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『のんびり暮らしたい宿屋の娘、今日も子育て相談を受けています』 ~元小児科看護師の異世界暮らし~  作者: 入野 カフェイン


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第2話 おむつを変える側から、変えられる側へ⁉︎

苦しい。


 最初に感じたのは、それだった。


(……何、これ)


 確か私は横断歩道を渡っていた。クラクションが聞こえて、目の前に車があって、それから――。


(私、死んだ……?)


 そう考えた瞬間、身体が強く押し出された。


 急に世界が明るくなる。眩しい。寒い。息の仕方すら分からず戸惑っていると、知らない声が聞こえた。


「元気な女の子ですよ!」


(女の子? 何の話?)


 次の瞬間、身体が勝手に大きく息を吸った。


「おぎゃああああ!」


(…………え?)


 今の、私?


 もう一度、勝手に声が出る。


「おぎゃあああ!」


(いやいやいや。ちょっと待って)


 この声、どう考えても赤ちゃんの泣き声だ。


 温かい布に包まれ、誰かに抱き上げられる。ぼんやりと目を開けると、知らない女性がこちらを見ていた。疲れ切った顔で泣きながら、それでも嬉しそうに笑っている。


「ルマ……。やっと会えた」


(ルマ?)


 女性の横から、大きな男の人が恐る恐る顔を覗かせた。肩幅が広く、腕も太い。第一印象は、とにかくでかい。


「小さいな……」


「赤ちゃんなんだから当たり前でしょ」


「俺が抱いても大丈夫なのか?」


「あなたの子なんだから大丈夫よ。ほら、ちゃんと首を支えて」


「分かってる!」


(めちゃくちゃ緊張してるな、この人)


 さらにその横から、小さな男の子が顔を出した。


「ぼくも見たい!」


「トータ、こっちにいらっしゃい」


 三歳くらいだろうか。男の子はベッドのそばまで来ると、興味津々で私を覗き込んだ。


「赤ちゃん?」


「そうよ。トータの妹」


「いもうと……」


 嬉しそうに笑う男の子を見ながら、嫌な予感がした。


 試しに手を動かしてみる。


 視界に入ったのは、信じられないくらい小さな手だった。


(…………まさか)


 赤ちゃんの声。小さな身体。私を産んだらしい女性。そして、私を妹と呼ぶ男の子。


 私は車に轢かれた。


 前世では異世界ものの小説も漫画も散々読んできた。この状況に当てはまる言葉なんて、一つしか思いつかない。


(……転生?)


 いや、そんなことある?


 そう思ったけれど、目の前の小さな手が「ある」と言っている。


(あるんだ……)


 どうやら私は、死んで赤ちゃんになったらしい。


     ◇ ◇ ◇


 それからしばらくして、私は新しい家族のことを少しずつ理解し始めた。


 私の名前はルマ。


 母はフルコ、父はヤト。そして三歳年上の兄がトータ。


 フルコはとにかくよく喋るし、ヤトは大きな身体のくせに私を抱くたび「首は大丈夫か?」と緊張している。トータは毎日のように私の顔を覗きに来ては、ほっぺたを触って満足そうに帰っていく。


 悪くない家族だと思う。


 ただ、転生して一つだけ予想していなかったことがある。


「ルマ、おむつ替えようねー」


(…………)


 フルコに足を持ち上げられる。


 分かっている。


 私は赤ちゃんだ。


 必要なことだというのも、元小児科看護師として誰よりよく分かっている。


 分かっているけど。


(恥ずかしいものは恥ずかしい)


「はい、きれいになった」


(ありがとうございます……)


 もちろん声にはならない。


 前世では仕事で何度おむつを替えたか分からない。それがまさか三十歳で人生を終え、次に目を覚ましたら自分が替えられる側になるとは。


(人生、本当に何があるか分からないな……)


 そんなことを考えながら、新しいおむつをつけてもらう。


 そしてもう一つ、赤ちゃん生活には重大な問題があった。


(暇すぎる)


 本は読めない。絵も描けない。料理もできない。当然、釣りにも行けない。


 寝る。起きる。飲む。出す。おむつを替えられる。また寝る。


 今のところ、私の一日はだいたいこれで終わる。


 そんな生活を送っていた、ある日のことだった。


 フルコに抱かれ、自宅から続く廊下を通って別の建物へ連れて行かれた。


 ここには何度か来たことがある。家とは別の建物らしいけれど、廊下で直接繋がっていて、フルコもヤトも一日の間に何度も行き来している。


 いつ来ても人の話し声がして、食べ物のいい匂いがする。


(何かお店でもやってるのかな)


 今の私に分かるのは、それくらいだった。


 早く普通のご飯が食べたい、なんて考えていると、少し離れたところからヤトの声が聞こえた。


「フルコ、水足すぞ」


「お願い」


 何気なくそちらを見る。


 ヤトが鍋のそばで手をかざした。


 次の瞬間、何もないところから水が現れ、そのまま鍋の中へ流れ込んだ。


(…………ん?)


 今の、何?


 見間違いかと思っていると、今度はフルコが竈の前に立った。


「火、弱くなってるわね」


 指先を向ける。


 ぼっ、と火が大きくなる。


(…………)


 水。


 火。


 何もないところから。


 しかも二人とも、何事もなかったかのように料理を続けている。


(これって……)


 前世で散々見た。小説でも、漫画でも、アニメでも。


(魔法じゃん)


 死んで、赤ちゃんになった。


 そのうえ、魔法まである。


 ということは――。


(ここ、日本じゃないどころか……異世界?)


 もう一度、竈の火を見る。


 当たり前のように揺れる炎を眺めているうちに、驚きより先に別の感情が湧いてきた。


(…………ちょっと楽しそう)


 そう思ってしまったことは、誰にも言わないでおこう。


 まあ、今の私には喋れないんだけど。

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