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『のんびり暮らしたい宿屋の娘、今日も子育て相談を受けています』 ~元小児科看護師の異世界暮らし~  作者: 入野 カフェイン


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第77話 甘味革命

商業ギルドに申請を出してから数日。


 まだ結果は来ていない。


 だから、売ることはできない。


 でも。


「はい、どうぞ!」


「え? なにこれ?」


「新しいフォレストパンの試供品です!」


「しきょうひん?」


「お試し!」


「ああ、お試しね」


 言い直すと、女性のお客さんは納得したように頷いた。


 お昼を少し過ぎたForest亭。


 食事を終えたお客さんに、私は小さく切ったフォレストパンを配っていた。


 もちろん、全員に配っているわけじゃない。


 作れる量にも限りがあるし、ストベリだってたくさんあるわけじゃない。


 今日は少しだけ。


 新しいフォレストパンを知ってもらうためのお試しだ。


「これ、ストベリ?」


「そうです!」


「白いのは?」


「クリーム!」


「クリーム?」


 女性のお客さんが不思議そうに覗き込む。


「こんなクリーム、見たことないわ」


「いっぱい混ぜたらふわふわになるの!」


「へえ……」


 隣に座っていた女性も身を乗り出してきた。


「ちょっと見せて」


「ほら」


「わあ、きれい」


「でしょう?」


 なぜかママが答えた。


「ママのじゃないよ」


「Forest亭のよ!」


「それはそうだけど」


 赤いストベリ。


 白いクリーム。


 それを挟む、ふわっとしたフォレストパン。


 味はもちろんだけど、どうやら見た目も気になるらしい。


「じゃあ、いただきます」


 ぱくり。


「…………」


 また止まった。


 もう慣れてきた。


「どう?」


 隣の女性が聞く。


 もぐもぐ。


 ごくん。


「……おいしい」


「ほんと?」


「すごくおいしい!」


「え、私も食べたい!」


「ありますよ!」


 私が小さなお皿を差し出す。


「どうぞ!」


「ありがとう!」


 ぱくり。


「……!」


 目が大きくなる。


「なにこれ!」


「ね!?」


「おいしい!」


 急に二人で盛り上がり始めた。


「この白いの、すごくふわふわ!」


「ストベリの酸っぱいのと合う!」


「見た目もかわいいわよね」


「分かる!」


 かわいい?


 食べ物に?


「ママ」


「なに?」


「食べ物ってかわいいの?」


「かわいいものはかわいいわよ」


「そうなんだ……」


 よく分からない。


 でも、女性二人はフォレストパンの断面を見ながら楽しそうに話している。


「これ、もう売ってるの?」


「まだです!」


「ええっ」


「今、商業ギルドに申請してるところなの」


 ママが説明すると、二人とも明らかに残念そうな顔をした。


「じゃあ、いつから?」


「登録が終わったらね」


「どれくらいかかるの?」


「それはまだ分からないわねえ」


「そうなの……」


 そんなに残念がる?


 ただのパンだよ?


 いや。


 ただのパンじゃないけど。


「登録されたら、また食べに来るわ」


「私も」


「ありがとうございます!」


 ママが嬉しそうに頭を下げた。


 その少しあと。


「ねえフルコさん」


「はーい!」


「さっきあっちの人が食べてたの、なに?」


「新しいフォレストパンよ!」


「新しいの?」


「食べてみる?」


「食べる!」


 また一人。


 さらに。


「私にもある?」


「ありますよ!」


 もう一人。


「これ、ストベリ?」


「そうです!」


「きれいねえ」


「白いのはなに?」


「クリームです!」


「へえ……!」


 なんだろう。


 反応が。


 すごい。


 唐揚げのときとも。


 トンカツのときとも。


 旅ごはんのときとも違う。


「これ好き!」


「私も!」


「甘くはないのに、ストベリがあるからちょうどいいわね」


「これなら食事のあとでも食べられそう」


「あ、それ分かる!」


「もう一個ない?」


「一人一個です!」


「えー!」


「試供品だから!」


 危ない。


 全部なくなるところだった。


 いや。


「ルマ」


「ん?」


 振り返る。


 ママが空になった皿を持っていた。


「なくなったわ」


「え?」


「試供品」


「もう!?」


「もう」


 早い。


 用意したときは、ちょっと多いかなと思ったくらいなのに。


「フルコさん、もうないの?」


「ごめんなさい、今日はここまでなの」


「残念」


「明日は?」


「明日も少しなら出せるかも」


「じゃあ明日来ようかな」


「私も」


 そこまで?


 私は空になったお皿を見る。


 恐るべし。


 ふわふわクリーム。


     ◇


「そんなに評判いいなら、食堂でも出すか?」


 その日の夜。


 最後のお客さんを見送ったあと、パパが言った。


「食後に出せばいいだろ。欲しいやつが頼めばいい」


「あ、それいいかも!」


 私は頷く。


 お昼にも、食事のあとに食べたいって言ってた人がいた。


 だったら食堂の料理として出すのも――。


「嫌よ」


「え?」


「ん?」


 私とパパの声が重なった。


 ママは、空いたお皿を重ねながらもう一度言った。


「食堂では出さない」


「なんで?」


「売れそうだったぞ?」


「だからよ」


 ママが手を止めた。


 そして、誰もいなくなった食堂を見回す。


 いつものテーブル。


 いつもの椅子。


 壁際には、お酒を置く棚。


 昼間は旅人や町の人でいっぱいになって、夜になれば冒険者たちの笑い声が響く。


「ここはね、ご飯を食べに来るところなの」


「うん」


「お酒を飲みに来る人もいるし、仕事の途中でお腹いっぱい食べに来る人もいる。旅の途中で立ち寄る人もいるでしょう?」


「うん」


「モルトさんみたいに、いつも同じ席でご飯を食べて帰る人だっている」


「ああ」


 パパが頷いた。


「そういう人たちが、この食堂を好きで来てくれてるのよ」


 ママが椅子の背を撫でる。


「新しいフォレストパンが人気になるのは嬉しいわ。でも、それを食べたい人で席がいっぱいになったら、ご飯を食べに来た人が座れなくなるでしょう?」


「あ……」


 それは。


 困る。


 今日みたいな人たちがたくさん来て。


 みんながフォレストパンを食べながらおしゃべりして。


 ずっと席にいたら。


 いつものお客さんが入れなくなるかもしれない。


「それは嫌ね」


 私が言うと、ママが頷いた。


「でしょう?」


「でも、売らないの?」


「誰がそんなこと言ったの?」


「え?」


 ママがにっと笑った。


「売るわよ」


「売るんだ」


「当たり前じゃない!」


 そこは迷わないんだ。


「じゃあ、どうするんだ?」


 パパが聞く。


「持ち帰りだけにするの」


「持ち帰り?」


「そう」


 ママが私を見る。


「旅ごはんと同じよ」


「あ!」


 なるほど!


 旅ごはんは、食堂で食べる料理じゃない。


 旅に持っていくためのご飯だ。


 店先で買って、そのまま持っていく。


「これもフォレストパンとして売ればいいの」


「フォレストパンとして?」


「そう。食堂の料理にはしない」


 ママが指を一本立てる。


「食べたい人が買って、好きなところで食べる!」


「おお……」


「なによ」


「ママが店主みたいなこと言ってる」


「店主よ!」


「パパじゃないの?」


「二人とも店主よ!」


「そうなの?」


 パパを見る。


「俺に聞くな」


 パパも知らないらしい。


「とにかく!」


 ママが話を戻す。


「食堂は今まで通り。ご飯を食べて、お酒を飲んで、みんなで話して過ごす場所」


「うん」


「新しいフォレストパンは、持って帰りたい人に売る」


「うん!」


「それなら、どっちのお客さんも困らないでしょう?」


「うん!」


 それならいい。


 今のForest亭を変えなくても、新しいものを増やせる。


「じゃあ決まりだな」


 パパが頷いた。


「登録が通ったら、持ち帰りで売るか」


「そうしましょう!」


「どれくらい作る?」


「最初なんだから、そんなにたくさんじゃなくていいんじゃない?」


 ママが言う。


「今日だって試供品を食べたのは、ここにいた人だけだもの」


「それもそうか」


 私も頷いた。


 まだ売ってもいない。


 今日食べた人たちに好評だっただけだ。


 だから最初は少しだけ作って。


 売れたら、また増やせばいい。


「じゃあトータにも言っておかないとね」


「クリーム混ぜてもらわないと!」


「また腕が痛いって言うんじゃない?」


「大丈夫!」


「なんでルマが言うのよ」


「お兄ちゃんだから!」


「理由になってないわよ」


 ママが笑う。


 パパも笑った。


 私も笑った。


 こうして。


 新しいフォレストパンは、食堂の料理ではなく。


 旅ごはんと同じ、持ち帰りの商品として売ることになった。


 あとは商業ギルドから登録の知らせが来るのを待つだけ。


 今日食べてもらった人たちにも喜んでもらえたし。


 きっと、それなりには売れると思う。


 それなりには。


 ――そう思っていた。


 次の日。


「こんにちは」


「いらっしゃいませ!」


 お昼前。


 Forest亭の扉を開けたのは、昨日試供品を食べてくれた女性だった。


 その隣には。


 知らない女性が二人。


「あの」


「はい?」


「昨日の、ストベリと白いクリームが入ったフォレストパンって、今日はあります?」


「え?」


「この子から聞いて。すごくおいしかったって」


「私も食べてみたくて」


「私も」


「…………」


 私はママを見る。


 ママも私を見る。


「まだ売ってないのよ」


「えっ」


 三人とも残念そうな顔をした。


「登録が終わったら売る予定なんだけど……」


「いつですか?」


「それはまだ……」


「じゃあ、また来ます」


「私も」


「売り始めたら教えてくださいね」


「は、はい!」


 三人は食事をして帰っていった。


 私はその背中を見送る。


「ママ」


「なに?」


「一人、増えてたね」


「二人よ」


「……ほんとだ」


 昨日は一人だった。


 今日は三人。


 まだ。


 一個も売ってないのに。


「……ママ」


「なに?」


「最初、何個作る?」


「…………」


 ママはしばらく黙って。


「ちょっと増やしましょうか」


「うん」


 たぶん。


 ちょっとじゃ足りない気がする。

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