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『のんびり暮らしたい宿屋の娘、今日も子育て相談を受けています』 ~元小児科看護師の異世界暮らし~  作者: 入野 カフェイン


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第76話 パンドラの箱

「ママ、歩くの早い!」


「急ぐわよ!」


「なんで!?」


「早く申請しないと、誰かに真似されるかもしれないでしょう!」


「まだ誰にも売ってないよ!」


「だから今のうちなの!」


 ママに手を引かれながら、私は商業ギルドへ向かっていた。


 ママの反対の手には、小さな包みが二つ。


「二つも持っていくの?」


「一つは商業ギルド用」


「もう一つは?」


「あとで分かるわよ」


 聞いても、それ以上は教えてくれなかった。


 中身は分かっている。


 出かける直前に作った、ストベリとふわふわのクリームを挟んだフォレストパンだ。


 それにしても二つ。


 一つは商業ギルドとして、もう一つはなんだろう。


 商業ギルドに着くと、ママは勢いよく扉を開けた。


「こんにちは!」


 中にいた何人かがこちらを見る。


「ママ、声大きい」


「あら、ごめんなさい」


 たぶん、全然反省してない。


 そのまま受付へ向かう。


「こんにちは。本日はどのようなご用件でしょうか?」


「料理の登録をしたいんです!」


「料理の登録ですね。では――」


 受付の女性が紙を取り出しかけて。


 ふと、私を見た。


「……あら?」


「?」


 じっと見られる。


「あなた……前にも来たわよね?」


「あ」


「一人で料理の登録に来た子!」


「はい!」


「やっぱり!」


 受付の人の顔がぱっと明るくなる。


「唐揚げとトンカツ、それから旅ごはんだったでしょう?」


「そうです!」


「覚えてるわ。六歳の子が一人で申請に来たから、びっくりしたのよ」


「えへへ……」


 なんだか恥ずかしい。


「この子の母です!」


 隣からママが突然胸を張った。


「ママ、なんでママが自慢げなの」


「だって私の娘だもの」


「そうだけど」


 受付の人がくすくす笑う。


「ということは、今回もルマちゃんが考えた料理ですか?」


「今回はみんなで作りました!」


「みんな?」


「アーリとシイと、トータお兄ちゃん!」


「なるほど。では、どのような料理なのか――」


「これです!」


 どんっ。


 ママが包みの一つを受付台に置いた。


「……これは?」


「持ってきました!」


「料理を?」


「食べてもらったほうが早いと思って!」


「ママ、申請ってそういうものなの?」


「知らないわよ」


「知らないんだ……」


 受付の人が笑いながら、包みを開く。


 中から現れたのは、白いパン。


 その間には、ふわふわに泡立てたクリームと、真っ赤なストベリ。


 切った断面がきれいに見えるように並べてある。


「これは……フォレストパンですか?」


「はい!」


「でも、こんなフォレストパンは初めて見ますね」


「新しい種類なの!」


 私は受付台に少し背伸びして説明する。


「クリームをいっぱい混ぜてふわふわにして、ストベリと一緒に挟んだの!」


「いっぱい混ぜたのはトータだけどね」


「ママ!」


「大事でしょう?」


 そこは申請には関係ないと思う。


「なるほど」


 受付の人が興味深そうにフォレストパンを眺める。


「では、このクリームの調理法と、ストベリとの組み合わせを登録したいということですね」


「そうです!」


「分かりました。まずは同じような調理法がすでに登録されていないか確認して――」


「その前に食べてください!」


「……え?」


 受付の人が止まった。


「ママ!」


「だって食べてもらったほうが分かるもの!」


「登録はおいしいかどうかで決まるんじゃないよ!」


「分かってるわよ!」


 本当かな。


 受付の人が困ったように笑う。


「では……せっかくなので、一口だけ」


 押し切られた。


 受付の人がフォレストパンを一切れ持ち上げる。


「いただきます」


 ぱくり。


「…………」


 止まった。


(あ)


 昨日のママと同じだ。


 もぐもぐ。


 ごくん。


 受付の人が、手に残ったフォレストパンを見る。


「……これ」


「どうですか!?」


 ママがぐいっと身を乗り出す。


「おいしいですね」


「でしょう!?」


 ばんっ!


「ママ! 受付台叩かない!」


「あ、ごめんなさい!」


 受付の人は笑いながら、もう一口食べた。


「この白いもの、本当にいつものクリームなんですか?」


「そうです!」


「全然違う……。ふわっとしていて軽いのに、ストベリと一緒になるとちゃんと濃さもあって」


「そうなんです!」


「それに甘すぎないのもいいですね」


「でしょう!?」


 砂糖がないだけなんだけど。


 そこは黙っておこう。


 受付の人は、残っていた一口も食べてしまった。


「……なるほど」


 そして。


 すっと申請用の紙を引き寄せた。


「これは、すぐにでも申請しておきましょう」


「ほら!!」


 ママが私を見る。


「なんで勝った顔するの」


「だって!」


「もちろん、申請すれば必ず登録されるというわけではありませんよ」


 受付の人が念を押す。


「同じ調理法がないか確認して、審査も必要です」


「はい!」


「ただ……」


 受付の人が、空になった包みを見る。


「これは早めに確認してもらったほうがよさそうですね」


「お願いします!」


 ママが深々と頭を下げた。


 食べ物を持ってきたのは正解だったらしい。


 私たちは作り方を説明しながら、申請を進めていった。


 クリームを空気を含ませるように混ぜて、ふわふわにすること。


 ストベリを切って並べること。


 それをフォレストパンに挟むこと。


「このクリームの作り方が特徴的ですね」


「トータお兄ちゃんが頑張って混ぜました!」


「最初はルマたちもやったんでしょう?」


 ママが言う。


「やったよ!」


「すぐ腕が痛いって交代したらしいですけど」


「ママ、それ言わなくていい!」


 受付の人が声を出して笑った。


 やがて、申請が終わる。


「では、審査結果が出ましたらForest亭へお知らせします」


「よろしくお願いします!」


「お願いします!」


 私も頭を下げた。


 商業ギルドを出る。


「終わったー!」


「まだよ」


「え?」


 ママが、残っていたもう一つの包みを持ち上げた。


「次はアーリちゃんのお家!」


「あ!」


 なるほど。


 二つ目はそのためだったのか。


「ストベリをもらったお礼をしなくちゃ」


「それで持ってきたの?」


「もちろん!」


 ママ、こういうところはちゃんとしている。


 そのまま二人で、アーリの家がやっている青果店へ向かった。


 店先には春の野菜や果実が籠いっぱいに並んでいる。


「あ!」


 私たちに気づいたアーリが、店の奥から走ってきた。


「ルマ!」


「アーリ!」


「どうしたの?」


「ストベリのお礼!」


「お礼?」


 奥からアーリのママも顔を出した。


「あら、フルコさん」


「こんにちは!」


 ママが頭を下げる。


「この前はストベリをありがとうございました」


「ああ、アーリが持っていったものね」


「はい。すごくおいしかったです」


「今年のは出来がいいでしょう?」


「それがですね」


 ママがにやっと笑う。


「さらにおいしくなりました」


「え?」


「これ!」


 残っていた包みを差し出す。


「いただいたストベリで作ったんです。ぜひ食べてみてください」


「私が持っていったストベリで?」


「うん!」


 アーリが嬉しそうに駆け寄ってくる。


「お母さん、食べて! すっごくおいしいよ!」


「あら、そうなの?」


 包みを開く。


 赤いストベリと白いクリームが挟まったフォレストパンを見て、アーリのママが目を丸くした。


「まあ……これ、フォレストパン?」


「そうです!」


「ずいぶんきれいね」


「食べてみてください!」


「じゃあ、いただこうかしら」


 一切れ手に取る。


 ぱくり。


「…………」


 また止まった。


 今日はよく見るな、この反応。


「お母さん、どう?」


 アーリが顔を覗き込む。


「……これ」


「うん」


「本当に、うちのストベリ?」


「そうだよ!」


 アーリのママが、もう一口食べる。


「おいしい……!」


「でしょ!」


 なぜかアーリまで胸を張った。


「ストベリって、そのまま食べることばかり考えてたけど……こんな食べ方があるのね」


「クリームをふわふわにしてるんです」


「これもクリームなの?」


「はい!」


「へえ……」


 もう一口。


 そして全部食べ終わるころには、すっかり気に入ってくれたみたいだった。


「これ、Forest亭で出すの?」


「そのつもりです!」


 ママが答える。


「フォレストパンの新しい種類として、春の間だけ出そうと思っていて」


「春の間だけ……」


 アーリのママが、店先に並んだストベリを見る。


「それで今日は、もう一つお願いがあって」


「なに?」


「採れる間、ストベリを定期的にForest亭へ卸してもらえませんか?」


「うちから?」


「はい」


 ママが頷く。


「せっかくアーリちゃんが持ってきてくれたストベリから生まれたものですし、できればこれからもこちらのストベリを使いたくて」


「フルコさん……」


 アーリのママが少し驚いた顔をした。


 それから、手元の空になった包みを見る。


「もちろんよ!」


「本当ですか?」


「ぜひ、うちから卸させて!」


 今度は向こうが身を乗り出した。


「こんなにおいしくしてもらえるなら、こっちからお願いしたいくらいだわ」


「やった!」


 アーリが喜ぶ。


「私の家のストベリがForest亭に並ぶ!」


「そうだよ!」


 私たちは顔を見合わせて笑った。


「今年は出来もいいし、量もあるから、しばらくは安定して渡せると思うわ」


「助かります!」


「必要な量が分かったら教えて。なるべく状態のいいものを選んでおくから」


「ありがとうございます!」


 ママが嬉しそうに頭を下げる。


 これで、ストベリ入りのフォレストパンはしばらく作れそうだ。


 ――と思ったら。


「それで、もう一つ聞きたいんですけど」


 ママが店先を見回した。


(まだあるんだ)


「なんでしょう?」


「ストベリみたいに、フォレストパンに使えそうな果実って他にもあります?」


「え?」


 私とアーリの声が重なる。


「ママ、もう次の話?」


「だってストベリは春だけでしょう?」


「そうだけど」


「春が終わったらどうするの?」


「まだ春始まったばっかりだよ?」


「今から考えておけばいいじゃない!」


 早い。


 まだストベリ入りのフォレストパンすら、一個も売っていない。


「そうねえ」


 アーリのママが少し考える。


「これから暖かくなれば、果実の種類はもっと増えるわよ」


「甘いのもあります?」


 思わず聞いた。


「もちろん」


「甘い!?」


 大事。


 ものすごく大事。


「ルマ、急に食いついたわね」


「そんなことないよ」


「あるわよ」


 砂糖がないこの世界では、果実の甘さはとても貴重なのだ。


「夏になれば、もっと甘いものも出てくるし、果汁の多いものや酸味の強いものもあるわ」


「へえ……」


 甘い果実。


 酸っぱい果実。


 果汁が多い果実。


 クリームと合わせたら?


 フォレストパンに挟んだら?


 それとも――。


「ルマ」


「ん?」


「また何か考えてるでしょう?」


 アーリが私の顔を覗き込んでいる。


「考えてないよ」


「考えてる顔してる」


「どんな顔!?」


 アーリのママが笑った。


「じゃあ今度、良さそうな果実が入ったらForest亭に持っていこうかしら」


「いいんですか!?」


「もちろん。うちの果実がまたこんなにおいしくなるなら、私も楽しみだもの」


「やった!」


 ママも嬉しそうに頷いた。


「ぜひお願いします!」


 ストベリのお礼を言いに来ただけだったはずなのに。


 定期的に仕入れる話が決まり。


 その次の果実の話まで始まってしまった。


 私は店先に並ぶ色とりどりの果実を見る。


 春はストベリ。


 その次は、何が来るんだろう。


 季節が変わるたびに、フォレストパンの味も変わっていく。


 そんなの、絶対に楽しい。


 ――なんて。


 このときの私は、まだのんきにそんなことを考えていた。


 知らなかったのだ。


 ふわふわに泡立てた白いクリームと、色鮮やかな果実。


 その組み合わせが、この街の女性たちの心を、とんでもない勢いで掴んでしまうことを。


 そして。


 Forest亭に、これまでとは少し違う種類の行列を作ることになるなんて。


 このときの私は、まだ知る由もなかった。

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