幕間 男爵令息は微笑み、子爵令息は頭を抱える。
『こいつも大したことないな』
『今夜は誰と遊ぼうかな』
『一体どこにいるんだ?』
『あ〜、やっぱりお菓子って最高〜』
シルヴェストルが熱さのせいで倒れた週の休日。いつものように周囲の〝声〟を聞き流しながら、マエルは寮の自習室へ向かおうと廊下を歩いている。すると、
「よお、マエル」
と、後ろから声をかけられた。振り返ると、見知った顔が手を振っている。そのまま彼はマエルへ近づいてきた。
「プロスペール、先日ぶりだな。何かあったのか?」
「いや、何も。お前の姿が見えたから、声かけただけ」
「無いのかよ」
確かに聞こえてくるのは『あ、小虫飛んでる』くらいだけど……と、マエルはなんとも言えない表情になった。そもそも声をかける時に小虫なんて意識しないでくれ。
「ま、あっちに行こうぜ。ちょうど相談したいこともあるんだよ」
『ナディアのこととか色々と聞きたいことが……あ、耳ん中入った』
「うん??」
プロスペールの心の声に、マエルは慌てて自身の右耳を押さえた。違う、押さえては駄目なのだ。逃さないといけないのに。
「ねえ、なんか俺の耳に入った?」
「ん? んーと……いや、大丈夫だ」
『なんも見えないけど』
「不安でしかない」
「まー大丈夫だって。そんなことくらいで慌てることない!」
「不安でしかない」
プロスペールに右手を引っ張られながら、マエルは真顔になってしまう。何故こんなにも話を聞かないのか。これだからトラブルによく巻き込まれるというのに、と内心で呆れたその時。
「お前がモンテリエ家のマエル?」
また別の声がかけられた。
「え、ヴィクトル様?」
プロスペールは驚いて、マエルを引っ張っていた手を離してしまう。いきなり離された反動で、マエルの体は前のめった。突然離すなよと不満に思う一方で、マエル自身もヴィクトルから話しかけられたことに困惑した。
「はい、自分がマエルでございますが……?」
何故今まで関わりのなかった公爵令息が……と、マエルは疑いの目をヴィクトルへ向ける。ヴィクトルはその視線を無視して、隣にいたプロスペールに問いかける。
「お前はマエルの友人? ちょっとこいつ借りるぞ」
「え、いや、その……」
プロスペールは尻込みしたが、なんだか威圧的なヴィクトルの態度に、よく分からないなりにマエルを助けようと自分を奮い立たす。
「お、俺もついていっても良いでしょうか!」
「え? まあ、別に良いけど」
『何故そのように意気揚々と?』
そのヴィクトルの〝声〟に、マエルは思わず頷きそうになった。
プロスペールは、どうもマエルを弟扱いしたがる傾向がある。マエルに三男坊らしい弟っぽさがあるのかは知らないが、いつも余計なところで兄貴面をして過保護になる必要なんてない。そもそも、そのお節介な性質はマエル限定でもないのだ。プロスペールは相手が誰だろうと、困っている人を見つければ首を突っ込まずにはいられない。しかもタチが悪いことに、彼自身には問題を解決する力がほぼ無いのが一番の肝だ。毎回きれいに厄介ごとに巻き込まれているのに、一向にその悪癖を直さないのは本当にどうかと思う。
話が逸れてしまったが、そんなわけで、マエルとプロスペールはヴィクトルの後についていった。
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「ここだ」
そうヴィクトルが言ったのは、寮の最上階にある一室の前だった。
「ここが、お前の新しい部屋だ」
「新しい……なるほど、そういうことですか。でも、なんだか遅くありません?」
「審議が伸びに伸びまくったんだよ。男爵家の生徒をここに移すなんて、一体誰が手放しに賛同するってんだ?」
「それはまあ……」
「ちょ、ちょっと待ってください。一体何の話ですか?」
ストップ! と声をあげたプロスペールを、マエルは苦笑気味に、ヴィクトルは怪訝な顔で見た。
「なんの話って……こいつの新しい部屋の話だが?」
「なんでマエルが部屋を移動するんですか! しかもこんな最上級の部屋に!」
全く分かっていないプロスペールに、マエルは優しく教える。
「プロスペール、男子寮の最上階に住める生徒は?」
「? 侯爵以上の高い身分の方々だけだろ?」
「それで、俺やお前みたいな男爵と子爵の生徒は?」
「あのせっまい四人部屋」
「そして、今の俺は王太子の側近候補だ。それってどのくらいの地位?」
「そりゃ、もちろん最上級……」
「な、分かっただろ?」
段々と冷や汗ダラダラになるプロスペールの肩を、マエルはポンッと叩いた。きちんと順序立てて説明されたら素直に理解出来るのに、何故慌てると視野が狭くなるのか。そこがいまひとつ分からない。
そもそも、伝統的に側近候補へ選ばれるのは上位貴族がほとんどだ。まさか男爵令息がその座に就くなど、学園側も想定していなかったのだろう。
側近候補という立場は、ただの公爵令息よりも上位に位置する。身分差の激しいこの国において、そのような高位の生徒が、下層階の四人部屋で暮らすことなど認められるはずもない。
だからこそ、男爵令息でありながら側近候補となったマエルのために、部屋を移動させるべきかどうかという審議が行われたわけだ。
「で、でも、だったら移動するの遅くねぇか?」
「だから、さっき審議が伸びたんだって言っただろ」
呆れた声で告げるヴィクトル。その声色に、プロスペールの肩が恐怖でびくりと跳ね上がった。
プロスペールは短慮で妹からも次期当主として不安だと評される人物だが、一般的な貴族の常識を持ちながらも、優しい善人である。だからこそ、こんな上位貴族に睨まれでもしたら気絶してしまう。そんな彼を庇うように、マエルが逆に問いかけた。
「寮長の仕事お疲れ様です。ちなみにその審議において、ヴィクトル様はどちらでした?」
「あー、勿論賛成。王太子殿下に逆らうとかできないっしょ」
「おや、ヴィクトル様はてっきり反対かと思ってましたが。例の件では挙手してましたよね?」
「それは……」
ヴィクトルはガシガシと頭を掻いた。
「まあ……クレールフォン子爵令嬢の件までは、俺も皆と同じ考えだったさ。なんで下の奴らを気にしなくちゃなんねぇのって」
「あん?」
ナディアを馬鹿にしたのかと、プロスペールは沸き立つ怒りのままヴィクトルを睨んだ。先程まで自分に怯えていた彼の急な熱量にヴィクトルは驚き、マエルへ視線で問う。マエルは肩を竦めて答えた。
「こいつ、クレールフォンの嫡男です」
「ああ、それはすまん。妹さんが悪かねぇのは俺も今は分かってるよ」
ただ、とヴィクトルは続ける。
「あの時、殿下が怒ってる理由が分かんない奴は誰なんだって聞かれた時にさ。俺も含めて半分以上が手を上げたじゃん。それで殿下が頭を抱え出した時、『あ、見限られた』って思ったんだよ」
「確かに、あの瞬間は肝が冷えましたね」
「そうなんよ。んで、その後出てけって言われて確信したんだ。俺は自分の出世街道を、自分の手で壊したんだって。だって、もし殿下の考えが分からなくても、頭の良い奴はあそこで手なんか挙げない。手を挙げた時点で、自分は何にも分かってない馬鹿だって明言しちゃうわけだからな。そんな愚か者に重要な役職を与えるなんてしねぇだろ」
ヴィクトルは鼻で笑った。マエルもプロスペールも、彼の話を黙って聞いている。
「俺が今も王太子殿下のお考えを理解してるかって聞かれたら、答えは否だ。でも、あの『神の声が聞こえる』と名高い殿下が間違ってるとは到底思えねぇ。だからせめて、こんな頭の悪い俺は殿下の意見にただ頷くだけなのさ」
「……公爵令息が言う台詞じゃないと思いますけど」
「公爵つっても俺は次男だ。兄上ほど秀才でも頑固でもねぇし、なりたくもない」
眉を顰めるヴィクトルに、マエルは微笑みを返した。
「では、シル様に伝えておきます。高等部二年生の公爵家次男、ヴィクトル・ド・ヴァレリアンは〝未だに〟上を目指しているが、自身と異なる意見でも吸収しようとしているので、教育すればまだ踏みとどまれる者だ、と」
その瞬間、ヴィクトルの纏っていた気配が僅かに変わった。
「随分と手厳しい。もう少し聞こえのいい内容に色を付けられないのか?」
「これが譲歩出来る最大です。言っていた内容に嘘はありませんが、わざと口調と態度を崩して親近感を誘い、自分は他者とは違うのだと暗示した。あなたが俺に好印象を持たせ、俺の口からシル様へ自分の評価を伝えさせようとしていたことくらい、最初から分かっています。しかも、渦中の重要人物の兄に対して威圧していたでしょう。あなたの思惑に乗っただけ、感謝して欲しいくらいです」
「……俺は君のことを少々侮っていたみたいだな。流石は初めて殿下の側近候補となった強者、ということか」
「いえ、俺が最低条件ですよ、ヴィクトル寮運営委員長」
「それは残念だ、マエル監査部員」
フフフ……と含みのある笑みを交わす二人を、プロスペールは恐怖に怯えながら見ていた。二人の駆け引きが高度すぎる、と。
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同じ頃、テオドールもまた男子寮の廊下を歩いていた。右手に書類を携え、ゆったりと自室へ向かっていたところ、前方に見覚えのある二人の男子生徒がいることに気が付いた。テオドールは子爵令息なので四人部屋だが、そこにいるのは同室の者ではない。テオドールが彼らと目線を合わせたのと同時に、片方の大柄な男子生徒が口を開く。
「やっと来たか」
テオドールも背は高い方だが、相手はもっと大きい。それで、もう一人との身長差がテオドール以上に大きかった。まあそれは、その小さい方がまだ彼の同学年と比べても小さいからではあるが。おどおどしている様子が、更に彼を縮こませる。
そんなことをつらつら考えながら、テオドールは眼鏡のブリッジを押さえた。
「こんなところで何をしていらっしゃるのでしょうか、ギヨーム様」
そう名を呼ぶと、ギヨームはニコリと貴族の笑みを浮かべて、テオドールに話し始める。
「いやなに、君はシルヴェストル王太子殿下の側近候補となったらしいではないか」
「ええ、そうですね。先日にお声がけいただきました」
「そうか、本当だったんだな。それはめでたいことだ」
「身に余る光栄ですよ」
テオドールは敢えて、得意げな笑みを浮かべてみせる。なんだ、『子爵如きが側近候補となるなど』と喧嘩を売りに来たのか、という気持ちは表に出さない。あくまで得意げに笑うだけに留めた。
しかし、ギヨームはその挑発に乗らなかった。いや、正確には乗りはしたが、彼はテオドールの想定よりも斜め上の言葉を投げつけた。
「メルキオルと代わってくれないか?」
テオドールの笑顔が、一瞬だけ剥がれてしまった。何を言われたのか、脳が一瞬だけ理解を拒んだのだ。すぐに取り繕ったが、ギヨームの隣にいた小さな生徒……メルキオルが驚いて目を瞬かせている。いや、彼はテオドールとギヨームの両者に驚いていた。
「あ、兄上? 何を仰って……」
「君よりも我が弟の方が、その席を有効活用出来る。殿下もメルキオルの方が好ましいだろう」
自身の弟の戸惑いを遮り、ギヨームはにこやかな顔のまま、テオドールに告げる。その明らかな喧嘩腰の内容に、テオドールは少し思考を巡らせ、『いいだろう買ってやる』と乗った。
「……そうならば、僕達はここで出会わなかったのでは? 侯爵家の方々がわざわざこのような辺鄙な場所に来る必要も無かったでしょうね」
シルヴェストルがメルキオルを望んでいたのなら、そもそも最初から彼を側近候補に迎えていただろう。別に側近候補に定員があるわけではなく、メルキオルの実家は代々財務関係の仕事に就いていて、王家の覚えも厚い。そのような彼が側近候補になり得そうなのは想像に難くない。実際、シルヴェストルが両親から、正確には伯母から勧められた人物一覧の中に、メルキオルはいた。
そもそも、側近候補というものは、必ずしも一度選ばれた者がそのまま側近になれるわけではない。学園を卒業して成人となるまでは「側近」ではなく、あくまで「候補」なのである。過去には候補者を次々と採用し、その中から適性のない者を落としていくような選考が行われたこともある。将来的に国の中枢を担う人材を選ぶのだから、候補者の数を増やし、その中から優秀な者だけを残すというやり方も、決して間違いではない。
だが、シルヴェストルはそのやり方を好まなかった。彼にとって、側近候補に選ぶということは、単に能力を見極めるための「候補者」に加えることではない。将来、自分と共に国を支える者として、少しずつ信頼関係を築いていくということでもある。だからこそ、数を増やしてから選別するのではなく、自分が本当に共に歩みたいと思える相手を慎重に選んでいた。
そして、そんな考えを持つシルヴェストルが、メルキオルを選ぶことはなかったのだ。
「それとも、取るに足らない下々に対してさえ慈悲を配るのが東風のやり方で? それはなんともまあ素晴らしいことですね。祭壇へと続く道を選んだのでしょうか」
「そうか、このようなものでも聖座は慈悲というのだな。我が家も随分と神々に近くなったものだ」
バチバチッと、この場に火花が奔る。
このヴェルサリア王国内の七大派閥の内、実力や東方のアルザリア公国連邦を重視する東風派と、信仰や西方のサンクティア教皇国を重視する聖座派は特段仲が悪いわけではない。だが、仲が良い派閥など、この国には中立を除いて存在しない。
ギヨームとメルキオルの実家は東風派で、テオドールは聖座派である。今まで家同士では接点すら無かった関係だ。だが、テオドールとギヨームはこの一連の会話で、お互いに相手を敵と見なす。
「これで近付く? フッ、笑わせないでください。神々よりもまず先に目指すべき道があるのではないでしょうか。どうぞ、冠の前へお進みくださいませ」
お前はシルヴェストル王太子殿下に直談判する気も無いのか、とテオドールは焚き付ける。その言葉に、ギヨームは初めて眉を動かした。
「そうだな。冠へ頭を下げるには、まず周囲を綺麗にしなくては。やはり、今のままでは目も当てられない」
「掃除は我々にお任せください。それよりも身支度を済ませた方がよろしいのでは?」
「兄上、もうやめましょうよ……」
この場の雰囲気に押され、メルキオルは上目遣いでギヨームを見て、彼の袖を引っ張った。ギヨームはそんな弟に優しげな目を向けた。
「メルキオル、これはお前の為に言っているんだ。兄上に全て任せなさい」
「ですが、テオドールさんを困らせるのは……」
「メルキオル」
ギヨームは強く弟の名を呼ぶ。その圧で、メルキオルは途端に何も言えなくなった。ギヨームは、そんな弟から意識を外す。
「テオドール、はっきりと言おう。側近候補を降りてその座をメルキオルへ渡せ」
「……では、こちらもはっきり言わせてもらいます」
ギヨームの鋭い視線を浴びながらも、テオドールは笑みを深めて、言い放つ。
「僕の足元にも及ばない分際で、代われなど吐き気がする。我が身を振り返って身の程を知れ」
「ッ子爵如きが馬鹿にするのか!」
「その子爵如きに追い抜かれる時点で、そちらの程度が知れている。領地に戻って出直して来たらどうだ。ああ、ギヨーム様はもう最高学年だったな。どうぞ気兼ねなく学園を卒業するといい。メルキオル様は直属の部下で副委員長である僕がしっかり支えるからな」
「メルキオル、行くぞ!」
テオドールの集中攻撃で真っ赤に染まった顔のまま、ギヨームはメルキオルの左腕を引っ張った。
メルキオルは不安な表情でテオドールをちらりと窺うが、腕を引っ張られたまま兄についていった。
二人の姿が見えなくなったことを確認し、彼は自室の扉を開ける。手に持っていた書類を個人の引き出しにしまい、そのまま彼は予定を早めることにして、部屋に設備された洗面室の扉の取っ手に手をかけた。
「……やっばい」
ボソッと、呟く。
思わず上位貴族の喧嘩を買い、しかも勝ってしまった。これから先、自分に降りかかる嫌がらせを考えると、今から頭が痛い。自分がこんなで大丈夫なのか。そして何より、
「テオドールになんて説明しよう……」
本当に頭が痛いように、彼は額を押さえた。




