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『のんびり暮らしたい宿屋の娘、今日も子育て相談を受けています』 ~元小児科看護師の異世界暮らし~  作者: 入野 カフェイン


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第46話 ママは魔法使い!?

Forest亭には、いろんな人が来る。


当たり前のことだけど。


私は今日、それを改めて知ることになった。


◇


「ルマちゃん、それ三番のテーブルにお願い」


「はーい」


朝。


私はパンの入った籠を両手で持って、食堂を歩いていた。


昨日はロウの薬屋へ遊びに行った。


遊びに行ったはずなのに、なぜか最後は薬の話になった。


今日はその反省を生かして、何も考えずに過ごそうと思っていたのだけれど。


気づけば、Forest亭でパンを運んでいる。


(……また働いてる)


まあ、いい。


これは家のお手伝いだ。


たぶん。


「おまたせしましたー」


「おお、ありがとう」


三番のテーブルに座っているのは、二階に泊まっていた旅人だった。


大きな鞄が足元に置いてある。


その隣には、荷物をたくさん積んだ商人らしい男の人。


朝のForest亭には、宿泊客が多い。


みんなパンと温かいスープを食べて、荷物をまとめて町へ出ていく。


「今日はどちらまで?」


ママがスープを置きながら聞いた。


「東の町まで行くつもりだ」


「あら。あっちの道、まだ雪が残ってるって聞きましたよ」


「本当か?」


「昨日泊まった方が言ってました。馬車なら南の道を回った方がいいかもしれませんね」


「それは助かる」


旅人が頷いた。


私は空になった籠を抱えながら、その会話を聞く。


(……そういえば、うちって宿屋だった)


知っていた。


もちろん知っていた。


二階と三階には客室がある。


でも私にとってForest亭は、生まれたときから家の一部みたいなものだ。


だから、ときどき忘れる。


ここは誰かにとって。


旅の途中で眠って。


温かいご飯を食べて。


また次の場所へ向かうための場所なのだ。


◇


お昼になると、今度は近所の人が増える。


「フルコー! 腹減った!」


「はいはい、いらっしゃい」


入ってきたのは、作業着を着た男の人が三人。


近くで働いている職人さんたちだ。


その後ろから市場で見かけるおじさん。


一人で来る人もいれば、数人で来る人もいる。


「いつもの!」


「今日は黒煮込みがよく出てますよ?」


「じゃあ黒煮込み!」


「いつもじゃないじゃない」


食堂に笑い声が広がった。


(ママ、楽しそう)


ママはよく喋る。


これは昔から知っている。


でも。


よく見ていると、少し不思議だった。


「こんにちは。今日は遅かったですね」


ママが声をかけたのは、窓際に座った男の人だった。


この人も、よくForest亭に来る。


名前はモルトさん。


たぶん、職人さん。


ただ。


ちょっと怖い。


いつも眉間にしわが寄っている。


他のお客さんに話しかけられても、


「ああ」


とか。


「そうか」


とか。


だいたいそれくらいしか言わない。


私もなんとなく話しかけにくい。


「いつものにします?」


「ああ」


ほら。


二文字。


ママは気にした様子もなく、注文を厨房へ伝えた。


しばらくして、料理を持って戻ってくる。


「お待たせしました」


「ああ」


「今日は寒かったでしょう」


「……まあな」


「ごゆっくり」


それだけ。


ママはすぐに離れた。


(あれ?)


いつものママなら、もうちょっと喋りそうなのに。


私は少し気になって、モルトさんを見る。


黙々と食べている。


ママも、もう話しかけない。


そのまましばらくして。


水差しを持ったママが、もう一度そばを通った。


「そういえば」


モルトさんのコップに水を足しながら言う。


「前に言ってたお仕事、終わったんですか?」


モルトさんの手が止まった。


「……いや」


「まだ?」


「ああ」


ママはそれ以上聞かない。


「そうなんですね」


それだけ言って、水差しを持ち直す。


すると。


「……向こうが急に注文を変えやがってな」


モルトさんが言った。


ママが立ち止まる。


「それは大変」


「ほとんど出来上がってたんだぞ」


「ええ」


「それを今さら、ここの形を変えてくれだの、もう少し小さくしろだの」


「うんうん」


「最初に言えって話だろ」


「それはそうですねえ」


「しかも納期は変えないって言うんだ」


「それは困りますね」


「だろ?」


……喋る。


めっちゃ喋る。


私は少し離れたところから、二人を見つめた。


(モルトさん、そんなに喋れたんだ)


失礼だけど、本気でそう思った。


ママはほとんど喋っていない。


ときどき頷いて。


「そうなんですね」


とか。


「それで?」


とか。


それくらい。


なのにモルトさんは、どんどん話す。


しばらくして話し終わると、モルトさんは大きく息を吐いた。


「……まあ、やるしかないんだけどな」


「モルトさんなら、ちゃんと仕上げるんでしょうね」


「当たり前だ」


少しだけ。


眉間のしわが減った気がした。


◇


午後になると、食堂は静かになった。


遅めのお昼を食べる旅人が一人。


お茶を飲みながら話している商人が二人。


窓際には、近所のおばあさん。


ママはおばあさんとは楽しそうに長く話した。


商人たちには料理を置いただけ。


旅人には町の場所を聞かれて、道を説明した。


(……あれ?)


私はカウンターの端に座って、ママを眺める。


みんなに同じように喋っているわけじゃない。


よく喋る人とは、よく喋る。


静かな人には、必要なことだけ。


初めて来た人には、少し丁寧に。


困っていそうな人には、ママから声をかける。


でも。


話したくなさそうな人には、無理に聞かない。


(ママって……)


ただのおしゃべりじゃなかったんだ。


いや。


おしゃべりではあるけど。


◇


夜。


Forest亭は、また賑やかになった。


仕事を終えた職人さん。


近所の家族。


昼とは違う旅人。


宿泊している商人。


一人でご飯を食べる人。


「初めて来たなら黒煮込み食っとけ!」


常連のおじさんが、隣の席の旅人に言った。


「そんなにうまいのか?」


「ここの名物だぞ」


「へえ」


私は思わず胸を張った。


(ふふん)


それ。


うちの黒煮込みです。


パパとトータ兄と。


ちょっとだけ私も関わっております。


……ちょっとではない。


かなりである。


そんなことを考えていると。


「じゃあな、フルコ」


モルトさんが席を立った。


「はい。お疲れさまでした」


「ああ」


扉へ向かいかけて。


モルトさんが振り返る。


「……明日は少し遅くなる」


「あら。じゃあ、お腹空かせて来てくださいね」


「ああ」


カラン。


扉が閉まった。


私はママを見る。


「ママ」


「なあに?」


「あのおじさん」


「モルトさん?」


「ママといっぱいしゃべるね」


「そう?」


「ほかのひととは、しゃべらない」


ママは少し考えた。


「そうかしら」


「うん」


少なくとも、私が見る限りは。


「ママ、なにしてるの?」


「何って?」


「なんで、いっぱいしゃべるの?」


ママはきょとんとした。


それから、少し笑う。


「私は別に、何もしてないわよ」


「でも」


「話したいことがあるなら、話してもらえばいいし」


ママは空いたお皿を重ねる。


「話したくないなら、話さなくてもいいでしょう?」


「…………」


「ご飯くらい、好きに食べてもらわないと」


そう言って。


また次のテーブルへ向かっていった。


私はその背中を見る。


前世でも。


こういう人がいた。


なぜか、この人には話せる。


他の人に聞かれても「大丈夫です」としか言わなかった人が。


その人の前では、ぽつぽつと話し始める。


たぶん。


話を聞くのが上手な人というのは。


たくさん質問する人じゃない。


ただ黙っている人でもない。


相手がもう少し話したくなるところで頷いて。


言葉が止まったら、急かさず待って。


話したくなさそうなことには、無理に踏み込まない。


そして。


前に話したことを、ちゃんと覚えている。


(ママも、そうなんだ)


今まで。


パパは料理を作る人。


ママは料理を運ぶ人。


そんなふうに思っていた。


でも。


少し違った。


パパがForest亭の味を作っているなら。


ママが作っているものもある。


たぶん。


この場所の空気だ。


一人でも入りやすくて。


疲れている日は、静かにご飯が食べられて。


喋りたい日は、誰かが聞いてくれて。


旅の途中で初めて来ても。


なんとなく、ほっとする。


だから。


「ただいまー!」


常連のおじさんが、扉を開けながら入ってくる。


「おかえりなさい!」


ママが笑う。


家じゃないのに。


ただいまと、おかえり。


それでいいのかもしれない。


Forest亭には、いろんな人が来る。


旅人。


商人。


職人。


近所の人。


家族で来る人。


一人で来る人。


よく喋る人。


あまり喋らない人。


そしてママは。


その全員に、同じようには接しない。


でも。


帰るときには。


なんとなく、来たときより顔がやわらかくなっている。


「ママ」


「ん?」


「ママ、すごいね」


「今日はよく褒めてくれるわねえ」


私は少し考えてから言った。


「ママって、まほうつかいみたいだね」


「……魔法使い?」


ママが目を丸くした。


「うん」


「ママ、そんなに魔法上手じゃないわよ?」


「そっちじゃない」


「じゃあ、どっち?」


私は食堂を見回した。


さっきまで難しい顔をしていたモルトさん。


楽しそうに話していたおばあさん。


旅の話をしていた商人。


笑いながらご飯を食べている人たち。


「ママとはなすと、みんな、いっぱいしゃべる」


「そうかしら?」


「うん。それで」


少し考える。


五歳の言葉で、うまく説明するのは難しい。


「かえるとき、みんな、ちょっとにこにこしてる」


ママが黙った。


「だから、まほうみたい」


ほんの少しだけ。


ママの目がやわらかくなった。


「……それなら、嬉しい魔法ね」


「うん」


たぶん。


火も出ない。


水も出ない。


風も起こせない。


でも。


誰かの固くなった気持ちを、少しだけほどく。


そんな魔法もあるのかもしれない。


「じゃあ、ルマちゃんにもかけてあげましょうか」


「なにを?」


「いっぱいお話ししたくなる魔法」


「…………」


私は一歩下がった。


「いらない」


「なんでよ!」


食堂にママの声が響く。


私は笑いながら逃げた。


Forest亭で生まれて、五年。


毎日ここにいるけれど。


まだ知らないことがあるらしい。


料理の匂い。


お皿の音。


お客さんの笑い声。


そして。


誰かの話を聞いている、ママの声。


(宿屋って、けっこうおもしろいな)


私は今日。


Forest亭のことを。


そして、ママのことを。


またひとつ、知った。

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