第62話 肴が美味けりゃ 酒も進むってもんよ
スピアバードの肉を揚げてから、数日。
パパは、残っていた肉を全部使うことにした。
「今日、出してみるぞ」
朝の厨房でそう言われて、私は思わず顔を上げた。
「おみせで?」
「ああ。ただし、まだ少ししかないからな。今日だけだ」
「げんてい!」
「げんてい?」
「きょうだけ!」
「……最初からそう言ってるだろ」
そうでした。
でも、限定。
前世でも、なぜか心惹かれる言葉だった。
『本日限定』『数量限定』。そう書いてあるだけで、別に欲しくなかったものまで欲しくなる。
人間とは不思議な生き物である。
昼を過ぎ、Forest亭の食堂には少しずつ客が入り始めた。
「今日ね、ちょっと変わったお肉料理があるの」
ママが常連客のテーブルで楽しそうに話している。
「変わった肉?」
「スピアバードよ」
「……スピアバード?」
客の顔が曇った。
分かりやすい。
「硬いやつだろ?」
「そう。それ」
「なんでそんなもん料理したんだ?」
「まあまあ。食べてみてよ」
ママ、強い。
「硬かったら文句言うぞ」
「その時はヤトに言って」
「俺に振るな」
厨房からパパの声が飛んできた。
しばらくして、揚げたてのスピアバードが皿に盛られ、客の前へ運ばれる。
きつね色の衣に、マヌルニクの香り。
「……これが?」
客が一つ摘まむ。
カリッ。
そのまま何度か噛んで、動きが止まった。
私は少し離れたところから見る。
どう?
どう?
「……柔らかいな」
よし。
「だろ?」
なぜか私より先にパパが得意そうだ。
「本当にスピアバードか?」
「そうよ」
ママが答える。
「へえ……」
客はもう一つ取った。
カリッ。
「フルコ」
「なあに?」
「酒くれ」
そっち。
ママが笑う。
「はいはい」
料理を褒めてください。
そんなことを思っていると、今度は別の声がした。
「……フルコ」
見る。
いつもの席に座っていたモルトだった。無言で、空になった杯を少し持ち上げている。
「もう一杯?」
「……ああ」
ママが目を丸くする。
「今日は早いわね」
モルトは答えず、皿の上のスピアバードをもう一つ口へ入れた。
カリッ。
そして、空の杯をもう一度見た。
……なるほど。
「おさけ、すすむ?」
私が聞くと、モルトがこちらを見る。
「……進む」
やっぱり。
ママが嬉しそうに笑った。
「これ、お酒のお供にいいかもしれないわねえ」
確かに。
塩気があって、マヌルニクの香りが強くて、外はカリカリ。中は柔らかい肉。
これは――。
(飲むやつだ。)
前世でも知っている。
唐揚げとお酒。
強い。
「こっちも同じの!」
別のテーブルから声が飛ぶ。
「俺も食ってみたい!」
「はーい!」
ママが返事をする。
思っていたより、反応がいい。
スピアバード。
売れています。
売れない肉なのに。
なんだか面白い。
そんな食堂の隅では、宿泊している家族が食事をしていた。
お父さんとお母さん、それから私より少し年上くらいの男の子。
「ほら。お肉も少し食べなさい」
お母さんが声をかける。
「やだ」
「一口だけでも」
「かたいもん」
男の子が顔を背けた。
「この子、お肉が苦手なんです」
料理を運んできたママに、お母さんが困ったように笑った。
「噛むのが嫌みたいで」
「そうなのね」
ママはそれ以上勧めなかった。
「じゃあ、無理して食べなくてもいいわよ」
うん。
それでいい。
私は少し離れたところから、そのやり取りを聞いていた。
子どもの「嫌い」は、必ずしも味が嫌いという意味ではない。
硬い。噛みにくい。口の中に残る。匂いが嫌。見た目が嫌。
前世でも、いろんな子がいた。
「野菜嫌い」と言っていた子が、実は葉っぱの食感だけが苦手だったり。「肉嫌い」と言っていた子が、噛み切れないのが嫌だったり。
だから、調理の仕方が変われば「嫌い」が「これなら食べられる」に変わることもある。
しばらくして、その家族のテーブルにもスピアバードの揚げ物が運ばれた。
注文したのはお父さんだった。
「お、いい匂いだな」
一つ取る。
カリッ。
「うまい」
男の子がちらっと見る。
でも、すぐに目を逸らした。
お父さんがもう一つ食べる。
カリッ。
また見る。
「……それ」
「ん?」
「おにく?」
「そうみたいだぞ」
男の子の眉が寄る。
「かたい?」
お父さんが少し考えた。
「いや。柔らかいぞ」
「……ほんと?」
「食べてみるか?」
男の子はすぐには答えなかった。
皿を見て、お父さんを見て、また皿を見る。
私は少し離れたところで、テーブルを拭きながら見ていた。
いや。
見てない。
仕事してます。
「……ひとつだけ」
きた。
男の子が自分から手を伸ばし、小さめの一つを取る。
恐る恐る口へ。
カリッ。
もぐ。
もぐもぐ。
私は布巾を握る。
(どう?)
もぐもぐ。
(どう!?)
噛めてる。
ちゃんと噛めてる。
男の子が飲み込んだ。
「……これなら、たべれる」
――よし!
心の中で拳を突き上げた。
「ほんと?」
一番驚いたのは、お母さんだった。
「もう一つ食べる?」
「……うん」
男の子が二個目へ手を伸ばす。
「たべた!」
つい声が出た。
家族三人がこちらを見る。
しまった。
見てたのがバレた。
「ルマ」
ママが笑っている。
「ずっと見てたでしょ?」
「みてない」
「布巾、さっきから同じところしか拭いてないわよ」
見る。
……ピカピカだった。
「おいしかった?」
私が男の子に聞く。
「うん」
「やわらかい?」
「うん!」
それだけで、なんだか嬉しい。
別にお肉を食べなきゃいけないわけじゃない。嫌なら食べなくてもいい。
でも、嫌いだと思っていたものに、食べられる形が一つ見つかった。
それはちょっとだけ、嬉しいことだと思う。
その日の夕方。
「おー、やってるな!」
Forest亭の扉が開いた。
声だけで分かった。
「イト!」
「お。今日は名前で呼んだな」
続いてサミエルとシオーネも入ってくる。
「こんにちは、ルマ」
「しおーね!」
「俺は?」
「さみえる!」
「よし」
もう覚えました。
たぶん。
三人が席につくと、イトが鼻をひくつかせた。
「なんか、すげえいい匂いするな」
「マヌルニクね」
シオーネも厨房の方を見る。
「何作ってるの?」
私は待ってましたとばかりに答えた。
「すぴあばーど!」
三人が止まった。
「……は?」
イトが聞き返す。
「すぴあばーど!」
「いや、聞こえた」
サミエルが厨房を見る。
「まさか、この前の?」
「うん!」
「食ったのか?」
「たべた!」
「どうだった?」
「うまぁ!」
説明になっていない。
「ちょうどいいわ」
ママが笑いながら皿を持ってきた。
「あなたたちも食べてみて」
三人の前に、揚げたてのスピアバードが置かれる。
イトたちは皿を見つめた。
「……これが?」
「スピアバード?」
「全然違う料理に見えるわね」
まずイトが一つ取る。
カリッ。
「…………」
サミエルも続く。
カリッ。
シオーネも一つ口に入れ、三人が揃って黙った。
「どう?」
「……これ」
イトが断面を見る。
「本当にあの肉か?」
「だからそう言ってるでしょ」
ママが笑う。
サミエルがもう一つ取った。
「硬くねえ」
「マヌルニクも合うわね」
シオーネも二個目へ手を伸ばす。
そして。
「フルコ」
「はい?」
「お酒もらえる?」
イトが吹き出した。
「お前もかよ!」
「だって、これ絶対合うでしょ」
「まあな」
「俺も頼む」
結局、三人分。
「おさけ、すすむね」
私が言うと、イトが笑った。
「進むな、これは」
カリッ。
ごくっ。
カリッ。
ごくっ。
……本当によく進んでいる。
「しかしなあ」
サミエルが皿を見ながら言った。
「これ、俺たち今までほとんど持って帰ってなかったんだよな」
「売れないもの」
シオーネが答える。
「ギルドで解体してもらうにも金がかかるし、肉屋に持っていっても大した値段にならないし」
「だから角とか使える素材だけ取って、肉は自分たちで食う分くらいだったな」
イトが酒を飲みながら食堂を見回した。
スピアバードを食べている客。
酒を追加する客。
さっきの男の子も、まだ一つ手に持っている。
「……これ、売れてるよな?」
「うん!」
私が答える。
なぜ私が得意げなのかは分からない。
「次に獲れたら、また持ってきてくれ」
厨房からパパが言った。
「状態がよければ買う」
イトの眉が上がる。
「本当に?」
「ああ。今日の感じなら料理として出せる」
「だったら持ってくるか」
イトがあっさり答えた。
「今まで金にならないから、わざわざ持って帰らなかっただけだしな」
「Forest亭が買ってくれるなら話は別だ」
サミエルも頷く。
シオーネは酒を飲みながら、少し考えていた。
「……ねえ」
「ん?」
「スピアバード以外にもいるわよね」
「何が?」
「食べられるけど、ほとんど値段がつかない魔獣」
私の耳が動いた。
気がした。
イトとサミエルも顔を見合わせる。
「あー……いるな」
「いるね」
「硬いやつとか」
「臭みが強いやつもいる」
「脂ばっかりのもいたな」
私は三人を見る。
「…………」
イトが私を見る。
「嬢ちゃん」
「なに?」
「その顔やめろ」
「どのかお?」
「持ってこいって顔」
まだ何も言ってない。
「もってきて!」
「ほら!」
サミエルが笑い出す。
シオーネも肩を揺らしている。
「まあ、いいんじゃない?」
「シオーネ?」
「どうせ今まで捨てたり、置いてきたりしてたんでしょ? 食べられそうなものがあったら、少し持ってきてみましょうよ」
「また嬢ちゃんが変な料理にするかもしれねえしな」
「へんなりょうりじゃない!」
トンカツも、これも。
ちゃんとした料理です。
前世では。
イトが残っていた最後の一つを口へ放り込む。
カリッ。
酒を一口。
そして、笑った。
「じゃあ今度から、売れなさそうな肉も少し気にしてみるか」
「うん!」
「ただし、何でも持ってくるわけじゃないからな」
「うん!」
「危ないやつ狩れとか言うなよ?」
「うん!」
「……分かってるか?」
「たぶん!」
「不安だな!」
笑い声が食堂に広がる。
硬くて、安くて、売れなくて、誰もわざわざ持って帰らなかったスピアバードの肉。
それが今日は、お肉が苦手な子のおかわりになって、大人たちのお酒のお供になって、冒険者さんたちに「次も持ってこよう」と思わせる料理になった。
そして、その日。
スピアバードの肉がなくなるより少しだけ早く、Forest亭の酒樽が一つ空になった。
……あれ?
新しいお肉料理を出した日だったはずなんだけどな。




