第1話 バーガーか、牛丼か
「おくすり、やだ!」
朝の病室に、元気な声が響いた。
ベッドの上で口をへの字にしている男の子は三歳。昨日から薬を飲むたびに大騒ぎらしい。隣では、お母さんが困ったように眉を下げている。
「お薬の何が嫌なの?」
「ぜんぶ!」
「全部かぁ。それは困ったな」
「にがい!」
「あ、苦いんだ」
なるほど。それならやりようはある。
「ちょっと待っててね」
薬の内容を確認し、一緒に食べても問題のないもので味が飲みやすくなるものを
いくつか考えてから病室へ戻った。
「甘いものと一緒なら飲んでも大丈夫だよ。バナナとか」
「……バナナ?」
「好き?」
「すき」
「じゃあ、お母さんと一緒にやってみる?」
男の子が小さく頷くと、お母さんがほっと息を吐いた。
「家でも毎回これで困ってて……」
「無理に飲ませるより、本人が『これならいけそう』って方法を一緒に探しましょう。ただ、お薬によって一緒にしていいものは違うので、そこは確認しますね。」
「ありがとうございます」
「じゃあ、頑張ってね」
「……がんばる」
「おっ!えらいね!おにーちゃんだ!」
小さな頭を撫でて、病室を出た。
小児科看護師になって十年。三十歳。
子どもと話すのも、親御さんの話を聞くのも好きだった。仕事だって嫌いじゃない。
ただ、疲れるものは疲れる。
「疲れたぁ……」
「先輩、溶けてますよ」
スタッフステーションの椅子に沈み込む私を、同じ夜勤だった後輩が笑っている。
昨日の十六時から勤務を開始して、終了予定は9時。それなのに残った記録を片付けて時計を見れば、10時45分だった。
「終わったー!」
「先輩、今日何するんですか?」
「寝る。起きたら漫画読む。元気だったら釣り」
「夜勤明けですよ?」
「寝てからね」
「それでもやばいですよ!」
昔から、興味を持ったことは何でもやってみたくなる性格だった。本も漫画も好きだし、絵を描くのも料理も好き。釣りもする。
ただ、歌とダンスだけはどうにもならなかった…。
…あれはきっと才能が必要だ。
「じゃあ、お先」
「お疲れさまでした。ちゃんと寝てくださいねー」
「はーい」
「釣りに行く前にですよ」
「分かってるって」
後輩に手を振って病院を出ると、昼前の日差しがやけに眩しかった。
時計はもうすぐ11時。世間はとっくに今日という一日を始めている。
私はこれから終わるところだけど。
「お腹すいたなぁ」
夜勤明けはお腹が空く。家まで帰る前に何か食べようと、信号を待ちながら考える。
(何食べようかな。バーガー食べたいなぁ)
ポテトもつけたい。夜勤明けの身体に、塩気のあるポテト。絶対おいしい。
(でも、牛丼もありだなぁ……)
卵を乗せて、味噌汁もつける。それも捨てがたい。
バーガーか、牛丼か。
非常に悩ましい。
(……帰って作る?)
いや、ないな。
料理は好きだけど、19時間近く病院にいたあとに料理をするほど元気ではない。
そうこうしているうちに、信号が青へ変わった。
(よし、バーガーにしよう)
横断歩道へ足を踏み出した、その瞬間。
甲高いクラクションが響いた。
「――え?」
顔を上げると、すぐそこに車があった。
衝撃とともに身体が浮く。
誰かの叫び声が聞こえた気がした。
(……バーガー)
食べたかったな。
それを最後に、私の意識は途切れた。




