第42話 不労収入は最高の肴。
少しずつ、寒さがやわらいできた。
朝、布団から出るときに覚悟を決めなくてもよくなったし、昼間なら外を歩いていても、頬が痛くなるほどの冷たい風は吹かなくなった。
それでも、朝晩はまだ寒い。
Forest亭の暖炉にも、朝になると火が入る。
街を歩く人たちの服装も、分厚い上着の人に混じって、少しだけ軽い服を着た人が増えてきた。
冬が、そろそろ終わる。
そんなある日の朝。
朝食の片付けがひと段落したForest亭の厨房で、私はトータ兄と並んで洗った食器を拭いていた。
「そういや、黒煮込みを出す店が増えてるらしいぞ」
パパが何でもないことのように言った。
「黒煮込み?」
トータ兄が手を止める。
「うちの?」
「まあ、真似したんだろうな。東通りに一軒、市場の近くにもあるらしい」
「まね?」
私も顔を上げた。
黒煮込み。
私とトータ兄が一緒に作った、Forest亭の人気メニューだ。
最初は二人であれこれ試しながら作った料理だったのに、今では黒煮込み目当てに来てくれるお客さんまでいる。
それが、いつの間にか他のお店にも広がっていたらしい。
「でも、どうやらうちのとは違うみたいだぞ」
「違うって?」
トータ兄が聞く。
「ああ。食べたことのある客が言ってた。見た目は似てるけど、うちの黒煮込みみたいな自然な甘みもコクもないらしい」
「へえ……」
トータ兄は不思議そうな顔をした。
でも、私はすぐに思い当たった。
(……玉ねぎだ)
黒煮込みを作るとき。
私たちは、たくさんの玉ねぎを使う。
薄く切って、鍋に入れて。
じっくり。
じっくり。
色が変わって、量が減って、甘い香りがしてくるまで炒める。
前の世界では、珍しくもない調理法だった。
でも、この世界では違う。
玉ねぎを炒めること自体はあっても、あそこまで時間をかけることはほとんどない。
煮込み料理なら、そのまま鍋へ。
炒めても、火が通れば終わり。
だから。
黒っぽい見た目。
柔らかく煮込んだ肉。
そこまでは真似できても。
あの自然な甘みと、深いコクは出ない。
「……黒煮込みも、そろそろ申請しとくか」
パパがぽつりと言った。
「申請?」
トータ兄が首を傾げる。
私もパパを見る。
「なにを?」
「特許だよ」
「…………」
今。
なんて?
「とっきょ!?」
思わず大きな声が出た。
「なんだよ」
「とっきょ、あるの!?」
「そりゃあるだろ」
あるんだ。
この世界。
特許あるんだ。
剣と魔法の世界なのに。
いや。
商売があるんだから、そういう仕組みがあってもおかしくはない。
隣を見ると、トータ兄は私ほど驚いてはいなかった。
「黒煮込みって、特許にできるの?」
「できるかどうかは申請してみないと分からん。ただ、他の店まで真似し始めてるなら、出しておいた方がいいだろ」
パパは私とトータ兄を順番に見る。
「お前たち二人で作った料理だしな」
トータ兄と目が合った。
「……申請してみる?」
「する!」
私が即答すると、トータ兄が笑った。
「ルマ、特許が何か分かってる?」
「わかる!」
前世では。
だけど。
この世界の特許が、前世と同じとは限らない。
「……たぶん」
「分かってないじゃん」
トータ兄に笑われた。
◇
特許というのは、この世界では商業ギルドが管理しているらしい。
新しく考えられた道具や製法。
これまでになかった技術。
そういうものを商業ギルドへ申請し、認められれば、一定期間その権利が守られる。
「じゃあ、ほかのおみせの黒煮込み、だめになるの?」
商業ギルドへ向かう道で聞くと、パパは首を振った。
「いや。あいつらが自分で考えて作ってるなら別に構わん」
「いいの?」
「黒い煮込みを作るなって話じゃないからな」
なるほど。
黒煮込みという名前や、黒っぽい煮込み料理そのものを全部Forest亭のものにするわけではないらしい。
「じゃあ、なにをまもるの?」
「それを今から聞きに行くんだよ」
……なるほど。
パパも全部知ってるわけではないらしい。
ちょっと安心した。
◇
商業ギルドは、中央広場から少し離れた大きな建物だった。
中に入ると、いくつもの窓口が並んでいる。
荷物を抱えた商人。
紙の束を持った人。
何やら難しい顔で話している人。
(……役所っぽい)
パパについて窓口へ向かう。
「特許の申請をしたい」
「どのようなものですか?」
「料理の製法だ」
受付の男の人が一枚の紙を取り出した。
「料理名は?」
「黒煮込み」
さらさらと文字が書かれていく。
「考案者は?」
「こいつら二人だ」
パパが私とトータ兄の肩に手を置いた。
「ルマとトータ」
「はい。ルマさんと、トータさん……」
さらさら。
そして。
ぴたり。
ペンが止まった。
男の人が顔を上げる。
トータ兄を見る。
私を見る。
パパを見る。
もう一度、私を見る。
「……こちらのお二人が?」
「そうだ」
「二人で作った」
トータ兄が答える。
私も胸を張った。
「つくった!」
男の人は少し戸惑った顔をしたけれど、すぐに仕事の顔へ戻った。
「では、製法について確認させてください」
そこからはパパとトータ兄を中心に、黒煮込みの作り方を説明していった。
使う肉。
野菜。
煮込む時間。
味付け。
そして。
「最初に玉ねぎを炒める」
トータ兄が説明すると、男の人の手が止まった。
「玉ねぎを?」
「はい」
「どの程度ですか?」
トータ兄が私を見る。
私もトータ兄を見る。
「……かなり?」
「かなりだな」
パパが笑う。
「火が通るまでではなく?」
「もっと」
私が答える。
「もっと?」
「ちゃいろくなるまで」
男の人が眉を寄せた。
「玉ねぎを、茶色になるまで?」
「うん」
「焦げませんか?」
「こがさない」
「そのために、ずっと混ぜるんです」
トータ兄が補足する。
「時間かかるけどね」
そう。
ものすごく時間がかかる。
黒煮込みを作り始めたころ、トータ兄と交代しながらひたすら玉ねぎを混ぜたのを覚えている。
「なぜ、そこまで?」
男の人が聞いた。
私は答える。
「おいしくなるから」
「……具体的には?」
「あまくなる」
私は少し考えてから付け足した。
「あと、こく!」
男の人が黙った。
手元の紙に何かを書き込む。
それから、もう一度聞いた。
「これは、誰が考えたんです?」
「ルマ」
今度はトータ兄が即答した。
「俺はルマに教えてもらって、一緒に作ったから」
「トータ兄もいっぱいつくったよ」
「でも最初に言い出したのはルマだろ?」
「でも、くろにこみは、ふたりでつくった」
私がそう言うと、トータ兄が少し笑った。
「じゃあ、二人で」
「うん!」
受付の男の人も小さく笑ってから、再び書類へ目を落とした。
「……なるほど」
そして、今度はパパに尋ねる。
「この玉ねぎの調理法は、黒煮込み以外にも使っていますか?」
「いや。今のところは黒煮込みくらいだな」
「そうですか」
男の人は少し考え込んだ。
「もしかすると、黒煮込みそのものよりも、こちらの製法が重要かもしれません」
「せいほう?」
「玉ねぎを長時間炒め、甘味やコクを引き出してから料理に使用する方法です」
私は瞬きをした。
黒煮込みを申請しに来たのに。
玉ねぎ?
「これ、とっきょになる?」
「審査は必要です。ただ、既存の製法に同様のものがなければ、認められる可能性はあります」
「へえ……」
トータ兄が感心したように呟いた。
「玉ねぎの炒め方が特許になるんだ」
「調理技術も立派な技術ですから」
男の人は書類を整えた。
「ひとまず、黒煮込みの製法として申請を受け付けます。その中でも、この玉ねぎの調理工程について重点的に確認されることになるでしょう」
「どれくらいかかる?」
パパが聞く。
「結果が出るまで、しばらくお待ちいただくことになります」
なるほど。
今日は申請だけ。
特許が取れるかどうかは、まだ分からない。
「もし認められたら、同じ製法を商売で使う場合には、お二人の許可が必要になります」
お二人。
つまり。
私とトータ兄。
「きょかしたら、つかっていい?」
「もちろんです。条件を決めて許可することもできます」
「じょうけん?」
「たとえば、使用料を受け取るなどですね」
「しようりょう」
私は、その言葉を頭の中でゆっくり転がした。
使用料。
つまり。
「……おかね?」
「そうですね」
「ルマ」
パパが私を見る。
「なに?」
「目が変わったぞ」
失礼な。
私はただ制度について理解を深めているだけである。
昨日覚えたばかりなのだ。
働けば、お金がもらえる。
でも。
もし特許が認められて。
誰かがこの作り方を使いたいと言ってくれたら。
「ルマ」
トータ兄まで私を見る。
「なに?」
「今、絶対お金のこと考えてる」
「かんがえてない」
嘘です。
ちょっと考えています。
◇
Forest亭への帰り道。
少しだけ暖かくなった風が、頬を撫でた。
パパの少し前を、私とトータ兄が並んで歩く。
「特許、取れるかな」
トータ兄が言った。
「とれる!」
「まだ分かんないって言われたじゃん」
「とれる!」
根拠はない。
でも、取れてほしい。
黒煮込みは。
私一人で作った料理じゃない。
トータ兄と一緒に。
ああでもない、こうでもないと言いながら作った。
それをパパが店の料理にしてくれて。
今では、たくさんのお客さんが食べてくれる。
真似されるくらい、知られるようになった。
それは。
ちょっとだけ、嬉しい。
「でも、ほかのおみせも、くろにこみつくっていいんだよね?」
「そう言ってただろ?」
「うん」
それならいい。
いろんな黒煮込みがあってもいいと思う。
でも。
私とトータ兄が作ったForest亭の黒煮込みは。
ちゃんと、ここから始まったものとして残ってほしい。
私は隣を歩くトータ兄を見た。
「とっきょとれたら、はんぶんこね」
「何を?」
「おかね」
「やっぱりそれ考えてたんじゃん!」
後ろからパパの笑い声が聞こえた。
違う。
これは大事な話だ。
共同考案者なのだから、利益の分配については明確にしておく必要がある。
(五歳だけど)
昨日は、魔法で銅貨四枚。
今日は、特許申請。
私のお小遣い計画は、着実に進化している。
「また悪い顔してるぞ、ルマ」
「してない!」
冬の終わりの、少しだけ暖かくなった道を。
私たちは三人でForest亭へ帰った。




