第十四話 王太子は文官の卵と話す。
「確か、テオドール様は先日の会議にもいましたよね」
全く覚えていない相手から久しぶりだと言われて内心困惑しているシルヴェストルに、見かねたマエルが助け舟を出した。
「そうですね。なので、皆さんとは大体一週間ぶりです」
テオドールもそれを察し、殆どシルヴェストルへ向けて説明するように答えた。そこでようやく『ああ、ナディアの件か』とシルヴェストルも思い出す。
ナディアが倒れた件について生徒会の幹部をほぼ全員集めた時に、確かにこのような生徒がいた気がする。とはいえ、正直なところ印象には残っていなかった。別に彼が何か失礼なことをしたわけではない。ただ、その場にいただけで何も発言しなかっただけだ。
「テオドール、其方が確認したいと言っていた書類とは何だ?」
忘れていたことへの僅かな罪悪感もあり、シルヴェストルはソファから立ち上がると、そのまま書類棚の方へ向かう。そんなシルヴェストルの姿を見て、テオドールは慌てて声を上げた。
「いえ、わざわざ王太子殿下がなさらなくても……!」
「よい。元々この部屋を勝手に使っているのは私たちの方なのだからな」
そう言いながら、シルヴェストルは書類棚の前で足を止めた。
「それで、一体何が欲しいのだ?」
テオドールは一瞬だけ躊躇い、少し眼鏡の位置を直した。
「過去六年分の会計書でございます。正規と〝裏〟の二通りを」
「む。裏、というのは?」
「ああ、よくある話ですね」
マエルが納得したように呟く。シルヴェストルは視線だけを向け、続きを促した。
「改竄ですよ。生徒会の予算を着服する為に、生徒会本部へ提出する『正規』の会計書とは別に、不正の隠蔽や、自分が欲張りすぎて帳簿上では使途不明金になってしまわないようにする為の正確な『裏』の会計書が存在するんです」
「……なるほど」
説明されてみれば、確かに筋は通っている。通っているからこそ、シルヴェストルは何とも言えない顔になった。完璧に言い訳の余地もない不正だからである。
「マエルの言う通りです。流石、監査部に入っているだけありますね」
「あれ、テオドール様って俺のこと知ってましたっけ?」
「何年の付き合いだと思っているんですか。毎度監査に来る生徒の顔を覚えていないとでも?」
呆れたような顔で苦言を呈され、マエルはバツの悪い表情を浮かべる。彼はどうにも年上の相手が苦手なのだ。身分の差だけならば、それこそルシファー達と話しているときの方が随分と気楽である。しかし、先輩である高等部の生徒を相手にすると、途端に調子が狂ってしまうのだった。
「それで、なんでテオドールは二種類のものを探しているの?」
今度はルシファーが尋ねた。それに対し、テオドールは眼鏡のブリッジを指先で押し上げると、相変わらず淡々とした声音で答えた。
「端的に言うと、前任がやらかしていたんです」
「前任?」
「はい。僕は現在高等部一年ですが、昨年までは平の委員でした。会計管理委員会は昨年、前の委員長と副委員長が卒業されたので、今年は委員長にメルキオル様、そして副委員長に僕が就任しました」
そこまで一息に説明してから、テオドールは僅かに息を吐いた。
「そろそろ今学期の決算書を作成する時期になるので、会計を整理していたんですが……」
「ああ、そこで何かが合わなかったんだね」
ルシファーが納得したように頷く。
「ええ。昨年からの繰り越し金と、現在残っている金額に差が生じまして。何故かと思って調べたら、そりゃあもう不正のオンパレードでした」
「……オンパレード」
思わず、シルヴェストルは呟き返す。
本人はいたって真面目な顔をしている。それだけに、その言葉の軽さとの落差が妙に印象に残った。
「ええ、これは前任が担当していた昨年までの六年分を調べないと不味いな、と思い至りまして」
涼しい顔で申告するテオドールに、シルヴェストルは眉を寄せる。
「何故そこまでするのだ? 不正があったからそれを正す必要があるのは分かるが、そこまで遡らなくても今年度の会計を調査するだけで十分なのではないか?」
「そこは僕の拘りですね」
テオドールは眼鏡の奥からシルヴェストルを見つめる。
「不正があると分かっているのに、途中で止める理由もないでしょう。それに、どこまで遡れば不正がなくなるのかも確認しておきたいので」
「……そうなのか」
理屈としては分からなくもない。しかし、六年分の会計書を調べるというのは、かなりの労力が必要になるはずだ。それをさも当然のことのように言ってのけるあたり、どうやらこの青年は仕事に対して妙な矜持があるらしい。
そんなことを考えながら、シルヴェストルは書類棚へ視線を戻した。
「お、あったぞ。これらではないか?」
棚の奥から目的の書類を見つけ出し、シルヴェストルは何冊かの帳簿を取り出した。
「こちらは正規の会計書で、こちらが……〝裏〟か?」
「はい」
テオドールは受け取った書類の束を机の上へ置くと、ぱらぱらとページを軽くめくった。その視線が、数字の並ぶ紙面を流れるように走っていく。一枚、二枚と確認していくうちに、テオドールの表情が僅かに緩んだ。
「……ビンゴ、ですね」
どうやら目的のものに間違いないらしい。
「これで六年前まで、綺麗に遡れそうです。ありがとうございます、殿下」
テオドールはそう言って、手にした会計書を抱え直した。
「……それにしても、これを全部持って帰るのは大変そうだね」
ルシファーは何気なく呟く。
「そうですね。なので、必要な部分だけ複写するつもりです」
「複写?」
「はい。原本を持ち出すわけにはいきませんから」
テオドールは当然のことのように答えると、手にした会計書へ視線を落とした。
「それに、原本を調べながら別の帳簿と照合した方が効率も良いですし。恐らく、会計管理委員会の過去の記録や、生徒会本部から各委員会へ交付された予算の記録も必要になるでしょうね」
「……随分と本格的だな」
シルヴェストルは思わずそう呟いた。
「まあ、最初は去年の決算書だけ確認するつもりだったんですけどね」
テオドールは小さく肩を竦める。
「一つ見つかると、他にもあるんじゃないかと気になってしまって」
「その気持ちは分かる」
意外にも、シルヴェストルはすぐに頷いた。
「一つの不正が見つかったのなら、それが単発なのか、以前から続いていたものなのかを確認したくなるのは当然だと思う」
「そうなんですよ」
テオドールの返事は、先ほどまでより僅かに早かった。
「だから、僕としては六年分を調べること自体はそこまで苦ではありません。むしろ、途中で止めてしまう方が気になります」
「なるほど」
マエルが感心したように声を漏らす。
「そういうところは、いかにも会計担当って感じがします」
「褒めてるんですか?」
「もちろんです」
「なら、ありがとうございます」
淡々と返され、マエルは苦笑した。
「……でも、本当に六年分全部調べるつもり?」
ルシファーが帳簿の山を眺めながら尋ねた。
「調べますよ」
「即答……」
「むしろ、ここまで来て調べない理由があります?」
「いやまあ、ないけどね」
ルシファーは引きつった笑みを浮かべる。そんな二人のやり取りを眺めながら、シルヴェストルはふと考えた。
テオドール。先日の会議の場では一言も発しなかった生徒。目立つわけでもなく、積極的に人の輪へ入ってくるわけでもない。だからこそ、シルヴェストルの記憶に殆ど残っていなかった。
だが、実際に話してみればどうにも掴みどころがない。淡々としているように見えて、仕事に対しては妙なほど妥協しない。必要だと思えば六年も前まで遡り、誰に頼まれたわけでもないのに自分が納得するまで調べようとしている。
「……テオドール」
「はい?」
「其方は、将来何になりたいのだ?」
ふと、シルヴェストルの口からそんな問いが零れた。テオドールは少しだけ目を瞬かせる。
「将来、ですか?」
「うむ。今の話を聞いて、少し気になった」
シルヴェストルはそう言って、テオドールの抱えている会計書へ視線を向けた。
「其方は会計の仕事が好きなのだろう?」
「好き……というより、性に合っているんだと思います」
テオドールは少し考えてから答えた。
「数字を扱うのも、書類を整理するのも苦ではありませんし。何より、曖昧なままになっているものを見つけると、どうしても原因を確認したくなるんです」
「それ、結構面倒くさい性格じゃない?」
ルシファーが笑いながら口を挟む。
「自覚はあります」
「自覚あるんだ」
「ええ。ですから、将来は文官になろうと思っています」
その答えに、シルヴェストルは小さく頷いた。
「文官か」
「はい、家の為にもなりますし。まだ具体的にどのへ行きたいかまでは決めていませんが、会計や財務関係には興味があります」
「なるほどな」
シルヴェストルは改めてテオドールを見る。文官、そう言われてみれば確かに納得できる。
派手さはなく、人の目を引くような言動もしない。だが、必要な情報を集め、それを整理し、数字の矛盾を見つければ原因を探る。そして、目立つことなく確かな仕事を積み重ねる。こういう人間が国の裏側を支えているのだろう。
「……其方は、随分と真面目なのだな」
「よく言われます」
「褒めたつもりなのだが」
「分かっていますよ」
テオドールは僅かに口元を緩めた、そのときだった。
バンッ! と、勢いよく扉が開かれる。
「シル様ーーー!」
「うわっ!?」
マエルが思わず肩を跳ねさせる。見慣れた顔が、息を切らしながら部屋へ飛び込んできた。
「ジュード其方、もう少し静かに入れないのか」
「そんなこと言ってる場合じゃないですよ!」
ジュードはそう叫びながら、部屋の中を見回す。
「……あれ、テオドールもいたんだ」
「僕の存在を今知ったような言い方はやめてもらえます? ジュード様、学園新聞発行委員会の委員長ですよね?」
「ああ、魔法のことを知ってるんだ」
「ええ。だから何故、そんな驚いた顔をするんですか」
「だって知ってても、シル様のところにいるのがちょっと意外だったんだよ」
ジュードはそう言いながらも、すぐにシルヴェストルへ向き直る。
「それよりシル様! 大事な話があるんです!」
「何だ?」
普段ならば適当に相手をするところだが、ジュードの表情が思いのほか真剣だった為、シルヴェストルも自然と姿勢を正した。
「ナディアが、退院するらしいですよ!」




