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『のんびり暮らしたい宿屋の娘、今日も子育て相談を受けています』 ~元小児科看護師の異世界暮らし~  作者: 入野 カフェイン


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第33話 冬の新作は、ふたりで

冬支度を始めてから、Forest亭の厨房には少しだけ変化があった。


壁際には保存食の瓶や壺が並び、天井近くには干した肉や香草が吊るされている。


暖炉だけじゃなく、厨房のかまどにも朝から火が入るようになった。


ぱち、ぱち。


乾いた薪が爆ぜる音。


ほんのり焦げた木の匂いに、焼きたてのパンとスープの香りが混ざる。


最近、この匂いで「ああ、冬が近いんだな」と思うようになった。


その日の昼下がり。


食堂のお客さんが少なくなった頃、私は厨房から聞こえてくる音に気づいた。


とん、とん、とん。


一定の間隔で、包丁がまな板を叩いている。


パパかな。


そう思って厨房を覗くと――。


「あれ?」


そこにいたのはトータ兄ちゃんだった。


袖を肘までまくり、小さめの包丁で玉ねぎを切っている。


隣には、大きめに切られた根菜ときのこ。それから赤身の多い肉が並んでいた。


「トータ兄ちゃん、なにしてるの?」


「うわっ」


トータ兄ちゃんの肩が跳ねた。


「ルマ、急に出てくるなよ」


「ずっとここにいたよ?」


「嘘つけ」


失礼な。


「ごはん?」


「練習」


「れんしゅう?」


「うん」


トータ兄ちゃんは少し照れくさそうに鼻をこすった。


最近、トータ兄ちゃんは前より厨房にいる時間が増えた。


もともとパパの手伝いで野菜を洗ったり、簡単な仕込みをしたりはしていたけれど、最近は切るだけじゃない。


鍋を混ぜたり、味付けを任されたり。


たまにパパの隣で、真剣な顔をして料理を教えてもらっている。


「父さんがさ。冬は煮込みがよく出るから、自分でも何か考えてみろって」


「トータ兄ちゃんのりょうり?」


「うん。でも……」


トータ兄ちゃんは少し考えてから続けた。


「父さんがいつも作ってるのと同じじゃなくてさ。冬になったらこれが食べたいって思ってもらえるようなの、作ってみたいんだ」


「ふゆのりょうり!」


「そう」


なんだか楽しそう。


「ルマもやる!」


「えぇ……」


「やる!」


「包丁は触るなよ」


「はぁい」


そこは私も分かってます。


トータ兄ちゃんが鍋に油を落とした。


火にかけると、ゆらりと表面が揺れる。


そこへ肉を入れた瞬間――。


じゅわぁっ!


「わっ」


厨房いっぱいに、肉の焼ける香ばしい匂いが広がった。


表面が茶色くなった肉を一度取り出し、次は玉ねぎ。


じゅっ。


木べらで混ぜるたび、つんとした匂いが少しずつ甘い香りに変わっていく。


肉と根菜を戻して、水と香草を加える。


ことこと。


しばらく煮込んで――。


「できた」


二人で味見をする。


「……おいしい」


「ほんと?」


「うん」


普通においしい。


でも。


もう一口。


「……いつものあじ」


「やっぱり?」


トータ兄ちゃんが肩を落とした。


「父さんの煮込みとあんまり変わらないんだよなぁ」


「おいしいよ?」


「でも、新しい料理にしたいんだよ」


うーん。


冬。


寒い日。


お肉の煮込み。


頭の中に浮かんだのは、前世で食べたビーフシチュー。


でも五歳児が作り方を全部知ってるのはおかしい。


「もっと……こいーの」


「濃い?」


「うん。あつあつで、ぎゅーってしたあじ!」


「……分かんない」


ですよね。


窓の外で風が吹いた。


かたん、と窓枠が鳴る。


「さむい日にね、パンいっぱいつけて食べたら、うまぁ! ってなるやつ!」


「結局それかよ」


「だいじ!」


でもトータ兄ちゃんは、少し考え込んだ。


「パンにつけるなら……もうちょっと濃くてもいいのか」


「こいーの!」


「ただ塩辛くするんじゃなくて……」


二人で鍋を睨む。


その時。


「あっ!」


トータ兄ちゃんが慌てて振り返った。


次に使うつもりだった玉ねぎを、火にかけたままにしていた。


「忘れてた!」


木べらで慌てて混ぜる。


白かった玉ねぎは、すっかり茶色くなっていた。


「焦げたかな……」


トータ兄ちゃんが顔をしかめる。


でも。


「……いいにおい」


焦げ臭くない。


むしろ甘くて、香ばしい。


トータ兄ちゃんも鼻を近づけた。


「ほんとだ」


少しだけ味を見る。


「……甘い」


「ルマも!」


冷ましてもらって、ぱく。


「あまっ!」


さっきまでの玉ねぎと全然違う。


「これ、使えるかも」


トータ兄ちゃんの目が変わった。


「もっと炒めてみよう」


そこから、二回目の挑戦が始まった。


今度は肉もしっかり焼いた。


じゅううっ。


鍋底に茶色い焼き色がつくくらいまで。


玉ねぎも急がず、ゆっくり。


白から透明。


透明から薄茶色。


さらに濃い茶色へ。


厨房の中に、肉と玉ねぎの香ばしい匂いが重なっていく。


「さっきとぜんぜんちがう!」


「うん。これなら……」


トータ兄ちゃんが腕を組む。


ふと、棚の方を見た。


そこにはパパが料理にも使っている果実酒の瓶が並んでいる。


トータ兄ちゃんが一本を手に取った。


「これ、合うかな」


「おさけ?」


「果実酒。父さんが、肉の煮込みに少し使うことあるんだ」


瓶の栓を抜く。


ふわっと甘酸っぱい香りがした。


「いいにおい」


「この匂い……」


トータ兄ちゃんが鍋を見る。


「この肉、果実酒にも合いそうだな」


確かに。


しっかり焼いた肉と、甘く炒めた玉ねぎ。


お酒飲みだったら絶対好きなやつ。


「じゃあ」


トータ兄ちゃんが少し笑った。


「入れて煮てみるか」


「いれよ!」


「ルマは飲むなよ?」


「のまないよ!」


四歳児ですから。


とぽ、とぽ。


赤い果実酒が鍋へ落ちる。


次の瞬間。


じゅわぁっ!


白い湯気が勢いよく立ち上った。


「わぁっ!」


思わず二人で顔を引く。


甘酸っぱい果実の香りが、一気に厨房いっぱいに広がった。


でもすぐに、焼いた肉の香ばしい匂いと混ざっていく。


玉ねぎの甘さ。


香草。


そして、薪の煙。


さっきまで別々だった匂いが、ひとつになっていく。


「……すご」


トータ兄ちゃんが呟いた。


私も鼻をくんくんさせる。


「おいしそうなにおい!」


「まだ酒の匂いが強いから、ちゃんと煮込まないとな」


さすが、パパのお手伝いをしているだけある。


トータ兄ちゃんは木べらで鍋底をこするように混ぜてから、肉と根菜、きのこを入れた。


そこへ水を加える。


ことこと。


ことこと。


薪を一本足す。


ぱちん。


火の粉が小さく跳ねた。


二人で時々鍋を覗きながら、ゆっくり煮込んでいく。


最初は鼻に強かった果実酒の香りも、時間が経つにつれて丸くなっていった。


代わりに、肉と野菜の濃い匂いが増していく。


そして。


「……トータ兄ちゃん」


「ん?」


「くろくなってきた」


「ほんとだ」


薄い茶色だった煮汁が、いつの間にか深い焦げ茶色になっていた。


ぐつ。


ぐつ。


大きな泡がゆっくり浮かんでは消える。


木べらですくえば、とろり。


肉と根菜には、濃い煮汁がつやつやと絡んでいる。


「なんか……すごい色だな」


「くろい!」


「焦げ茶色」


「くろ!」


「焦げ茶!」


「くろ!」


「……もう黒でいいよ」


勝った。


小皿へ取って、味見。


ふー。


ふー。


ぱく。


「……!」


さっきと全然違う。


肉の旨味。


じっくり炒めた玉ねぎの甘さ。


果実酒のほんのりした酸味と香り。


香ばしさ。


全部が一緒になって、とろりと舌に残る。


パン。


これは絶対パンだ。


私は近くにあったパンをちぎる。


「おい、それ父さんの――」


聞こえない。


たっぷり煮汁につけて。


ぱく。


「…………うまぁ」


「ほんと?」


「うまぁ!」


「よし!」


トータ兄ちゃんが笑った。


夕方。


完成した鍋をパパに見てもらった。


パパは濃い色の煮込みを見て、眉を上げる。


「ずいぶん黒いな」


「……色々やってたらこうなった」


「色々?」


トータ兄ちゃんが、玉ねぎをじっくり炒めたこと。


肉をいつもよりしっかり焼いたこと。


そして果実酒を入れて煮込んだことを説明する。


パパは何も言わず、匙ですくった。


一口。


「…………」


長い。


沈黙が長い。


やがて、もう一口。


「うん。悪くない」


トータ兄ちゃんの顔がぱっと明るくなる。


「ほんと!?」


「肉もしっかり焼けてる。玉ねぎもよく炒めたな。果実酒の酸味も残ってる」


そして少し考えてから、


「これなら、飲む方の果実酒にも合いそうだな」


「え?」


「ほら」


パパが笑う。


「寒い夜にこれを食いながら一杯。好きな客は多いぞ」


トータ兄ちゃんと私は顔を見合わせた。


「じゃあ、おきゃくさんにだす?」


「味を少し直したらな」


パパはもう一口食べる。


「煮詰めるなら、最初の塩はもう少し控えた方がいい。でも――面白いじゃないか」


「やった!」


「くろにこみ!」


「……黒煮込み?」


私は鍋を指差した。


「くろいから!」


一瞬の沈黙。


「そのまんまだな」


トータ兄ちゃんが笑う。


「分かりやすくていいじゃないか」


パパまで笑った。


こうして。


名前もなかった冬の新作は――。


『黒煮込み』になった。


その夜。


Forest亭の食堂に、初めて黒煮込みが並んだ。


湯気の立つ深い皿。


ごろっとした肉と根菜。


濃い色の煮汁。


横には厚めに切ったパン。


「これ、初めて見るな」


常連のお客さんが皿を覗き込む。


「今日の新作なんですよ。トータが作ったんです!」


「母さん!」


厨房から声が飛んできた。


お客さんが笑いながらパンをちぎり、黒煮込みにつける。


ぱく。


「……お」


トータ兄ちゃんが厨房の入口から、じっと見ている。


「うまいな、これ」


「ほんとですか!?」


思わず飛び出してきた。


「肉も柔らかいし、パンに合う」


すると向かいのお客さんが、手元の果実酒を一口飲んだ。


もう一度、黒煮込み。


そしてまた果実酒。


「……これ、酒に合うな!」


「ほんとだ。果実酒と一緒に食うとうまい」


「だろ?」


なぜかパパが得意そうだ。


「作ったの俺!」


「わたしも!」


食堂に笑い声が広がった。


外では冷たい風が吹いている。


暖炉では薪がぱちぱちと爆ぜ、濃い煮込みの香りと果実酒の甘い香りが漂っていた。


寒い夜に、熱々の黒煮込み。


そこへパンと果実酒。


その組み合わせは、思っていた以上に好評だった。


夜。


お客さんが帰ったあと。


厨房には、空っぽになった鍋が残っていた。


「……全部なくなった」


トータ兄ちゃんが鍋を覗き込む。


「おいしかったもん」


「うん」


口元が緩んでいる。


「にやにやしてる」


「してない」


「してる」


「してない!」


私は笑いながら、空っぽの鍋を覗き込んだ。


「ねぇ、トータ兄ちゃん」


「ん?」


「つぎ、なにつくる?」


「もう次の話かよ」


「つくろ!」


「今日作ったばっかりだぞ」


「つぎ!」


「はいはい」


トータ兄ちゃんは呆れたように笑った。


それから、もう一度空になった鍋を見る。


「……じゃあ、また考えるか」


窓の外では、冷たい風。


厨房にはまだ、煮込んだ肉と香草、果実酒、それから薪の煙の匂いが残っている。


この時はまだ知らなかった。


二人であれこれ試して生まれたこの黒い煮込みが――。


毎年冬になるとForest亭の厨房からいい匂いを漂わせる、冬の定番料理になることを。

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