↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【コミカライズ配信中】康太の異世界ごはん  作者: 6k7g/中野在太
第二部 中つ海編 第一章 時述べの巫女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
129/374

焦りと不安と涙と祈り

「ううむ、これはすごい」


 糞の煮出し汁(あたしはそれを絶対にお茶だとは認めない)を躊躇無くすすった紺屋さんは、むずかしい顔でうなった。


「ほうじ茶っぽいけど、この旨味はたいしたものだなあ。茶節みたいだ。いやはや、アミノ酸に舌を殴られてる感じするなあ」


 まじめな表情ですっとんきょうなことを言う辺りが、ミリシアさんと同じだった。


「イラクサが消化されてるからこその旨味だね。えらいぞ消化酵素。いやあ、やってみてよかった」


 うれしそうに二杯目を呑んでいる。


「なんだこれ! ぬるくなったら酸味が出てきた! わはははは!」


 三杯目までいって、爆笑している。

 ミリシアさんかどうかは知らないけれど、この人とキスをする人がかわいそうだ。


「呑んでごらんとは言わないから、安心して。あ、魚でも釣ろうか?」


 ひとりで爆笑したあと、紺屋さんはにっこりほほえんだ。


 その笑顔で、あたしの中のなにかが、だしぬけに決壊した。

 自分でも驚いて、最初、なにがなにやら分からなかった。

 でも分かってみれば当たり前のことだった。


 あたしはちゃんと伝えたかったんだ、紺屋さんに、はぐれた仲間がすぐ近くにいるよって。


 なのにこの異世界はいつもいつもいつもあたしの邪魔をして、なにかしようとする度に変なことが起きて、毎月毎月毎月洞窟に閉じこめられて、でもあたしはなにもできない、紺屋さんみたいにはできないし、ミリシアさんみたいにもできないし、ヤオジンやシェアンのようにもできない。


 あたしには、なにもできない。


 だからあたしはもう本当に何一つがまんできなかった。


「紺屋さん」

「うん」

「どうして?」

「ええとその、だからその、中国ではほら、蚕沙っていうのがあってさ」

「なんで……そんなに、ここが楽しいのよ?」


 あたしはきっと生まれてはじめて、だれかの言葉を遮って自分の言葉を叩きつけていた。


 紺屋さんが、虚をつかれたような表情を浮かべた。

 いつものあたしだったらそれだけで弱気になって立ち止まって、言葉もなく黙っていたんだろう。

 だけどあたしはもう本当に何一つがまんできなかった。


 縄文エルフのことも、この森のことも、どこかに流れていった血まみれの下着のことも、石鹸もスクラブもうさ耳も紺屋さんも幼虫も糞もシェアンも絆菜もヤオジンもなにもかもがまんできなかった。


「あたしは、あたしは……ねえ、異世界なんだよ? あたしたちは日本人なんだよ? なんでそんなになじめるの? あたしたちはできるはずでしょ! あたしたちなら、色んなもっとすごいことができて、みんなに尊敬されたり、誰かを助けたり、それは間違ってるよって教えてあげたりできるはずでしょ! ここが異世界であたしたちが日本人なら、それだけですごいことなのに!」


 紺屋さんの表情は困ったような笑顔で、同情されているんだって分かって、同情なんてされたくない、だってそんなの、あたしがみじめであることを他人に認められたみたいじゃないか。


「それなのになんで、あんなくだらない風習を大事にするのよ! おかしいわよそんなの、だって意味なんてないのにあたしはいつも閉じこめられて、ひとりぼっちで、誰も側にいてくれなくて言葉も分からなかったのに! あたしは、あたしは、髪も、肌も……! 髪も肌も汚いって言われて同情されて、でもあたしになにができたっていうのよ!」


 ぼろぼろの髪と吹き出物だらけの肌がみじめだったんじゃない、あたしだけがぼろぼろで吹き出物だらけで、異世界人に同情されて、だからみじめな気持ちになって、だけどそれは結局、あたしが異世界の人たちを本当は心の底で見下していたからだ。


「ばかみたいなこと言ってるのは分かってるわよ! あたしはいつもこうで、紺屋さんはなんでもできて、だからあたしにも優しいんでしょ! そういうのが一番嫌なの!」


 あたしが声を張り上げると紺屋さんがわずかに目を反らして、それが愉快で、腹立たしくて、悲しくて、あたしの頭はどんどんぐちゃぐちゃに煮えていく。


「同情しないでよ! 見下してるならはっきりそう言ってよ!」


 どうしてあたしは人生のどの瞬間も、こんなに無様なんだろう?

 振り上げた拳で自分を殴ることができなくて、だから手近な紺屋さんに殴りかかって、そんな風に敵意の落としどころを見つけて嬉々としている。

 このろくでもない異世界に来てから一番、あたしは嬉々としている。

 どこまで情けなさを重ね塗りすればあたしは止まれるんだろう?


「分かってるわよ、見下しているのはあたしだけなんだって! だからだれかに見下されてるみたいに思えることなんて分かってるわよ!」


 紺屋さんがあたしの話を黙って聞いていて、それが余計にあたしをいらいらさせた。

 反論してよってあたしは真剣に心から思っている。

 反論して、もっとあたしを怒らせてよって、あたしは思っている。


「ねえ、なにか言ってよ! あたしがこんなにくだらないことでばかみたいにわめいてるんだから、なにか言えばいいじゃない! くだらないとかばかげてるとか気の毒にとか!」


 あたしはもっと怒るための理由を探していて、『もっと怒るための理由がないから』なんて理由でさえますます怒る材料になって、それなのに心の一部がどんどん冷たくなっていく。


「なにか言ってよぉ……!」


 まるっきりばかだ、わめいて怒鳴って、それなのに紺屋さんにすがっている。

 出会ったばかりの素性も知らない人に、すがりついている。

 どうしてほしいのか、自分でも何一つ分からなかった。

 怒られたいのか慰められたいのか許してもらいたいのか、なにも分からなかった。

 あたしはとにかく決壊していて、溜まったなにかを全部吐き出すまで止まりそうになかった。


 気づけば視界がゆがんでいて、涙を流しているけれど、なんで泣いているのかさえ分からなかった。


「あたしには、あたしには……こんな力しかないのに!」


 ありとあらゆるみじめさが、ありとあらゆる情けなさが、そんな記憶が次々によみがえる。

 起きるのが、時間が進むのが怖くて、ずっと布団の中にいた記憶。

 動かなくちゃ遅れるって分かっているのに、今自分がどれぐらい遅れているのか確認するのが怖くて外に出られなくなって、だからもっと怖くなって、そんな繰り返しの記憶。


 午後が深くなって、世界が少し暗くなる瞬間の、うしろめたさ。

 学校帰りの子どもたちの、楽しそうな声が聞こえてきた瞬間の、うしろぐらさ。

 心臓から左足の付け根にかけて走る、痺れるような焦り。

 胸とおなかのあたりを暴れまわる、世界のありとあらゆるものに対する不安。

 布団の中に作り出した暗闇の中でこぼす涙と、自分の吐息のにおい。

 あたしは祈る、時間がたちまちのうちに過ぎ去ってくれることを。


 あたしは全部思い出す。

 あのときの焦りと不安と涙と祈りを。


 あたしは祈りの全てを込めて、右手を木に叩きつける。

 木の時間が早回しになって、たちまち乾いて枯れ落ち、きしむ音を立てて倒れる。


 時述べの巫女の力。

 死体を乾かすぐらいにしか使えない力。


 涙と過呼吸でくらくらしながら、あたしは尚も叫ぼうとして。


「鵆川さん」


 穏やかな声で、感情が凍った。

 怒鳴り散らした全ての無意味な言葉を撤回したくて、だけど全ては手遅れだった。

 あたしは一年分どころか、これまで生きてきた全ての怒りを見ず知らずの人間に無思慮に叩きつけていたのだ。


「結局のところ、僕の場合は、みたいな話しかできないけどね」


 紺屋さんは言葉を切って、あたしを見上げた。

 あたしの感情の半分は凍り付いて怯え、もう半分はまだ煮えたぎって怒っている。


「正直な話、僕の場合はただ単に運が良かったとしか言えないんだ」


 あたしはただちに絶句した。


「ごはんをつくってお酒を呑んでへらへらしているだけで、なぜか色んな歯車がかちかちかみ合っていったんだ。不思議なことにね」


 まったくのところ、こんな答えだけは予想していなくて、あたしは戸惑う。

 同情されるか叱られるかどちらかだと思っていたし、そのどちらだろうと、怒り狂ってわめき散らす準備があった。

 それなのに、この人は、ものごとを運で片付けようとしている。

 途方もなくいい加減なのか、それともなにか少しでも考えがあってしゃべっているのか、まるで分からなかった。


「なんかこの世界では魔法のことを魔述って呼んでるんだけどね、僕の場合は言語の双方向翻訳機能だったんだ。そういうのって、普通は標準搭載だと思わない? だって白茅さんもめちゃくちゃ困ってるでしょ?」

「え、ええと、うん」

「だよねえ。どうせなら手から火とか出したかったのに。そうすればこう、ほら、なんかすごい活躍とかできたと思うんだ。かっこいい魔述師になるとかさ」


 紺屋さんはしみじみと呟いた。


「まあでも、元々は居酒屋店主だったからね。細々とおいしいものぐらいはつくれたけど、僕にできるのは本当にその程度のことだったんだよ。誰かを救ったり導いたりなんてことはできない。救ったり導いたりした後の責任も取れないしね」

「えっ? ええと? あの」


 紺屋さんが、なんか早口になってきた。


「あのね鵆川さん、僕もぱっとしない文科系男子として、真剣にシミュレートしたことがあるんだ」

「う、うん。その、なにを?」

「もちろん、中世ヨーロッパみたいな異世界で、知恵を絞って誰かを救う方法についてだよ。

 たとえばさ、搾り取れるだけ搾り取ろうとする領主のせいで重税にあえいでいて、二年に一回のペースでごろつき同然の騎士団に略奪されて、しかもやせ細った農地からはキヌアぐらいしか収穫できない人がいたとするよ」

「え? キヌア? えっ?」

「キヌア知らない? アカザ科の植物でね、栄養たっぷりなんだけど荒れ地でも育つんだ。NASAが研究してるらしいよ」


 なんだろう。

 この人の話は、どこに向かうんだろう。

 なんでこんなところで、聞いたことのない食べ物に関する豆知識をねじこんで来ているんだろう。


「まあとにかくその人に、三圃式農業を今すぐ止めるようアドバイスして、肥料と種芋をプレゼントしたとする。ジャガイモと輪作のおかげで土地面積当たりの収穫量が跳ね上がりました、っていうのはゴールじゃないよね。

 当然、次には搾り取れるだけ搾り取ろうとする領主と対決しなくちゃならない。

 その次には、男爵領と封土の寄せ集めみたいな封建制の混沌から、ごろつき同然の騎士団やどんぶり勘定の税制度を蹴り出して、まともに機能する中央集権国家を作り上げなくちゃならない。

 そこまでして、ようやっと重税にあえぐ人は救われるんだ。

 どう? できそう?」


 あたしは紺屋さんの言うことを想像しようとして、でも、うまくいかない。

 少なくとも、あまりにも途方もない話だとは、理解できる。


 一呼吸置いて、あたしはようやく、紺屋さんの意図に気づく。

 まず驚かせて話を聞かせて考えさせて、あたしを落ち着かせることが目的だったんだ。


「できることは、すべきだと思うよ。もし自分がなにかの役に立つのだとすれば、それはもちろん。間違っていたのか正しかったのかはさておき、僕だって色んなことをしてきたからね」


 あたしは黙って、紺屋さんの言葉について考える。

 紺屋さんは待ってくれる。

 あたしが言葉を探すのを、口を挟まず、静かに待ってくれる。


「それじゃあ、あたしは……これからもずっとがまんすればいいの? 言葉も分からなくて、ひとりぼっちで、閉じ込められて……」

「とても難しい話だよね。森のエルフたちは、鵆川さんにも火にもよかれと思ってやっているんだから」


 いつもよりも一段低い、どうしてだか、聞いているだけで落ち着く声だった。


「でも、あたしは……辛かったわ」


 だからあたしは、ようやく、本当のことを、口にできた。


「そうだね。鵆川さんは、とても辛かった。なにも分からなくて、怖くて、ひとりぼっちだった」

「さみしかったわ。かなしかったわ」

「だれもいない場所で、ひとりきりだったんだもんね」

「なにもできなかったわ」

「どうしたら良いのか分からなかったんだね。誰になにをどう聞いたら納得できる答えが返ってくるのか、それも分からないまま、ここで暮らしてきたんだもの」


 紺屋さんは、エルフもあたしも、庇わない。


 あたしだって分かっていたんだよ、事情や理屈があるなんてことは知っていたんだ。

 だけどあたしは、エルフたちに聞こうともしなかった。

 なんでこんなことをするのかなんて一言だって口にしなかった。

 理由を知って、納得してしまえば、あたしはもうこの世界を憎むことができなくなるから。

 あたしにとってはその憎しみだけが支えで、あたしとエルフを分けるものだった。

 血まみれのすり切れかけた下着を、いつまで経っても捨てられなかったのと一緒で。

 理解しないことで、あたしは、自分を守っていたんだ。

 日本人であるっていう自分を。


 紺屋さんはきっと、そういうあたしの醜さを分かっている。

 それなのに、ただ、辛かったんだねって言ってくれた。

 エルフもあたしも、庇わずに。


「僕も自分のことが大嫌いだったよ。世界で一番気が利かなくて、無価値な人間だと思ってた」


 あたしはうなずいて、紺屋さんの言葉を待った。


「それにね、嫌いな自分を変えたくないっていう気持ちも、少しだけ分かるんだ。努力したり苦労したりするよりは、自分を惨めな状態のままで置いておいた方が、楽なこともあるからさ。

 だから、僕の場合はっていう言い方しかできないし、『がんばれ』とか『ちゃんと話したらどう?』とか『努力しろ』とか、おとなみたいなことは言えないんだ」


 紺屋さんの言葉は、熱があるときに呑む寝起きの冷たい水みたいで、あたしの中にすんなりと入ってきて心を冷やしてくれた。

 だれもこんな風には言ってくれなかった。

 だれの言葉もこれまで聞こうとはしなかった。

 あたしは自分を責め続けていて、そのくせ説教には苛立っていたし、慰めにも背を向けていた。


「ところでさ、鵆川さん。言いづらいことだったら言わなくていいんだけど、鵆川さんの魔述って、もしかして時間を早回しにしたりするやつ?」

「う、うん。そうだけど」

「すごい、グレイトフルデッドだ」

「え、スタンドの?」

「うん、スタンドの。プロシュート兄貴の」

「え、急にジョジョ?」

「うん、急にジョジョ。僕は四部がいちばん好きなんだけどさ、五部もいいよねえ」

「あたしも、四部が好き」

「ほんと? もしかして僕たち、気が合うんじゃない?」


 紺屋さんの声がやさしくて穏やかで、あたしはなんだか、泣いている。

 いったいこの人の前で何回泣いているんだろうなんて、あたしはちょっとだけ、泣きながら笑う。


 だってあたしは毎日毎時間毎秒ずうっと張りつめていて、ちょっと触れられただけでぶつんと切れてしまいそうだったんだ。

 あたしの生きている世界を形づくっていたものが何の脈絡もなく無意味にこわれて、追いつめられて、誰の優しさも受け入れられなくて誰の慰めも聞きたくなくて、でも紺屋さんは、あたしの気持ちを分かってくれたんだ。

 分かってくれるだけで、慰めたり怒ったり変えようとしたりせず、ただあたしの話にうなずいてくれたんだ。

 あたしの人生に、相槌を打ってくれたんだ。


「ほしいスタンド能力は? って聞かれたら、もちろん職業柄パールジャムに決まってるんだけど、実はグレイトフルデッドも便利かもなって思ったことがあるんだ」


 あたしが泣きやむのを待って、紺屋さんはジョジョに関する話を掘り下げはじめた。


「なによそれ。だれか殺したい相手でもいるの?」

「いないわけじゃないけど、実は試してみたいことがあってさ。嫌なら嫌でいいんだけど、鵆川さんの力、ちょっと貸してくれない?」


 紺屋さんがまた、カブトムシを見つけた時の顔をする。

 それも、夢の中にしか出てこないような、ものすごくかっこいいやつ。


 あたしの力がどんな風に使われてきたか、その度にあたしがどんな気持ちでいたか、紺屋さんは知らない。

 知っていてこんなことを言うほど、図々しい人じゃないだろう。


 どうしたいのか、あたしはよく分からない。

 だけどあたしは、自分で選べる気がした。


 ふてくされて拒絶するのでも、おびえて同意するのでもなく。

 自分の気持ちで、ちゃんと選べる気がした。


「それで? 何がしたいのよ」

「醤油づくり」


 紺屋さんはへらへらしながら、異世界に来た日本人全員の心を掴むだろう一言を口にした。

 選べるわけじゃないでしょ、そんなの。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。