その二十五:真犯人の手掛かりは魔法猫の女王の過去にある?
サンルームから廊下に出ると、ルビーがパタッと突っ伏した。
「わっ、ルビーさん、どうしたの!?」
ノワが慌てて顔を近づけたら。
すぴー、すぴー……――。
規則正しい寝息。歩いている途中で寝落ちしたらしい。
「ねえ、起きて! こんなところで寝ちゃだめだよ。猫用ベッドへ行かなくちゃ!」
ノワは鼻先でルビーの顔の左側をグイグイ押した。ユサユサ。何度揺さぶられても、ルビーはすやすや、熟睡モードだ。
「ほほ、ノワさん、良いのですよ。幼少期の子猫はどこでも寝落ちするのですわ」
レディ・ドルリスは優しく説明した。
「まあ、陛下。なにかなさいましたの?」
問いかけとは裏腹に、レディ・エルデリットはさして驚いたふうもない。こういったことに慣れているようだ。
「説明はあとで。あなたも、いまはお昼寝するべき時間ですわ」
「では、これが〈癒やし〉の一環ですのね」
「ええ。さ、ルビーさんはしばらく目を覚ましませんから、おかあさまが運んであげてくださいな」
「よろこんで」
レディ・エルデリットは子猫にするようにルビーの首筋を口でカプッと咥え、軽々と持ち上げた。それから皆で邸のリビングを通り抜け、人間用リビングの隣にある猫専用リビングルームへ移動した。
優美なレースのカーテンが揺れる大きな窓のそば、日光と影の割合がほどよい場所に、猫が乗って移動して遊べる棚がいくつも取り付けてあった。
その中段に、ひときわ大きな棚板があり、そこに大きな猫用ベッドがある。
この邸の猫ベッドは基本的にすべてレディ・ドルリス自らがデザインし、注文のち購入したもの。だが、レディ・ドルリスが許したものならば自由に使用して良いのだ。
猫用ベッドにはノワがまっさきに飛び乗った。最近のお気に入りの昼寝場所だ。ノワが寝そべって体を伸ばしてもまだ大猫三匹分くらいはらくに余裕がある。大きな猫が一家で昼寝できるファミリーサイズなのだ。
レディ・エルデリットは、ルビーを猫用ベッドへそっと寝かせた。
ルビーはころんと寝返りを打った。幸せそうな微笑みさえ浮かべ、口からは舌の先がちょろりとはみ出ている。
「まあまあ、すっかり赤ちゃん猫ね」
レディ・エルデリットはルビーの横にゆったり寝そべり、ルビーの頭のうしろを毛づくろいしはじめた。
魔法猫の女王陛下は、少し離れたところに置かれた専用クッションに落ち着き、スフィンクスのポーズでリラックスしている。
「さて、わたくしはもう少し考えましょうかしら」
レディ・ドルリスは右手の肉球をゆったりと舐めて手入れした。
猫ベッドに寝転んだノワは、欠伸はしたが眠らず、グイと右足を伸ばした。足の付け根を舐めてから、うーん、と、体を伸ばした。
「レディ・ドルリス、なにを考えるんですか?」
「ルビーさんがなぜに攫われたのか。さきほどカミナリに打たれたはずのものが、逃げおおせたのはなぜなのか。それだけの魔力の持ち主ならば、魔法猫でも限られているのですが、心当たりがないのですわ」
「ふうん、レディ・ドルリスでも知らない魔法猫なんですね」
「わたくしは魔法猫の女王。この世の夜と猫の森羅万象を司る月の女神ルセルドナの化身にして代理人。そんなはずはないのですが……」
ノワはちょこんと首をかしげた。
「だったら、変ですよね。この場所でレディ・ドルリスに対して悪いことを考えたら、すぐに罰が当たるんでしょう? なのにどうして、玉座のクッションを運び出してお庭で引き裂いたときには、カミナリは落ちなかったんですか?」
「ああ、それならわかりますわ。玉座を引き裂いたときは何かが欲しかっただけなのでしょう。〈女王の鉄槌〉は、わたくしに対して本気の殺意が無ければ発動しないのですわ」
「へえ、さつい……? って、殺意!? レディ・クラリッサはレディ・ドルリスを殺そうとしていたの? なんで、どうして?」
「それをこれから推理するのですわ。わたくしの過去か、あるいはレディ・エルデリットの過去のどこかに、なにか手掛かりがあるはずですから」
そのころ、レディ・クラリッサは怒り狂っていた。
「おのれ、おのれ、おのれえ~~~~ッ!!! よくもこのあたくしに、雷撃なんか当てやがったわねえ~~~ッ」
ビュンビュンと風を切り、街道を一直線に駆けていた。
あのメスネコ、魔法猫の女王にまんまとおさまった、ほんの小娘猫だったくせに、いまじゃすっかり貫禄がついた女王ぶりやがって。
魔法猫の女王の称号は、あたくしのものになるはずだったのに。
なぜ。
どうして。
こんちくしょうッ!
「でも、雷撃に打たれたおかげで完全に正気にもどれたわ」
これまでは半分狂気の中に住んでいた。
正気の時間もたまにはあったが、そんなときはさまざまな古い怒りと憎しみで心が一杯になって、ただイライラと手当たり次第に当たり散らしていた気がする。
「あたくしを狂気に落としたあのメスネコめ。このままではすまさないわ。あんな小娘猫の分際で、あたくしを押しのけて魔法猫の女王になって……小娘猫?」
なにかが引っかかった。
まるで小魚の小骨が歯の隙間に挟まったようだ。
そう、初めて見た時は若い小娘猫だったのだ、現在の魔法猫の女王は。
現れたのは前回の女王選びの儀式のときで――記憶がややあいまいだが、おそらくはいまから四百年くらい前だろう――生後一年に満たない、若い猫だった。
レディ・ドルリスは、まさにレディ・クラリッサが女王の試験に答えているときに、聖なる広場にやってきた。
「あの、女王選定官の九賢者猫をまんまとたぶらかし、自分を魔法猫の女王に選ばせたずる賢いメスネコが……!」
あたくしが異議を申し立てると、九賢者猫は鼻先で却下した。
だからあたくしは魔法猫の流儀にのっとり、正当で真剣な決闘を申し込んだのに、決闘場で向かい合った途端、カミナリに打たれたのだったわ。
そうしたら、あの愚か者ぞろいの九賢者猫どもときたら、『おお、あれこそ魔法猫の〈女王の鉄槌〉だ!』なんて言って、あのメスネコの小娘猫を、魔法猫の女王にまつり上げたのよ。
珍しくも無い白い毛並みの小娘猫なんて、もっとうんといたぶってやれば良かった……。ううん、真っ白じゃ無かったわね。少しオレンジ色が入っていたかしら?
「そうよ、もっとひどいめに合わせてやれば良かった……? あら? あたくしはさっきからなにを……」
レディ・クラリッサは、走りながら首をかしげた。
あたくしはさっきから白い小娘猫のことを考えていたと思うのだけど……変ね、イメージがブレるわ。
なぜかしら。あたくしはあの白い毛色のメスネコを、思う存分いたぶって良い気分だったような気がする……。
「変ね。正気が戻ってから、記憶がおかしいみたい」
レディ・クラリッサは、急いで記憶をたぐった。
そういえば、あたくしには子猫がいた。
あたくしはひとりで旅をしながら苦労してその子を育て……。
「ルビー」
ルビーのように真っ赤な目をした、白っぽい毛色の子猫。背中の白地にほんのり淡いオレンジ色が入った珍しい毛色の。子猫ながら整った顔立ちは、あの憎たらしい貴婦人気取りの魔法猫にそっくりで……。
でも、あの女王の側近気取りのメスネコは、魔法猫では抜きん出て強力な魔力の持ち主なのだ。
そして、その子のルビーは、あのメスネコよりも大きな魔力を持っている。
「そうよ、ルビーだわ。あの小娘猫の側近のメスネコが生んだ子だ。あれだけ強い魔力ある子猫なら、きっと次の女王に選ばれると思って、あたくしは、アレを、次の女王にするために、攫ってやったんだ!」
アッハハハハ!
レディ・クラリッサは、のどをのけぞらせて笑った。
「前にカミナリに打たれてからは狂気をさ迷っていたけれど、それでもあたくしはあの子を女王にすることは覚えていたわ。だって、あたくしには絶対に逆らえないように育てたんだもの!」
当代の魔法猫の女王が死ねば、九賢者猫が招集され、すぐに次の魔法猫の女王選びがおこなわれる。
そうしたら、今度こそ、女王の座はレディ・クラリッサの手の中に。
ルビーを次の女王とし、レディ・クラリッサはその偉大な母猫として。魔法猫の女王が持つ特権を、魔法猫の頂点に立つすべての支配力を、我がものとするのだ。
おもしろいこと。あのメスネコが、あの子を見つけた!
「さて、あのメスネコどもはどうするのかしらねえ~! あの子はすっかりあたくしのもの。最後にはあたくしの元へ戻ってくるしかない。絶対にあたくしには逆らえないのに。アーッハッハッハ、グニャ~オ~ッホッホッホッホ~~~~~!」
その日、白く寂しい通りから離れた街で、猫の、雄叫びなのか遠吠えなのかわからない謎の声が、灰色の空にこだました。




