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『のんびり暮らしたい宿屋の娘、今日も子育て相談を受けています』 ~元小児科看護師の異世界暮らし~  作者: 入野 カフェイン


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第23話 愛情は、風邪の特効薬

 朝、目を覚ました瞬間。


(……あ)


 喉の奥に、嫌な違和感があった。


 つばを飲み込む。


「……いたい」


 鼻も少し詰まっている。


 身体も、いつもより重い。


(これは……)


 この感覚には覚えがある。


 というか、前世で何度も経験した。


(風邪ひいたなぁ)


 布団の中でぼんやり天井を眺める。


 熱は――。


「…………」


 分からない。


(体温計がない)


 前世なら、とりあえず体温を測っていた。


 喉が痛い。


 鼻水が出る。


 身体がだるい。


 さて、何度でしょう。


(自分の体感ほど当てにならないものないんだけどなぁ)


 仕方なく起き上がろうとしたところで、扉が開いた。


「ルマ? まだ寝てるの?」


 ママだ。


「おはよぉ……」


「……あら?」


 私の声を聞いたママが近づいてくる。


「どうしたの?」


「ちょっと、のどいたい」


「まあ」


 ママの手が額に触れた。


「少し熱いわね」


(おでこ測定)


 前世なら「何度?」と聞き返していたところだ。


 でも、この世界ではこれが普通なのだろう。


「今日は寝てなさい」


「え?」


「風邪でしょう?」


「でも、これくらいなら――」


「駄目よ」


「熱もそんなに高くなさそうだし」


「駄目」


「お手伝いくらいならできるよ?」


「しなくていいの」


「…………」


 あまりにもあっさり言われて、言葉が止まった。


「……しなくていいの?」


「当たり前でしょう?」


 ママが不思議そうに私を見る。


「具合が悪いときは、ちゃんと休むのよ」


「…………」


(そっか)


 休んで、いいのか。



     ◇ ◇ ◇



 前世では。


 体調が悪くても、仕事を休むのは苦手だった。


 鼻水くらいなら、熱がなければ出勤していた。


 熱が出ても、解熱剤を飲んで。


(下がった。動ける)


 そう思えば、出勤したこともあった。


 もちろん、感染のことを考えれば休んだ方がいい。


 看護師だった私が、一番よく分かっている。


 それでも。


 自分が休めば、勤務人数が一人減る。


 残った人の受け持ちが増える。


 忙しくなる。


 それを知っていたから、「休みます」と言うのはいつも気が重かった。


 休みの電話をしたときの、電話の向こうのちょっとした沈黙や声色が気になったこともある。


(休むって言うの、嫌だったなぁ)


 だからいつの間にか、


 動けるなら行く。


 これくらいなら大丈夫。


 そう考える癖がついていた。


 でも今は。


 誰にも電話しなくていい。


 勤務人数も。


 受け持ちも。


 誰かの休憩が遅くなることも。


 何も考えなくていい。


(私、今はただの風邪ひいた五歳児なんだ)



     ◇ ◇ ◇



 しばらくすると、扉が開いた。


「ルマ、起きてるか?」


「パパ?」


 パパが湯気の立つ器を持って入ってきた。


「食べられそうか?」


「うん」


「じゃあ少し食べろ」


 身体を起こすと、膝の上に器を置いてくれる。


 野菜を柔らかく煮込んだスープだった。


「熱いから気をつけろよ」


「うん」


 ふうふうして、一口。


「……おいしい」


「そうか」


 優しい味が、喉をゆっくり通っていく。


 いつものパパの料理より少し薄味で、野菜も全部柔らかい。


(……食べやすくしてくれたんだ)


「全部食べなくていいからな」


「うん」


「食べられるだけでいい」


「……うん」


 なんだろう。


 スープが温かいせいか。


 胸の奥まで、じんわり温かくなる。



     ◇ ◇ ◇



 昼過ぎ。


「ルマ」


 今度はトータが顔を覗かせた。


「だいじょうぶ?」


「大丈夫」


「これ置いとく」


 枕元に置かれたのは、水の入ったコップ。


「ありがと」


「なんかいる?」


「ううん」


「……そっか」


 そう言いながらも、しばらく部屋にいる。


「トータ」


「ん?」


「心配してる?」


「してない」


「してるじゃん」


「してない!」


(してるな)


 ちょっと笑ったら、喉が痛かった。



     ◇ ◇ ◇



 そして夕方。


 とことこと足音が聞こえてきた。


「ねーね……?」


「リト?」


 扉から、小さな顔が覗く。


「ねーね、いたい?」


「ちょっとだけ」


「…………」


 リトが心配そうに近づいてくる。


 そして。


 よいしょ。


 私の頭を、小さな手で撫でた。


「よしよし」


「…………」


「ねーね、はやくげんきなってね」


「……うん」


「おみず、のむ?」


「飲もうかな」


 コップを持とうとすると、


「リトする!」


「え?」


「リトがあげる!」


 両手で一生懸命コップを持つ。


「こぼさないでね?」


「だいじょぶ!」


(それはちょっと信用できない)


 案の定、水面がゆらゆら揺れている。


 それでも一口飲むと、リトが嬉しそうに笑った。


「のめた!」


「飲めたねぇ」


「ねーね、えらい!」


「……ふふ」


 昨日まで私が言っていたようなことを、今日はリトが言っている。


(立場、逆になっちゃったなぁ)



     ◇ ◇ ◇



 夜。


 ママが布団をかけ直してくれた。


「何か欲しいものある?」


「ない」


「お水は?」


「ある」


「寒くない?」


「大丈夫」


「じゃあ、ゆっくり寝なさい」


「うん」


 額にかかった髪を、そっと避けてくれる。


 その手が気持ちよくて、目を閉じた。


 看護することには、慣れていた。


 具合の悪い子に声をかけて。


 水分を勧めて。


 食べられるものを考えて。


 少しでも安心できるように、そばにいる。


 でも。


 看護される側になることには、慣れていなかった。


 パパの温かいスープ。


 トータが持ってきてくれた水。


 リトの小さな「よしよし」。


 何度も様子を見に来てくれるママ。


(……あったかいなぁ)


 身体はしんどいのに。


 胸の中は、不思議なくらい温かかった。


 前世の私は、体調が悪くても「大丈夫」と言って働いていた。


 でも今は。


 大丈夫じゃない日には、誰かに甘えてもいい。


 何もしないで、ただ休んでもいい。


「ルマ?」


「ん……?」


「おやすみ」


「……おやすみ、ママ」


 目を閉じる。


(看護されるのも……悪くないなぁ)


 そんなことを思いながら。


 家族の気配に包まれて、私はゆっくり眠りについた。

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