第38話 きみのための、ひみつのごはん
年が明けて、何日か経ったころ。
Forest亭に、一組の家族が泊まりに来た。
パパとママ、それから私より少し年上くらいの男の子。
夕食の時間。
食堂には今日も、パパとトータが作った料理のいい匂いが広がっていた。
肉と野菜を煮込んだ料理に、焼いたじゃがいも、それからパン。
うん。
今日も絶対おいしい。
――はずなのだけど。
「……いらない」
男の子は、さっきからほとんど料理に手をつけていなかった。
「ほら、少しでも食べなさい」
お母さんが困ったように声をかける。
「やだ」
「お昼もほとんど食べてないでしょう?」
「いらない」
「せっかく作ってもらったのに……」
その言葉に、男の子はますます口をへの字にした。
私は少し離れたところから、その様子を見ていた。
(うーん……)
食欲がない?
どこか具合が悪い?
でも、さっきまでは元気にしていた。
顔色も悪くない。
男の子は料理を見る。
そして、野菜の入った煮込みから少しだけ顔を遠ざけた。
……もしかして。
◇
「これ、きらい?」
私が横から聞くと、男の子は少し驚いた顔をした。
「……うん」
「ぜんぶ?」
「わかんない」
私は首を傾げた。
「お肉は?」
「好き」
「じゃがいもは?」
「好き」
「パンは?」
「好き」
なんだ。
食べられるもの、いっぱいあるじゃん。
「じゃあ、なにがいや?」
男の子はしばらく黙ってから、煮込みを指差した。
「これ」
「おやさい?」
こくり。
「まざってるのも、いや?」
もう一度、こくり。
なるほど。
大人から見れば、ただの好き嫌い。
でも、子どもにとってはそうじゃないこともある。
匂いが嫌。
食感が嫌。
見た目が嫌。
知らないものが入っているのが怖い。
全部が混ざっているだけで、どこを食べても苦手なものが口に入りそうに見えることもある。
前の世界でも、そんな子はたくさんいた。
「お肉だけだったら、たべる?」
「……食べる」
「じゃがいもも?」
「うん」
私はもう一度、目の前の料理を見る。
好きなものはある。
ただ。
今のお皿では、それより先に苦手なものが目に入ってしまう。
だったら――。
「ちょっとまってて!」
「え?」
私は椅子から飛び降り、そのまま厨房へ走った。
◇
「トータ!」
「ん?」
トータはパパの横で、次の料理を盛り付けていた。
「ちょっと、いっしょに考えて!」
「何を?」
私はさっきの男の子の話をする。
肉は好き。
じゃがいもも好き。
パンも好き。
でも野菜は苦手。
それに、全部が一緒になっているのも嫌みたい。
「それでね」
私は空いていた皿を一枚持ってきた。
「この子だけ、とくべつなごはんにしてみる?」
「特別?」
「うん!」
みんなと同じ料理を少なくするんじゃなくて。
最初から、自分のために作ってくれたって思えるようなもの。
「ひとつのおさらに、ちょっとずつのせるの」
私は皿の上を指差す。
「好きなものは、ちゃんと見えるようにする」
「見えるように?」
「うん。食べられる大きさだけど、ちょっと大きめ!」
見た瞬間に。
あ、これ好き。
これなら食べられる。
そう思えるように。
「じゃあ、嫌いな野菜は?」
「ちっちゃくする」
指先で、ちょん、と示す。
「すっごく細かく」
「分からないようにするの?」
「んー……」
私は少し考えた。
違う。
嫌いなものをこっそり隠して、騙して食べさせたいわけじゃない。
「食べられそうって思えるくらい」
苦手なものがどーんと目の前にあると、それだけで嫌になってしまう。
だったら最初の壁を、ちょっとだけ低くしてみる。
食べるかどうかは、その子が決めればいい。
「なるほどね」
トータは皿を見ながら、しばらく考えていた。
そして。
「……それならさ」
「ん?」
「見た目も変えてみたら?」
「みため?」
トータがじゃがいもを二つ手に取った。
「これを丸くして、ここに置くだろ?」
「うん」
「パンをこうして、肉をこっちにしたら……」
皿の上を指でなぞる。
「クマみたいにできない?」
「…………」
私は皿を見る。
丸いじゃがいもが二つ。
耳。
真ん中にパン。
お肉を置く場所を少し変えて。
顔。
見える。
確かに。
クマだ。
「トータ」
「なに?」
「天才!」
「え?」
「クマにしよう!」
「じゃあ耳はじゃがいもで――」
「お肉ここ!」
「そこじゃクマに見えないって」
「じゃあこっち!」
「パンはもう少し丸くする?」
「する!」
気づけば。
私たちは二人で、ものすごく真剣にクマを作っていた。
◇
「できた」
トータが最後に皿を整える。
「おお……!」
小さなパン。
食べやすい大きさに切った肉。
丸くしたじゃがいも。
細かく刻んだ野菜は、ほんの少し。
全部を合わせると、ちゃんとクマの顔に見える。
「かわいい!」
「いい感じだろ?」
トータもちょっと嬉しそうだ。
二人で男の子のところまで運ぶ。
「はい!」
ことん。
男の子の前に皿を置いた。
「…………」
じーっと見ている。
どうだ。
食べてくれるかな。
嫌だったらどうしよう。
そして。
「……くま?」
小さな声が聞こえた。
私はトータを見る。
トータも私を見る。
よし。
まず、見てくれた。
「そう! くま!」
「これ……ぼくの?」
「うん!」
「ぼくだけ?」
「そうだよ」
男の子は、もう一度クマを見る。
少しだけ口元が緩んだ。
そして最初に手を伸ばしたのは、大きめに切った肉。
ぱく。
もぐもぐ。
「……おいしい」
隣でトータの口元も緩む。
次はじゃがいも。
その次はパン。
さっきまで止まっていた手が、少しずつ動き始める。
「食べてる……!」
お母さんが嬉しそうに言った。
「じゃあ、お野菜も食べてみたら?」
その瞬間。
男の子の手が止まった。
「あ」
私は思わず声を出した。
「いまは、いいよ」
「え?」
「いっぱい食べてるから!」
せっかく自分から食べ始めたんだ。
今は、それでいい。
しばらくして。
男の子が、細かくした野菜をじっと見つめた。
「これ、なに?」
「おやさい」
「……」
「いやなら、のこしてもいいよ」
指先で触る。
少しだけ匂いを嗅いで。
ほんのちょっと口へ入れた。
もぐ。
「……」
私もトータも、黙って見守る。
「……やっぱり、いらない」
「そっか!」
それでいい。
食べられなかった。
でも。
自分から触った。
匂いを嗅いだ。
そして、自分で食べてみようとした。
前の世界でも思っていた。
大人には小さく見える一歩が。
子どもにとっては、すごく大きな一歩になることがある。
今日はこれで十分。
◇
食事が終わるころ。
クマだったものは、もうほとんどいなくなっていた。
野菜だけは少し残っている。
男の子が皿を眺めながら言った。
「ねえ」
「ん?」
「これ、ほかの人にはないの?」
「うん」
私は頷いた。
「きょうは、きみだけ」
「ぼくだけ?」
「そう!」
男の子は少し考える。
そして、嬉しそうに笑った。
「じゃあ……ひみつのごはん?」
「……!」
私はトータを見る。
トータも私を見る。
「それ、いい!」
「いいね」
その日の夜。
Forest亭に、新しいご飯がひとつ生まれた。
決まった料理はない。
好きなものも。
苦手なものも。
食べられる量も。
子どもによって違うから。
その子がちょっと嬉しくなって。
ちょっと食べてみようかな、と思える。
その子だけの、特別な一皿。
名前は――
『ひみつのごはん』。
この日。
一人の男の子のために、私とトータが一緒に考えた小さな工夫。
やがて。
好き嫌いの多い子どもたちが『ひみつのごはん』を楽しみに、Forest亭を訪れるようになることを。
このときの私たちは。
まだ、知らない。




