第70話 赤ちゃんにも好みがある
ここまで読んでくださってありがとうございます!
「Forest亭、ちょっと好きかも」と思っていただけたら、
評価やブックマーク、リアクションをいただけるととっても嬉しいです!
皆さまからの反応を励みに、これからものんびり楽しく更新していきます。
引き続き、ルマとForest亭をよろしくお願いします!
翌朝。
朝食の時間を迎えたForest亭は、今日も朝から賑やかだった。
宿泊客が次々と二階、三階から降りてきて、食堂の席が埋まっていく。
焼きたてのパンの匂い。
スープの湯気。
厨房から聞こえるパパの声。
私はテーブルの間を行ったり来たりしながら、空いた食器を片付けていた。
「ルマちゃん!」
「ん?」
呼ばれて振り返る。
昨日の赤ちゃんのお母さんだった。
赤ちゃんを抱っこしたまま、ものすごく嬉しそうな顔で私を見ている。
「きのうのひと!」
「昨日の人って」
お母さんが笑った。
そうだった。
この人もForest亭に泊まっているお客さんだ。
「どうしたの?」
「あのね、昨日の夜!」
お母さんがぐっと身を乗り出した。
「全部飲んだの!」
「ぜんぶ?」
「ミルク! 夜中に起きた時にね、昨日教えてもらったみたいに、いつもより少し温かめにしてみたの。そしたら一本全部!」
「おおー!」
思わず拍手した。
すごい。
昨日は少し飲めただけだったのに。
「途中で冷めてきたら飲むのが遅くなったから、もう一度少し温めたらまた飲み始めて」
「じゃあ、あったかいのがすきなんだ!」
「みたい!」
お母さんも嬉しそうだ。
やっぱり。
昨日一回飲めただけなら、たまたまという可能性もあった。
でも夜中も同じように飲んだなら、この子は少し温かめのミルクが好みなのかもしれない。
「今までずっと、ミルクそのものが嫌いなんだと思ってたのよ」
「ちがったね」
「本当にありがとう。これなら少しずつ家族にもお願いできそう」
「よかった!」
私も嬉しい。
こういう時は、前世の経験が役に立ってよかったと思う。
まあ。
昨日はほとんど「試してみたら?」と言っただけだけど。
「……あの」
その時。
すぐ近くのテーブルから声がした。
振り返ると、そこにも赤ちゃんを抱いた女の人が座っていた。
この人も宿泊客だったと思う。
朝食のパンを片手に、こちらを気にするように見ている。
「ミルク、飲まなかったんですか?」
昨日のお母さんが頷いた。
「そうなんです。母乳なら飲むんですけど、ミルクは全然で」
「うちもなんです!」
「え?」
女の人が抱いている赤ちゃんを見る。
昨日の子より、少し小さい。
「うちの子も、なかなか飲んでくれなくて……」
「じゃあ、少し温かくしたら飲むかもしれませんよ。ルマちゃんに教えてもらったんです」
「ルマちゃん?」
視線が。
私に来た。
「……」
やめてほしい。
私は六歳である。
「この子が?」
「そうなんです」
「へえ……」
ものすごく見られている。
困る。
「あの……どうやったら飲んでくれたの?」
女の人が私に聞いた。
「きのうのこは、いつもよりちょっとあったかくしただけだよ」
「温度……」
「うん」
でも。
私は抱っこされている赤ちゃんを見る。
昨日の子と同じとは限らない。
「このこも、ミルクだけのまないの?」
「ううん……」
女の人の表情が少し曇った。
「この子は、母乳もあまり上手に飲めないの」
「おっぱいも?」
「そうなの」
お母さんが赤ちゃんの頭を撫でる。
「ちょっと小さく生まれたからなのか、飲むのがあまり上手じゃなくて。最初は飲んでくれるんだけど、すぐ疲れちゃうみたいで」
「つかれちゃう?」
「途中から吸わなくなるの。だから一回に飲める量も少なくて……なかなか体も大きくならなくて」
私は赤ちゃんを見る。
小さな手。
細い腕。
でも、目はしっかり開いている。
「いま、ミルクある?」
「あるけど……」
「のむとこ、みてもいい?」
「もちろん」
お母さんが哺乳瓶を用意する。
温度を確認してから、赤ちゃんを抱き直した。
乳首を口元へ持っていく。
赤ちゃんが口を開く。
んく。
んく。
ごく。
最初は飲んでいる。
でも。
しばらくすると。
んく……。
……んく。
少しずつ、口の動きが弱くなっていった。
乳首をくわえてはいる。
嫌がって顔を背けているわけでもない。
泣いてもいない。
ただ。
吸う力が、だんだん弱くなっている。
「あ……」
この感じ。
知ってる。
前世の病棟でも、何度も見た。
吸う力が弱い子。
小さく生まれた子。
最初は頑張って飲んでいても、途中で疲れてしまう子。
吸啜が弱くて、口の動きをうまく保てない子。
そういう子にミルクをあげる時。
両側の頬をやさしく支えて。
顎も下から支えて。
口の動きを少し助けてあげることがあった。
病棟でも、たくさんやった。
そして。
「あ」
思い出した。
リト。
リトがまだ赤ちゃんだった頃。
いつだったか、すごく眠そうな時があった。
いつもなら普通に飲むのに、その日は途中から全然進まなくなって。
『リトー、のんでよー』
まだ今より小さかった私は、哺乳瓶を持ちながら困っていた。
その時。
前世の病棟でやっていた方法を思い出した。
両側のほっぺたを。
むに。
『こうだったかな』
やさしく支えて。
顎も下から、そっと。
すると。
んく。
んく。
ごく。
『……のんだ!』
手を離すと、また少し弱くなる。
もう一度支える。
んく。
んく。
ごく。
『のんでる!』
あの時も、うまくいったんだった。
身体は小さくなっても。
病棟で何度もやったことは、案外ちゃんと覚えている。
「……これかも」
「え?」
「ちょっと、ほっぺたささえてみて」
「頬?」
「うん」
私は自分の両頬に手を当てる。
「こうやって」
むにー。
「……むに?」
「むにーって」
「むにー……」
昨日のお母さんまで真似している。
なぜ。
「でも、やさしく!」
大事なので付け足しておく。
「それで、あごもしたからちょっとささえるの」
「こう?」
お母さんが赤ちゃんの頬に手を添える。
「もうちょっとこっち」
「ここ?」
「そう!」
両側の頬をやさしく支える。
それから、顎も下からそっと支える。
「これでいいの?」
「うん。たぶん」
たぶん。
六歳児なので保険をかけておく。
お母さんがもう一度、哺乳瓶を口元へ持っていった。
んく。
んく。
ごく。
「……あ」
お母さんが声を出した。
驚いて、手が離れそうになる。
「そのまま!」
「あ、ごめん!」
慌てて支え直す。
んく。
んく。
ごく。
んく。
んく。
ごく。
さっきまで途中で止まりかけていた口が、今度はちゃんと動き続けている。
「飲んでる……」
お母さんが呟いた。
「さっきより飲んでる!」
昨日のお母さんまで嬉しそうだ。
「すごい……」
「ううん」
私は赤ちゃんを見る。
「このこが、がんばってる」
飲みたくないわけじゃない。
飲もうとしてる。
でも。
ちょっと大変なのだ。
ミルクを飲むなんて、大人から見れば簡単なことに見える。
だけど、小さな赤ちゃんにとっては違う。
吸って。
飲み込んで。
息をして。
それを何度も繰り返す。
特に吸う力が弱い子にとっては、それだけでも大仕事だ。
「この子……ミルクが嫌いなわけじゃなかったのね」
「うん」
「飲みたくないんだと思ってた」
私は首を振る。
「のみたいけど、ちょっとへたっぴなのかも」
「へたっぴ……」
お母さんが笑った。
少しだけ。
泣きそうな顔にも見えた。
「そっか。頑張ってたんだね」
赤ちゃんの頭を撫でる。
その間も。
んく。
んく。
ごく。
少しずつだけど、飲んでいる。
よかった。
「でもね」
私は言った。
「なかなかおおきくならないのは、せんせいにもみてもらってね」
「先生?」
「うん」
飲むのが上手じゃない。
それだけなら、飲ませ方を工夫することで助けられるかもしれない。
でも。
体がなかなか大きくならない。
そこまで全部を「飲むのが下手だから」で終わらせるのは違う。
別の理由があるかもしれない。
そこは。
私が決めることじゃない。
「カロナせんせいとか」
「ああ、お医者様ね」
「うん!」
カロナなら、きっとちゃんと見てくれる。
「分かったわ。帰る前に一度相談してみる」
「うん」
それがいい。
「でも……ありがとう」
お母さんが笑った。
「こんなふうに支えてあげるだけで違うなんて、知らなかった」
「わたしも、リトにやったことあるよ」
「リトくんにも?」
「うん。つかれてのまなかったとき」
あの日のリトを思い出す。
『のんでよー!』
って言いながら。
ほっぺたをむにっと支えたら。
んく。
んく。
ごく。
ちゃんと飲み始めた。
「その時に思いついたの?」
昨日のお母さんが聞く。
「え」
違う。
元は前世の病棟だ。
でも。
それは言えない。
「……なんとなく!」
出た。
万能の言葉。
なんとなく。
「ルマちゃん、昨日もなんとなくって言ってなかった?」
「……」
覚えてた。
「なんとなくは、なんとなく!」
私は逃げるように立ち上がった。
その時。
少し離れたところからママの声が飛んできた。
「ルマー! お話終わったならこっち手伝ってー!」
「はーい!」
助かった。
私は急いでママのところへ向かう。
その途中。
ちらっと振り返った。
赤ちゃんはまだ、お母さんに頬と顎を支えてもらいながらミルクを飲んでいる。
昨日の子は。
飲めるけど、温度が好みじゃなかった。
今日の子は。
飲みたいけど、うまく飲めなかった。
同じ。
「ミルクを飲まない」
でも。
理由は全然違う。
だから。
まず見る。
どうして飲めないのか。
どこで困っているのか。
その子に合う方法は何なのか。
前世で子どもたちを見ていた時も。
それはずっと同じだった。
「ルマ、これ三番に持っていって」
「はーい!」
ママからお皿を受け取る。
昨日はミルクの温度。
今日はほっぺた、むにー。
……なんだろう。
Forest亭。
宿屋兼食堂だったはずなのに。
最近ちょっとだけ。
育児相談所みたいになってきている気がする。
まあ。
困っている人が少し楽になるなら。
それも悪くない。
「ルマちゃん!」
後ろから声がする。
振り返る。
「さっきよりいっぱい飲めた!」
お母さんが嬉しそうに哺乳瓶を見せてくれた。
「おおー!」
よかった。
私は赤ちゃんに向かって、小さく手を振った。
「がんばったねー」
赤ちゃんは当然返事をしない。
ただ。
ちょっと疲れた顔で。
お母さんの腕の中で、うとうとし始めていた。
そりゃそうだ。
いっぱい飲んだもんね。
おつかれさま。




