第56話 シロップ様様
ロウの薬屋を訪れたのは、特に用事があったわけではなかった。
春も深まり、外を歩くのが気持ちいい季節になったから、散歩のついでに顔を出しただけ。
扉を開けると、いつもの薬草の匂いが鼻に入る。
「こんにちはー!」
「ルマか」
棚の奥からロウが顔を出した。
相変わらず落ち着いた声だ。
「今日はどうした?」
「あそびにきた!」
「薬屋は遊び場じゃないぞ」
そう言いながらも追い返さないので、たぶん慣れている。
私は店の中をきょろきょろ見ながら、いつものようにカウンターへ近づいた。
するとロウが、何かを思い出したように手を止める。
「……そうだ。ちょうどよかった」
「なに?」
「できたぞ」
「なにが?」
ロウは棚の奥から、小さな瓶を一本取り出した。
中には、少しとろみのある琥珀色の液体が入っている。
「前にお前が言ってただろ」
「?」
「粉じゃなくて、最初から液体の薬にできないかって」
「…………」
私は瓶を見る。
ロウを見る。
もう一度、瓶を見る。
「できたの!?」
「ああ」
(シロップ薬だー!)
思わずカウンターへ身を乗り出した。
以前、お茶を飲みながら何気なく話したことだった。
粉薬を嫌がる子どもは多い。
だったら最初から液体にできないのか。
そんな話をしただけだったのに。
「ずっとつくってたの?」
「簡単にできると思ったか?」
ロウが呆れたように言いながら、別の小瓶をいくつか並べた。
「これは?」
「最初のやつだ。苦すぎた」
「こっちは?」
「甘くしすぎた」
「これは?」
「三日で匂いが変わった」
「…………」
瓶が増えるたびに、私の口が閉じていく。
薬草から必要なものを液体に取り出す方法。
一回で飲む量。
濃さ。
保存できる期間。
味。
ロウは私が知らないところで、ずっと試していたらしい。
(ロウ、めちゃくちゃ研究してる……)
「薬草によって抽出の仕方も違う。何でも同じようには作れない」
「そっか」
「だから、今できてるのは一種類だけだ」
それでも。
一種類は、できた。
「すごい!」
私が言うと、ロウは少しだけ笑った。
「まだあるぞ」
「え?」
ロウが完成した瓶の蓋を開ける。
ふわっと甘い香りがした。
「……!」
知っている。
この匂い。
「バナーヌだ」
「バナーヌ!」
この世界に来て初めて見たときから思っていた。
黄色くて、細長くて、皮をむけば柔らかくて甘い。
どう見ても。
(バナナ)
そのバナーヌの甘い香りが、薬草の匂いに混ざっている。
いや、ほとんど薬草の匂いが分からない。
「ただ甘くするだけじゃ駄目だった」
ロウが言った。
「薬草の匂いだけで嫌がる子がいるからな。香りの強い果物をいくつか試した。今のところ、これが一番合った」
私は瓶に鼻を近づける。
甘い。
すごく懐かしい。
(……バナナ味のシロップ薬だ、これ)
異世界に来てまで、この香りに出会うとは思わなかった。
「のんでいい?」
「薬だぞ」
「ちょっと!」
「駄目だ」
「けち!」
「薬をお菓子みたいに言うな」
怒られた。
◇
しばらくすると、一組の親子が薬を受け取りにやってきた。
私と同じくらいか、少し小さいくらいの男の子だ。
ロウが薬の説明を始めた途端、男の子の表情が曇った。
「くすり、いや」
「ほら、ちゃんと飲まないと」
「いや!」
お母さんが困ったようにロウを見る。
「この子、粉の薬が本当に苦手で……。毎回飲ませるのに時間がかかるんです」
ロウが私を見る。
私もロウを見る。
二人同時に、さっきの瓶を見た。
「ちょうどいいな」
ロウが呟いた。
今回の薬は、完成した液体薬として調整できるものらしい。
もちろん、お母さんに説明して了承をもらってから。
ロウが小さな匙に一回分を取った。
男の子は警戒しながら覗き込む。
「……くすり?」
「そうだ」
「いや」
やっぱり嫌らしい。
でも。
鼻をくんくんさせる。
「……バナーヌ?」
「分かるか?」
男の子がもう一度匂いを嗅いだ。
「バナーヌのにおいする」
さっきまでの嫌そうな顔が、少しだけ変わった。
(おお……!)
味だけじゃない。
飲む前から「嫌だ」と思わないことも大事だ。
「ちょっと、のんでみる?」
私が言うと、男の子はしばらく匙を見つめたあと、小さく口を開けた。
ぱく。
ごくん。
ロウも私も黙って見守る。
「…………」
男の子が目をぱちぱちさせる。
「どう?」
「……あまい」
(よし!)
お母さんの顔も明るくなる。
でも私は待った。
薬は薬。
香りと甘味で飲みやすくしても、苦味そのものが完全になくなったわけじゃない。
そして数秒後。
男の子の眉が、きゅっと寄った。
「……にがい」
(きた!)
私はすぐに男の子へ聞いた。
「すきなたべもの、なに?」
「え?」
「いちばんすきなの!」
男の子は突然の質問に戸惑いながら答える。
「……バナーヌ」
そこもバナーヌなんだ。
「ロウ!」
私は振り返った。
「このおくすり、バナーヌいっしょにたべていい?」
「ああ。この薬なら問題ない」
「じゃあ、おくすりのんだら、にがーってなるまえにバナーヌたべる!」
お母さんが首を傾げた。
「すぐ食べさせるの?」
「うん!」
薬を飲んだ後、苦味が口の中に残る。
その嫌な記憶が強いと、次に薬を見ただけで嫌がる子もいた。
だから前世では、その子が好きなものをすぐ口にして、嫌な味を切り替える方法を使うこともあった。
もちろん、何でもいいわけじゃない。
薬によっては食べ物や飲み物との組み合わせに注意が必要なこともある。
だから。
「でも、いっしょにたべていいか、ロウにきいてね!」
「なるほど……」
お母さんが頷く。
ロウは少し考えるように私を見ていた。
「薬そのものを飲みやすくするだけじゃなくて、飲んだ後の味まで変えるのか」
「そう!」
「それなら、薬ごとに相性のいい食べ物も調べておいた方がいいな」
「うん!」
そこで気づいた。
(……あ)
またロウの研究項目を増やしてしまった。
でも。
男の子は、さっきまで嫌そうにしていた匙をもう怖がっていなかった。
「これなら、のめる?」
私が聞く。
少し考えてから。
「……のめる」
その一言が、なんだかすごく嬉しかった。
美味しくなくてもいい。
薬なんだから、好きな食べ物になる必要もない。
ただ。
必要な薬を、ちゃんと飲める。
それでいい。
前世の病棟でも、何度も考えていた。
どんなに必要な薬でも、子どもが飲めなければ届かない。
味を変える。
飲み方を変える。
飲んだ後を工夫する。
その子に合った方法を一緒に探す。
それも、治療を続けるための大事な手助けだった。
「ロウ」
「なんだ?」
「すごいね」
「急にどうした」
「これ!」
私は小瓶を指さした。
「ちゃんとのめる、おくすりになった!」
ロウは一瞬だけ黙った。
それから、小瓶を見て小さく頷く。
「まだ一種類だけだ」
「でも、ひとつできた!」
「……そうだな」
ロウが少し笑った。
その顔を見て、私も嬉しくなる。
何気なく口にしたアイデアを。
ロウは薬師として、ちゃんと形にしてくれた。
私は薬を作れない。
治癒魔法だって使えない。
でも。
飲めない子と一緒に、飲める方法を考えることなら。
今の私にも、少しくらいできるのかもしれない。
「ところで、ルマ」
「ん?」
ロウが完成したシロップ薬を棚へ戻しながら言った。
「他にもあるんじゃないか?」
「なにが?」
「子どもに薬を飲ませる方法だ」
「…………」
頭の中に、いろいろ浮かんだ。
アイス。
ジュース。
ヨーグルト。
甘いシロップ。
それから――。
「…………しらない」
「今の間はなんだ」
「しらないよ!」
「こっちを見ろ」
「みてる!」
「壁を見てるだろ」
私は壁を見つめたまま動かなかった。
どうやらシロップ薬は完成したけれど。
ロウの研究は、まだまだ終わりそうになかった。




