第十五話 王太子は子爵令嬢とお話しする。
「おおお王太子殿下!?!?」
学園に程近い場所にある王立病院。
ナディアが退院すると知ったシルヴェストルたちは、知らせを受けるや否や、ほとんど駆けるような勢いで病院へ向かった。途中で事情を聞いたラファエルも合流し、結果として、王太子とその側近候補たちという大所帯で正面玄関へと押しかけることになったのである。
当然ながら、そんな高貴な面々が一斉に現れれば、周囲が騒然とするのも無理はない。そして案の定、ナディアの傍らにいた男子生徒が、目を白黒させながら盛大に狼狽していた。
同じく目を丸くしていたナディアは、そんな彼へ呆れた視線を向ける。
「お兄様、驚きすぎよ」
「だだだだがっ!!」
「もう、ちょっと静かにして」
ぷりぷりと怒りながら、ナディアは兄の口を手で塞ぐ。兄がおとなしくなったのを見届けて手を離すと、彼女は振り返り、シルヴェストルの方へ一歩進んだ。
「お久しぶりでございます、シルヴェストル王太子殿下。先日も見舞いの品をありがとうございます。それに、こんなしがない子爵の娘の為にこのような手厚い待遇を手配してくださり、感謝の意が絶えません」
「そっ、そんなに感謝せずとも良い。顔をあげよ、まだ病み上がりであろう」
深々と頭を下げるナディアを見て、シルヴェストルは慌ててその身を起こさせた。
「そこまで心配なさらなくても大丈夫ですよ。一週間以上も休ませていただきましたもの」
そう言って、ナディアは柔らかく微笑む。
その笑顔に照らされた瞬間、シルヴェストルの顔は見る見るうちに火照っていった。以前ならば多少なりとも平静を保てただろう。しかし、今は違う。自分がナディアへ抱いている感情を自覚してしまったせいで、彼女の顔をまともに見るだけでも精一杯なのだ。
そんな挙動不審なシルヴェストルを見て、ナディアは不思議そうに首を傾げる。
「殿下、少しお顔が赤く……」
「い、いや、その、これはっ!」
「もしかして、熱でもあるのでは……」
「いや、こ、これはただ全速力で走ってきて体温が上がったせいなのだ!!」
叫んだ瞬間、シルヴェストルは『しまった』と後悔した。顔色を誤魔化そうと慌てるあまり、変なことを口走った気がする。いや、気がするではなく、確実にした。走ってきたから、なんてどういう言い訳だ。明らかにおかしいではないか。
だが、そんなシルヴェストルの思考とは裏腹に、ナディアはしゅん……と眉を下げた。
「そのようなお顔になるまで……申し訳ございません」
「え?」
「そうですよね、王太子殿下は前々からとても責任感がおありでしたもの。このような一生徒に対しても見送りを欠かさない素晴らしいお方だと、わたくし気付けるはずでしたのに……事前に連絡せず、本当に申し訳ないです」
違う、そうじゃないと、そう言えるのならどれほど良かったことか。
そもそも、事前に見送りに行くと伝えていないのだから、ナディアに非があるわけではない。
そして何より、ただの一生徒に対して、国で指折りの医師たちを集めて最上級の治療を受けさせ、教育機関の域を出ない学園の保健室から国で最も設備の整った王立病院への入院まで手配し、そのうえ常識の範囲内ではあるものの、それでも決して少なくない頻度で見舞いの品まで送り続けるわけがない。
その全ては、ナディアが自分にとって特別な存在だからだ。
……まあ、それを本人へ言えるはずもないからこそ、こうしてシルヴェストルは何も言えずにあたふたしているのだが。
「その、えっと」
「こちらこそ、突然急に押しかけてしまい申し訳ございません。ナディア様がお元気そうで何よりです」
真っ赤になって使い物にならなくなったシルヴェストルを後ろへ避難させ、マエルは一歩前に出る。
そんなマエルを見て、ナディアはまた首を傾げた。
「わたくし、貴方にどこかでお会いしたことがあるような……?」
「あ、先日ぶりです。例の件に関して、生徒会から派遣された者としてお話を伺った……」
「あぁ、あの。確か、マエル様でしたか?」
「様は結構ですよ。自分の方が下ですし」
「それを言うなら、わたくしの方が年下ですし。様付けは大丈夫です」
何やら自然に会話を始める二人。その光景を眺めながら、シルヴェストルの機嫌は少しずつ悪くなっていった。
自分はナディアと話すだけでも精一杯なのに、どうしてマエルはあんなにも自然に距離を縮められるのだ。別に、マエルが悪いわけではない。そんなこと分かってはいるのだが、それでも面白くない。
そうむくれ始めるシルヴェストルだが、そこは空気と心が読めるマエル。嫉妬されてるな、とすぐに気が付く。そして、それ以上ナディアとの会話を続けることなく、話題を彼女の兄へと移した。
「プロスペール、もうそろそろ衝撃はおさまったか?」
「逆に、お前が王太子殿下の側にいることに衝撃が舞い戻ってきたが?」
ジトリ、とナディアの兄であるプロスペールはマエルを睨んだ。
「あら、お兄様はマエルさんをご存知で?」
「ご存じも何も、普段からよくしてもらっているんだよ、こいつに。主に商談で」
「よくしてもらっているのはこっちだよ。こんな貧乏男爵家と取引してるところなんて両手に収まるし」
マエルが肩を竦めると、プロスペールの睨みはもっと鋭くなる。
「貧乏なんて卑下すんな。財力的には俺らと同じくらいだろ? そっちが貧乏だったら、国内の男爵家と子爵家は一体何になるんだって話だし。取引先が少ないのも、お前の交渉の次元が高すぎてあっちから避けられてるんじゃねぇのか?」
「それは俺の母が商家の娘だったからそういう教育もされてきたからだし。それに、立て直すのにすぐ金が減るんだよ」
俺の領地の状況は知ってるだろ、と問うマエルに、プロスペールは押し黙った。
知らないわけがない。マエルがどういう思惑で話してきたのかは別として、商談の折にそういった話は幾度となく聞かされてきた。その事情に同情を誘われたからこそ、プロスペールもまたマエルとの繋がりを選んだのだ。
そんな暗い様子に、今度はルシファーが話へ割り込んだ。
「マエルの領地って、そんなに問題が溢れているの?」
「ルシファー、今は俺のとこなんか重要じゃない」
「いや、なんでお前はルシファー様にタメ口なんだ!?」
不敬! とでも叫びそうなプロスペールを余所に、ナディアがふと疑問を口にする。
「そういえば、皆様は殿下の側近候補の方々ですか?」
「あ、自分は……」
お噂はかねがね、と話すナディアに、ただ付いてきただけのテオドールが否定しようとする。
シルヴェストルたちが病院へ向かうのに、自分だけその場に残るのは流石にどうかと思い、同行しただけなのだ。自分はそんな恐れ多い地位に就いているわけではない。
そう説明しようとした、そのときだった。
「待て」
復活したシルヴェストルが、テオドールの言葉を遮った。
「テオドール。この後に言おうと思っていたのだが、ちょうど良い。其方、私の側近候補とならないか?」
「はい?」
唐突な申し出に、テオドールが目を瞬かせる。
「先程話していて確信した。私には、其方のような細かなところにまで気を配れる者も必要だとな」
「それは……別に、他の者でもよいのでは?」
「それでも私は、其方を側近候補としたいのだ」
「うぐっ」
駄目だろうか、と言わんばかりに見つめてくるシルヴェストルに、テオドールは完全に言葉に詰まった。期待に満ちた瞳を向けられて、これを無下に断れるほど、テオドールは薄情ではなかった。
それに、一瞬だけ思ってしまった。目がきらきらと輝いていて、なんだか〝あの子〟のようだな、と。……まあ、シルヴェストルの瞳は物理的に輝いているわけだが。
そんなことまで考えてしまった時点で、もうテオドールに勝ち目はなかった。テオドールは、期待には応える人間なのだ。
「ぼ、僕でよろしければ……」
「おお、ありがとうな!」
「いえ……」
こうしてまた一人、側近候補が増えた。
あまりにもあっさりと話が進んだためか、ナディアはパチパチと瞬きを繰り返している。
「なんだか、すごい場面を目撃したような気がします」
「王太子殿下の側近候補って、もっとじっくり時間をかけて選ぶものだと思ってた」
兄妹揃って神妙な顔になっている。そんな二人を見て、ジュードは思わず吹き出した。
「二人とも何その顔。これからも目撃するんだから、一々驚いてちゃ心臓がもたないよ?」
「「これから?」」
兄妹は、また揃って首を傾げる。その会話へ、ラファエルが苦笑しながら割って入った。
「ジュード、それはシル様から言わないと意味がないだろう?」
「だからサポートしてるんだよ。ね、シル様!」
「正直、そんなサポートは期待していない……」
「そんな!?」
ガーン、と大袈裟なほどに落ち込むジュード。その姿を見つめて、
「ふふっ」
と、正面玄関に柔らかな笑い声が響いた。
「あ、すみません。つい……」
ナディアは口元を押さえながら、楽しそうに笑っている。
まるで花が咲き誇ったようだ、とシルヴェストルは柄にもなく思った。いやいや、詩の練習で死ぬ気で覚えた語彙はどこへやった自分。しかも花って。せめて華やかなら薔薇とか、明るいなら向日葵とか、他にも色々あるだろう。それを『花』って。
そんな益体もないことを考えていたせいで、シルヴェストルは自分へ近付いてくる人影に気付くのが遅れてしまった。
そっと、頬に何か当たる。
「大丈夫ですか?」
それは、柔らかな髪だった。
「もしかして、本当に熱が……」
「ふえぁ!?!?!?」
シルヴェストルは、もう物凄く変な奇声を上げてしまった。顔が近い、近すぎるっ!!
そう、アワアワと動揺するだけのシルヴェストルに、ナディアはまた笑った。
「冗談です」
「ふぇ??」
今のシルヴェストルには、言われた意味すら分からなかった。
「ふふっ、本当に可愛らしいですね」
「かっ、可愛らしい!?」
もう、シルヴェストルの許容範囲は、とうに限界を超えている。
キュウ……と顔を真っ赤に染めたかと思えば、そのまま身体から力が抜けていく。後ろにいたラファエルとルシファーが慌てて体を支えた。
頭上に『?』を沢山浮かべているプロスペールを横目に、マエルは問う。この場へ来た時には〝全て〟を分かっていた彼女へ。
「ちなみに、いつ気が付いたんです?」
「つい最近です。何だか殿下からの見舞品が多いなって、疑問に思ったときに」
「えー? ナディアってまさか意地悪なタイプ?」
「そこまででは……。でもまあ、いささか悪戯が過ぎたかもしれませんね、ジュード様」
「まっ、待てナディア! 俺は何にも分からないんだが!?」
「お兄様は昔から鈍感ですもの。かくいうわたくしも、人のことはあまり言えませんけれど」
「大丈夫ですか、殿下。お水を出しましょうか?」
「テオドールはベッドみたいにふかふかな結界出して。モンテスキュー家だし、得意でしょ?」
「そんな無茶言わないでくださいよ、ルシファー様。まあ、出せますけど」
「意識はありますか、シル様?」
ラファエルに覗き込まれたシルヴェストルは、僅かに震える唇から、うぁ……と間の抜けた声を漏らした。
シルヴェストルの脳裏を駆け巡るのは、たった一つの事実だった。
――私の気持ちが、ナディア嬢に気付かれてる、だと……?
王太子としての威厳も、神童としての矜持も、この瞬間だけは綺麗さっぱり消え失せていた。
ちなみに私は、女の子の方が一枚上手で、男の子がドギマギしながら振り回される関係が大好物です。
……ええ、つまり今回の二人ですね。




