第3話 出したいものは、それじゃない
この世界には魔法がある。
それを知ってからというもの、私の頭の中はそのことでいっぱいだった。
前世では異世界ものの小説も漫画も散々読んだ。魔法の使い方だって、もちろん知っている。
――いや、正確には物語の中での使い方だけど。
よくあるのは、身体の中にある魔力を感じて、それを手のひらに集めて外へ放出するというもの。
(まあ、とりあえずやってみよう)
赤ちゃんの私には時間だけはいくらでもある。
ベッドに転がったまま、小さな右手をじっと見つめた。
(魔力……出ろ)
何も起きない。
(もうちょっとこう、身体の中から……ぐっと……)
全身に力を込めてみる。
(出ろ……! 魔力……!)
「ん゛――っ!」
もっとだ。もっと力を込めれば何か出るかもしれない。
(出ろおおおお……!)
その瞬間。
ぶりっ。
(…………)
静かな部屋に、なんとも言えない音が響いた。
(…………出た)
いや。
違う。
私が出したかったのはこれじゃない。
「あらあら、ルマ。すっきりしたの?」
音を聞きつけたのか、フルコがやって来た。
「いっぱい出たわねぇ。よかったねー」
(違うんです、お母さま)
私は魔法の練習をしていたんです。
決して、うんちをするために全力で力んでいたわけではない。
「気持ちよかったねぇ」
(だから違うって)
当然、伝わるはずもなく、そのままおむつ交換へ連行された。
前世ではおむつを替える側。今世では替えられる側。そして魔力を出そうとすれば、出るのはうんち。
(……魔法って難しいな)
少なくとも、力めば出るものではないらしい。
◇ ◇ ◇
失敗したからといって、諦める理由はなかった。
何しろ暇なのだ。
赤ちゃんの一日は長い。
寝る。起きる。ミルクを飲む。トータに頬をつつかれる。寝る。おむつを替えられる。また寝る。
娯楽が少なすぎる。
ということで、魔力探しは私の日課になった。
(力むんじゃないなら……感じる方かな)
目を閉じて、自分の身体に意識を向けてみる。
手。足。お腹。
何も分からない。
そもそも魔力というものがどんな感覚なのかすら知らないのだから、当然といえば当然だ。
(温かいとか? ピリピリするとか?)
それらしいものを探しているうちに眠ってしまい、起きたらまた探す。
そんなことを何日も繰り返した。
そして、ある日。
(……ん?)
お腹の奥に、ほんの少しだけ違和感があった。
温かいような、むずむずするような。意識を向けた途端に消えてしまいそうな、頼りない感覚。
(これ……かな?)
そっと意識を集中させる。
消えた。
(あー!)
もう一度探す。
しばらくすると、また見つかった。
(いた)
今度は逃がさないように、ただ感じることだけに集中する。
昨日ヤトが出した水や、フルコが大きくした炎を思い出す。
(これが魔力だったら……動かせたりする?)
お腹の辺りにある感覚を、少しだけ右手へ。
そう考えた瞬間、また消えた。
(難しいなぁ)
それでも、やめなかった。
どうせ他にやることもない。
毎日探しているうちに、見つけるまでの時間が少しずつ短くなった。やがて意識を向ければ、すぐにその感覚が分かるようになっていく。
次は、それを身体の中で動かしてみる。
お腹から胸へ。胸から肩へ。そして腕から手のひらへ。
(お、いけた)
もちろん、火も出なければ水も出ない。
それでも自分の意思で何かを動かせた感覚が面白くて、私は何度も繰り返した。
「ルマって本当に手がかからないわねぇ」
ある日、フルコが感心したように言った。
「トータのときは、もっと抱っこしてないと泣いてなかったか?」
「そうなのよ。この子、一人で寝かせてもずっとご機嫌で」
ヤトとフルコが私を覗き込む。
その頃の私はというと、
(もう少し……右手まで……よし、きた)
魔力らしきものをせっせと移動させていた。
「ルマ、なにしてるの?」
トータまで顔を覗き込んでくる。
(魔力を練ってます)
「あーう」
「?」
伝わらない。
まあ、いい。
誰にも邪魔されず練習できるなら、その方が都合がいい。
そうして私は、寝返りもできない頃から毎日のように魔力を探し、集めて、身体の中を巡らせ続けた。
やがて寝返りができるようになり、座れるようになり、ハイハイで好きなところへ行けるようになっても、それだけは変わらなかった。
最初は暇つぶしだった。
ただ、魔法を使ってみたかっただけ。
だから私は知らなかった。
赤ちゃんの頃から毎日欠かさず魔力を練る人間なんて、普通はいないということを。
そして当然、その積み重ねが後々どうなるのかも――このときの私は、まだ知らなかった。




