第48話 春の訪れと旅人の訪れ。
春が来て、暖炉をつけない日が増えた。
窓を開けている時間も長くなり、町を歩く人たちの服も少しずつ薄くなっている。
そして、春になって変わったものがもうひとつ。
「ルマちゃん、三番のお部屋にお水お願い!」
「はーい!」
「ルマ! こっちの皿も頼む!」
「いまいくー!」
――Forest亭が、めちゃくちゃ忙しい。
◇
「今日、部屋ぜんぶ埋まったぞ」
朝ごはんの途中、パパが何でもないことのように言った。パンを食べていた私は、思わず顔を上げる。
「ぜんぶ?」
「ああ。空いてる部屋はひとつもない」
「…………」
満室。
冬の間だってお客さんはいたけれど、こんなに宿泊客が重なる日は少なかった。
寒い時期は遠くへ向かう旅人そのものが減るらしい。それが雪解けとともに道が通りやすくなり、少し暖かくなった途端、人が一斉に動き始めた。
「春になると毎年こんな感じよ。商人さんも旅人さんも、一気に増えるの」
ママが慣れた様子で笑う。
「へえ……」
春は花が咲くだけではないらしい。
人も動く季節なのだ。
◇
昼前になると、Forest亭の前に大きな荷馬車が止まった。
木箱や樽、布に包まれた大きな荷物が山ほど積まれていて、その横から旅装の男たちが降りてくる。
「いらっしゃいませー!」
「三人なんだが、今夜泊まれるか?」
「ごめんなさい、今日はもう満室なんです」
「やっぱりかあ。食事だけでもいいか?」
「もちろんです!」
そうして、またお客さんが増えた。
私は水を運んで、パンを運んで、空いたお皿を下げる。
……おかしい。
春になったら外で遊ぼうと思っていたのに、私はめちゃくちゃ働いている。
(私、五歳なんだけどな)
まあ、お皿を運ぶたびに「えらいねえ」と言ってもらえるので、悪い気はしない。
食堂を行き来していると、自然といろんな話が耳に入ってきた。
「南の街道は、もう雪なんて残ってなかったぞ」
「山沿いはもう少しかかるだろうな」
「今年は西の方へ行くつもりだ」
知らない場所。知らない道。知らない町。
今までもForest亭には旅人が来ていたのに、今日はなぜかその話が気になった。
春が来て、この町の外まで一緒に動き始めたような気がしたからかもしれない。
「嬢ちゃん」
「ん?」
さっきの荷馬車の男が私を呼んだ。
「これ、うまかったぞ」
男が指差したのは黒煮込みだった。
「!」
私はちょっと胸を張る。
「それ、ルマもつくった」
「え?」
「ルマと、おにいちゃん」
男が私を見て、黒煮込みを見て、もう一度私を見る。
「……本当か?」
「ほんと」
「本当だぞ!」
厨房からパパの声が飛んできた。
「すげえな、嬢ちゃん」
「ふふん」
春。
いい季節である。
◇
男たちは食事をしながら、これから向かう場所について話していた。
「次は東だな」
「湖沿いを通るか?」
その言葉に、私の耳が反応した。
「みずうみ?」
「ああ。でっかい湖があるんだよ」
「でっかい?」
「向こう岸が見えないくらいな」
「!」
それはかなり大きい。
「さかな、いる?」
「そりゃいるぞ。たくさん」
「つれる?」
「釣れる釣れる。あの辺じゃ、釣った魚を焼いて売ってる店も多いぞ」
私は思わず男のそばまで寄った。
「おおきい?」
「大きいのもいるぞ。そうだなあ……これくらい」
男が両手を大きく広げる。
「おお……!」
でかい。
釣りたい。非常に釣りたい。
「ルマちゃん」
後ろからママの声がした。
「ん?」
「お仕事中ですよ」
「…………」
そうだった。
私は渋々お皿を持ち直す。
湖。覚えておこう。
◇
午後になると、今度は別の旅人が南の話をしていた。
「今ごろなら、もう花が咲いてるんじゃないか?」
「咲いてたぞ。街道沿いが黄色かった」
さらに別の商人からは、「獣人の国まで行くなら、もう少し暖かくなってからの方がいい」なんて言葉も聞こえてきた。
獣人の国。
この世界に獣人がいることは知っている。でも、私はまだ会ったことがない。
耳があるんだろうか。尻尾もある? どんな町に住んで、何を食べているんだろう。
(気になる……)
これまでの私にとって、Forest亭とこの町だけでも世界は十分に広かった。
それが五歳になり、友達と市場へ行ったり、知らない道へ入ったりして、少しずつ行動できる場所が増えている。
だけど、Forest亭へやってくる旅人たちは、もっと遠くから来ている。
山の向こうにある町。向こう岸が見えないほど大きな湖。黄色い花が咲く南の街道。そして、獣人たちの住む国。
「…………」
行ってみたい。
そんな気持ちが、初めて胸の中に浮かんだ。
◇
そして夕食時。
食堂が昼間以上に混み合えば、当然、厨房へ戻ってくる食器も増える。
私は厨房の隅に立ち、積み上がった皿や器を見上げた。
(山じゃん)
パパは料理で手いっぱい。トータも厨房を走り回り、ママは食堂から戻ってくる暇すらない。
となれば、私の出番である。
「……よし」
腕まくりをして、大きな汚れを落とす。それから水魔法を使い、細く流した水を皿へ当てていく。
以前よりも水の加減がずっと自然にできるようになった。
強すぎず、弱すぎず。汚れを狙って水を流し、洗い終わった皿は簡易浮遊で少しだけ持ち上げる。
一枚、二枚、三枚。
ふわりと移動させ、水を切って並べていく。
(うん。うまくなった)
最初にやったときより、明らかに早い。
水魔法と簡易浮遊。
異世界らしい魔法を二つも使って、私は大量の皿を洗っている。
冒険でもなければ戦闘でもない。
でも。
(水魔法、皿洗い適性が高すぎる)
かなり役に立っている。
「おお?」
振り返ると、旅人の一人が厨房の入口からこちらを覗いていた。
「嬢ちゃん、それ魔法か?」
「うん」
「皿洗いに?」
「うん」
男はしばらく私の手元を眺めてから、感心したように頷いた。
「……便利だな」
「べんり」
それがすべてである。
「ルマ、こっちも頼めるか?」
パパが追加の皿を置いた。
どん。
「…………」
減ったはずなのに、また増えた。
(繁忙期、こわ)
「ルマちゃん、無理しなくていいのよ?」
「だいじょうぶ!」
ママに答えたところで、パパが笑った。
「終わったら今日も給料な」
「!」
私の手が止まる。
「きゅうりょう?」
「ああ」
「いくら?」
「働き終わってからだ」
「…………」
次の瞬間、水の流れがほんの少しだけ速くなった。
「急に速くなったぞ」
失礼な。
お金のためではない。
これはForest亭のため。家族のため。そして業務効率化のためである。
(……お給料、いくらかな)
ほんの少しだけ、それもある。
◇
夜になり、ようやく食堂が落ち着いた。
「つかれたー」
私は椅子に座るなり、テーブルへ突っ伏した。
「お疲れさま。今日はよく働いたわね」
ママが笑いながら頭を撫でる。
「ルマ、ごさい」
「知ってるわよ」
五歳児にしては働きすぎではないだろうか。
私は顔だけを上げた。
「ママ、みずうみ、いったことある?」
「あるわよ。小さいころにね」
「さかな、つった?」
「釣ってないわねえ」
なんということだ。
「パパは?」
「昔、一度行ったぞ」
「つった?」
「買って食べた」
「…………」
この家族、湖の楽しみ方を分かっていない。
「ルマ、いきたい」
「湖に? もう少し大きくなったらな」
出た。
子ども時代における最強の敵。
――もう少し大きくなったら。
でも、時間ならたっぷりある。
湖にも、山にも、遠くの町にも、いつか行ける。獣人の国だって、きっと。
私は今まで、Forest亭にやってくる人たちを見ていた。
でも、その人たちがどこから来て、どんな景色を見て、どんな場所を通ってこの扉を開けたのか。そんなことは、あまり考えたことがなかった。
この町の外には、私が知らないものがたくさんある。
そう思うと、なんだか胸の奥がむずむずした。
「ルマちゃん」
「ん?」
「悪いんだけど、あっちのお皿もお願いできる?」
見ると、まだ食器が残っている。
私はしばらくそれを見つめてから、ママへ顔を向けた。
「それは、べつりょうきん」
「ええ!?」
笑いながら立ち上がる。
遠くの世界へ行くのは、もう少し先でいい。
今はまだ、向こうから来てくれるのだから。
私はもう一度腕まくりをして、賑やかなForest亭の中へ戻っていった。




