第5話 全身観察は、看護師の基本
三年が経った。
「ルマ! またそんなところ登って!」
「だいじょうぶ!」
「三歳の子が言う『大丈夫』ほど信用できないものはないの!」
(それは確かに)
異世界に転生して三年。
私は無事、走って、喋って、怒られるまでに成長した。
赤ちゃん時代とは比べものにならないほど自由である。
自分でご飯を食べられる。本も読めるようになってきた。Forest亭と自宅の間も自由に行き来できるし、裏庭ではトータと遊べる。
六歳になったトータは相変わらず私をあちこちへ連れ回すので、暇を持て余すこともほとんどなくなった。
そして、赤ちゃんの頃から始めた魔力練りも続けている。
身体の中にある魔力を集めて、巡らせて、戻す。
今では目を閉じなくても簡単にできるようになった。
(そろそろ魔法も使ってみたいんだけどなぁ)
ヤト――今では普通にパパと呼んでいる――に何度かお願いしてみたものの、
「まだ早い」
の一言で却下された。
残念だけど、時間はある。
今のところ、私の二度目の人生はかなり順調だった。
そんなある朝。
「うっ……」
食堂へ向かおうとしていた私は、聞き慣れない声に足を止めた。
(ん?)
声がしたのは自宅の奥。
覗いてみると、ママが口元を押さえていた。
「ママ?」
「あら、ルマ。どうしたの?」
「だいじょうぶ?」
「大丈夫よ。ちょっと気持ち悪いだけ」
(気持ち悪い?)
顔色はそこまで悪くない。
「おなかいたい?」
「ううん。痛くはないわよ」
「おねつ?」
「ないない。元気よ」
そう言ってママは笑った。
(じゃあ何だろ)
少し気にはなったけれど、本人が元気だと言うので、その日はそれ以上考えなかった。
◇ ◇ ◇
ところが、それから数日。
どうもママの様子がおかしい。
「ごめん、ヤト。今日これ無理だわ」
「どうした?」
「匂いが……ちょっと」
厨房で煮込み料理の鍋を覗いたママが、眉間にしわを寄せて離れていく。
(まただ)
昨日は焼いた肉の匂い。
一昨日は朝食をほとんど食べていなかった。
それなのに昼頃になると、普通に食べている。
(朝に多い……匂いで気持ち悪くなる……)
なんとなく引っかかる。
前世の私は小児科看護師だったので、妊婦さんを専門に診ていたわけではない。
でも、この症状はさすがに知っている。
(……いや、まさかね)
そう思った直後。
「うっ」
ママが突然口元を押さえ、厨房から飛び出した。
「フルコ?」
パパが追いかけようとする。
「私見てくる!」
「ルマ?」
私もその後を追った。
自宅へ戻ると、ママが吐いていた。
「ママ……」
「ああ、ルマ。ごめんね、びっくりした?」
背中をさすってあげたいところだけど、三歳児の手では位置が低すぎる。
仕方なく隣にしゃがむ。
(胃腸炎……?)
でも、下痢はしていない。
熱もなさそう。
何日か続いているのに、ずっと具合が悪いわけでもない。
朝に強くて、匂いで悪化する。
(…………あ)
私はママを見る。
まだお腹はいつも通りだ。
でも。
(これ、つわりじゃない?)
一度そう思うと、ここ数日の様子が全部繋がった。
確定はできない。
できないけど、十分あり得る。
「ママ」
「ん?」
「おなかに、あかちゃんいる?」
「…………え?」
ママの動きが止まった。
「…………」
「…………」
「ルマ?」
「なに?」
「なんで?」
(ですよね)
三歳児から突然そんなことを言われたら、そりゃそうなる。
「きもちわるいっていってるから」
「それだけ?」
「においも、いやっていってた」
ママが目を丸くした。
「それで赤ちゃんだと思ったの?」
「うん」
「…………」
(悪心と嗅覚の変化、それに症状の出る時間帯から推察しました)
とは言えない。
「なんとなく!」
最後は三歳児らしさで押し切った。
ママはしばらく呆然としていたけれど、やがて自分のお腹に手を当てた。
「……赤ちゃん、かぁ」
その顔が少しだけ嬉しそうに見えた。
◇ ◇ ◇
数日後。
「ルマー」
「なに?」
裏庭でトータと遊んでいると、ママが私を呼んだ。
近づくと、しゃがんで私と目線を合わせる。
「この前、ルマが言ってたでしょ?」
「あかちゃん?」
「そう」
ママが笑った。
「本当にいたみたい」
「おお……」
思わず素の反応が出た。
「おお?」
「……やったー!」
慌てて両手を上げる。
危ない危ない。
ママは笑いながら私を抱きしめた。
「ルマ、お姉ちゃんになるのよ」
(お姉ちゃんかぁ)
前世では妹も弟もいなかった。
ましてや三歳で姉になるなんて、当然初めてだ。
「トータもお兄ちゃんね」
「ぼく、もうお兄ちゃんだよ?」
「あ、そっか」
トータは得意げに胸を張った。
私はママのお腹を見る。
まだ外からは何も分からない。
この中に、もう一人いるらしい。
(弟かな。妹かな)
どっちでもいい。
元気に生まれてくれたら、それでいい。
……なんて考えたところで、ふと気づいた。
赤ちゃんが生まれる。
ということは。
(また、おむつ替えるのか)
今度は――。
(ようやく私が、替える側に戻れる……!)
三年越しの返り咲きである。




