ふたりぼっちのリンガ・フランカ
2/11更新 2/2
夜明け前に絆菜は目を覚ました。
友里音の腕の中から抜け出すと、目をこすりながら外に出る。
遠くの空に夜明けの兆しがあって、空気はまだ冷たい。
絆菜はあたりを見回して、だれもいないことをたしかめた。
来鉄や友里音に見つかるとめんどうなことになるのを、絆菜はもう十分すぎるほど学んでいた。
息を殺しそっと歩いて、集落を横切る。
森の中に入ると、がまんできなくて、駆け出す。
エルフの森には、たったひとりの友達がいる。
絆菜が目を覚ましたころ、シェアンはとっくに起きていて、夜闇の中、父とともに手仕事をしている。
ヤオジンは石のナイフを操って、よく乾かしたイラクサの茎から表皮をはぎ取っている。
表皮をはいだ茎を細かく裂いて、糸を取り出すのが、シェアンの仕事だった。
深山の一統のエルフであれば、言葉よりも先にイラクサの扱い方をおぼえるものだ。
若い葉は食べ物となり、死んだ後は服になる。
しかも育てるのに手間が要らず、土地を少しばかり焼いて二年もすれば、畑のほぼ全域に生い茂った。
体の中に糸をたくわえる虫も、イラクサの葉を好んだ。
虫から取り出した糸は透明で強靱だったから、魚を採る網に使える。
夜明け前だが、広場にはもうエルフたちが集まっていた。
夜霧がゆったりと流れる中で、火をおこしたり、横たわってしゃべったり、ふたりの手伝いを買って出たりしている。
「客人に、温泉に入ってもらうわけだからなァ。あかすりってのは、とびきりざらざらしてなくちゃァいけねえんだぞ」
ヤオジンの言葉にうなずいて、シェアンは、得られた糸を両手でこすり合わせた。
糸をより合わせるにも、深山の一統は紡錘車を持たない。
布一枚を作り上げるのにも、気が遠くなるほどの時間がかかる。
やがて森の中に朝日が差し込み、空気があたたかくなった。
朝ごはんにヒエ粥を食べるなり、シェアンは広場からそっと抜け出した。
迷わずに、いつもの場所へと向かう。
そこはシェアンと絆菜が少し前に見つけた、とびきりの日だまりだった。
古くて大きくてごつごつした木が、泥だまりの中に横たわっている。
泥だまりと大きな木は、ふたりの少女にとっていっとうお気に入りの宝物だ。
絆菜は先についていて、横たわった木にこしかけ、朝の空に月を探していた。
絆菜に気づいて、シェアンが口を開く。
「わたしはここにいるよ」
シェアンに気づいて、絆菜が口を開く。
「きみがそこにいてよかった」
少女たちは、あまり多くの言葉をかわさなかった。
おたがいにとって、おたがいの言葉はまったく別のものだったから。
春のよく晴れた日、こもれびを浴びた泥のあたたかさを素足で感じたり。
夏の雨のあと、茶色くにごった川の表面に浮かんでは消えるあぶくを眺めたり。
そういうことをふたりでするのに、言葉はとくに必要なかった。
そして秋にも冬にも、きっと、言葉は必要なかった。
どうしても要りようなときだけ、シェアンと絆菜は、わずかな言葉をかわした。
おたがいの言葉が少しずつ入り混じった、不器用な、ふたりぼっちの共通言語で。
少女たちは、わずかな言葉をかわした。
「わたしはここにいるよ」
「きみがそこにいてよかった」
少女たちにとっては、それだけでよかった。
泥まみれになるまで遊んだあと、絆菜とシェアンは、それぞれの場所に戻る。
おなかにものを入れたら、また、お気に入りの日だまりで落ち合う。
今日はうれしいことがたくさんあった。
よく知らない人に、おいしい魚を分けてもらったのだ。
だからシェアンと絆菜は、よく知らない人に宝物を見せてあげた。
よく知らない人はよろこんでくれて、ふたりの少女は満足した。
そういう思いを分かち合うのにも、言葉は必要なかった。
よく知らない人が立ち去った後も、ふたりは手をつないであちこちを歩き回った。
大きな石に生えているこけをむしってまわった。
川の流れが岩のところで逆巻いているのを眺めた。
木漏れ日が太陽の動きにあわせてゆっくり進む動きを止めようと、手でさえぎったり足でふみつけたりした。
鳥を追いかけ回しているうちに日が暮れて、ふたりはまた、自分たちの居場所に戻る。
ヒトの場所に、エルフの場所に。




