
「ここに、王太子殿下はいますか?」
アドリアンはそう言って、部屋の中を見渡した。




