第45話 職人薬師 ロウ
昨日は、何もしなかった。
本当に、何もしなかった。
朝ごはんを食べて、ぼーっとして。
お昼ごはんを食べて、昼寝して。
晩ごはんをしっかり食べて、寝た。
完璧な休日だった。
そして翌朝。
私は朝ごはんのパンをかじりながら考えていた。
(今日は何しよう)
昨日一日しっかり休んだおかげなのか、今日は少し外に出たい気分だった。
とはいえ、働きたくはない。
Forest亭のお手伝いでもない。
買い物でもない。
何かを作るのでもない。
純粋に遊びたい。
「…………」
パンをもぐもぐしながら考える。
そして、ふと思いついた。
「ロウのところ、いこ」
ママが顔を上げた。
「ロウさんのところ? お薬でもいるの?」
「いらない」
「じゃあ何しに行くの?」
「あそびに」
「……薬屋さんに?」
「うん!」
用事なんてなくてもいい。
遊びに行くのだから。
◇
外へ出ると、空気はまだ冷たかった。
最近は少しずつ寒さがやわらいできたけれど、朝はやっぱり冬の名残がある。
私は見慣れた道を歩いて、ロウの薬屋へ向かった。
扉を開ける。
カラン。
「こんにちはー」
店の奥にいたロウが顔を上げた。
「ルマ? どうした?」
「あそびにきた」
「…………」
ロウの手が止まる。
「ここは遊ぶところじゃないんだが」
「しってる」
「知ってて来たのか」
「うん」
ロウは少し困ったような顔をしてから、ふっと笑った。
「まあ、いいけどな」
許可が出た。
私はさっそく店の中をうろうろする。
ロウの店には何度も来たことがある。
でも、用事もなく眺めてみると、知らないものがたくさんあった。
壁には乾燥させた葉や根。
棚には大小さまざまな瓶。
机には小さな秤や乳鉢。
店の中には、乾いた草のような独特の匂いが漂っている。
「ロウ、これなに?」
「薬草」
「これは?」
「それも薬草」
「これは?」
「……薬草」
「…………」
私は店内を見回した。
(薬屋、薬草ばっかりだな)
当たり前だった。
薬屋である。
棚に並んだ瓶へ手を伸ばす。
「触るなよ」
「…………」
後ろにも目があるのだろうか。
「さわってない」
「今、触ろうとしてただろ」
「してない」
「してた」
私は何事もなかったように手を引っ込め、ロウの作業台へ近づいた。
「なにしてるの?」
「薬を作ってる」
ロウの手元には乳鉢があった。
中に入ったものを、ゆっくりとすり潰している。
隣には小さな秤。
ロウは途中で手を止めると、粉を少しだけ秤に載せた。
ほんのわずかに減らして、もう一度確かめる。
それから別の粉を量り、乳鉢へ加えた。
「それ、こどもの?」
ロウが顔を上げた。
「よく分かったな」
「こまかくしてるから」
「ああ。子どもは苦い薬を嫌がるからな」
ロウは再び乳棒を動かした。
「それに、大人と同じ量を飲ませるわけにもいかない」
「ちがうの?」
「当たり前だ。年齢や体の大きさで量を変える。症状も見る。弱ってるやつに強すぎる薬を出したら、治すどころか余計に具合を悪くすることもある」
私は小さな秤を見る。
(……そっか)
ロウはただ、薬草を粉にしているわけじゃない。
誰が飲むのか。
どんな症状なのか。
どれくらいなら使えるのか。
ちゃんと考えて作っている。
「薬によっては混ぜ方も変える。苦味が強いものもあるし、混ぜると効きが悪くなるものもある」
「むずかしい」
「難しいぞ」
あっさり言った。
「だから勝手に触るなよ」
「…………」
さっきのことをまだ言っている。
でも。
その手は、とても丁寧だった。
前世で何度、薬を前にした子どもと戦ったことか。
口を開けない。
顔を背ける。
泣く。
吐き出す。
やっと飲んだと思ったら、べーっと全部出てくる。
そして横では、お母さんやお父さんも困っている。
薬は、用意しただけでは意味がない。
最終的に子どもの口から入って、初めて意味がある。
「ロウ」
「ん?」
「すごいね」
「……急にどうした」
「ちゃんと、のむひとのこと、かんがえてる」
ロウは一瞬きょとんとした。
それから、乳鉢へ視線を戻す。
「薬師だからな」
それだけだった。
でも。
なんとなく、その答えが嬉しかった。
「ルマもやる」
「駄目だ」
即答。
「なんで」
「今の話を聞いて、なんでできると思った」
「できるよ」
「できても駄目だ」
ロウはきっぱり言った。
「薬は間違えたら危ない。五歳児に調薬をさせる薬師にはなりたくない」
「…………」
それはそう。
◇
薬作りはさせてもらえなかった。
代わりに、ロウが机の端に置いてあった乾燥した葉を指差した。
「そんなに暇なら、これ分けるか?」
「なにこれ」
「二種類混ざってる。形が違うだろ」
見ると、細長い葉と丸い葉が混ざっている。
「これは薬に使う前の仕分けだから、間違えても俺が最後に確認する」
なるほど。
ちゃんと五歳児に任せてもいい仕事を選んでいるらしい。
「やる!」
私は椅子に座った。
一枚。
一枚。
また一枚。
「これは?」
「そっち」
「これは?」
「同じ」
意外と楽しい。
十分後。
「…………」
飽きた。
そして私は、重大なことに気づいた。
「ロウ」
「なんだ?」
「ルマ、はたらいてる」
「そうだな」
「……あそびにきたのに」
「自分からやるって言ったんだろ」
「…………」
確かに。
昨日、あれほど働きすぎだと気づいたばかりなのに。
翌日には薬屋で薬草を仕分けている。
私のスローライフは、どこへ行った。
「もう、はたらかない」
「じゃあ終わりでいい」
「いいの?」
「遊びに来たんだろ?」
「そうだった」
◇
ロウは薬草を片づけると、奥から温かい飲み物を持ってきてくれた。
「ほら」
「ありがと」
カップを両手で包む。
冷えていた指先が、じんわりと温まる。
ふう、ふう。
少し冷まして、一口。
ほんの少し苦い。
でも、そのあとに草のような香りが残った。
「これ、なに?」
「薬草茶」
「これも、やくそう?」
「ああ」
私はカップの中を見る。
薄く色のついた液体。
乾燥した葉を、お湯に入れる。
すると。
色が出る。
匂いが出る。
味が出る。
「…………」
もう一口。
その瞬間。
(……待って)
私はカップを見つめた。
さっきロウは言っていた。
子どもは苦い薬を嫌がる。
だから細かくする。
でも。
(細かくしても、飲めない子は飲めないんだよな)
粉薬が苦手な子。
口の中のざらざらした感じを嫌がる子。
水に混ぜても、底に残った薬を見つけて嫌がる子。
前世では何度も見てきた。
そして前世には、粉薬だけじゃなかった。
(シロップ……)
甘くて、液体で。
小さな子どもでも飲みやすい薬。
もちろん、何でも液体にすればいいわけじゃない。
でも。
私はカップを持ち上げた。
「ロウ」
「なんだ?」
「これ、おゆにいれたら、でてくるの?」
「何が?」
「やくそうの……きくやつ」
「ああ。薬草によるが、煮出して使うものもある」
「じゃあ」
私は身を乗り出した。
「おくすりも、のみものにできない?」
「飲み物?」
「こなのおくすり、のめないこいるでしょ?」
「ああ」
「だったら、これみたいに、おみずとか、おゆに、きくやつをだして、のめるようにしたら?」
ロウの表情が変わった。
「……抽出するってことか?」
「それ!」
ロウは私のカップを見た。
そして、少し考える。
「薬草を煮出して使うこと自体は珍しくない。煎じて飲ませる薬もある」
「うん」
「だが、子どもが飲みやすい形にすることを最初から目的にする……か」
「そう!」
「苦ければ?」
「あまくする」
「簡単に言うな」
「おいしくする」
「薬だぞ」
「でも、のまなかったら、いみないよ?」
ロウが黙った。
しばらくして。
「……そうだな」
小さく呟く。
「飲まなければ意味がない」
ロウは立ち上がった。
棚の前へ行き、並んでいる薬草を見渡す。
一つの瓶を取り出した。
中を確認する。
今度は別の瓶。
「これは水に出る。だが苦味も強い」
また別の薬草を見る。
「こっちは煮出せるが、長く煮ると効きが落ちる」
「おちるの?」
「ああ。薬草は何でも煮ればいいわけじゃない」
次々と棚を見るロウの目が、さっきまでと違っていた。
真剣だった。
「甘くするとしても、何を使う。どれくらい入れる。薬の働きを邪魔しないかも確かめないといけない」
「うん」
「液体にしたら傷みやすくなるかもしれない。何日保つのか。置いている間に効き目が変わらないか」
次々に出てくる。
私が思いついたのは。
ただ。
液体なら飲みやすいんじゃないか。
それだけだった。
でもロウは、その先を見ている。
どう作るか。
どれだけ使うか。
安全なのか。
保存できるのか。
ちゃんと効くのか。
「それに」
ロウは小さな秤を指で叩いた。
「一回に飲ませる量も決めないとな」
「いっぱいじゃ、だめ?」
「駄目だ」
即答だった。
「少なすぎれば効かない。多すぎれば危ない。液体なら、誰が量っても同じ量になるようにしないと意味がない」
私はロウを見る。
(……薬師だ)
当たり前なのに。
改めて思った。
私は前世で看護師だった。
薬を飲ませる側。
飲めない子にどう飲んでもらうかを考える側。
でも。
薬そのものを作る人ではない。
私が出せるのは。
こんなのがあった。
こんなのが困った。
こうだったら飲みやすいかもしれない。
そこまでだ。
そこから先。
本当に薬として形にするのは。
ロウの仕事だ。
「できそう?」
私が聞く。
ロウはすぐには答えなかった。
棚を見て。
薬草を見て。
秤を見て。
しばらく考えてから、ようやく口を開いた。
「分からない」
「できない?」
「違う」
ロウはこちらを見た。
「分からないから、試すんだ」
「……おお」
なんか格好いい。
「まずは煎じ薬に使ってる薬草からだな。液体にしても効くことは分かってる。そこから、味と量を調べる」
もう始める気だ。
「すぐできる?」
「できるわけないだろ」
「えー」
「薬だぞ」
ロウは呆れたように言った。
「効いた気がする、飲みやすかった。それだけで客に出せるか」
「だめ?」
「駄目だ」
また即答。
「ちゃんと確かめてからだ」
その言葉に、私は少し笑った。
やっぱり。
ロウは薬師だ。
ただ遊びに来ただけだった。
薬草を少し仕分けして。
お茶を飲んで。
のんびりして帰るつもりだった。
なのに。
(……また仕事っぽくなってない?)
昨日。
働きすぎだと気づいたばかりなのに。
「ロウ」
「なんだ?」
「ルマ、あそびにきたんだよ」
「知ってる」
「なんでこうなったの?」
「俺が聞きたい」
ロウが笑った。
そして、もう一度棚の薬草へ目を向ける。
その顔は、少し楽しそうだった。
窓の外は、まだ寒い。
春は、もう少し先。
そして。
私のスローライフへの道は。
どうやら思っていたより、少しだけ忙しいらしい。




