第十話目覚め
大きな窓からの風が心地よい。窓の外は靄がかかったようにはっきりしないが、緑に彩られた庭園のようだ。室内も乳白色の靄に満たされて、物の形もすべてがにじむようにぼんやりしているが、奥行きのある空間のようだった。聞こえてくるのは、何人かの男女の声。何を話しているのかわからないが、とても楽しそうだ。
迷子になった幼い頃の記憶か。それにしてもここはどこだろう。俺の人生にこんな景色あったかな? 靄の中に動く影を見つけ、追いかけながらその名を叫ぼうとして・・・
目覚めるとベッドの上だった。寝台の横に見慣れぬ機械があって、モニター画面に青い線が波形を描く。その機械から伸びているコードの先端が、ハネの腕に粘着テープで貼り付けてある。点滴のスタンドもあって、チューブの先が腕に刺し込まれていた。今まで大きなケガや病気とは無縁に生きてきたハネには、初めての経験だった。
ゆっくり体を起こす。気だるさはあったが、大きなケガはしていないようだ。手に貼り付けてあった、医療機器から延びていたコードの先端をはぎ取り、点滴の針も抜く。足を床におろして立ち上がろうとしていると、ドアが開いて、看護師が駆け込んで来た。
「あら、目覚めたのね」
中年の女は、なんだかしらけたような表情。
「ここって病院でしょ。腹が減ったんで、売店でパンとコーヒー牛乳買ってくるんでんで、俺の財布出してくれない」
「何言ってんの。先生に診てもらうまでは、勝手に動いたらダメよ。あっ、はずしている。点滴も抜いて、急変したかと思ったじゃない」
ハネが腕にテープで貼り付けてあったコードの先端の、体調管理のセンサーをはずしたため、機械のモニター画面はフラットラインとなっていた。そして、その情報は即座に看護師の携帯端末に届く仕組みだ。
「なんか、死んだと思って駆けつけたのに、生きててあいにくそうだね」
「そんなことないわ。私たちは常に、患者さんを助けることを第一に考えているのですから」
看護師は心外そうな顔をすると、院内専用の連絡ツールのリストウオッチ、型通話機に話しかけた。
「ナースセンター、塩崎です。五号室の患者、いえ、そうじゃなくて、いま、目覚めました。担当の山村ドクターに連絡してください。それと、例の準備はキャンセルでよろしいかと」
看護師は連絡を終えると、体温計を出した。
「計って」
ハネは体温計を脇に挟み、手持ち無沙汰に室内を見回した。個室だった。セレブが使うような豪華な部屋ではないが、病院で個室は高額だと母親が話していたのを思い出した。
おふくろ、奮発してくれたのかな。まあ、なんだかんだいったって母一人子一人だもんな。
そんなことを思っていたら、体温計が電子音を鳴らした。受け取った看護師が体温を確認していると、ドアが開いた。
「やあ、目を覚ましたんだね。私は担当の山村だ」
山村は三十代になるかならずの若い医師で、整った髪型に銀縁眼鏡。白衣姿もそつのなさげなたたずまいは、ハネの通う高校の進学組の秀才が、順調に行ったらこんなのって感じだ。
ハネは診察の後、検査にまわされた。CTや採血、脳から内蔵の各部位ごとに、精密に検索されて病室に戻ると、服が畳んで置かれていた。キクモリ公園に着ていったシャツとズボン。ヨシキの血が染みていたはずだけどキレイに落とされていた。思い出すのはつらいが、とにかく病院の服から着替える。財布も出してあって、十円少々の中身を確認する。
「あのままくたばるヤツではないと、思ってたぜ」
声に振り向くと、中年の男が山村と連れ立って入っていた。風采は山村とは対照的な、うだつの上がらなそうなその顔には見覚えがあった。




