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『のんびり暮らしたい宿屋の娘、今日も子育て相談を受けています』 ~元小児科看護師の異世界暮らし~  作者: 入野 カフェイン


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第31話 第6感

  Forest亭の扉が、勢いよく開いた。


「窒息した子はどこだ!」


 飛び込んできたのは、カロナ先生だった。


 そのすぐ後ろから、アネシアさんも入ってくる。


「カロナ、まず落ち着きな」


「子どもの窒息で落ち着いていられるか!」


「だからってあんたまで慌ててどうするんだい」


「慌ててない!」


「はいはい」


(……いつも通りだ)


 ついさっきまで張り詰めていた身体から、少しだけ力が抜けた。


「こっちです!」


 ママが二人を、男の子のところへ案内する。


 男の子はお母さんの膝の上。


 泣き疲れたのか、今はぐずぐずと鼻を鳴らしている。


「こんにちは。ちょっと診せてくれ」


 さっきまで大きな声を出していたカロナ先生の声が、少しだけ優しくなった。


(子どもにはちゃんと優しいんだ)


 カロナ先生が男の子の顔色や呼吸を確認する。


 アネシアさんも隣にしゃがみ、身体に傷がないかを診ていた。


「今は呼吸も落ち着いてるね」


「ああ。顔色も悪くない」


「よかった……」


 お母さんが、ほっと息を吐いた。


「何を食べていました?」


「これです」


 お父さんが、テーブルに残っていた料理を指差す。


「詰まったものは?」


「床に落ちたわ。これくらいの大きさだったと思う」


 ママが指で大きさを示した。


「なるほど」


 カロナ先生が頷く。


「出てからは?」


「咳をして、そのあとすぐ泣きました」


 お母さんが答える。


「そうですか」


 そこで。


「最初に気づいたのはルマよ」


 ママが私を指差した。


「え」


 カロナ先生とアネシアさんが、同時にこちらを見る。


「ルマが?」


「うん。あの子なんか変だよって」


「ふぅん」


 カロナ先生が私の前にしゃがんだ。


「ルマ。最初から話してみろ」


「最初から?」


「ああ。何を見た?」


「えーっと……」


 私はさっきのことを思い出す。


「最初は、ごはん食べてたよ」


「うん」


「でも、次に通ったとき、首のところ押さえて、ぼーっとしてた」


「それで?」


「なんか変だなーって思って」


 カロナ先生は黙って聞いている。


「顔色も悪かったし……苦しそうなのに、咳してなかった」


「咳が出てなかった?」


「うん。あと、声も出てなかった」


「…………」


「それで、息できてないのかなって」


「そのあとは?」


「ママに言ったら、パパ呼んでくれて」


 私はパパを見る。


「喉に詰まってるかもって思ったから、後ろから背中叩いたら出ないかなって」


「ヤトが叩いたのか?」


「うん」


「何回?」


「二回」


「出たあとは?」


「咳してた。それから、いっぱい泣いた」


「顔色は?」


「だんだん戻ってきたよ」


「…………」


 カロナ先生が黙った。


(あれ?)


「カロナ先生?」


「……いや」


 今度は、じーっと私の顔を見る。


(なに)


 なんかついてる?


 思わず自分の頬を触る。


「ルマ」


「なに?」


「お前、よく見てるな」


「?」


「見てたよ?」


 だって聞かれたから説明したんだけど。


 首を傾げると、隣でアネシアさんが吹き出した。


「ふふっ。そういう意味じゃないよ」


「?」


「カロナ」


「なんだ」


「見る目があるって顔してるね」


「……まあな」


(見る目?)


 カロナ先生が立ち上がる。


「ただ『苦しそうだった』じゃない。顔色が悪い。咳が出ていない。声も出ていない。異物が出たあとは咳をして、泣いて、顔色が戻った」


「うん」


「そこまで順番に見てたんだろ?」


「……うん」


「それが大事なんだ」


 カロナ先生が私の目を見る。


「異変に気づくのは、知識があるだけじゃできない」


「そうなの?」


「ああ。ちゃんと相手を見てないとな」


「…………」


 なんだか。


 前世で何度も聞いたような言葉だった。


 数値だけじゃない。


 子どもの顔色。


 機嫌。


 泣き方。


 食べ方。


 遊び方。


 お母さんの「いつもと違う気がする」という一言。


 言葉でうまく伝えられない子どもだからこそ。


 小さな変化を見る。


(……そっか)


 あのときも。


 私は最初から「喉に詰まってる」と思ったわけじゃない。


 ただ。


(なんか変)


 そう思っただけだった。


「そういえば」


 アネシアさんが口を開いた。


「前にもあったねぇ」


「なにが?」


「商隊の人が手を切ったときさ」


「あ」


 覚えてる。


 木箱を運んでいて、手を切った人。


「ルマちゃん、傷だけじゃなくて、土や木くずがついてるのを気にしてただろ?」


「だって、汚れてたから」


「それで先に洗った」


「うん」


「ふぅん……」


 カロナ先生が、また私を見る。


(また見てる)


「ルマ」


「なに?」


「その目は大事にしろ」


「目?」


「ああ」


「…………」


 私はぱちぱちと瞬きをする。


(視力の話ではないよね?)


「ちゃんと見る目だ」


「ああ!」


「今分かったのか」


「分かったよ!」


「本当か?」


「ほんと!」


 カロナ先生が呆れたように笑った。



     ◇ ◇ ◇



「それにしても」


 男の子の診察を終えたアネシアさんが、私の隣にやってきた。


「今日は私とカロナ、二人とも呼んだんだって?」


「うん」


「どうして?」


「だって……」


 私は男の子を見る。


「喉に詰まったのは出たけど、それで絶対大丈夫か分かんなかったから」


「それで?」


「アネシアさんにも診てもらって、カロナ先生にも診てもらったらいいかなって」


「なるほどねぇ」


 アネシアさんが笑う。


「ほら。この前あんたが言ってたじゃないか」


「このまえ?」


「できることが違うなら、一緒にやったらいいって」


「……あ」


 思い出した。


 治癒士のアネシアさん。


 医師のカロナ先生。


 薬師のロウ。


 三人とも、できることが違う。


 だったら。


 力を合わせたら、もっとできることが増える。


「今日はロウはいないけどね」


「お薬いらないもんね」


「そういうこと」


 アネシアさんが頷く。


「必要なら、そのときはロウの出番さ」


「うん」


「何でも一人でできる人なんていないからね」


 その言葉に。


 私は少しだけ黙った。


 今日だってそうだった。


 私が気づいて。


 ママがパパを呼んで。


 パパが男の子の背中を叩いてくれた。


 そして今。


 アネシアさんとカロナ先生が診てくれている。


(……一人じゃない)


 私一人じゃ、あの子を抱えることすらできなかった。


 五歳の身体では、できないことの方が多い。


 でも。


 だからって。


 何もできないわけじゃない。


 気づいたら、誰かに伝える。


 できる人を呼ぶ。


 そして。


 みんなでやればいい。


(前世でも、同じだったはずなんだけどなぁ)


 看護師だって、一人で全部やるわけじゃない。


 医師がいて。


 薬剤師がいて。


 いろんな人がいて。


 みんなで子どもを診ていた。


 当たり前に知っていたはずなのに。


 いつの間にか。


 自分が頑張らなきゃ。


 自分がちゃんとしなきゃって。


 思っていた気がする。


「ルマちゃん?」


「ん?」


「難しい顔して、どうしたんだい?」


「なんでもない!」


「そう?」


「うん!」


 私は笑った。


 前世で十年間かけて覚えたこと。


 そして。


 この世界に来てから、新しく気づいたこと。


 どっちも。


 少しずつ、私の中に残っていく。


「ルマ」


 カロナ先生に呼ばれて振り返る。


「なに?」


「さっきの話」


「うん」


「『なんか変』って思ったんだろ?」


「うん」


「それを大事にしろ」


「……うん!」


 なんか変。


 たったそれだけ。


 でも。


 その小さな違和感が。


 誰かを助ける最初の一歩になることを。


 私はもう、知っている。

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