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『のんびり暮らしたい宿屋の娘、今日も子育て相談を受けています』 ~元小児科看護師の異世界暮らし~  作者: 入野 カフェイン


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第34話 これは怠惰ではなく、研究です

冬が本格的になってきた。


朝、布団から出るのにも覚悟がいる。


窓の外は白っぽく霞んでいて、風が吹くたびに木の枝が大きく揺れていた。


かたかた。


窓枠まで小さく震える。


「……さむ」


私は毛布から鼻だけ出して、そのまましばらく固まっていた。


今日はForest亭のお手伝いもない。


パパとトータ兄ちゃんは朝から厨房。


ママは何やら二階と三階を行ったり来たりしている。


リトは下で遊んでいるらしい。


つまり。


今日は自由。


……なのだけれど。


「おふとんから、でたくない」


自由を手に入れたところで、寒ければ何もする気にならない。


それでも、いつまでも布団に潜っているのも暇だ。


私は意を決して毛布をめくった。


「さむっ!」


冷たい空気が一気に寝巻きの中へ入り込む。


慌てて上着を羽織って、靴下も履く。


それでも床に足をつければ、足の裏から冷たさがじわっと上がってきた。


「冬、きらい……」


早くも心が折れそうだ。


私はベッドの上に戻って、毛布を膝までかけた。


こういう日は――。


「まほう、しよ」


外に出なくてもできる。


私は目を閉じた。


まずは、いつもの練習。


お腹の奥に意識を向ける。


そこにある、じんわりとした感覚。


赤ちゃんの頃は、それを見つけるだけでも時間がかかった。


あるような。


ないような。


これかな?


違うかな?


そんなところから始まった。


でも五歳になった今では、目を閉じればすぐに分かる。


お腹の奥にある魔力を、ゆっくり練る。


ぐるぐる。


少しずつ集めて。


胸。


肩。


腕。


そして指先へ。


じんわりと手のひらが温かくなった。


「……うん」


今日もちゃんと動く。


指先に魔力を集める。


水。


そう思い浮かべる。


ぽわん。


手のひらの上に、小さな水の玉が現れた。


「できた」


昔みたいに、出ただけで大喜びすることもなくなった。


少し大きく。


小さく。


丸く。


ゆらゆら動かして――消す。


次は、枕元に置いていた小さな木の人形。


ふわっ。


浮いた。


右。


左。


上。


下。


そして、ゆっくりベッドへ戻す。


「ふふ」


上手。


水も。


土も。


火も。


簡単な浮遊も。


最近は、ある程度なら思った通りに使えるようになってきた。


私は今まで、魔法を使う時に呪文を唱えたことがない。


魔力を練って。


こうしたい、と頭の中で思い浮かべる。


それだけ。


赤ちゃんの頃からずっとそうしてきたから、私にとって魔法はそういうものだった。


「……さむ」


練習をやめた途端、また寒さが戻ってきた。


特にさっき水を出した指先が冷たい。


私は慌てて毛布の中へ手を突っ込む。


「冬に水は、ちがった……」


もっと冬向きの魔法。


何かないかな。


「……あったかい風とか」


ぽつりと呟く。


前世の冬を思い出した。


朝。


布団から出たくなくて。


暖房をつける。


しばらくすると、部屋の中がじわじわ暖かくなっていく。


吹き出し口の前に立つと、ふわっと暖かい風が身体に当たる。


「あれ、ほしい……」


でも。


暖かい風って、どうやって作ればいいんだろう。


火なら分かる。


もう出せる。


風も、物を浮かせる時みたいに空気を動かせば、なんとなくできそうな気はする。


でも。


暖かさ。


「……あったかいって、どうやるんだろ」


私は首を傾げた。


そして――。


「あ」


思いついた。


あるじゃん。


毎日、暖かいところ。


階段を下りる。


一階へ近づくにつれて、少しずつ空気が変わってきた。


厨房から漂うスープの匂い。


焼いたパンの香り。


そして。


ぱち。


ぱちぱち。


食堂の大きな暖炉で薪が爆ぜる音。


「さむーい!」


最後の数段を駆け下りて、そのまま暖炉へ直行する。


「おっと、走るなよ」


厨房からパパの声が飛んできた。


「はーい!」


返事だけはしておく。


暖炉の前へしゃがみ込んで、両手を伸ばす。


「はぁぁぁ……」


あったかい。


冷えていた頬が、じわじわ温まっていく。


薪の表面を赤い炎が舐めている。


ぱちん。


小さな火の粉。


乾いた木の焦げる匂い。


「さいこう……」


やっぱり冬はここだ。


しばらく暖炉の前を独占していたけれど――。


ふと、後ろを振り返る。


「……さむ」


暖炉から少し離れるだけで、空気が冷たい。


もう一度前を向く。


「あったかい」


後ろ。


「さむい」


前。


「あったかい」


後ろ。


「さむい」


「…………」


なんでこんなに違うんだろう。


暖炉の前には、こんなに暖かい空気があるのに。


食堂全部が暖まるまでには、まだ時間がかかる。


「これ……」


私は炎を見つめた。


「ひろげたらいいんじゃない?」


暖炉の前だけにある暖かい空気。


これを、食堂の奥まで。


魔法で。


私は暖炉から少し離れて座った。


目を閉じる。いつものように、魔力を練る


今度は指先だけに集めない。


もっと広く。


暖炉の前にある空気を意識する。


火を動かすんじゃない。


火の前にある、この暖かいところ。


それを――。


「ふわーって……」


物を浮かせる時の感覚。


押し上げる。


動かす。


でも、強くじゃない。


ゆっくり。


食堂の奥へ。


ふわ。


前髪が揺れた。


「……ん?」


もう一度。


暖炉の前の暖かい空気を。


向こうへ。


ふわぁ……。


テーブルの上に置いてあった布の端が、ほんの少し揺れた。


私は立ち上がる。


食堂の真ん中まで歩いてみる。


「……あ」


さっきより。


ほんの少しだけ、暖かい。


「できた?」


もう一度。


今度は暖炉の前に溜まっている暖かさを、左右にも。


ふわぁ。


ゆっくり。


ゆっくり。


冷たい空気と混ぜるように。


「……できてる!」


楽しい。


もう一回。


ふわぁ。


暖炉から離れた場所にも、少しずつ暖かさが届く。


食堂全体の空気が、さっきより柔らかくなった気がした。


そこで。


私は暖炉を見る。


暖かい空気。


今は、それを動かしただけ。


だったら。


「……これ、自分でつくれないのかな」


暖かい風。


前世の暖房みたいな。


火そのものを出すんじゃない。


空気を温める。


それを動かす。


「……やってみよ」


今度は暖炉の熱を使わない。


自分の魔力。


火を出す時の感覚を思い出す。


熱く。


でも、燃やさない。


「んー……」


手のひらがじんわり温かくなる。


そこから、その熱を周りの空気へ。


「ぬくぬく……」


そして。


動かす。


ふわ。


頬に風。


「つめたっ」


失敗。


ただの風だった。


「むぅ……」


もう一回。


先に温める。


それから動かす。


暖房。


暖かい風。


身体に当たる、あの感じ。


「ぬくぬくにして……ふわー」


ふわぁ……。


「……!」


頬を撫でた空気が。


暖かい。


「できた!」


思わず立ち上がった。


もう一度。


今度は前へ飛ばすんじゃない。


自分の周り。


肩。


背中。


お腹。


足元。


身体の周りをぐるっと包む。


見えない大きな毛布を着るようなイメージ。


暖かい空気を作って。


ゆっくり流す。


ふわぁ……。


前髪が揺れた。


首元。


肩。


背中。


足。


暖かい空気が、身体の周りをゆっくり巡っていく。


「……あったかぁ」


暖炉の前にいなくても暖かい。


これは。


「さいこう……」


冬。


勝ったかもしれない。


その時。


「ルマー?」


「!」


ママの声。


振り返る。


階段からママが降りてきた。


「ここにいたのね。何して――」


そこで止まった。


「……あら?」


ぎくっ。


ママが食堂を見回す。


「どうしたの?」


「今日、ずいぶん暖かいわね」


「……そう?」


「ええ」


ママが暖炉を見る。


それから、食堂の奥へ。


「いつもならこの時間、奥の方はまだ寒いのに」


ぎくぎくっ。


「薪、多く入れたのかしら」


「どうだろー?」


知らないふり。


ママは不思議そうに首を傾げる。


「まあ、暖かいならいいわね」


それだけ言うと、厨房へ向かっていった。


私はその背中を見送る。


「…………」


気づかれた。


いや。


私がやったとは気づいてない。


セーフ。


暖炉では、薪がぱちりと爆ぜた。


私は自分の手を見る。


暖炉の暖かさを、部屋いっぱいに広げる。


暖かい空気を、自分で作る。


そして、それを身体の周りに纏う。


今日だけで、また魔法の使い方が増えた。


私はこっそり、もう一度だけ魔力を練る。


ぬくぬくにして。


ふわー。


暖かい風が、身体を包む。


「……ふふ」


外では冷たい風が吹いている。


でも。


今年の冬は、ちょっとだけ快適に過ごせそうだった。

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