第十三話 王太子は文官に出会う。
「うーん……」
ルシファーを正式に側近候補へ迎えてから、早くも一週間が経った。シルヴェストルは少し眉を寄せ、唸りながら廊下を歩いていた。
王太子という立場ゆえに、廊下を歩いているだけでも声をかけてくる者は多い。少しでも気を抜けば、挨拶やら相談やらであっという間に人だかりができてしまうため、シルヴェストルはいつも目的地へ向かうだけでもちょっとした逃走劇を繰り広げている。今日もどうにか人の波を振り切り、現在向かっているのは生徒会館の四階にある生徒会本部だった。
すっかり自分と側近候補たちの憩いの場と化している場所ではあるが、そもそも自分は生徒会長なのだ。生徒会本部を自由に使ったところで何の問題もないだろうと、最近ではシルヴェストルも半ば開き直っていた。
「どうしたんですか、シル様?」
背後から声をかけられ、シルヴェストルは歩く速度を抑えて振り返る。
「マエル」
「シル様、きちんと前を見て歩いてくださいよ。転んでも知りませんからね」
「其方は私の母か」
まるで幼子を心配する母親のような言い方に、シルヴェストルは思わず呆れた顔をする。
「俺は男ですよ。それで、何かありました?」
「いや、ただ今後のことについて考えていたのだ」
シルヴェストルは前を向いて歩きながら答えた。
「また変な人を迎えようと?」
「変なとは何だ。其方もラファエルもルシ兄も……まあ、ジュードは否定できないが」
「否定しないんですね」
「事実だからな」
そんな軽口を交わしながら、二人は生徒会本部へと辿り着く。
扉を開けて中へ入ってみれば、中は静寂に包まれていた。まだ他の側近候補たちは来ていないらしい。
「ジュードも来てないんですね。そちらで何かありました?」
「あやつは教室前で兄君に捕まっておったぞ。確か、高等部一年の方だ」
「あー、ジュードって兄姉が多いですからね……」
マエルの疑問に答えながら、シルヴェストルはいつもの席と化している一人用のソファへ腰を下ろした。
その一方で、マエルは何の迷いもなく戸棚へ向かい、そこから茶葉を取り出す。ここへ来るたびに紅茶を淹れているせいか、もはや生徒会本部の備品の場所まで完全に把握しているようだった。
「それにしても、ここって設備が良いですよね。小さいですけど、魔導コンロまでありますし。シル様は何の茶葉が良いですか?」
「マエルのおすすめで頼む」
「それが一番緊張するんですよ」
困ったように笑いながらも、マエルは手際よく茶葉を選び、紅茶の準備を始める。
そんな二人のやり取りから少しして、ガチャリ、と扉が開いた。
「あ、何か作ってる。僕にもちょうだい」
「ルシファーもシル様と同じで良いか?」
「大丈夫。マエルの淹れたやつが一番美味しいし」
そう言いながら、ルシファーは当然のように部屋へ入り、そのまま空いているソファへ腰を下ろした。
「……ただのしがない男爵令息の俺より、お前ら上位貴族の方が淹れるのは上手いはずなんだけどなぁ」
「ははっ。教養として練習するのと、実際に上手いかどうかは別物だからね」
「まあ、そういうものか」
マエルが苦笑する一方で、ルシファーは手伝う気配を微塵も見せない。どうやら完全に飲む側へ回るつもりらしい。
「ルシ兄はいつも茶葉の量を間違えていましたよね」
「そうそう。それに淹れるときのちょっとしたテクニックだったり、色々と難しいんだよ。僕がきちんと飲める紅茶を淹れるのって、結構難しいんじゃないかな」
ルシファーはそう言って肩を竦める。
「それに、僕は飲み物に対してそこまで興味もないし」
「私も興味はないですね。一応及第点はもらえましたけど、侍女達に淹れてもらう方が遥かに美味ですから」
「はい、できましたよ」
ちょうどそのタイミングで、マエルが三人分の紅茶を淹れ終えた。
「ありがとう」
「感謝する、マエル」
礼を言いながら、シルヴェストルとルシファーはそれぞれ紅茶を受け取る。そして紅茶を一口含んだ瞬間、二人の口からほとんど同時に感嘆の声が漏れた。
「美味い」
「やっぱり美味しいね」
「……そうですか」
褒められているというのに、マエルはどこか複雑そうな顔をしていた。ルシファーが考えていることが分かるからだ。
「もういっそのこと、マエルは侍女を目指したらいいんじゃない?」
「だから、俺は男だっての。それに、俺は別のやつを目指してるんだから侍女にはなれねぇよ」
「む」
その言葉に、シルヴェストルはふと顔を上げた。
「そういえば、マエルは将来何になりたいのだ?」
王太子である自分の側近候補として働くのであれば、その先には国王となった自分を支える立場が待っている。必ずしも全員が政治の中枢を担うとは限らないが、それでも将来どのような道を目指しているのかは誰でも無関係ではない。
「ああ、俺は……」
マエルが口を開きかけた、そのときだった。
ガチャッ、と再び扉が開いた。
「あれ、王太子殿下……?」
扉の向こうに立っていたのは、この国では珍しく銀縁の眼鏡をかけた男子生徒だった。
シルヴェストルは僅かに目を細めると、相手の制服へ視線を向ける。ネクタイの色から判断するに、高等部一年生らしい。
「それに、ルシファー様も……こんなところで、一体何をされていらっしゃるのですか?」
「それはこっちの台詞だけど?」
ルシファーが不思議そうに首を傾げる。
「僕は確認したい書類を探しに来ただけです」
男子生徒は平然と答えた。その声音には、王族を前にした者特有の緊張も、ルシファーに対する畏敬もそれほど強くは感じられない。ただ必要なことだけを口にしているような、妙に落ち着いた態度だった。
シルヴェストルは、そんな少年を静かに見つめる。
「其方は……」
「あっ、すみません。挨拶がまだでしたね」
そこでようやく自分が名乗っていないことに気付いたらしく、男子生徒は僅かに目を見開いた。それからすぐに姿勢を正し、何事もなかったかのように丁寧な一礼をする。
「お久しぶりでございます、シルヴェストル王太子殿下。モンテスキュー子爵家が嫡男、テオドール・ド・モンテスキューと申します。不肖の身ながら、会計管理委員会の副委員長を務めさせていただいております」
そう名乗ったテオドールは、眼鏡の奥からシルヴェストルをじっと見つめた。その瞳に浮かんでいるのは尊敬でも畏怖でもなく、ただ何かを冷静に観察するような、淡々とした眼差しだった。




