その二十四:過去と現在の事件
「お~い、いまそこで、でっかいカミナリが落ちなかったか?」
サンルームの奥の母屋につづく猫ドアが開いて、体のあちこちにキズがある青い毛色の大きな猫がのっそり入ってきた。
ルビーは硬直した。
――きゃああ、あの怖い顔のおじさんだわ!
麗しき女王とは対極のごとき強面の猫。
なぜ挨拶すらせず女王の謁見室へ出入りしているのだろう。
「あら、あなた。ちょうどいいわ、見てきてくださいます?」
女王陛下は白いフワフワ尻尾を優雅に一振りした。気心の知れた相手らしい。
すぐにノワが「マドロス船長だよ。レディ・ドルリスの旦那さま!」と教えてくれなければ、ルビーは全身の毛を逆立てていたかも知れない。
あぶなかった。女王陛下の伴侶猫に対してそんな態度を取ったら、すごく失礼だったわ。
「おう、まかせろ」
マドロス船長はタッと走って猫ドアをするりと出て行き、あっというまに戻ってきた。
「地面に焦げ跡はあったが、誰もいないぞ」
「あら、逃げましたのね」
女王は何気なく言ったようだったが、ルビーの横でレディ・エルデリットが「まあ!」と驚いていた。その理由はマドロス船長と女王の会話ですぐわかった。
「さっきのあれは〈女王の鉄槌〉だろ? いったいどこの刺客猫だ?」
「わたくしに殺意を抱いていたようですわね。レディ・クラリッサというご婦人ですの」
「命知らずなやつもいたもんだ。直撃から逃げたヤツは初めてじゃないか」
「いえ、むかし、魔王猫が……。いえ、その話はまたあとでしましょう。なかなか魔法に長けた方なのはわかりましたわ。こちらも用心したほうが良さそうですわね」
あの巨大なカミナリの直撃を受けても倒れもせず、レディ・クラリッサは逃げおおせた。
いまごろは不運だったと嘆いているだろう。しかし、その不運も、ルビーがレディ・クラリッサの言いつけを守らなかったせいにされる。
いまごろは怒り狂ってルビーを探しているかもしれない。
ルビーはガタガタ震えだした。
「きっと母猫がわたくしを探しに来たのですわ。女王陛下、おかあさま、ごめんなさい!……」
どうしょうもない母猫だと思っていたが、魔法猫の女王陛下に殺意を抱いていたなんて。ルビーは泣きながら、地面にぺったり伏せてしまった。
「あらまあ! あなたが気にすることはないのですよ、ルビーさん。レディ・エルデリット。お願いしますわ」
「かしこまりまして」
レディ・エルデリットは優しくのどをゴロゴロ鳴らしながら、ルビーの顔の毛づくろいをはじめた。
「泣かないでいいのですよ。あなたは何も悪くないし、怖がることなど何も無いの。すぐに女王陛下が解決してくださるわ」
レディ・エルデリットのやさしい慰めに、ルビーはようやく涙を止めた。
マドロス船長は長い尻尾で左右に揺らし、床を何往復も掃いた。
「なかなかややこしい事態になっているなあ。そのお嬢さんはレディ・エルデリットが保護するとしても、これからどうするんだい?」
「まずは犯人の追跡ですわね。まだ二つの事件は何も解決していませんもの」
過去、そして現在。
およそ三年前、レディ・エルデリットが子猫のルビーを出産した直後に、ルビーは誘拐された。
いくら出産直後で疲れていたとはいえ、レディ・エルデリットは魔法猫の女王の側近を務めるほどの魔法猫。とくに子猫が生まれた家は、保護者の人間も産屋となった猫ベッドを注意して見守っているものだ。
それらすべてをあざむき、三時間おきに乳を与える母猫の傍から子猫を盗み出すのはたやすくはない。
いままた同じ犯人が魔法猫の女王に悪意を抱いてその縄張りへ踏み込み、殺意を発して〈女王の鉄槌〉に打たれた。
「ん? そいつは、最初から殺意があったわけじゃないのか」
「さきほど敷地内に入ってきてから、急に殺気立ったようですわね。クッションを引き裂いたときには何かを探していたので、わたくしへの直接の殺意は抱いていなかったのでしょう。そうでなければ敷地の端を踏んだ瞬間に打たれていますわ」
「なるほどなあ。そいつを探すんだな。いっそ船乗り猫の仲間にも招集をかけようか。ちょうど休暇中だ」
「そうですわね、お願いしますわ。探索目標の姿はカミナリの焦げ跡から魔法解析してくださいな。バイト料は特別手当を出しますし、発見が早ければ報奨金も出しましてよ」
「おう、まかせとけ」
マドロス船長はサッと身を翻し、ふたたび猫ドアをくぐり抜けていった。
レディ・ドルリスはきちんと前足を揃えてかしこまった。
「レディ・エルデリット、ルビーさん。少しよろしくて?」
レディ・エルデリットは軽く頭を下げた。
「なんでございましょう、陛下?」
「相手はどうやら一筋縄ではいかない能力の魔法猫。もう少しルビーさんからお話を聞かせていただきたいのですわ」
「それは本人次第かと。ルビーさん、だいじょうぶですか?」
「えと、……はい。あの……おかあさま……」
ルビーは消え入りそうな声で言った。もじもじしている。初めておかあさまと呼んだから気恥ずかしいのだろう。
「なあに?」
レディ・エルデリットは微笑み、うつむいているルビーの右耳のうしろを、優しく毛づくろいした。
「無理はしなくてよろしいのよ。少しお昼寝しましょうか。休めば落ち着くわ」
「あの、だいじょうぶです。わたくし、「お~い、いまそこで、でっかいカミナリが落ちなかったか?」
サンルームの奥の母屋につづく猫ドアが開いて、体のあちこちにキズがある青い毛色の大きな猫がのっそり入ってきた。
ルビーは硬直した。
――きゃああ、あの怖い顔のおじさんだわ! 麗しき女王とは対極のごとき強面猫だ。
なぜ挨拶すらせず女王の謁見室へ出入りしているのだろう。
「あら、あなた。ちょうどいいわ、見てきてくださいます?」
女王陛下は白いフワフワ尻尾を優雅に一振りした。気心の知れた相手らしい。
すぐにノワが「マドロス船長だよ。レディ・ドルリスの旦那さま!」と教えてくれなければ、ルビーは全身の毛を逆立てていたかも知れない。
あぶなかった。女王陛下の伴侶猫に対してそんな態度を取ったら、すごく失礼だったわ。
「おう、まかせろ」
マドロス船長はタッと走って猫ドアをするりと出て行き、あっというまに戻ってきた。
「地面に焦げ跡はあったが、誰もいないぞ」
「あら、逃げましたのね。なかなか頑丈な方だこと」
女王は何気なく言ったようだったが、ルビーの横でレディ・エルデリットが「まあ!」と驚いていた。その理由はマドロス船長と女王の会話ですぐわかった。
「さっきのあれは〈女王の鉄槌〉だろ? いったいどこの刺客猫だ?」
「わたくしに殺意を抱いていたようですわね。レディ・クラリッサというご婦人ですの」
「命知らずなやつもいたもんだ。直撃から逃げたヤツは初めてじゃないか」
「いえ、むかし、魔王猫が……。いえ、その話はまたあとでしましょう。なかなか魔法に長けた方なのはわかりましたわ。こちらも用心したほうが良さそうですわね」
あの巨大なカミナリの直撃を受けても倒れもせず、レディ・クラリッサは逃げおおせた。
いまごろは不運だったと嘆いているだろう。しかし、その不運も、ルビーがレディ・クラリッサの言いつけを守らなかったせいにされる。
きっといまごろは怒り狂ってルビーを探している。
ルビーはガタガタ震えだした。
「きっと母猫がわたくしを探しに来たのですわ。女王陛下、おかあさま、ごめんなさい!……」
どうしょうもない母猫だと思っていたが、魔法猫の女王陛下に殺意を抱いていたなんて。ルビーは泣きながら、地面にぺったり伏せてしまった。
「あらまあ! あなたが気にすることはないのですよ、ルビーさん。レディ・エルデリット。お願いしますわ」
「かしこまりまして」
レディ・エルデリットは優しくのどをゴロゴロ鳴らしながら、ルビーの顔の毛づくろいをはじめた。
「泣かないでいいのですよ。あなたは何も悪くないし、怖がることなど何も無いの。すぐに女王陛下が解決してくださるわ」
レディ・エルデリットのやさしい慰めに、ルビーはようやく涙を止めた。
マドロス船長は長い尻尾で左右に揺らし、床を何往復も掃いた。
「なかなかややこしい事態になっているなあ。そのお嬢さんはレディ・エルデリットが保護するとしても、これからどうするんだい?」
「まずは犯人の追跡ですわね。まだ二つの事件は何も解決していませんもの」
過去、そして現在。
およそ三年前、レディ・エルデリットが子猫のルビーを出産した直後に、ルビーは誘拐された。
いくら出産直後で疲れていたとはいえ、レディ・エルデリットは魔法猫の女王の側近を務めるほどの魔法猫。とくに子猫が生まれた家は、保護者の人間も産屋となった猫ベッドを注意して見守っているものだ。
それらすべてをあざむいてまで母猫の懐から子猫を盗み出すのは容易ではない。
いままた同じ犯人が魔法猫の女王に悪意を抱いてその縄張りへ踏み込み、殺意を発して〈女王の鉄槌〉に打たれた。
「ん? そいつは、最初から殺意があったわけじゃないのか」
「さきほど敷地内に入ってきてから、急に殺気立ったようですわね。クッションを引き裂いたときには何かを探していたので、わたくしへの直接の殺意は抱いていなかったのでしょう。そうでなければ敷地の端を踏んだ瞬間に打たれていますわ」
「なるほどなあ。そいつを探すんだな。いっそ船乗り猫の仲間にも招集をかけようか。ちょうど休暇中だ」
「そうですわね、お願いしますわ。探索目標の姿はカミナリの焦げ跡から魔法解析してくださいな。バイト料は特別手当を出しますし、発見が早ければ報奨金も出ましてよ」
「おう、まかせとけ」
マドロス船長はサッと身を翻し、ふたたび猫ドアをくぐり抜けていった。
レディ・ドルリスはきちんと前足を揃えてかしこまった。
「レディ・エルデリット、ルビーさん。少しよろしくて?」
レディ・エルデリットは軽く頭を下げた。
「なんでございましょう、陛下?」
「相手はどうやら一筋縄ではいかない能力の魔法猫。もう少しルビーさんからお話を聞かせていただきたいのですわ」
「それは本人次第かと。ルビーさん、だいじょうぶですか?」
「えと、……はい。あの……おかあさま……」
ルビーは消え入りそうな声で言った。もじもじしている。初めておかあさまと呼んだから気恥ずかしいのだろう。
「なあに?」
レディ・エルデリットは微笑み、うつむいているルビーの右耳のうしろを、優しく毛づくろいした。
「無理はしなくてよろしいのよ。少しお昼寝しましょうか。休めば落ち着くわ」
「あの、だいじょうぶです。わたくし、なんでもお答えします!」
ルビーはシャキッと背筋をのばした。それでレディ・クラリッサが見つかるならどんな協力も惜しまない。
「気分がすぐれないようなら、日を改めてもかまいませんことよ?」
女王陛下の気遣いはうれしいが、あのレディ・クラリッサが手負いで野放しにされていると思うと昼寝どころではない。
「どっちにしても、あのひとが捕まるまで眠れないんです。いまも怒り狂ってわたくしを探しているかもしれません」
だいじょうぶといいはったルビーであったが、話す内に目がとろんとして眠そうになった。
「やはり先にお昼寝が必要ね」
レディ・ドルリスの提案で、ルビーたちは邸のリビングルームへ移動した。




