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『のんびり暮らしたい宿屋の娘、今日も子育て相談を受けています』 ~元小児科看護師の異世界暮らし~  作者: 入野 カフェイン


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18/82

第18話 スローライフって最高!

 五歳になって、最初の朝。


 目を覚ますと、窓から柔らかい光が差し込んでいた。


 外からは小鳥の鳴き声。


 そして一階から、


 トントントントン――。


 規則正しい包丁の音が聞こえてくる。


 ふわりと漂ってくるのは、焼きたてのパンの匂い。


(……いい匂い)


 布団の中でもぞもぞしていたけれど、お腹が鳴ったので諦めて起きることにした。


 階段を降りると、Forest亭では朝の準備が始まっていた。


「おはよぉ……」


「おはよう、五歳児」


 テーブルを拭いていたママが笑う。


「五歳児って呼ばないで」


「あら、昨日五歳になったばっかりじゃない」


「ルマはルマです」


「はいはい。おはよう、ルマ」


 厨房を覗くと、パパが朝食の準備をしていた。


「パパ、おはよ」


「おはよう。もうすぐできるぞ」


「パン?」


「ああ」


(やった)


 そのとき。


「ねーねぇ……」


 階段から声がした。


 振り返ると、寝癖で髪を爆発させたリトが、眠そうに目をこすりながら降りてくる。


「リト、おはよ」


「おはよぉ……」


(平和だなぁ)


 なんとなく、そんなことを思った。



     ◇ ◇ ◇



 朝ごはんを食べ終えたあと。


「ルマ、今日は何するの?」


 ママに聞かれた。


「きょう?」


「そう。アーリちゃんたちは?」


「アーリはお店のお手伝い。シイも今日はおうち」


「じゃあルマは?」


「…………」


 考える。


 文字の勉強は昨日やった。


 Forest亭のお手伝いも、今は特にない。


「……なんにもない」


「あら、いいじゃない」


「いいの?」


「たまにはね」


 何もない。


 予定もない。


 やらなければならないこともない。


(……最高では?)


 前世では、朝起きた瞬間から一日の予定を考えていた。


 仕事の日なら、時間との勝負。


 起きて、準備して、出勤して。


 申し送り、検温、処置、内服、記録。


 帰ったら帰ったで、明日のことを考える。


 でも今日は。


(何もしなくていい!)


 二度目の人生にして、私は予定のない一日の素晴らしさを噛み締めた。



     ◇ ◇ ◇



 せっかくなので、Forest亭の裏庭へ出た。


 風に揺れる洗濯物。


 小さな畑には、パパが料理に使う野菜や香草が植えられている。


「……お水あげよ」


 桶を置いて、両手を向ける。


 前みたいに溢れさせないように。


(ちょっとだけ……ちょっとだけ……)


 ちょろちょろちょろ――。


「おお」


 ちょうどいい。


「できた!」


(成長!)


 調子に乗って次の株にも水をやっていると、


「ねーね!」


「ん?」


 リトがしゃがみ込んで、地面を指差している。


「これ!」


「なに?」


 隣にしゃがむ。


 小さな赤い虫が、葉っぱの上をゆっくり歩いていた。


「……てんとう虫?」


 異世界にもいるんだ。


「むし!」


「そうだねぇ」


「かわいー」


「かわいいねぇ」


 二人でしゃがんだまま、しばらく眺める。


 ただ虫が葉っぱの上を歩いているだけなのに、リトは楽しそうだ。


(子どもって、こういうのずっと見てられるよなぁ)


 ……まあ。


 五歳児の私も一緒に見ているのだけど。



     ◇ ◇ ◇



「ルマー、リトー」


 しばらくすると、厨房の窓からパパが顔を出した。


「パン焼けたぞ」


「食べる!」


「ねーね、パン!」


「行こ!」


 庭の木陰に座ると、パパが焼きたてのパンを持ってきてくれた。


 まだほんのり温かい。


 半分に割ると、ふわっと白い湯気が立ち上った。


 バターをのせれば、熱でゆっくり溶けてパンに染み込んでいく。


「いただきます!」


 ぱく。


「……おいしい」


 外は少しだけ風が吹いていて。


 木の葉がさらさらと揺れている。


 焼きたてのパンは温かくて、バターの香りが口いっぱいに広がった。


 隣を見ると、リトも小さな両手でパンを持っている。


「おいちー!」


「…………」


「ねーね、おいちーね!」


「……リト」


「ん?」


(うまぁ、じゃない……)


 ちゃんと言葉が増えている。


 成長している。


 嬉しい。


 嬉しいんだけど。


(ちょっと寂しい!!)


「ねーね?」


「……おいちーねぇ」


「ねー!」


 リトがにこっと笑う。


(成長って、嬉しいだけじゃないんだなぁ)



     ◇ ◇ ◇



 午後。


 私は木陰で文字の本を開いていた。


 風が気持ちいい。


 鳥の声が聞こえる。


 遠くからは町の人たちの話し声。


 Forest亭の厨房から、時々パパが何かを切る音も聞こえてくる。


「…………」


 文字を一つ読む。


 次を読む。


 ページをめくる。


(眠い)


 ぽかぽかしている。


(ちょっとだけ……)


 本をお腹の上に置いて、目を閉じた。



     ◇ ◇ ◇



「ルマ、起きて」


「……ん」


 ママの声で目を開ける。


 空が橙色になっていた。


「……ねてた?」


「ぐっすり」


「どのくらい?」


「結構」


 身体を起こすと、Forest亭から夕食の匂いが漂ってくる。


(今日、何したっけ)


 水やりして。


 リトと虫を見て。


 焼きたてのパンを食べて。


 本を読んで。


 寝た。


「…………」


(何もしてないな)


 でも。


 風は気持ちよかった。


 パンは美味しかった。


 リトの「おいちー」も聞けた。


 昼寝も最高だった。


(こういう日も、悪くない)


 何か特別なことが起きなくても。


 知らない世界へ行かなくても。


 魔法が上手にならなくても。


 ただ笑って、ご飯を食べて、眠る。


 そんな一日があってもいい。


「ルマ、ご飯よ」


「はーい!」


 私は本を抱えて立ち上がった。


 今日の予定は、特にありませんでした。


 でも――。


(いい一日だったな)


 そんな日も、きっと大事だ。

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