第81話 夏バテ予防
それから、しばらくForest亭は忙しかった。
ストベリのフォレストパンは相変わらず人気で、ボナナもすっかり定番になった。
クリームを多めにしてほしいという人も増えて、モルトさんに作ってもらったミキサーは毎日のようにぐるぐる働いている。
ちなみに私は。
「ルマー! 遊ぼー!」
「いくー!」
あまり働いていない。
最初のうちはミキサーが気になって、クリーム作りを見たり、ボナナを切るのを手伝ったり、お客さんにフォレストパンを渡したりもしていた。
でも、しばらくすると。
「ルマ、今日はいいわよ」
「いいの?」
「遊んでらっしゃい」
「やった!」
そんな日も増えた。
当たり前だけど、Forest亭は私が働かなくても回る。
パパがいて、ママがいて、お兄ちゃんがいる。
私はちょっと手伝う日もあれば、何もしない日もある。
シイと遊んで、アーリのお店に顔を出して、リトと昼寝して、おやつを食べる。
そんな毎日を過ごしていたら――
「…………あつい」
いつの間にか、夏になっていた。
◇
昼過ぎ。
私はForest亭のカウンターに、ぺたんと頬をつけていた。
「つめたーい……」
ひんやりしていて、気持ちいい。
「ルマ」
「んー?」
「そこ、お客さんが来たら邪魔よ」
ママの声がする。
「来たら起きる」
「そういう問題じゃないのよ」
でも、動かない。
暑いから。
隣では、リトが紙に絵を描いていた。
しゃっ、しゃっ。
ぐるぐる。
「リト、何描いてるの?」
「これ」
見せてくる。
丸と線と、ぐるぐる。
「…………なに?」
「みきさー」
「えっ」
もう一度見る。
丸。線。ぐるぐる。
「これが?」
「うん。ここ、くるくる」
リトが指でぐるぐるとなぞる。
「……なるほど」
分からん。
でも本人がそう言うなら、ミキサーなのだろう。
「上手だね」
「うん!」
満足そうなので、よし。
私はまたカウンターに頬をつけた。
「…………」
平和だ。
すごく平和。
こういうのでいい。
私は、のんびり暮らしたいのだから。
カラン。
扉が開いた。
「いらっしゃいませー」
頬をつけたまま言う。
「ルマ」
「はい」
起きた。
入口には、女の人と小さな男の子が立っていた。
男の子は私より少し小さいくらい。
「こんにちは」
ママが声をかけると、女の人が少し困ったように笑った。
「あの……こんにちは。今日は食事じゃなくて、ちょっと相談したくて」
「相談?」
「ええ」
以前、Forest亭で食事をしたことがある人らしい。
近くに住んでいて、最近少し困っていることがあるという。
「この子が、全然食べなくなっちゃって」
「食べない?」
「暑くなってから、特に」
私はカウンターに座ったまま、なんとなくその話を聞いていた。
「朝もほとんど食べなくて、お昼も……」
「好きなものも?」
「それが、前は甘いものが好きだったんですけど、それもいらないって言うんです」
「まあ」
「ジュースも飲まないし、お水も嫌がって。果物なら少し食べるんですけど、それもほんの少しで……」
ご飯もいらない。
甘いものもいらない。
ジュースも水もいらない。
(……夏バテかな)
暑くなると食欲が落ちる。
それ自体は、前の世界でもよくあった。
大人だって、こんな暑い日に熱々のご飯をたくさん食べろと言われたらちょっと嫌だ。
でも、食べられないだけじゃない。
飲めてもいない。
私はむくっと体を起こした。
「ねえ。今日、遊んだ?」
男の子が私を見る。
「……うん」
「元気に?」
男の子が少し考えていると、お母さんが代わりに答えた。
「遊んではいるんだけど、いつもよりは元気がないかな」
「おしっこは?」
「え?」
お母さんがこっちを見る。
「今日、何回した?」
「おしっこ……朝に一回と……」
少し考えて、止まった。
「……それだけかも」
「色は?」
「いつもより濃かったような……」
やっぱり、ちょっと気になる。
暑くなって汗もかいている。
それなのに、ほとんど飲めていない。
「喉かわいてない?」
男の子に聞く。
「かわいてない」
即答だった。
(そうなんだよなあ)
子どもって、遊んでいたら飲むのを忘れることもある。
自分から喉が渇いたって言わない子もいる。
でも。
飲みなさい、飲みなさいって言われ続けると、それはそれで嫌になったりする。
「冷たいのもいらない?」
「…………わかんない」
「じゃあ、ちょっと作ってみる?」
「なに?」
「飲みもの」
「ジュース?」
「ちがう」
「甘い?」
「ちょっとだけ。すっぱいのも、ちょっとだけ」
男の子が少しだけこっちを見た。
お。
ちょっと気になった?
「ママー。リモネある?」
「あるわよ」
「はちみつも?」
「あるけど……何するの?」
「飲みもの!」
私は厨房からリモネを一つ持ってきた。
半分に切って、水の中へきゅっと果汁を少し。
そこへ、はちみつをほんの少し入れて、くるくる混ぜる。
(この子くらいなら大丈夫だけど)
はちみつは、小さい赤ちゃんには使えない。
そこだけは忘れない。
「できた!」
「これ?」
男の子が器を覗き込む。
「リモネのお水」
「すっぱい?」
「ちょっと」
「甘い?」
「それもちょっと」
「…………」
気になるらしい。
私は小さなコップと、いつものコップを並べた。
「どっちがいい?」
男の子は迷わず、小さい方を指さした。
「こっち」
「じゃあ、こっち」
ほんの少しだけリモネ水を入れる。
「これだけ?」
「うん」
「少ない」
「飲めたら、また入れる」
男の子はコップを持って、じーっと見る。
それから匂いを嗅いで、恐る恐る舌でぺろっと舐めた。
「どう?」
「……すっぱい」
「嫌?」
「…………」
ごく。
「ちょっと甘い」
「うん」
もう一口。
ごく。
お母さんが何も言わずに見ている。
私も見る。
ごく、ごく。
そして、小さなコップが空になった。
「…………飲んだ」
お母さんが小さな声で言った。
男の子は空になったコップを見て、
「もうちょっと」
と言った。
「いる?」
「うん」
「やった!」
「ルマ」
ママが笑う。
「あなたが喜ぶの?」
「だって飲んだもん!」
もう一度、少しだけ入れる。
今度は男の子も迷わなかった。
「朝から何を出しても嫌がってたから……」
お母さんが、ほっとしたように笑った。
「よかった……」
「うん」
よかった。
本当に。
でも。
私は、さっき聞いた話を思い出した。
ご飯もほとんど食べていない。
水も飲めてなくて、おしっこも少ない。
それに、いつもより元気もない。
(…………)
飲めた。
だから、もう大丈夫。
ではない。
「ねえ」
「ん?」
「このあと、カロナ先生のところ行った方がいいと思う」
お母さんが少し驚いた顔をした。
「やっぱり?」
「うん」
私は頷く。
「今日、おしっこあんまり出てないんでしょ?」
「ええ」
「ご飯も食べられてないし、お水も飲めてなかったし」
暑くなってから、ずっと調子が悪い。
夏バテかもしれない。
でも。
違うかもしれない。
前の世界では看護師だったけど、今の私はお医者さんじゃない。
「一回、カロナ先生に診てもらお」
「……そうね」
お母さんが男の子の頭を撫でた。
「このまま行ってみる」
「うん!」
「ありがとう、ルマちゃん」
「私はリモネのお水作っただけだよ」
「それでもよ」
お母さんが笑った。
男の子も小さなコップを持ったまま、私を見る。
「おいしかった」
「ほんと?」
「うん」
「よかった。じゃあ、カロナ先生のところ行ってきてね」
「うん」
カラン。
扉が閉まる。
親子は、そのままカロナ先生のところへ向かった。
ちゃんと診てもらえたらいい。
「ルマ」
「ん?」
振り返ると、ママがさっき作ったリモネ水を見ていた。
器には、まだ少し残っている。
「これ、まだ飲める?」
「飲めるよ」
ママが自分のコップに少し入れる。
ごく。
「…………」
「どう?」
「いいわね、これ」
「ほんと?」
「ええ。さっぱりしてる」
でしょ。
暑い日は、甘いジュースよりこういう方が飲みやすいときもある。
「これ、お店でも出そうかしら」
「売るの?」
「売らないわよ」
即答だった。
「お水と同じ。暑い間だけでも、欲しい人には普通のお水かリモネ水か選んでもらえばいいわ」
「無料?」
「これくらいならね」
おお。
Forest亭に、新しい飲み物が増えるらしい。
「でも」
ママがはちみつを見る。
「小さい子には出せないんでしょう?」
「うん」
「じゃあ、小さい子に出すときは年齢を聞かないとね」
「うん!」
さすがママ。
「じゃあ、明日からやってみましょうか」
「やった!」
「ルマ」
「ん?」
「あなたが毎回作るのよ」
「…………え?」
ママが笑った。
「冗談よ」
「びっくりしたぁ……」
危ない。
また仕事が増えるところだった。
私はくるっと向きを変えて、元いた場所へ戻る。
ぺたん。
カウンターに頬をつけた。
「つめたーい……」
やっぱり、ここがいい。
隣では、リトがまだ絵を描いている。
しゃっ、しゃっ。
ぐるぐる。
「リト、まだミキサー描いてるの?」
「ちがう」
「え?」
紙を見せてもらう。
丸と線と、ぐるぐる。
「……じゃあ、なに?」
「わかんない」
「わかんないの?」
「うん!」
「そっか」
分からないものを描いているらしい。
まあ。
楽しそうだからいいか。
私はもう一度、カウンターに頬をつけた。
遊んで、昼寝して、たまにお店を手伝う。
こうして誰かがふらっとやって来たら、困っていることを少しだけ一緒に考える。
それくらいが、ちょうどいい。
だって私は。
のんびり暮らしたいのだから。




