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『のんびり暮らしたい宿屋の娘、今日も子育て相談を受けています』 ~元小児科看護師の異世界暮らし~  作者: 入野 カフェイン


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第60話 トンカツ…この響きには勝てない…。

数日前。


「今度あの魔獣を狩ったら、肉をうちに持ってきてくれ」


パパがそう頼むと、冒険者さんたちは、


「いいぞ」


と、ずいぶん軽い返事をしていた。


だから私も、まあ、そのうち。運がよければまた食べられるかな、くらいに思っていた。


――のだけれど。


「親父ー! 持ってきたぞ!」


早い。


Forest亭の扉が開き、見覚えのある三人組が入ってくる。


そして先頭の男の人は、両手に大きな包みを抱えていた。


「あ! おにくのひと!」


私が駆け寄ると、男の人の足が止まった。


「……なあ。俺たち、いつまでその呼ばれ方なんだ?」


「?」


「お肉の人ってやつだよ」


だって。


「なまえ、しらない」


「え?」


男の人が振り返る。


「俺、言ってなかったか?」


後ろにいたもう一人の男の人が少し考えたあと、首を横に振った。


「言ってないな」


「言ってないわね」


女の人も頷いた。


「じゃあ覚えられるわけないでしょ」


「……そういや、そうか」


三人で納得している。


今まで誰も気づいてなかったの?


「じゃあ改めてな」


大きな包みを持っていた男の人が、自分を指差した。


「俺はイト」


「いと」


次に、後ろの男の人。


「サミエルだ」


「さみえる」


最後に女の人が私の前で少しかがむ。


「私はシオーネよ」


「しおーね」


よし。


覚えた。


私は三人を順番に指差す。


「イト」


「おう」


「サミエル」


「正解」


「シオーネ」


「よくできました」


完璧。


「おにくのひとたち!」


「戻ったじゃねえか!」


イトの声がForest亭に響いた。


サミエルが吹き出し、シオーネも口元を押さえて笑っている。


そんな声を聞いて、パパが厨房から顔を出した。


「お、本当に持ってきてくれたのか」


「約束したからな。ちょうど昨日、森で見つけたんだ」


イトが抱えていた包みを、どん、とテーブルに置いた。


もちろん、魔獣がそのまま入っているわけではない。


今朝、冒険者ギルドへ持ち込んで討伐の確認をしてもらい、そのまま解体場で処理してもらったらしい。皮や牙なんかの素材はそこで分けて、肉の一部をForest亭用に持ってきてくれたそうだ。


パパが包みを開く。


「おお……」


私も横から覗き込んだ。


「おお……!」


きれいなお肉。


赤身と脂身のバランスがよくて、数日前に見たものと同じだ。


もう私には魔獣肉というより、完全にトンカツにしか見えない。


サクサク。


じゅわっ。


あの味が頭の中で蘇る。


「ルマ、近い」


「みてるだけ」


「顔が食う気なんだよ」


失礼な。


まだ生です。


パパは肉を持ち上げたり、脂の入り方を確かめたりしながらイトに聞いた。


「で、いくらだ?」


「これくらいでどうだ?」


イトが金額を伝える。


私はお店の仕入れ値なんて詳しく分からない。


だけど。


「……安いな」


パパの反応で分かった。


「だろ?」


「解体代は?」


「それも入れてある」


「それ込みでこれか?」


「ああ。言っただろ。肉そのものはそんなに高くねえって」


サミエルが横から口を挟む。


「豚みたいに餌をやって育てるわけじゃないからな。俺たちも素材のついでに肉が取れるようなもんだし」


「まあ、狩る手間はあるけどね」


シオーネが付け加えた。


パパがもう一度肉を見る。


明らかに料理人の顔になっている。


「豚を同じだけ仕入れるより、だいぶ安いな」


やっぱり。


私はテーブルに手をついた。


「パパ」


「なんだ」


「あれ、だせる?」


「あれ?」


「あげたやつ!」


「ああ」


パパは少し考えた。


「これなら、値段を抑えて出せそうだな」


きた。


私は思わず口元を押さえた。


あの名前のない揚げ肉。


いや。


私の中では、ずっとトンカツ。


Forest亭の料理にできる。


「嬢ちゃん、そんなにあれ気に入ったのか?」


イトが笑う。


「おいしかったもん」


「俺もまた食いてえな」


サミエルも頷いた。


「私も。あの衣、好きだったわ」


シオーネまで。


これはもう。


売れるのでは?


パパは腕を組んだ。


「問題は、いつでも肉が手に入るわけじゃないことか」


「ああ。それは仕方ねえな」


イトが答える。


「狩りに行けば必ず会えるってもんでもないしな」


「でも、珍しい魔獣じゃないわよ」


「獲れたらまた持ってくるさ」


それなら。


「あるときだけ、だしたら?」


パパが私を見る。


「肉が入った日だけか?」


「うん」


毎日出せないなら、ある日だけ出せばいい。


本日の料理。


数量限定。


前世でも、そういう言葉には弱かった。


パパも少し考えてから頷く。


「それならいけそうだな」


やった。


ついに、Forest亭の料理に――。


「で、名前は決まったのか?」


サミエルが聞いた。


「…………」


忘れてた。


そこだけ何も進んでいない。


「まだだ」


パパが答える。


「じゃあ名前のない料理として出すの?」


シオーネが笑う。


「それはさすがに困るな」


「とんかつ」


私がぼそっと言う。


パパがこっちを見る。


「またそれか」


だってトンカツなんだもん。


「トンカツ?」


イトが首を傾げた。


「なんだそれ」


「なまえ」


「いや、それは分かる」


サミエルが笑う。


「トンってなんだ?」


「…………」


それを聞かれると弱い。


この肉、豚じゃないし。


そもそもこの世界で豚をトンとは呼ばない。


「ルマが考えた言葉なんじゃない?」


ママが横から助け舟を出してくれた。


「そう!」


それでいこう。


「じゃあ、トンカツでいいんじゃねえか?」


イトがあっさり言った。


「え?」


「短いし、覚えやすい」


「何の料理なのか全然分からないけどね」


シオーネが笑う。


するとサミエルが、


「食えば分かるだろ」


と、ものすごく雑にまとめた。


なんて力強い。


「……まあ、名前なんて後から意味がついてくるもんか」


パパが肉を持ち上げる。


「じゃあ、とりあえずトンカツで出してみるか」


「!」


決まった。


この世界に、トンカツが誕生した。


豚じゃないけど。


まあ、細かいことはいい。


おいしければいいのだ。



「そういや」


イトが、ふと思い出したように足元を見た。


「嬢ちゃん、この前言ってただろ」


「なに?」


「ほかにも、うまい魔獣はいないのかって」


言った。


確かに言った。


「昨日、こいつを狩った時にな」


イトが足元の荷物を探り始める。


「別のやつにも襲われたんだ」


「べつの?」


「ああ。そいつもギルドで解体してもらったから、少し持ってきた」


取り出されたのは、さっきよりずっと小さな包みだった。


パパが受け取って開く。


中から出てきたのは、さっきとは全然違う肉。


白っぽい。


脂も少ない。


なんというか――。


「……とり?」


「よく分かったな」


イトが感心したように言う。


やっぱり。


「スピアバードっていう魔獣よ」


シオーネが教えてくれた。


「すぴあばーど」


聞いたことのない名前だ。


「どんなとり?」


そう聞くと、サミエルが人差し指を額の前に立てた。


「ここに一本、長い角が生えてる」


「つの?」


鳥なのに?


「それで刺すのよ」


シオーネがさらっと怖いことを言った。


「空から獲物を見つけたら、翼を畳んで一気に急降下してくるの」


サミエルが手を高く上げた。


「こんな感じでな」


その手を勢いよく斜め下へ振り下ろす。


「ズドン!」


「ひゃっ」


思わず一歩下がった。


イトとサミエルが笑う。


「笑いごとじゃないわよ」


シオーネが二人を睨んだ。


「昨日だって私のすぐ横に突っ込んできたんだから」


「当たってねえだろ」


「当たってたら怒れないでしょ!」


ごもっとも。


「まともに食らうと危ないぞ」


イトが言う。


「盾に穴開けられたやつもいるくらいだからな」


「……こわ」


私は包みの中のお肉を見る。


こんな普通の鳥肉みたいなのに、生きていた時は角を構えて空から突っ込んできていたらしい。


「でも昨日のは勢いつけすぎてな」


サミエルが笑いながら続ける。


「シオーネに避けられて、そのまま地面に角ぶっ刺して――」


「そこから先は言わなくていい」


シオーネが遮った。


……ちょっと間抜けなのかもしれない。


「これ、よくたべるの?」


私が聞くと、三人が揃って微妙な顔をした。


「あー……」


イトが頭をかく。


「食えなくはない」


「まずい?」


「まずくはない」


サミエルが答える。


どっち。


パパが肉を指で押してみる。


「ずいぶん締まってるな」


「そうなのよ。硬いの」


シオーネが言う。


「焼くと特にね。味は悪くないんだけど」


「じゃあ、やすい?」


「ああ。安いぞ」


イトが答えた。


「というか、ほとんど値がつかねえ」


……ん?


「うれない?」


「あんまりな」


サミエルが肩をすくめる。


「硬い肉をわざわざ買いたがるやつも少ないからな」


「じゃあ、おにくやさんにある?」


「ほとんど見ないわね」


シオーネが答えた。


え。


安いのに?


「売れないものを肉屋がわざわざ仕入れるわけないでしょ?」


あ。


そういうことか。


私はてっきり、安い肉なら普通に出回っているものだと思っていた。


でも逆なんだ。


売れないから、肉屋も仕入れない。


そして。


「俺たちだって、わざわざスピアバードを狙って狩りには行かねえよ」


イトが言った。


「危ない割に金にならないからな」


サミエルも頷く。


「向こうから襲ってきたら倒すくらいね」


シオーネが肉を見る。


つまり、珍しいから出回っていないわけじゃない。


欲しがる人がいないから、出回っていない。


今回はたまたまスピアバードの方から襲ってきた。そして私が「ほかの魔獣も食べてみたい」と言っていたから、ギルドで解体してもらった時に少し持ってきてくれた。


「いらなかったか?」


イトが聞く。


「いる!」


即答した。


「ルマ」


パパの声が飛んでくる。


「……ちょっとだけ」


危ない。


勝手に仕入れるところだった。


「これは土産でいいわよ」


シオーネが笑った。


「どうせ売っても大した額にならないもの」


「ありがとう!」


私は改めてスピアバードの肉を見る。


白っぽくて、脂は少ない。見た目はかなり鶏肉に近い。


そして、硬い。


硬いのか。


でも、前世でも同じ鶏肉なのに調理の仕方ひとつで食感はずいぶん変わった。


小さく切ったり、下味をつけたり。


それから――揚げたり。


私はじっとスピアバードの肉を見つめる。


「ルマ」


パパの声。


「なに?」


「また何か考えてるだろ」


「…………」


なんで分かるんだろう。


「なにも?」


「その顔は何かする顔だ」


失礼な。


私はまだ、何もしていない。


ただちょっと。


硬くて、安くて、売れなくて、だから誰も欲しがらない、この鳥の肉を――。


おいしく食べる方法を、知っている気がするだけだ。

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