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『のんびり暮らしたい宿屋の娘、今日も子育て相談を受けています』 ~元小児科看護師の異世界暮らし~  作者: 入野 カフェイン


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第58話 その魔獣 揚げてもいいですか

翌朝。


昨日の冒険者三人組は、朝食を食べ終えると出発の準備を始めていた。


剣を腰に下げ、弓を背負い、大きな荷物をまとめていく。


私はその様子を食堂の隅から眺めていた。


昨日は楽しかった。


コカトリス。


ボアグル。


魔石。


羽毛。


この世界に五年も住んでいるのに、知らないことだらけだった。


「じゃあ、世話になったな」


「お気をつけて!」


ママが三人を見送ろうとした、そのとき。


大きな男の人が「あ」と声を上げた。


「そういや嬢ちゃん」


「ん?」


「昨日、ボアグルの肉にやたら食いついてただろ」


「!」


覚えていたらしい。


男の人は荷物の中を探ると、厚手の袋を一つ取り出した。


「少し持ってくか?」


「いいの!?」


一瞬で駆け寄る。


差し出された袋に手を伸ばしかけて――止まった。


「……これ、なま?」


「そりゃ生だ」


「ずっともってたの?」


「心配するところそこなの?」


弓の女の人が笑った。


でも大事だ。


昨日倒した魔獣とはいえ、ずっと常温で持ち歩いていた肉を食べるのは怖い。


「保存袋に入れてあるから大丈夫だ」


男の人が袋を見せてくれる。


よく見ると、口の部分に小さな魔石が取り付けられていた。


触ってみる。


「つめたい!」


「簡単な冷却の魔法がかかってる。何日もは無理だが、昨日仕留めた肉なら問題ない」


(異世界版クーラーバッグ!)


また便利なものを知ってしまった。


「パパー!」


厨房へ走る。


「なんだ?」


「おにくもらった!」


「朝から何してるんだ」


事情を説明すると、パパは袋の中を確認した。


厚く切られた赤みのある肉。


端には白い脂がついている。


匂いや色を確認し、指で肉の状態も見る。


「これなら今日使う分には問題なさそうだな」


よし。


私は肉を見つめた。


昨日聞いた話を思い出す。


豚に近い。


脂が甘い。


背中の肉を厚く切って焼くとうまい。


そして昨日、途中まで頭の中に浮かんでいた料理。


小麦粉。


卵。


パン。


油。


全部ある。


「…………」


できる。


「パパ!」


「今度はなんだ」


「これ、ルマがりょうりしたい!」


「お前が?」


「いっしょに!」


一人で大量の油を扱うのはさすがに無理だ。


パパは肉と私を見比べる。


「何作るつもりだ?」


「おいしいの!」


「説明になってない」


◇


まず用意したのは、少し硬くなった昨日のパン。


パパが不思議そうに見ている。


「肉を料理するんじゃないのか?」


「するよ!」


「じゃあなんでパンなんだ」


「これを、こまかくする!」


乾燥気味のパンを小さくちぎり、さらに細かく砕いていく。


完全な粉にはしない。


細かな粒が残るくらい。


「これくらい!」


パパが指でつまむ。


「パンをこんなふうに使うのか」


「ふるくなったパンでもできるよ!」


その瞬間。


パパの目が少し変わった。


「古いパンでも?」


食材を無駄にしない話になると反応が早い。


「うん!」


「……それはいいな」


食いついた。


次はボアグルの肉。


厚みのある部分をパパに切ってもらい、軽く叩いて厚さを整える。


「しお!」


「はいはい」


パパが塩を振る。


そこへ小麦粉。


「全部つけるのか?」


「うん!」


薄く全体につける。


次に溶いた卵。


「まだつけるのか?」


「まだ!」


最後に、さっき砕いたパン。


肉の表面へぎゅっと押しつける。


「できた!」


パパが完成したものを見る。


「……三回もつける必要あるのか?」


「ある!」


たぶん。


前世ではそうしていた。


理由を五歳児の言葉で詳しく説明する自信はない。


「これを、あぶらであげる!」


「揚げる?」


「いっぱいのあぶら!」


パパの目が細くなった。


「ルマは離れてろ」


「はーい」


そこは素直に従う。


油を熱するのはパパの仕事だ。


十分に温まったところで、衣をつけた肉をそっと入れる。


じゅわああああっ。


「……!」


懐かしい音。


油の中から細かな泡が次々と浮かび、白っぽかった衣が少しずつ色づいていく。


香ばしい匂いが厨房いっぱいに広がった。


(これこれこれ!)


私は鍋の前で跳ねそうになるのを必死に我慢した。


パパが肉を返す。


じゅわっ。


反対側もきつね色になっていく。


「いいにおい!」


「確かにな」


トータまで匂いにつられて厨房へやってきた。


「何作ってるの?」


「ボアグル!」


「それ料理名じゃないでしょ」


そうだった。


そのとき。


「……おい」


食堂の方から声がした。


振り返る。


出発したはずの冒険者三人が、厨房の入口からこちらを見ていた。


「もういくんじゃなかったの?」


「その予定だった」


剣の男の人が鼻を動かす。


「なんか、すげえいい匂いするんだけど」


「私たちの肉じゃない?」


女の人が言う。


「さっきあげた肉だよな?」


「そうだよ!」


「……もう料理したのか?」


「うん!」


三人が顔を見合わせる。


「一口くれ」


「さっきあさごはんたべてた!」


「別腹だ」


大人も別腹って言うんだ。


◇


揚がった肉をパパが切る。


さくっ。


包丁が衣を通る音だけで嬉しくなる。


中までしっかり火が通っていることを確認してから、皿へ並べた。


断面から肉汁がじわっと滲む。


「まず、そのまま!」


一切れずつ分ける。


冒険者三人。


パパ。


トータ。


ママ。


そして私。


みんなで一斉に口へ運ぶ。


さくっ。


「…………!」


衣が軽い。


そのあとから、ボアグルの肉の旨味がくる。


豚肉より少し味が濃い。


でも癖は思っていたより少ない。


脂は甘い。


(うまぁ……!)


久しぶりに心の中で出た。


いや。


「うまぁ……」


声にも出ていた。


リトが遠くから反応する。


「うまぁ?」


「リトはあとで!」


「なんで!?」


今来ないで。


人数が増える。


冒険者三人はというと。


「…………」


黙っていた。


「どう?」


大きな男の人が、ゆっくり私を見る。


「嬢ちゃん」


「なに?」


「昨日の肉、返せ」


「もうあげたでしょ」


「違う」


男の人が自分の荷物を指さす。


「残りも持ってくる」


「旅でたべるんじゃないの!?」


「予定変更だ」


弓の女の人が笑った。


「私もこれ好き」


「パンをつけて揚げるだけでこんなに変わるのね」


剣の男の人は二切れ目に手を伸ばしている。


「塩だけでもうまいな」


「でも、なんかつけたい」


私が言うと、パパも頷いた。


「少し濃い味のものが合いそうだな」


そこからは料理人の顔になった。


黒煮込みにも使っている調味料を出し、果実の酸味と甘み、香辛料を少しずつ合わせていく。


私は横から見ているだけ。


何度か味を調整して。


「これならどうだ」


出来上がったのは、甘酸っぱくて少し濃い、とろりとしたソース。


揚げたボアグルに少しかける。


「いただきます!」


さくっ。


「…………!」


こっちだ。


「パパ、これ!」


「合うか?」


「めっちゃあう!」


冒険者たちもソースをつける。


「おお!」


「こっちの方が好きかも」


「エール欲しくなるな」


「今から出発するんじゃなかったの?」


「…………」


三人とも黙った。


「飲まないぞ」


ママが先に釘を刺した。


◇


結局。


三人が旅用に残していたボアグル肉まで出てきた。


「ほんとにいいの?」


「全部揚げてくれ」


「今日の昼飯にする」


なるほど。


旅ごはんになった。


追加の肉を揚げながら、パパがぽつりと言う。


「……これ、店でも出せそうだな」


「!」


私は勢いよく振り返った。


「だす!?」


「ボアグルの肉が安定して手に入るならな。古くなったパンも使えるし、料理として面白い」


新メニュー。


また増えるかもしれない。


トータが完成した一切れをつまみながら聞いた。


「これ、なんて料理なの?」


「トンカツ!」


即答した。


「……トン?」


「カツ?」


パパとトータが首を傾げる。


冒険者三人も首を傾げた。


「トンってなんだ?」


「…………」


しまった。


この世界にも豚はいる。


でも。


トンカツの「トン」が通じるわけではない。


「じゃあ、カツって何?」


「…………」


それも説明できない。


全員の視線が私に集まる。


私は皿の上の揚げたボアグルを見る。


どう見てもトンカツだ。


でも。


「…………ボアグルカツ?」


「だからカツってなんだよ」


剣の男の人に突っ込まれた。


確かに。


新しい料理は完成した。


味も大成功。


冒険者たちにも好評。


パパまで店で出せそうだと言っている。


なのに。


「なまえがない……」


まさか最後に。


料理ではなく、名前でつまずくとは思わなかった。

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