第61話 唐揚げバンザイ
昨日、イトたちが置いていったスピアバードの肉。
硬い。安い。売れない。
だから、ほとんど市場にも出回らない。
そんな、なんとも不遇なお肉が今、私の目の前にある。
「……これか?」
隣からトータ兄ちゃんが覗き込んだ。
「うん」
「昨日の鳥の魔獣?」
「すぴあばーど」
「角が生えてるやつだろ?」
「そらから、ずどーんってする」
両手を上から勢いよく振り下ろしてみせる。
「なんだそれ」
昨日サミエルがやっていた再現だ。
伝わらなかった。
朝の仕込みが一段落した厨房。パパは少し離れたところで昼の準備をしていて、私とトータ兄ちゃんは調理台に置かれたスピアバードの肉を眺めていた。
「これ、かたいんだって」
「へえ」
トータ兄ちゃんが肉を指で押す。
「確かに締まってるな」
さすが、普段からパパの手伝いをしているだけある。肉を見る目が、ちょっと料理人っぽい。
「でも、あじはわるくないって」
「じゃあ、柔らかくしたら普通に食えるんじゃない?」
そう。
問題はそこなのだ。
私はスピアバードの肉を見る。
見た目はかなり鶏肉に近い。
前世だったら、一口大に切って、味をつけて、粉をまぶして、油で――。
「これさ」
考えていた私の横で、トータ兄ちゃんが肉を持ち上げた。
「切り方変えたら柔らかくなるんじゃない?」
「きりかた?」
「うん」
トータ兄ちゃんが肉の表面を指でなぞる。
「ほら。ここ、筋みたいになってるだろ?」
見る。
確かに、一定の方向に細い線が走っている。
筋繊維だ。
「俺、こないだ肉切った時、こういう筋を切るように切って焼いたら、めちゃくちゃ柔らかくなったんだ」
「!」
兄ちゃん。
それだ。
「よこにきる!」
「横?」
「せん、ぷちって!」
「……ああ。筋を切るようにってこと?」
「それ!」
語彙力四歳。
伝えるのが難しい。
トータ兄ちゃんは包丁を持つと、肉の繊維を確認しながら向きを変えた。
「じゃあ、こっちだな」
とん。
繊維を断ち切るように包丁が入る。さらに向きを確認しながら、同じくらいの大きさに切っていく。
「おんなじおおきさ?」
「火の通り方が変わるだろ。小さいのだけ焼きすぎたら、また硬くなるかもしれないし」
なるほど。
そこまで考えてるのか。
(兄ちゃん、普通に料理人になってきてる……)
将来Forest亭を継ぐ予定なのだから当然なのかもしれないけれど、なんだか妹なのにちょっと感心してしまった。
「何にやにやしてんだよ」
「してない」
「してる」
してません。
たぶん。
「何してるんだ?」
パパがこちらへやってきた。
「スピアバード。柔らかくできないかなと思って」
トータ兄ちゃんが答える。
パパは切った肉を一つ手に取った。
「筋を断つように切ったのか」
「うん。前にこれやったら柔らかかったから」
「いいんじゃないか」
お。
褒められた。
トータ兄ちゃんの口元が、ほんの少し上がった。
「だったら、酒にも漬けてみろ」
「さけ?」
私がパパを見る。
「ああ。こういう硬い肉なら、少し酒に漬けておくといい。臭みも取れるし、肉も柔らかくなる」
「へえ」
今度はトータ兄ちゃんが感心している。
「どれくらい?」
「入れすぎるなよ。肉に馴染むくらいでいい」
トータ兄ちゃんが切った肉を器へ移す。
パパから料理用の酒を受け取り、少しずつ加えていった。
「これくらい?」
「もう少し少なくてもいいくらいだ」
「じゃあ……これで」
肉に酒を馴染ませるように混ぜる。
私はその様子を横から眺めていた。
筋繊維を断つように切る。
酒に漬ける。
硬い肉を柔らかくする下準備が、着々と出来上がっていく。
(……私、まだ何もしてない。)
料理人親子、強い。
「で?」
パパが私を見る。
「ルマはこれ、どうしたいんだ?」
きた。
私の番だ。
「ちいさくして、あじつけて」
「うん」
「こなつけて」
「うん」
私は油の鍋を指差した。
「あげる!」
パパとトータ兄ちゃんが揃って黙った。
「……また揚げるのか?」
トータ兄ちゃんが言った。
「うん!」
「お前、最近なんでも揚げようとしてない?」
失礼な。
トンカツの次が唐揚げなだけです。
何でもではない。
「でも、パンくずないぞ?」
「いらない」
「え?」
「こなだけ!」
トータ兄ちゃんが首を傾げる。
「それで衣になるの?」
「なる!」
これは知ってる。
「じゃあ、やってみるか」
パパはあっさり許可した。
ただし。
「油は俺が見るからな」
「はーい」
そこは素直に従う。
四歳児が大量の熱い油を扱うのは、前世がどうこう以前に危険すぎる。
しばらく酒に漬けたところで、今度は味付け。
塩を少し。
それから――。
「マヌルニク!」
私は厨房の隅に置いてある香味野菜を指差した。
白い小さな球根がいくつか重なった、見慣れた姿。
前世でいうところの、にんにく。
この世界にも、ちゃんと存在する。
ただし、名前は――マヌルニク。
初めて名前を聞いた時は、思わず二度聞きした。
マヌルなのか。
ニンニクなのか。
どっちかにしてほしい。
まあ、覚えやすいからいいけど。
「マヌルニク入れるのか?」
トータ兄ちゃんが一つ手に取る。
「うん! いっぱい!」
「いっぱい?」
「……ちょっといっぱい」
「どっちだよ」
トータ兄ちゃんが笑った。
細かく刻んだマヌルニクを、酒に漬けていた肉へ加える。そこへ塩を入れて混ぜ、少し置く。
だんだん馴染みのある香りがしてきた。
(ああ……これ。)
これだ。
醤油はない。
生姜に似たものも、まだ見つけていない。
でも、酒と塩とマヌルニク。
この三つがあれば、かなり近づける気がする。
「いい匂いだな」
トータ兄ちゃんが鼻を近づける。
「これ、焼いてもうまそう」
分かる。
でも今日は、揚げます。
味を馴染ませた肉に、小麦粉をまぶしていく。
「これくらい?」
「もっと、ぜんぶしろく」
「つけすぎじゃない?」
「うーん……」
二人で肉をひっくり返しながら粉をまとわせ、パパが温めてくれていた油の前へ持っていった。
「入れるぞ」
じゅっ。
肉を一つ落とした瞬間、油が大きく泡立った。
ジュワァァァァ――。
「おお」
トータ兄ちゃんが覗き込む。
私も覗き込む。
「二人とも近い」
パパにまとめて下げられた。
いい匂い。
油の香ばしい匂いに、マヌルニクの香り。さっきまでとは全然違う。
「腹減ってきた」
トータ兄ちゃんが呟く。
「わたしも」
「お前、朝飯食っただろ」
それとこれとは別です。
パパが肉を返す。
白かった粉が少しずつきつね色になっていく。表面はカリッとしている。
見た目は――。
(唐揚げだ。)
どう見ても唐揚げ。
「そろそろだな」
パパが油から引き上げる。
カリッとした衣。
立ち上る湯気。
マヌルニクの香り。
食べたい。
「たべていい?」
「まだ熱い」
「ふーふーする」
「待て」
止められた。
揚げ物を前にした数分は長い。
ようやくパパから許可が出る。
まずトータ兄ちゃんが一つ取った。
「いただきます」
カリッ。
いい音。
「……ん?」
トータ兄ちゃんが肉の断面を見る。
「どう?」
「柔らかい」
「ほんと!?」
「昨日、硬いって言ってたんだよな?」
「うん!」
「普通に噛み切れるぞ」
私も一つ取る。
まだ熱い。
ふー。
ふー。
小さく齧る。
カリッ。
「!」
外側は香ばしくて、中はしっとり。
噛む。
ちゃんと噛み切れる。
硬くない。
そして、マヌルニク。
いい仕事してる。
淡白な肉にしっかり香りがついていて、噛むほど肉の旨味も出てきた。
「……うまぁ」
出た。
思わず出た。
トータ兄ちゃんが笑う。
「それ出たなら成功だな」
「でも」
もう一口。
おいしい。
かなりおいしい。
でも。
「ちょっと、しおたりない?」
「俺も思った」
トータ兄ちゃんがすぐに答えた。
「マヌルニクはこれくらいでいいな。増やしたら強すぎそう」
「うん」
「塩だけ増やす?」
「やる!」
二回目。
酒に漬けた肉に、さっきより少しだけ多めの塩。マヌルニクは同じくらい。
小麦粉をまとわせる。
そして。
ジュワァァァ――。
再び厨房に、食欲をそそる香りが広がった。
「これ、絶対さっきよりうまい」
トータ兄ちゃんが言う。
分かる。
揚げている時点でもう分かる。
すると。
「ちょっと、さっきから何作ってるの?」
厨房の入り口から、ママがひょこっと顔を出した。
「いい匂いがずっとしてるんだけど」
きた。
「ママ!」
「なあに?」
「たべる?」
「食べる!」
即答だった。
さすがママ。
何を作っているのかも聞いていない。
「ママ、これスピアバードだぞ」
トータ兄ちゃんが言う。
「え?」
ママの笑顔が一瞬止まった。
「昨日もらった、あの硬いお肉?」
「うん」
「それを揚げたの?」
「うん!」
ママが皿を見る。
「へえ……」
ちょっとだけ警戒している。
昨日、イトたちから散々「硬い」「売れない」と聞かされた肉だ。
仕方ない。
「でも、やわらかいよ!」
「本当?」
「食えば分かる」
トータ兄ちゃんが言った。
「それ、昨日の冒険者さんと同じこと言ってるわよ」
確かに。
パパが油から最後の肉を引き上げる。
きつね色。
表面はカリッとしていて、マヌルニクのいい香りが立ち上っている。
四人で皿を囲んだ。
「じゃあ」
「たべよ!」
「待て。熱い」
また止められた。
「ルマ、さっきも止められてなかった?」
ママが笑う。
「……まってるもん」
待ってます。
ものすごく。
少しだけ。
そして、ようやくパパから許可が出た。
「もういいぞ」
「いただきます!」
四人で一つずつ取る。
カリッ。
「!」
トータ兄ちゃんが私を見る。
私も見る。
「こっち!」
「だな」
パパもゆっくり頷いた。
「うん。さっきよりいい」
そして。
「えっ」
ママの声がした。
見ると、口元に手を添えたまま、揚げた肉の断面を見ている。
「どう?」
「これ、本当に昨日のお肉?」
「すぴあばーど!」
「全然硬くないじゃない!」
ママがもう一口食べる。
「外はサクッとしてるのに、中はちゃんと柔らかい。それに、このマヌルニクの香り……私これ好き!」
「やった!」
嬉しくなって、トータ兄ちゃんを見る。
トータ兄ちゃんもちょっと得意そうだ。
「筋を切るように切ったんだよ。それからパパが酒に漬けたらって」
「へえ! トータも考えたの?」
「まあな」
ちょっとだけ胸を張った。
かわいい。
兄だけど。
「それでルマが揚げるって言い出した」
「また?」
ママが私を見る。
「またってなに!」
「最近、揚げるの好きねえと思って」
ママまで。
失礼な。
トンカツとこれだけです。
まだ。
私はもう一つ取って齧る。
衣はカリッ。
肉はちゃんと噛み切れる。
酒に漬けたおかげか、気になる臭みもない。
塩気と、マヌルニクの香り。
おいしい。
普通に。
いや。
かなり、おいしい。
「パパ」
「ん?」
「これ、うれる?」
パパはすぐには答えなかった。
もう一つ取って食べ、ゆっくり噛んでから皿を見る。
「……売れるな」
「私もこれ、お店で出していいと思う!」
ママもすぐに賛成した。
「お酒にも合いそうだし。これだけ頼む人もいそう」
なるほど。
ママはホール担当だから、お客さん目線だ。
「じゃあ、スピアバード、次から買う?」
トータ兄ちゃんが聞く。
パパは少し考えてから頷いた。
「あいつらがまた持ってきたらな」
「やった!」
私とトータ兄ちゃんの声が重なった。
顔を見合わせる。
なんだか嬉しくなって、二人で笑った。
筋を断つように切ることを思いついたのは、トータ兄ちゃん。
酒に漬けることを教えてくれたのは、パパ。
粉をつけて揚げようと言ったのは、私。
三人で作った、誰も欲しがらなかったスピアバードの新しい料理。
そして。
「これ、もう一個食べていい?」
完成したそばから食べているのが、ママ。
「ママ、それ二個目」
「あら、いいじゃない」
「わたしも!」
私も皿へ手を伸ばす。
「ルマ、それ何個目だ?」
パパに聞かれた。
「……さんこ」
「四個目だろ」
トータ兄ちゃんが余計なことを言う。
「さんこ!」
「俺、見てたぞ」
「さん!」
「四!」
「トータにいちゃんきらい!」
「なんでだよ!」
「はいはい。喧嘩するなら私が食べちゃうわよ」
「だめ!」
厨房に笑い声が響く。
その真ん中には、きつね色に揚がったスピアバードの肉。
昨日まで誰も欲しがらなかった肉が、今日はもう家族みんなで取り合う料理になっていた。




