第十四話母子
第三研究所の車が家まで送ってくれることになった。ドライバーは若い女性で、ハネを助手席に乗せて車を走らせる。ハネが窓からの景色を眺めていると、
「こちらを見てよイケメンさん」
「なにか?」
「私に気を使って、窓ばかり見ているの」
「全然。車に乗るなんて久しぶりだから、ガキみたいに楽しんでました」
「そうなの」
「ウチには車無いし、母も免許持ってないんで。前に乗ったのは中学生の時だったかな。母のパトロンだかのジジイのベンツだった。これも、ベンツほどじゃないけどいい車じゃない。新車ですか」
「新車よ」
「ふーん。家の近所にあるのはポンコツばかりだけど、やっぱり新車は違うね。お姉さんの」
「公用車よ」
運転の最中、チラリと視線を向ける女に、ハネも目を合わせる。二十代、山村と同様切れ者な感じで、色白の端正な顔立ちは、白人の血が入ってるのかもしれない。
「やっぱりイケメンね。モテるでしょ」
「どうですかね。3ラボの看護師さんたちには、ウケが悪かったけど」
「それは、君の顔に文句があったんじゃなくて、がっかりしたからよ」
「がっかり?」
「エーテルを飲んで昏睡状態になった場合、二週間を過ぎて目覚めなければ、二度と意識は戻らないとされているの。でも黒塚君、君は二十日めで目覚めた」
「それが、なんでがっかりなんです」
「エーテルを飲んだら死体になっても貴重品。解剖して特定の臓器は冷蔵ボックスに入れて某機関に届けられる。この解剖処理に出される手当がけっこう良くて、助手を勤める看護師さんたちにはちょっとした臨時ボーナス。あなたは意識がないまま二週間を過ぎて、あとは医師のゴーサインを待つだけの状態だったの」
「それで、俺が目覚めたのが気に食わなかったのか。白衣の天使が聞いてあきれるハゲタカだぜ」
「天使だろうと悪魔だろう、食べてかなきゃならないからね」
「だけどそんなじゃ、助かるもんだってボーナスにしてるかもよ」
「それはないわ。みんな医療従事者としての使命を忘れない人たちよ。生活のために多少打算的になったとしても、救命の現場では、医師とともに最善を尽くしてくれるわ」
「ふーん」
ハネは懐疑的な表情で、
「それで、お姉さんは事務員さん」
「どうしてそう思うの。女だから」
「そうじゃないけど、偉い人だったら運転手なんてしないでし」
「偉くはないけど山村の同僚、湾岸署のラボ担当の刑事よ」
「俺の担当は来島さんか山村さんでしょ」
「来島さんは湾岸署サイバー特課の班長。あなたのラボ担当は山村君だけど、彼の免許は自動運転限定だから。佐伯玲子よ」
「佐伯さんも医師免許持ってるの」
「いいえ、刑事だ必要な資格しか持ってないわ。以前は湾岸署2課の刑事で、去年からラボにまわされたの」
「殺人事件の捜査もしたことあるんですか」
「主に経済犯を扱っていたけど、金絡みの殺人事件も多かったから、修羅場には慣れっこよ」
いつの時代もそうかもしれないが、二十三世紀末のニュー東京でも、眉をひそめるような事件が後を絶たないのである。
車はハネの暮らす街に入り、家の前で止めてもらった。
「お疲れ様、お母様によろしく。今後については、明日にでも連絡があるはずよ。それと、遠出は控えてね。ニュー東京内なら問題にならないけど、なるべく普段の生活圏内にいて」
「了解」
ハネは応えて車を降りた。佐伯に手を握り家に向かう。老朽化の目立つ戸建ての賃貸。背後で車が走り去る。
ずっと眠っていたので、二十日も帰ってなかったという実感はない。玄関のドアノブをつかむと鍵はかかってなかった。
この界隈でも泥棒や変質者の出没を聞き、近所はどこもしっかりと戸締まりをしている。しかしハネの母親だけは、戸締まりにもまるで無頓着なのだ。寝る前の施錠を忘れて、一晩中泥棒さんウェルカムなことも一度や二度じゃない。
ハネが不用心を注意すると、こんなボロ家は入ろうと思えばどこからでも入れるから、戸締まりなんて気休めみたいなものと言い返した。ルーズで、肝の座ったところのある母親なのだ。そんな不用心極まりない家ながら、今まで一度も泥棒に入られたことがないのは、ぱっと見、盗む物のなさそうな家だからであろう。
玄関は狭く、二人並んで立てないぐらいだ。立ったまま靴を脱いで上がる。狭い家だ。リビングに入ると、母親がちゃぶ台でカレーライス、それもカツカレーを食べている。滴るごとく艶やかな黒髪を肩下まで伸ばし、Tシャツにスカートの身なり。ちゃぶ台に向かいあぐらをかいて、しかし背筋はピンと伸ばし、テレビを見ながらカツカレーを食べている。いつもの母だった。
「ただいま」
声をかけたが見向きもしない。ゲスネタたれ流しのバラエティー番組に見入っている。だが、これぐらいは想定内だ。
「なんだよ。一人息子が帰ってきたのにシカトかよ」
「我が子ながら、出来が良すぎて涙が出るよ」
いつもの皮肉を一くさりだ。
「半月以上も家に帰らず学校にも行かず、どこをほっつき歩いてたんだい」
「ほっつき歩いてないよ。ずっと病院のベッドで意識不明だったんだぜ」
「なんだって。そんなに長いこと病院の世話になって、治療費はいくらになったんだい」
「意識不明だったてぇのに、心配はそこがよ。何があったとか、どこが悪いとか、聞かないのかよ」
「だっておまえ、ピンピンしてるじゃないか」
「今はね。だけど、どこかの誰かのボーナスにされる寸前だったんだぜ」
憤慨するハネに、母親は冷静な顔で、
「何があったんだい」
「キクモリ公園でテロがあったろ。アレに巻き込まれて、やられたってわけじゃないけど、意識を失って病院に運び込まれたんだ。だけど、治療費はタダだから、そこは心配しなくていいぜ。それと、俺、もう学校に行かない。就職するんだ」
「学校を途中で投げ出して、なんの仕事をするんだい」
「コレだよ」
ハネはコスプレした。瞬時に漆黒の忍者コスチュームを身にまとう息子に、母親はっ目を瞠る。
「おまえ、フィジカルサイバーになったのかい」
「あまり驚かないね」
「水商売してると、いろんな人間に出くわすからね。コスプレするところだって、何度も見てるのさ」
黒塚ルリ子。四十代のはずだが三十代前半でも余裕で通る。化粧をしなくても人目を惹く美人で、ハネの姉と言い張ってもさほど苦しくない。今はキャバ嬢をしているが、元は風俗にいたという噂もある。中学生のとき親子で街を歩いてたら、どこかのオバサンが母を女狐と罵った。目の前で母親が悪口を言われたら、ハネだって嫌な気分になる。しかしこの時ハネは、女狐という言葉が母にピッタリな気がしたのだ。といっても、ハネは決して母親が嫌いなのではない。女狐という言葉に、世間一般の悪いイメージを持っていなかったのだ。メスの狐だから知恵が回ってすばしっこくて、男どもをまんまと出し抜く、テレビに出てくる女怪盗のイメージ。それが男まさりで世故に長けた母に似合っているように思えたのだ。
「そんな話、今まで一度もしたことないじゃん」
「なんの仕事にも守秘義務ってもんがあるんだよ。職場で見聞きしたことを、気安く口外するもんじゃないのさ。あなたもこれからは気をつけなさい。口は災いの元って言うけど、言葉一つが命を取ることだってあるんだからね」
「肝に銘じておくよ」
「で、どこの組だい」
「組?」
「就職するんだろ。あんたは一匹狼で渡世する柄じゃないから、組織に所属するのは悪いことじゃない。けど、退職代行なんてものが通用するようなヌルい世界じゃないからね、どこの盃を受けるか、選択は慎重にしたほうがいいよ」
「誰がヤクザになんかなるかよ。俺は警察に勤めるんだ」
「警察!」
「湾岸署のフィジカルサイバーになるんだ。悪事の片棒なんか担ぐかよ」
「そうなの、私はてっきり悪い仲間に誘われたかと思って、気を回したのさ。警察なら言うことないよ」
ルリ子は立ち上がって、息子の忍者姿をしみじみ見た。
「それって、忍者コスチュームね。似合っているよ」
「よく知ってるね。もしかして忍者に会ったことがあるの」
「さあね」
守秘義務に関わるのか、ルリ子は曖昧に済ます。
「私の夜羽さんは、ただで終わる子じゃないと思ってたよ。でも、命は大事にしてね。それだって、無敵ってわけじゃないんだからね」
「わかっているよ。無茶はしないさ」
「約束だよ。あんたに死なれたら、、私はどうしていいかわからないからさ」
「命を大事にするぐらいの親孝行なら、俺にだってできるさ。それよりなんか食うものない。腹減ってるんだ
「カレーならあるよ。カツはもうないけどさ」
「それでいいよ・久しぶりに母さんのカレーライスか、腹の虫が踊りだしそうだ」
母さんのカレーは母の手作りではない。近所の洋食屋のオヤジが、たまに自家製のカレールーをタッパーに詰めてくれる。ルリ子さんに鼻の下伸ばした、下心ありありの好意だが、ルリ子さんはそんなオヤジ、てんで相手にしてないのである。それでもめげずに時々くれるこのカレーは、さすがプロの逸品で、ハネの好物なのだ。ちなみにルリ子さんは、レトルト以外のカレーは作ったことがない。
とにかく、二十日にわたって行方知れずだった息子が無事に帰ってきて、古びた小さな家に、親子二人の、ささやかな団らんが戻ったのである。




