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『のんびり暮らしたい宿屋の娘、今日も子育て相談を受けています』 ~元小児科看護師の異世界暮らし~  作者: 入野 カフェイン


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第22話 イヤイヤ期最恐につき、攻略不可

 朝から、Forest亭に絶叫が響いていた。


「いやぁぁぁ!」


「リト、着替えよう?」


「いや!」


「じゃあ先にご飯にする?」


「いや!」


「顔だけ洗おうか」


「いやぁ!」


「じゃあ何がいいの?」


「いや!!」


「…………」


 ママが天井を見上げた。


 分かる。


 非常によく分かる。


 最近のリトには、とても便利な言葉がある。


 ――いや。


 着替えるのも、いや。

 顔を洗うのも、いや。

 ご飯も、いや。

 でも放っておかれるのも、いや。


(来ましたねぇ、イヤイヤ期)


 前世でも散々見てきた。


「リト」


「いや!」


「まだ何も言ってないよ」


「いやなの!」


(強い)


 私は二枚の服を持ってきた。


「こっちと、こっち。どっち着る?」


「いや!」


「こっちも?」


「いや!」


「じゃあ、こっち?」


「いやぁぁ!」


「全部?」


「ぜんぶいやぁ!」


(選択肢、全滅)


 教科書通りにはいかない。


 これぞ二歳児である。


「そっかぁ。全部いやかぁ」


「いやなのぉ!」


 リトは床に寝転がり、手足をばたばたさせる。


「じゃあ、ちょっとここにいる?」


「……いる」


「ねーねもいるよ」


「……うん」


 隣に座って、しばらく待つ。


 泣き声が小さくなった頃、リトが服をちらりと見た。


「ねーね、これ好きだなぁ。リトが着たらかっこいいと思う」


「……かっこいい?」


「めっちゃ」


「リト、じぶんでする!」


「じゃあやってみよ」


 しかし、頭がうまく入らない。


「できない!」


「お手伝いしよっか?」


「いや! リトする!」


 もう一度。


「できないぃぃ!」


(難しいなぁ!!)


 自分でやりたい。


 でもできない。


 手伝われるのも嫌。


 二歳児の心は忙しい。



     ◇ ◇ ◇



 朝ごはんでも。


「お野菜いらない!」


「じゃあ一個だけ食べられる?」


「いや!」


「半分は?」


「いや!」


「ねーねと一緒は?」


「いや!」


(本日、全敗)


「わかった。置いとくね」


 無理に勧めず、私は自分のご飯を食べ始めた。


「んー、おいしい」


「…………」


 視線を感じる。


「ねーね」


「ん?」


「それ、おいちー?」


「おいちーよ」


「……リトも」


「食べる?」


「たべる」


 ぱく。


「食べれたねぇ」


「リト、すごい?」


「すごい! お野菜食べられたの? かっこいい!」


「えへへ」


「もう一個食べる?」


「いや!」


「はい」


(深追いはしません)



     ◇ ◇ ◇



 そして午後。


「リト、お片付けしましょう」


「いや!」


「そろそろお風呂よ」


「いやぁぁ!」


「じゃあ、あと三回積み木したら――」


「いや! おふろいかない!」


(予告も本日は不発です)


 リトは積み木をぎゅっと抱えている。


「まだ遊びたい?」


「うん!」


「お風呂いや?」


「いや!」


「そっかぁ」


 私は少し考える。


 楽しく遊んでいるのに、それをやめてお風呂へ行けと言われる。


 そりゃ嫌か。


 だったら――。


「リト」


「なに?」


「お風呂で、あわあわして遊ぼっか!」


「……あわあわ?」


 ぴくっ。


(お)


「うん。いっぱいあわあわ作るの」


「いっぱい?」


「いっぱい!」


「ねーねもする?」


「するよ」


「…………」


 リトがむくっと立ち上がった。


「あわあわする!」


(釣れた)


「じゃあ、お片付けして行こっか」


「うん!」


 さっきまでの「いや!」はどこへやら。


 積み木を箱へぽいぽい入れ始める。


「あわあわ、いっぱいする!」


「しようしよう」


「おっきいの!」


「めっちゃ大きいの作ろ!」


「やったー!」


 リトが私の手を握る。


「…………」


 振り返ると、ママがぽかんとしていた。


「なに?」


「ルマって、本当にリトとの関わり方が上手ね」


「そう?」


「私があれだけ言っても行かなかったのに」


「だって、まだ遊びたかったんでしょ?」


「まあ……そうだけど」


「だから、お風呂でも遊べたらいいかなって」


「そういうの、よく思いつくわね」


「…………」


 言われてみれば。


 前世でも似たようなことは、何度もしていた。


 嫌がることを、ただ押しつけるんじゃなくて。


 その子が少しでも「それならやってみようかな」と思えるものを探す。


(ずっとやってたもんなぁ)


「あわあわー!」


「はいはい、今行きますよ」


(さっきまでお風呂嫌って言ってた人、誰ですか)



     ◇ ◇ ◇



 そして夜。


「いやぁぁ!」


(まだやるんかい)


「ねんねしない!」


「眠くない?」


「ねむくない!」


 目をこすりながら言っている。


(説得力ゼロ)


「じゃあ寝なくていいよ」


「……いいの?」


「うん。ねーねとゴロンするだけ」


「ゴロン?」


「そう」


 二人で布団に横になる。


「寝なくていいからね」


「うん……」


 背中をゆっくりトントンする。


「ねーね」


「なに?」


「ぜったい、ねないよ」


「うん」


「ねない……」


「うん」


「…………」


 すぅ。


(寝た)


 早い。


 そっと顔を覗き込む。


 前世では、小児看護師。


 今世では、五歳のお姉ちゃん。


 確かに経験は役に立っている。


 でも。


(イヤイヤ期を攻略できる魔法なんて、ないんだよなぁ)


 選ばせても嫌。


 予告しても嫌。


 褒めても嫌。


 何をしても嫌な日はある。


 大事なのは、「いや!」の奥にある気持ちを考えること。


 まだ遊びたいのか。


 自分でやりたいのか。


 眠たいのか。


 ただ甘えたいのか。


 それでも分からないときは――ただ隣にいる。


「ねーねぇ……」


 眠ったまま、リトが私の服をぎゅっと掴んだ。


「はいはい。いますよ」


 今日一日で、「いや」を何回聞いただろう。


 数える気にもならない。


 看護師には勤務終了の時間があったけど。


 お姉ちゃんには、どうやらないらしい。


(明日は「いや」少なめでお願いします)


 もちろん。


 そんなお願いを聞いてくれる二歳児ではない。

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