第83話 夏が来た
夏の暑さは、まだまだ続いていた。
朝から照りつける太陽に、街の石畳はすっかり熱を持っている。
こんな日は、外に出る気なんて起きない。
「…………あつい」
私はForest亭のカウンターに座り、冷たいリモネ水をちびちび飲んでいた。
最近、これがすっかりお気に入りだ。
ママが暑い間だけ、希望するお客さんに無料で出すようになってから、リモネ水はなかなか好評だった。
「ルマ、またそこにいるの?」
「うん」
「今日はお友達と遊ばないの?」
「暑いからやだ」
「ふふ、そう」
ママは笑いながら厨房へ戻っていった。
隣ではリトが紙に何かを描いている。
しゃっ、しゃっ。
ぐるぐる。
最近のリトは、本当にお絵描きが好きだ。
「リト、暑くない?」
「あつい!」
「だよねぇ」
「おみず!」
「はいはい」
私はリトのコップに水を入れてあげた。
ごくごく。
「ぷはー!」
「おいしい?」
「うん!」
うむ。
今日も平和である。
……と思っていたら。
カラン!
「ただいまー!」
突然、元気な声が響いた。
「お?」
顔を上げる。
入口に立っていたのは、見覚えのある三人組だった。
「イト!」
「おう、ルマ! 久しぶりだな!」
「サミエル! シオーネ!」
「元気にしてた?」
「元気ー!」
久しぶりの冒険者三人組だ。
イト、サミエル、シオーネ。
以前からForest亭を利用してくれている冒険者たちで、最近は遠方の依頼に出かけていた。
「おかえりー!」
私が手を振ると、イトが笑った。
「ははっ、すっかり帰ってきた気分だな」
「ここに帰ってくると落ち着くのよね」
サミエルも笑う。
シオーネは荷物を下ろしながら、小さく息をついた。
「……まずは飯だな」
「賛成!」
「おなかすいた?」
「そりゃもう!」
イトが大げさにお腹を押さえる。
「何日もまともな飯を食ってない気分だ!」
「昨日も食べてたでしょ」
「そういう意味じゃねえよ!」
三人のやり取りに、思わず笑ってしまった。
相変わらず仲がいい。
◇
「まあ! おかえりなさい!」
ママも三人に気づいて、嬉しそうに迎えた。
「ずいぶん長い依頼だったわね」
「ああ。今回はかなり遠くまで行ってきたからな」
「お疲れさま。まずは食事にする?」
「ぜひ!」
三人はいつもの席に腰を下ろした。
「今日は何がある?」
「お肉の煮込みと、焼きたてのパンがあるわよ」
「それだ!」
「俺も」
「私もお願い!」
注文が決まるのが早い。
よほどお腹が空いているらしい。
私は自分のコップを持って、三人のテーブルへ移動した。
「ねえねえ、どこ行ってたの?」
「ん? ずいぶん遠いところだぞ」
「どれくらい?」
「馬車を使っても何日もかかるくらいだな」
「おおー!」
遠い。
かなり遠い。
「森を越えて、山道を抜けて、その先の街まで行ってきたんだ」
「何しに?」
「護衛の依頼よ」
サミエルが答えた。
「商人さんたちの荷物を運ぶのについていったの」
「へえー!」
「途中で魔物も出たしな」
「まもの!」
「そうそう。荷物を狙ってくる小さいやつがいてな」
イトが身振り手振りを交えて話し始めた。
「夜中に物音がすると思ったら、荷車の上に三匹も乗ってやがったんだ」
「ええ!」
「しかも、よりによってサミエルの荷物を持っていこうとしてな」
「ちょっと! あれは私のせいじゃないでしょ!」
「お前が食べ物を入れっぱなしにしてたからだろ」
「ちゃんと包んでたわよ!」
「匂いが漏れてたんじゃないか?」
シオーネがぼそっと言う。
「もう!」
私は思わず笑った。
「それで? どうなったの?」
「もちろん追い払ったさ」
イトが胸を張る。
「ただ、一匹がサミエルの靴を持って逃げようとしてな」
「くつ!?」
「そうなのよ!」
サミエルが顔を覆った。
「朝起きたら片方なくなってて、本当にびっくりしたんだから!」
「ははは!」
「笑い事じゃないわよ!」
……冒険者って大変だなぁ。
魔物と戦うだけじゃなく、靴まで守らなきゃいけないらしい。
私は絶対にやりたくない。
◇
しばらくして、料理が運ばれてきた。
「お待たせしました」
「待ってました!」
イトが嬉しそうに手を合わせる。
三人は勢いよく食べ始めた。
「うまっ!」
「やっぱりForest亭のご飯は最高ね」
「……落ち着くな」
シオーネまで満足そうだ。
うんうん。
うちのご飯はおいしいのだ。
「そういえば」
イトがパンをちぎりながら言った。
「今回、あんまり肉を持って帰れなかったんだよな」
「お肉?」
「ああ。向こうで何匹か仕留めたんだけど、さすがに遠すぎてな」
「傷んじゃうもんね」
「そういうことだ」
今回の依頼では、道中で仕留めた魔物の肉のほとんどを現地で売ってきたらしい。
持って帰るには時間がかかりすぎる。
特に今は夏だ。
暑い中、何日も生肉を運ぶなんて無理がある。
「だから今回は、帰り道のこの街に近いところで仕留めたやつだけ持ってきた」
「おお!」
「あとでヤトさんに見てもらおうと思ってな」
「パパ喜ぶよ!」
「そうだといいな」
私は頷いた。
魔物の肉はForest亭でもよく使う。
冒険者たちが持ち込んでくれるおかげで、珍しい肉を料理に使えることもある。
(でも、遠くのお肉は持って帰れないんだよねぇ)
前世なら冷蔵車や冷凍保存があるけれど、この世界ではそう簡単にはいかない。
(便利な冷凍庫でもあればいいのになぁ)
まあ、ないものは仕方ない。
それに、今の私は冒険者でも商人でもない。
お肉の輸送について考えるより、おいしいご飯を食べる方が大事だ。
◇
食事が一段落したころ。
「あ、そうだ!」
サミエルが突然声を上げた。
「ルマにお土産があるの!」
「おみやげ!?」
私は思わず身を乗り出した。
「なになに!?」
「ふふ、ちょっと待ってね」
サミエルが荷物をごそごそ探り始める。
出てきたのは、黄色っぽい皮をした丸みのある果物だった。
「じゃーん!」
「……なにこれ?」
「向こうの街で売ってた果物よ」
「くだもの!」
「珍しいだろ?」
イトが笑う。
確かに、見たことがない。
いや。
なんとなく、見覚えがあるような……。
「向こうはこっちより暖かい土地でね。こういう果物がよく採れるんですって」
「へえー!」
「すごく甘いのよ」
「ほんと!?」
「食べてみる?」
「たべる!」
即答だった。
「ママー! これ切ってー!」
「はいはい。何をもらったの?」
ママがやって来て、果物を受け取った。
「まあ、珍しいわね」
「向こうの街で買ったんです」
「ありがとう。じゃあ、みんなでいただきましょうか」
ママが厨房へ持っていき、しばらくして切り分けた果物をお皿に乗せて戻ってきた。
鮮やかな橙色の果肉。
ふわっと漂う甘い香り。
(……あれ?)
私は一切れ手に取った。
ぱく。
「…………」
もぐもぐ。
「…………!!」
これは。
これはまさか。
(マンゴーだ!!)
いや、正確にはマンゴーじゃないのかもしれない。
でも、味がそっくりだ。
濃厚な甘さ。
とろっとした果肉。
口いっぱいに広がる南国っぽい香り。
(うまぁぁぁ!!)
思わず目を輝かせる。
「どう? おいしい?」
サミエルが笑いながら聞いてきた。
「おいしい!!」
「よかった!」
「これ、なんていうの!?」
「マングラっていう果物よ」
「マングラ!」
覚えた。
絶対に覚えた。
「こっちじゃあまり見かけないだろ?」
イトが言う。
「うん!」
「向こうじゃ普通に売ってるんだけどな」
「いいなぁ……」
こんなおいしい果物が普通に売っているなんて。
うらやましい。
私はもう一切れ食べた。
ぱく。
(うまぁ……)
幸せである。
◇
「ねえねえ、リトも食べる?」
私は隣でお絵描きをしていたリトに声をかけた。
「たべる!」
ママが小さく切り分けてくれた果物を、リトがぱくっと食べる。
「……あまい!」
「でしょ!」
「おいち!」
「おいしいねぇ!」
二人でもぐもぐ。
なんて幸せな時間だろう。
すると、サミエルが笑った。
「本当に仲がいいわねぇ」
「そう?」
「ええ。見てるだけで癒やされるわ」
リトは何を言われているのかわからないらしく、にこにこしている。
かわいい。
私はリトの頭を撫でた。
それから、もう一度マングラを口に運ぶ。
(……これさぁ)
(絶対、冷たくしたらおいしいよね)
濃厚な甘さの果物。
果肉も柔らかい。
前世なら、そのまま凍らせてシャーベットにしてもいいし、ジェラートにしてもおいしいはずだ。
かき氷に乗せるのもいい。
(あー、マンゴーのジェラート食べたい……)
暑い夏。
冷たいジェラート。
想像しただけで幸せだ。
「……凍らせられたらなぁ」
思わず呟いた。
「ん?」
隣のリトが顔を上げる。
「つめたい?」
「うん。これ、冷たくしたらもっとおいしいと思うんだよね」
「もっと?」
「そう! カチカチに凍らせて、しゃりしゃりにしたり」
私は手を動かしながら説明する。
「あと、ぐるぐる混ぜて、ふわふわの冷たいおやつにしたり!」
「ぐるぐる?」
「うん!」
リトは少し考えてから、手元の果物を見た。
「……ひえひえ?」
「そう! ひえひえ!」
「ふーん」
それだけ言うと、リトはまたマングラを食べ始めた。
私も食べる。
(あー、おいしい)
(冷凍庫があったら最高なのになぁ)
でも、今はそんな便利なものがない。
そもそも、私は魔道具を作れるわけでもない。
(まあ、いっか)
今は普通に食べても十分おいしい。
私は最後の一切れを口に放り込んだ。
うまぁ。
◇
そのあとも、三人の冒険者たちは遠征先の話をたくさん聞かせてくれた。
山の向こうにある大きな街。
見たことのない魔物。
珍しい食べ物。
道中で出会った商人たち。
私が知らない世界の話ばかりだった。
「ルマも大きくなったら冒険者になるか?」
イトが冗談めかして聞いてきた。
「ならない!」
即答した。
「早いな!」
「だって危ないもん!」
「まあ、そりゃそうだが」
「それに、いっぱい歩くんでしょ?」
「ああ」
「暑い日も?」
「もちろん」
「雨の日も?」
「依頼によるけどな」
「……やだ」
三人が笑い出した。
「ルマらしいわねぇ」
サミエルが肩を揺らす。
「じゃあ、何になりたいんだ?」
「んー……」
私は少し考えた。
何になりたいか。
そんなの、決まっている。
「のんびりする人!」
「なんだそりゃ!」
イトが大笑いした。
でも、私は本気だ。
前世では、毎日忙しく働いていた。
夜勤もあったし、急な呼び出しもあったし、休憩できない日だってあった。
だからこそ。
今度の人生は、のんびり暮らしたい。
おいしいご飯を食べて。
家族と過ごして。
友達と遊んで。
たまに面白いものを作って。
それくらいが、ちょうどいい。
「でもね」
私は三人を見た。
「お話はいっぱい聞きたい!」
「お?」
「いろんなところのお話!」
冒険に行くのは嫌だけど、冒険の話を聞くのは好きだ。
「だから、また帰ってきたら教えてね!」
イトがにやっと笑った。
「任せとけ!」
「今度はもっと面白い話を持ってくるわね」
「……土産もな」
シオーネがぽつりと言った。
「やったー!」
私は両手を上げた。
やっぱり、冒険者の知り合いがいるのはいい。
自分は安全な場所にいながら、知らない世界の話を聞けるのだから。
最高である。
◇
夕方。
三人が部屋へ戻り、Forest亭はまた少し静かになった。
私はカウンターに座り、満足げにお腹を撫でた。
「……おいしかったなぁ」
マングラ。
また食べたい。
できれば今度は、もっとたくさん。
「ルマ」
「ん?」
隣からリトが呼んだ。
「ひえひえ」
「え?」
「まんぐら、ひえひえ」
「ああ、さっきの?」
「うん!」
「冷たくしたらおいしいだろうねぇ」
「うん!」
リトはそれだけ言うと、また紙に向かった。
しゃっ、しゃっ。
ぐるぐる。
私はその様子を眺めながら、リモネ水を一口飲んだ。
(ほんと、お絵描き好きだなぁ)
何を描いているのかは、相変わらずよくわからない。
でも、本人が楽しそうだからいい。
「リト、何描いてるの?」
「んー」
少し考えて。
「まだ!」
「そっかぁ」
まだ、らしい。
何がまだなのかは知らないけれど。
まあ、いいか。
私はカウンターに頬をつけた。
ひんやりしていて、気持ちいい。
遠い土地の話を聞いて、珍しい果物を食べて。
今日もなかなか楽しい一日だった。
冒険者たちは、またいつか遠くへ旅立つのだろう。
でも、私はここにいる。
Forest亭で、おいしいご飯を食べながら帰りを待つ。
そして、帰ってきたら土産話を聞かせてもらう。
うん。
それが一番いい。
私は目を閉じた。
隣では、リトがまだ何かを描いている。
しゃっ、しゃっ。
ぐるぐる。
ときどき手を止めて、何かを考えているようだったけれど。
私は特に気にしなかった。
だって、いつものことだから。
このときの私は、まだ知らなかった。
何気なく口にした「冷たくしたい」という言葉が、弟の小さな頭の中で、思いがけない形になろうとしていることを。
そして、その小さな落書きが、やがてForest亭の夏を大きく変えることになるなんて。
もちろん、そんなことは夢にも思わず。
「……おひるねしよ」
私は今日も、のんびり目を閉じた。




