ひとりぼっちの陽だまり
2/11更新 1/2
「ムニエルもいいけど、やっぱり渓流釣りっていったらこれだよね」
紺屋さんは更に三尾のイワナを釣り上げ、今度は塩を振って串に刺し、たき火で焼いていた。
「これならしっかり塩分も摂れるし。鵆川さん、ここってお塩はどうしてるの?」
「塩……?」
「うん。ヒエのはったいに混ざってたのって、たぶんヌルデだと思うんだ」
「ヌルデ……?」
またも、何もかも分からない。
「しょっぱくて酸っぱい草のこと。でもヌルデから得られるのはカリウムだからさ。どこかで絶対にナトリウムを……つまり、ごく普通の食塩を手に入れてるはずなんだ」
それが、なにか重要なことなのだろうか。
いくら縄文時代とはいえ、エルフたちも塩ぐらいは当たり前に持っている。
「外部と交流があるのか、近くに岩塩層でもあるのか……」
紺屋さんは真剣な表情をしたけれど、あたしにはいまいち、塩の大事さが分からない。
「塩だったら、あの、温泉があるわよ」
「温泉?」
「うん。その温泉が、しょっぱいから」
「……なんてこった! 内陸製塩か!」
紺屋さんがまた、カブトムシを見つけた時の顔になった。
「すごいなあ。それは思いつかなかった。そっか、内陸製塩……うん、やっぱりこのあたりのエルフたちは、過越の道を歩いてきたんだな。やってることがタフすぎるもんなあ」
ひとりの世界に突入してしまった。
しかも、ここの縄文エルフのことを知っているみたいな言い方だった。
あたしは戸惑って、知りたくて、でも、なにをどんな風に聞いていいのか、分からない。
だからだまって、イワナが焼けていくのを、見つめている。
「あれ、さっきの子だ。シェアンだっけ?」
ふと紺屋さんが顔を上げて、あたしもそっちに視線を向ける。
シェアンが、あたしたちを遠巻きに見ていた。
「お友達もいっしょみたいだね」
シェアンの隣には、いつもいっしょに遊んでいる小さな子がいる。
エルフではなくて、ヒトの、小さな女の子だ。
髪も肌色も骨格もちがうのに、なぜだかシェアンとそっくりに見える女の子。
シェアンと同じように無口で、その子の声を、あたしはほとんど聞いたことがない。
「絆菜……だったっけ」
シェアンと絆菜は、相当遊び回ったあとなのか、泥だらけだ。
「絆菜ちゃん、だね。魚を焼いているんだけど、シェアンと絆菜も食べていく?」
紺屋さんが、シェアンと絆菜に声をかけた。
ふたりは手をつなぎ、そっくりの無表情であたしたちに近づいてきた。
「火」
シェアンが短く言って、あたしを見た。
「なによ」
あたしはシェアンをにらんだ。
「火」
シェアンは繰り返した。
頭の悪い人間に根気強く接するような態度で、あたしは、苛立つ。
「だから、なんなのよ」
「だめ」
シェアンが、あたしとかまどの間に割って入る。
あたしを火から遠ざけようとでもするみたいに。
隔離小屋を、エルフたちは、『大事なもの』と『火から遠ざける』という、二つの単語を組み合わせた感じの言葉で呼んでいる。
たぶん、なんの意味もない風習みたいなものに基づいて、あたしは生理が来るたび洞窟に隔離される。
伝染病の患者みたいに押し込められて、しょっぱくてすっぱい粉だけを与えられて、最低の手仕事を押しつけられる。
「なんでダメなの? 説明してよ」
あたしはこの一年で十分すぎるほど蓄積した怒りを込めて、シェアンを睨んだ。
シェアンは無表情で、返事すらしない。
あたしに睨まれても、なにも怖くないとでも言いたいのか。
それがまた、あたしを苛立たせる。
「あちゃあ、しまったなあ。行き届かなかった」
危うい沈黙を、紺屋さんの声が台無しにした。
「そっか、そういうことか。はったいには火が通ってるから、いいかなーと思ってたんだ。シェアン、ごめんね」
シェアンが振り返って、かまどごしに紺屋さんを見た。
「月のさわりが来た女性は、火に近づいたらいけないんだね、シェアン」
シェアンがうなずく。
あたしはびっくりして、なにかの感情さえ、まだ心に浮かび上がってこない。
どうして紺屋さんが謝っているんだろう?
「そうすると、火によくないって、おとなの人たちが言っているんだ」
シェアンが首を横に振った。
紺屋さんはまゆをひそめた。
「うーん? もしかして、逆かな? 火に近づけると、女の人によくないってこと? 違う……じゃあ、火にも女の人にもよくないんだ」
シェアンがうなずき、紺屋さんが微笑む。
あたしは、まだ、信じられない。
「だから、鵆川さんを火から遠ざけてあげているんだね。ありがとう、シェアン。でもそこすごく熱くない?」
「へいき」
「それなら、もう少しだけそうしていてもらえるかな。そろそろ、このおいしい魚が焼き上がるところなんだよ」
串に刺さった魚を、シェアンはじっと見た。
手をつないだままの絆菜が、シェアンとそっくりの仕草で、首をかたむける。
「鵆川さんを守ってくれたら、いちばん大きい魚をあげようじゃないか」
シェアンと絆菜は顔を見合わせ、手をつないだまま、ふたり同時にぴょんぴょん跳ねた。
そして、あたしと火の間に立つと、そこから一切動こうとしなかった。
あたしはまだ、どんな風に思えばいいのか分からない。
「……!」
「……!!」
焼き上がったイワナをひとくちかじって、シェアンと絆菜が、目をまるくする。
「おいしいでしょ。なにしろイワナっていうのは、渓流の女王だからね」
紺屋さんも、イワナの盛り上がった背中にかぶりつくと、目を細めてうなった。
「ううん……これだなあ。この、煙っぽい味の皮に、水気の抜けた身……これだよなあ」
あたしも紺屋さんのまねをして、イワナの背中に歯を立てた。
「……おいし」
前歯の間で皮がぷつっと切れて、白身のぷりぷりした歯ごたえがあって、噛むたび、川の香りと塩と身の味。
あっという間に一尾まるごとなくなって、おなかいっぱいなのに、口の中がずっとおいしくて、まだ食べたいぐらいの気持ちだった。
「はー、楽しかった。釣って焼いて食べて、最高だなあ」
おなかをさすりながら、紺屋さんの笑顔は子どもみたい。
なんの悩みもなさそうに、のんびりと空を見上げている。
聞きたいことはいくつもあって、そのなにもかも、いつもみたいにどうやって言葉にすればいいのか分からない。
どうしてお箸や釣り針を作ったり火をおこしたりできるのか、とか。
どうして縄文エルフの風習に従おうとしたのか、とか。
どうしてこんな世界で、そんなに楽しくしていられるのか、とか。
聞いたところできっとあたしにできるのはうんとかへえみたいなうなずきだけで、きっと紺屋さんはあたしのことを気が利かないって思うだろう。
それが怖くて、だから、あたしはだまっている。
昔からそうで、いつだって人に話しかけられなかったし、会話を追って、ちょうどいい相づちを打ったりうまく話をつなげたりするのが苦手だった。
ふと思いついた気の利いたことを口にする前に、もう話題は移っている。
あたしはそういうことをその日の夜まで死ぬほど後悔しつづけて、もしあのとき、思いついた気の利いたことを言えていたら、なんて、意味のないことをよく想像した。
「ん? どうしたの?」
シェアンと絆菜が、紺屋さんの腕をつかんで、二人がかりで立ち上がらせようとした。
「おれい」
シェアンか絆菜のどちらかが言った。
「お礼? いいよ別にそんなの。釣りたくて食べたかっただけだからさ」
「おれい」
シェアンか絆菜のどちらかは、紺屋さんの腕を力まかせにひっぱりながら、辛抱強く繰り返した。
「分かったよ、シェアン、絆菜。ありがとう」
立ち上がった紺屋さんが、あたしにほほえみかける。
「なんだか分からないけど、お礼だってさ。鵆川さんも行こうよ」
「あ、う、うん」
立ち上がって、紺屋さんの後についていく。
シェアンと絆菜は、あたしたちを森に連れて行った。
朝に出ていた霧はすっかり晴れて、木漏れ日がさす、単なる午後の森の中だった。
湿って寒くて薄暗くて虫だらけでどこもかしこもいつもぬかるんでいる、縄文エルフの森の中だった。
シェアンと絆菜が、それぞれの履き物を脱ぎ捨てて、泥の中に足を踏み入れた。
ひとしきり足で泥をばちゃばちゃ踏んだあと、あたしたちを見た。
「ええと?」
紺屋さんが首をかしげる。
「おれい」
「お礼かあ」
さすがの紺屋さんも、答えに窮している。
シェアンと絆菜は、ふたたび泥をばちゃばちゃ踏んだ。
「おひさま」
「どろ」
シェアンか絆菜の言葉に、絆菜かシェアンが、付け足す。
紺屋さんはしばらく腕を組んで考えたあと、
「よし、僕もやってみようかな」
ごついスニーカーを脱ぎ捨て、素足で泥だまりに踏み込んだ。
シェアンと絆菜は、紺屋さんの両足にそれぞれ抱きついて、うれしそうにぴょんぴょん跳ねた。
「なるほど、分かったよ。おひさまに当たった泥があったかくて気持ちいいんだね」
「うん」
シェアンと絆菜の声が、ぴったりそろう。
「ありがとう、ふたりとも。実はそろそろ靴用のカイロでもほしい季節になっていたんだ」
まとわりつくシェアンと絆菜の頭を撫でてやり、紺屋さんも、泥をばちゃばちゃと踏む。
にこにこして、本当に、心から、楽しそうに。
あたしは木がつくる陰気な日かげの中にいて、空気は冷たいし湿っぽいし、クロックスに入り込んだ泥が体温でぬるくなっているのが、すごく気持ち悪い。
あたしはようやく、どんな風に思えばいいのか、分かる。
あたしはまた、ひとりぼっちの気分だった。
「シェアン」
シェアンがあたしを見る目は、とてもきれいな木の葉色だ。
異世界のエルフの瞳だ。
「そろそろ生理終わるから。温泉入るってヤオジンに言っといて」
あたしはきっぱりと告げた。
想像以上に完璧な、冷たい声で。
あたしは泥遊びの三人を置いて、洞窟に戻る。
ひとりぼっちの、あたしの居場所に。




